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氷川女体神社 [さいたま]

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氷川女体神社
 さいたま市緑区宮本2-17-1

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☆氷川女體神社社殿
 武藏国一宮。 社殿は、本殿と拝殿を幣殿でつなぐ複合社殿。 本殿は江戸時代寛文7年・三間社流造・こけら葺(現銅板葺き)・桁行3.465m・梁2.260m・向拝の出1.364m。 拝殿は江戸時代中頃、入母屋造・桁行9.450m・梁間4.560m。

※依石、神山を拝する祭祀の場に埋められた神霊を依りつかせる石。

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☆文殊寺(神宮寺)
 女体社境内西側にあったのが文殊寺、文殊院(本堂)と文殊堂があり、正月八日には天下泰平五穀豊穣転読会が催された。
※現在の文殊寺は、さいたま市緑区三室1956。

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○見沼
 縄文時代前期末に海退がおこり、見沼は淡水の湖沼(深さ1mほど)として残った。


☆氷川女体神社
 奈良時代以前の創建ともいわれる。 寛文七年、徳川家康が忍城主阿部忠秋を奉行として再興。 見沼方向に向き沼の守社とされるが、見沼は干拓された。 
 武蔵国有数の古社で、崇神天皇時代の創建といわれる。(実際には奈良時代以前) 氷川神社(男体社)・中山神社(王子社)・氷川女体神社(女体社)と合わせて武蔵国一宮と称せられてきた。 諏訪大社が諏訪湖を取り巻く四神社で形成されているのに似て、諏訪湖にあたるのが見沼である。
 古くから時々の権力者に崇拝され、時に鎌倉から室町時代にかけて奉納された文化財が多い。徳川家康から五十石(この地域最高)の社領を与えられた。
 現在の社殿は徳川四代将軍家綱が忍城主阿部忠秋に命じて寛文七年に建立された。 社殿は見沼に突き出た台地にあり、見沼を向いているのが特徴である。
 氷川女体神社の最も重要な神事は「御船祭」であった。 隔年の九月八日、神輿をのせた御座船が見沼に出、沼の主に神酒を供献する儀式で享保年間に見沼が開拓されるまで続いた。

☆片目の鯉
 出雲国奇稲田姫が村を守ろうと西の神と戦ったさい、蓮茎が眼に刺さり片目が見えなくなった。 この時より、村では蓮を作らなくなった、また三室氷川女体神社の沼には片目の鯉が棲みつき神様の使いとされるようになった。 


☆神輿
 本来は天皇の乗り物、後に神様も乗るようになった。 神輿を威勢良く揺さぶるのが「魂ふり」、揺さぶるほど神様が元気になるといわれる。
※神様は忙しいので、お祭りの時にのみその場所に降りてくるのであった。 また御神体は、神様が宿る器であり・いつでもそこに神様がいるわけではなかった。


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