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淺草 [むかしむくれて]

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○花屋敷
 嘉永五年千駄木植木屋森田六三郎が植物園開園、鳥獣少々。 この地は元禄の昔、桜の名所であった。 また観音裏・奥山と呼ばれ見世物で賑わい、その後浅草六区に引き継がれた。
※明治二十年頃には、ミニ富士山や凌雲閣(十二階)が造られた。

○観覧車
 明治三十九年四月大阪府博覧会記念会・明治四十年東京勧業博覧会にあったとされる。 明治三十六年第五回内国勧業大博覧会には、メリーゴーランドやウォーターシュートもあった。

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○新吉原大門

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Yoshiwara_daimon吉原大門

Tokyo_iroha牛鍋屋「いろは」


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○牛鍋
 淺草の米久・京橋の河合・四谷の三河屋が三老舗といわれた。(後に、河合と三河屋は西洋料理も)
 赤味噌で味付けし長葱と煮込み、山椒辛味を添えて食べた。

 一般庶民は質素に、い
わしのしおやき・しじみじる・あさりどうふ・うのはないり・八はいどうふ・大こんにつけ・小松なのしたし物・富貴豆・ぶどう豆・みつばのごまよごし・納豆・納豆汁・くさやのひもの・しゃこの塩ゆで、などを食べた。
※関西では、水菜したし・糸こんにゃく葛汁・かすじる・ちしゃのしたし物・白瓜みそあえ・白瓜くず煎・白瓜ごまあえ・なすびくず煎・加茂瓜葛煎・ゆばの味噌汁・ゆば葛汁・焼麩葛汁・高野豆腐・そうめんみそしる・にゅうめん・柚・松たけ・牛芳胡麻ひたし、など。

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☆牛鍋
 文久二年横浜に日本人相手の牛鍋屋開店、明治二年芝露月町に堀越籐吉が牛鍋屋開店、明治十年代には全国に普及した。 大正以降は「すき焼き」として家庭料理となった。 
※それまでも牛肉は「薬食い」として食べられていた。(ご養生牛肉)
※馬の肉をつかうと「午鍋」、ツノが無い。
※「すき焼き」は関西での呼称といわれる。

☆浅草六区
 明治六年浅草公園となり、七区画に分割された。 一区:本堂周辺、二区:仲見世、三区:伝法院、四区・奥山、五区:花屋敷、六区:見世物興行街、七区:馬道西側。

☆浅草・十二階(凌雲閣)
 明治二十三年完成、十階までは煉瓦造り・十一階以上は木造、八階までエレベートルがあったがこれは危険なため廃止された。

☆牛鍋
 古くは味噌味であった、残った汁をご飯にかけたのが「牛丼」のはじまり、当然ながらこれも味噌味であった。
※肉のにおい(生臭さ)を消すために味噌を使ったと思われる。

☆牛丼
 明治時代中頃味噌仕立ての煮込み牛鍋が流行った。 明治二十代後半には、牛鍋の残りをご飯にかけて食べるようになった。 この牛丼、当初はカメチャブとよばれた。
※カメチャブは「犬のえさ」の意味、カメは犬(外人が犬をcomeと呼んでいたので犬のことだと誤った)・チャブはちゃぶ台。

Kangyouhaku_meiji40東京勧業博覧会・明治四十年


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