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平塚神社 [さいたま]

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平塚神社・平塚城跡(豊島城跡)
 東京都北区上中里1-14-1、03-3910-2860

城跡 について

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☆平塚神社付近は、平安時代に豊島郡を治める郡衙のあった場所だと推定されていますが平塚明神并別当城官寺縁起絵巻の伝承によれば、この時代の末期には、秩父平氏庶流の豊島太郎近義という人物が平塚城(豊島城)という城館をつくります。
 平塚城は源義家が後三年の役で奥州に遠征した帰路の逗留地で、義家は近義の心からの饗応に深く感謝し、使っていた鎧と守り本尊の十一面観音を下賜しました。 近義は義家が没した後、城の鎮護のために拝領した鎧を域内に埋め・この上に平たい塚を築き・義家兄弟の三人の木像を作り、そこに社を建てて安置したと伝えられます。 これが本殿裏側の甲冑塚とも鎧塚とも呼ばれる塚で、平塚の地名の起こりともいわれます。 鎌倉・室町時代の平塚城は、この地域の領主であった豊島家代々の居城となりましたが、文明十年一月泰経の時代に太田道灌によって落城してしまいます。
 江戸時代、上中里村出身の針医で当道座検校でもあった山川城官貞久は、三代将軍家光の病の治癒を平塚明神に祈願し、家光は程なく快復します。感謝した貞久は、みずからの資金で平塚明神の社殿と別当の城官寺を再興し、買った田地を城官寺に寄進します。 貞久の忠誠心を暫くして知った家光は感激し、二百五十石の知行地を与え、この内の五十石を朱印地として平塚明神に寄進させました。
 平塚神社は、北区指定有形文化財の「紙本著色平塚明神并別当城官寺縁起絵巻」、古文書「平塚神社文書」を所蔵しています。立派なイチョウとケヤキの並木が参道にあり、節分には盛大な豆まきが行われます。


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