群馬での暮らし:お赤飯 [ぐんま]
グンマでは、葬儀に「赤飯・強飯」を出す地域もあった。 これは、人間は「生まれてのお産めし・結婚式のお高盛り・死んだ時の枕めし」と三回お高盛りすると言われ、葬儀は普段の生活と違う「人生の大イベント」との考えからである。 ただしお葬式の赤飯は色を控えめにしたいわゆる強飯であった。
※葬儀に出る赤飯(色をつけないこともある)を「念仏玉」と言ったそうだ。
※地域によっては、老人は赤飯・それ以外は強飯とし、デハノメシと呼んだ。 この赤飯を葬後の念仏玉として出すこともあり、やがては葬式饅頭へと変わったらしい。
群馬での暮らし:石合戦 [ぐんま]
《グンマを話そう》
○渡良瀬川の石合戦
小石を投げ合う石合戦を印字(石撃・因陣・印地)と呼び、多くは河原で行うので「河原印字(印地)」と言います。 はじめは子供の遊びでしたが、だんだん儀式化し一月十五日と五月五日には印字(印地)が行われるようになりました。
これで収まらないのがグンマです。 だんだん大人が加わり、ついには渡良瀬川をはさんで敵国トチギとの石合戦となりました。 特に桐生団・太田団が激しく、当然ながら多くの負傷者が出たので禁止になりました。
金平うどん [ぐんま]
○きんぴらうどん
グンマにおいては、きんぴらは行事・正月・祝い事・仏事に必ず出される料理の一つである。(ただし、仏事の時は人参を入れない。)
またふだんのおかずとしても良く作られる。 その結果、うどんやそばのコとして食べられている。
※「うどん」は祝儀・不祝儀どちらでも出る。 「そば」は不祝儀には出ない。
群馬での暮らし:すいとん(だんご汁) [ぐんま]
○「すいとん」は地域によって色々な呼び方があります。
だんごじる・だんす・ねじっこ・ねじ・とっちゃあなげ・はさみこみ・おつみ・つみっこ・つめっこ・つめりっこ・おつけだんご・おつゆだんご・おつけねじ・おつけもち・しょっばねじ・すいとん・おしんこ・さとうねじ・あまねじ・あずきねじ・すすりねじ・
※「ねじ」→粉を練って・のばして・捻じ切るから
※「だんす」→「団子」を正しく読むとこうなる(両方とも音読み)
※「とっちゃあなげ」→グンマ語は動作を表す
群馬での暮らし:おっきりこみ [ぐんま]
「おきりこみ(おっきりこみ)」は、幅広うどんを野菜と一緒に煮込んだもの、味噌味が多い。 普通おきりこみは塩を入れずにこねることが多い。
○おきりこみ:全くゆでていないうどんを煮込む。
○煮込みうどん:ゆでたうどんをさらして(湯切りして)煮込む。
○うちこみ:ゆでたうどんをそのまま(湯切りしないで)煮込む。@邑楽
○ゆであげ:ゆでたうどんを醤油につけて食べる。
※煮込んだうどんがドロドロになると「どろがし」とも言いう。
群馬での暮らし:頭の桜の木 [ぐんま]
《グンマを話そう》
○頭の桜の木
ある昔、大きな桜の木に沢山のサクランボが実った。 通りかかった男があまりにも美味しかったのでアバケ食いし、種も飲み込んでしまった。 すると腹の中で芽を出し頭を突き破って桜の木となり花が咲いた。 これが評判になり、花見客が集まり毎日毎晩ドンチャン騒ぎした。 男は我慢できなくなり、木を引っこ抜いてしまった。 その跡には大きな穴が開き、やがて雨がたまり池となり、魚が泳ぎ始めた。 今度は釣り客が押し寄せ、子供達が水遊びを始めた。 男は我慢できなくなり「こんなにうるさくっちゃ死んだ方がましだ」と頭の池に身を投げてしまった。
六合村道祖神:長平 [ぐんま]
《グンマを話そう》
1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具脱衣池)、女子供を連れての逃避は二つの集団に別れてしまいました。 先行組は大晦日に入山に着き、正月松を飾って祝いました。 しかし後行組が入山に着いたのは年が明けてからでした。 こうして、正月に松飾りをする山本家を「宵の山本」、松飾りをしない山本家を「明けの山本」と呼ぶようになりました。
群馬での暮らし:グンマ天気予想 [ぐんま]
携帯もテレビもラジオも電波が届かない所でも大丈夫!
○明日は晴模様
(刻み)煙草が乾くと晴、 朝霧が深いと晴、 甲子の日に晴れれば翌日晴、 雲が東へ流れると晴、 胡麻を火にくべて跳ねれば晴、 卵の殻がよく割れると晴、 夏から冬のキタケは晴、 マッチのつきがよい時は晴、 夕(東空)の虹は晴、 夕焼けは晴、
群馬での暮らし:雷事情 [ぐんま]
《グンマを話そう》
日本海側の雷は「雪おこし」と呼ばれる一発雷であるのに対し、グンマ北部は上昇気流を起こしやすい地形のため雷雲が発達しやすく、質的に日本一の多発雷地帯です。 このため、各種の雷情報が発達しています。
群馬での暮らし:大島梨 [ぐんま]
○大島梨
前橋市下大島町にて梨栽培を成功させたのが関口長左衛門と伝えられる。 その後、全国的にこの栽培法が広がったらしい。 来迎寺に、功績碑(石碑)がある。
○里見の大梨(里見豊栄梨)
清水家の鬼門除けに栽植されたといわれる。
※かつて、梨はグンマの名産であった。 (梨はバラ科)
梨 について