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山本館

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山本館@草津町草津404・0279-88-3244

草津町 について

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○山本館本館(草津温泉)
 第一期1928年増築・第二期1935年増築、木造地上3階地下1階建・鉄板葺・建築面積370㎡。

 大正後半に現玄関部分を建築、昭和になり左右に増築。 この地一帯を六合村の山本家(山本十右衛門)が治めていたので、その中心の意味もあり「山本館本店」としたらしい。

 山本家は、1184年京都粟田口の合戦で敗れ・六合村入山にたどり着いた木曽義仲の家臣山本勢の家系と思われる。

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霧積温泉の昔

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○霧積川
 金洞の滝を中心に三十軒ほどの宿があったが、明治末期の台風土砂崩れでほとんどの宿が流された。

※鼻曲山より浅間山
 鼻曲山(天狗山)には天狗が住んでおり、四月十五日には天狗が湯入りにくるといわれ、この日の風呂は天狗様専用となり一般客は締め出された。

グンマの伝説 について

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金湯館

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霧積館(2012年4月閉館) 

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○霧積温泉
 古くは「犬の湯」「入の湯」とよばれ、1880年碓氷温泉金湯社が設立されて大温泉..

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グンマの昔:山小屋

Kunimura39

○山小屋・六合村入山
 入山では、山小屋に寝泊まりして山仕事をした。

Iriyama97入山学校


《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具..

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グンマを話そう:ぬかぼこ・こめぼこ

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○ぬかぼこ・こめぼこ(糠福米福)
 ある昔、ぬかぼことこめぼこという姉妹がいた。 「ぬかぼこ」の母親は早く死んだので、継母は「こめぼこ」ばかり可愛がった。
 ある日、ぬかぽこには穴のあいた袋・こめぼこにはちゃんとした袋を渡し、米穂拾いに行かせた。  なかなか袋一杯にならないぬかぼこはだんだん山奥へ入り、暗くなったので一軒の小屋をたたいた。 そこは鬼の兄弟の家であり、おばあさんから「えんめいこぶくろ」をもらって逃げ帰った。

 ある日、おっかさんはこめぼこをつれて芝居見物に行き、ぬ..

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グンマを話そう:茂左衛門

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○天下の義人茂左衛門
 沼田城主真田信利の悪政に憤慨した杉木茂左衛門は幕府に直訴を企て、上野寛永寺輪王寺宮文箱に訴状を入れ・板橋の茶屋に置いた。 茶屋主人は宮家の紋章に驚き、巡り巡って幕府に届けられ、天和元年真田信利は三万石没収(お助け検地)・身柄拘束となった。 直訴した茂左衛門は、補吏に捕まり天和二年竹の下刑場で磔になった。(恩赦になったが赦免状が間に合わなかったともいわれる)

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小野小町

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○小野小町像(内山永久寺蔵)
 平安期の食通として、鯉・鱸・鮒・鶉汁・熊の掌・鵞鳥の咽喉・兎の唇など何でも食べたらしい。 その結果晩年がコレともいわれる。

☆徳川将軍家では、嘉例として元旦に「兎の吸物」を食したらしい。
☆鶴料理
 江戸城には、正月祝膳に将軍より重臣に「鶴の吸物」が振る舞われたらしい。(豊臣秀吉が朝廷に献進したといわれる)
長寿を願って、年始の嘉例に鶴を調理した。

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妙齢期

☆グンマを話そう:小野小町
 歳とった小町が故郷へ帰る途中で病気(疱)になり、上野国甘楽郡小幡谷..

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グンマを話そう:物語山

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ぐんま甘楽の里のものがたり

 甘楽ノ牧・西野牧・南野牧を支配する大夫様が、牧で働く一人の娘「於辰」を見初め館に上げ侍女とし、やがて大夫の子を身ごもった。 於辰は兄のもとで男子を生んだが、大夫様には女子と告げ、万呂と名付け兄夫婦のもとで育てた。
 一方、南野牧の分家では女子「キキョウ」が生まれ、於辰が乳母として館に入った。 万呂も十三歳となり牧場で働くようになり、キキョウ姫に認められ馬丁となった。
 キキョウ姫が十八歳になると縁談の話があったが断り、於辰と万呂に連れられて館を抜けだし..

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グンマを話そう:焼きまんじゅう

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○味噌付饅頭
  天保七年、勢多郡飯土村の類蔵が前橋横山町で「みそつけまんじゅう」の店を始めた。  当時は、城下での商い中心は連雀町と本町であり、六斎市・二八市・四九市など月に十二回ほどの市がたち、「みそつけまんじゅう」は飛ぶように売れた。
 そしては、饅頭好きの本陣松井喜兵衛に認められ、鑑札をもらい・松井家紋の使用を許されるようになった。

 やがて、開国により前橋生糸は「マエバシシルク」として評判となり、前橋は生糸景気にわいた。 文久三年十二月、前橋城再築がはじまり、労力・..

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グンマを話そう:月世界のウサギ

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○月世界のウサギ
 釈迦は前世において森のウサギであった。 ある時、天帝のインダラがみすぼらしい老人の姿に源を変え、森のけものたちのところにやって来て・食物を求めた。 キツネやサルはなどはテキトーにその辺の物を拾ってきた。 ウサギは遅れて薪をいっぱい背負ってやって来て火を焚き始めると「わたしを食べてください」と言うと火中に身を投げた。 
 感激したインダラは、すぐに天へ連れ帰り月の世界に住まわせた。 この時、前足を焼いたので短くなった。

ウサギ について

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グンマを話そう:高崎ハム

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○高崎ハム
 1934年群馬県奨励事業により豚飼育が増え、1937年10月1日農村振興策の一つとして「群馬馬畜肉加工組合」が設立、1938年10月高崎ハム工場竣工、後に「群馬畜産加工販売農業協同組合」・通称高崎ハムとなった。
 当初は豚の確保・販売先が困難だったが、営業努力による軍納入をきっかけに発展を遂げた。

○高崎ハム
 1937年10月1日群馬県畜肉加工組合設立(高崎ハム創立)・年工場用地・新屠場用地は高崎市より無償貸与、1938年操業開始、1944年骨粉事業開始、1948..

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グンマを話そう:足尾

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○足尾・渡良瀬川
 ある時、日光の山深い里で勝道上人が修行中、白ネズミが粟の穂をくわえているのを見つけた。 「こんな山奥に粟はない」とネズミの足に糸をつけその後を追った。 たどり着いたのは、山あいの村里・小さいながらも粟稗稔る豊かな村だった。 ネズミの足に糸(緒)をつけたので、その地が「足尾」。
 足尾の村中で川を渡ろうとしたが、橋もなく対岸へ行かれなかった。 そこで、弟子たちが渡れそうな場所・浅瀬を探し回った。 そしては、勝道上人が渡った浅瀬のある川「渡良瀬川」とよばれるよ..

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グンマを話そう:七夕ものがたり

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○七夕ものがたり
 盥の水に月を映し・その光で針に糸を通すと、縫物上手になると伝えられる。


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○七夕祭り
 歌川国芳、道外十二月、天保十二年(1841)頃。

 雲上で踊るは、牽牛・織姫・夜這星(流れ星)。


☆天の川に流されていくのが「流れ星」…


○七夕
 七夕に雨が降ると豊年ともいわれ、「七夕さまは会えないほうがよい」という地もある。

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グンマの昔:宵の山本・明けの山本

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《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具脱衣池)、女子供を連れての逃避は二つの集団に別れてしまいました。 先行組は大晦日に入山に着..

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グンマの昔:万座温泉

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○万座温泉
 姥湯・熊四郎山の湯・錫湯・新苦湯・塩湯・苦湯・鈴湯・新錫湯・奥万座法性の湯・銅粉の湯・ラジウム北光線の湯・琥珀の湯・三昧の湯・鉄湯・甘苦湯・松の湯、がある。

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Manza1910○万座温泉・1910年頃


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《グンマを話そう》
 ある昔、吾妻干俣の猟師が「熊駒」と「四郎」という犬二匹をつれ狩りをして岩窟で夜を過ごした。 すると夜中に犬がけたたましく吠え・止まることがなかった。 業を煮やした猟師は、山刀で犬の首を落としてしまった。 するとその首は空中高く飛..

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たねん淵

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《グンマを話そう》
○たねん淵・伊勢崎市(佐位郡太田村)
 ある昔、怪力の太郎右衛門という若者がおった。 その頃、村を流れる広瀬川・荒砥川の淵にカッパが現れ災いを起こすようになった。 そこで太郎右衛門がカッパ退治に行った。 釣り糸をたれていると引きずり込まれそうになったが、怪力で引き上げるとカッパだった。 相撲をとればカッパを組み伏せ、とうとうカッパが謝り平穏な村に戻った。  村人はこの淵を「太郎右衛門淵」となずけ、やがて「たねん淵」と称されるようになった。

※[たねん淵]に..

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サージタンク

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○東京電力佐久発電所(1928年竣工)・渋川市北橘町

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○天狗岩用水と午王頭川との立体交差
 上のコンクリートが天狗岩用水、下に見えるのが一級河川午王頭川。


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《グンマを話そう》
○天狗岩用水
 慶長年間、総社藩主秋元越中守が、利根川からの灌漑用水を計画しながらも地勢が高くて苦労していた。 ある時、身の丈八尺程の威容優れた老人が現れ「地の利を図って導けば水をひくことができる」というので、其の人物に命じて工事を始め・巨石を割り・丘を切り、いくばくもなく利根川の水が用水を流れ・千石..

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ヘビの目

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《グンマを話そう》

○ヘビの眼
 ある昔、ヘビが若者に化けてとある娘の所に通い続けたあげく、子供ができた。 娘は男に長い糸のついた針をさして後をつけると、その男はヘビに姿を変え寺の石垣の間に入り込んだ。 石垣の中からはヘビの親子の話が聞こえてきた。

こんな針を刺されたら、もう命がないぞ」
「おれは死んでもいいんだ、子供がうまれるから」
「ショウブ湯に入ればへんな物は出てしまうから、ヘビとわかればすぐに捨てられるぞ」
 これを聞いた娘は、ショウブ湯に入りタライをまたいで全部出してしまっ..

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食わず女房

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《グンマを話そう》
○食わず女房(頭から飯を食う鬼女)
 ある昔ドケチな男が「美しくて飯を食わない女」を女房にした。 確かに飯を食わないのだが、米櫃の米はすぐに空になる。 不思議に思い出かける振りしてコソッと覗き見すると、大きな釜で飯を炊き・頭のてっぺんに隠れていた大口を開き、どんどん飲み込んでしまった。 その正体は山姥であった。  そこで男は離縁を申し渡したが、逆に桶に閉じこめられ、山奥へと運ばれていった。
 恐怖のあまり動けなかった男は、偶然垂れ下がっていた藤のツルにつかまり..

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いんごう惣兵衛

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《グンマを話そう》

○因業惣兵衛(中之条町山田)
 「えこじ惣兵衛」・「ヒューゲ惣兵衛」ともよばれ、数々の奇行が伝えられている。

 「惣兵衛さん豆まきかい」と聞かれて、その人のそばへ行き耳元でつぶやいた。「豆まいてるだよ、大きな声で返事すると鳩にきかれてしまうでねえか」
 「嫁を大事にしろ」といわれたので、嫁の実家に行くときに嫁を背中に背負って言った。「こんなに大事にしているよ」
 「おまえは軽々しくいいけない」と言われたので、両腰に石臼ぶらさげて歩いて言った。「これで重々しくな..

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道祖神:中室田股倉

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○榛名町中室田股倉


《グンマを話そう》

○大和田の化粧水
 中室田の長者が、水の不便な上ノ原に嫁にやった一人娘のために、水路を築いて大和田の水を上ノ原へ送った。 これを「大和田の化粧水」とよび、後に改修され「上ノ原用水」となった。

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いちがさけかってまんがひんのんだ

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《グンマを話そう》
○結び言葉 【いちが酒買って、まんがひん飲んだ】
 グンマ昔話はこの文句で終わる。 「めでたし・めでたし」といったところだ。

☆他にも下記などある
 いきがさけた(新潟)・いきがポーンとさけた(新潟)・いちがさらーんとさけた(新潟)・市がさかえもうした(群馬)・いちが酒かいもうした(群馬)・いちが酒かっちゃったとさ(群馬)・いちごぶらんとさがった(蒲原)・こんで えんつこ さげた(多賀城)・それぽっちり(島根)・どーびんと(山形)・どんとはねた(秋田)・どんどは..

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グンマの昔:太田市

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 日光例幣使街道の宿場であり・太田呑龍の門前町であった太田宿は、中島飛行機製作所ができてから急激に人口が増加し・県内産業の核となった。

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太田大光院

Ohta31呑龍上人墓

Ohta_daimon62○大門・太田市(解体前)


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《グンマを話そう》
○呑龍上人
 村の龍神様に「すぐれた子供がうまれますように」と願うと、龍神の森から黒雲が湧き家の屋根を包んだ。 こうして生まれたのが曇龍であった。  修行を続けた曇龍はある夜夢をみた。 それは、龍宮城へ行き龍王を前にしていると一匹の悪龍が邪魔しに出てきた。 ..

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群馬での暮らし:グンマ語(榛東編)

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耳飾り館
 (北群馬郡榛東村大字山子田1912、0279-54-1133)

 縄文時代後晩期の集落(約3000年前)である茅野遺跡から多数の土製耳飾りが出土したことから、これを展示・紹介することを目的として開館。

《グンマを話そう》 @榛東村
 あそびょう→農協・役場などによる無報酬の仕事、 あんね→おんな・あねさん、 うさぎねむり→目を開いて眠る、 おけー・ぞーせー→おじや・雑炊、 おごっそう→ごちそう、 おっこす→こわす、 おてんたら→おべっか、 おばんし→炊事する人..

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グンマの昔:鎌原城

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《グンマを話そう》

○鎌原城と羽尾城
 1560年、羽尾氏(上杉謙信派)対鎌原氏(武田信玄派)の戦い始まる。 1562年、羽尾氏が万座温泉で遊んでいる間に羽尾城が乗っ取られる。
 羽尾氏が奪還にでる。 鎌原の家来・樋口からの裏情報では「鎌原氏は黒馬に乗っている」とのこと、鉄砲名人が黒馬に乗る武士を撃ち落とした。
 この日、鎌原氏は乗っている黒馬が進もうとしないので樋口の馬と取り替えていた。 鎌原軍は勝利に酔いしれていた羽尾軍に攻め入り勝利した。

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○鎌原城三の丸追手口

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○鎌原..

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馬の骨

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《グンマを話そう》

 【馬の骨】、それはグンマでは特別な呪力を持っている。

事例1:
 藤原栗沢部落では、温泉に馬の骨を投げ入れたため、温泉が枯れてしまった。 代わって宝川湯の花に温泉が湧き出た。

事例2;
 吾妻名久田村では、忙しすぎた女中が温泉に馬の骨を投げ入れたため、熱い湯であった温泉が「ぬる湯(大塚鉱泉)」となった。

事例3:
 嬬恋村三原湯窪では、里の者が温泉によくないことをしたため、薬師様が怒り温泉を取り上げ、草の葉に包んで北方へ放り投げてしまった。 この草の葉が「くさつつ..

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雷が忘れた太鼓棒

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《グンマを話そう》
○雷が忘れた太鼓棒(前橋)
 ある昔、うんとむす昼、まっくれえ雲が空いっぱい広がり・お光さまが光り・脳天をぶっつぁばくような雷様が鳴り始めた。 それは今までににでっかあしたことがねえでっけえ雷さまであった。 そして、村のてえの家に何かがおっこってきて、雷が止んだ。
 何がおっこってきたかおそるおそる見に行くと、でっけえ鉄ん棒であった。 それは雷さまが落っことした「雷太鼓の棒」であった。  それからは、村では火事が起きることはなかった。

※その後「雷太鼓の棒」..

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お菊伝説

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《グンマを話そう》
○お菊伝説
 甘楽郡小幡国峯城・城主小幡上総介信貞に仕える侍女「お菊」は美人で働き者だったので、殿様から可愛がられた。 これをねたんだ侍女仲間が、ある日殿様の御膳に針を入れた。 針を見つけた殿様は、お菊が自分を殺そうとしたと思い、お菊を蛇や百足と一緒に桶に入れ宝積寺裏山の池に投げ込んだ。  お菊が息も絶え絶えとなった時、日野の小柏源六なる武士が通りかかりお菊を助けた。 この時助けられた蛇や百足も、恩返しとして「小柏家には害を加えない」と約束した。 こうして蛇除..

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グンマの昔:少将桜

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《グンマを話そう》

 ある昔、酒井阿久波守親本(前橋藩)という殿様がこのしだれ桜を見て、あまりの美しさに一本譲ってもらい城内に植えたが咲くことは無かった。 そしては、枕元に【花の精】が夜な夜な現れ、「帰りたい」と悲しく泣くので、元あった慈眼寺へ戻すこととなった。 この殿様は享保13年(1728年)酒井少将となり、それから「少将桜」と呼ばれるようになった。

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群馬での暮らし:グンマ語(専門用語)

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《グンマを話そう》

○グンマ(利根)の専門用語

いしご→軽石の種類の一つ、他にもアサマ・イシマロ・カライシ・カリバンバ・カル・カルゴ・スナゴ・マナゴ・ママ・ママゴ・カリッパマ・など50語以上ある(赤城山麓には軽石がたくさんあるので呼び方もたくさんある)
うさぎねいり→薄目をあけて寝入る
おまんだ→一言挨拶
おんか→公然・おおっぴら
がっくんどっちん→シーソー
くるみ→クルブシ
けばす→毛並み・服装
こきんがん→拳固
すっぺっぽ→昔話の合いの手、詳しくは解読されていない
ちっかっきゅ→ジャンケンポン..

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猟師と山男

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《グンマを話そう》
○猟師と山男(霧積)
 猟師が霧積の奥の岩場にトヤバを作って泊まり込んでいると、ある晩「今夜一晩泊めてくれ」と気味の悪い声がした。 そのうち、獣のような足が小屋の中に入ってきたので、アイクチで足を刺すと消えてしまった。  翌朝、川づたいでお湯の湧き出ている所に来ると、白髭の爺さんが足の傷をお湯で洗っていた。「悪いやつじゃなさそうだな。急いで家へかかえれ。子供が火傷しているからこの湯を汲んでいって洗ってやれ」
 猟師が急いで家へ帰ると子供が大火傷をして泣いてい..

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鬼と凍り餅

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《グンマを話そう》
○鬼と凍り餅(吉岡編)
 ある昔、蚕の休み餅をつくり・竹の子煮て食べていると、突然鬼が家に入ってきた。 おそるおそる家人が「休み餅と竹の子の煮物」をご馳走すると、鬼はいっぺんに口の中に押し込んだ。 しかし、かたくてどうしても食べることができない。 座敷の奥では子供たちがうんまげに食っている。  鬼は、「これはヤバイ」と山へ逃げ帰り・二度と里へ現れることはなかった。
 鬼へのご馳走は、「四角い石と青竹の煮物」だった。

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ワァーウーおばけ

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《グンマを話そう》
○ワァーウーおばけ(武尊)
 鉄砲撃が武尊山刈俣でトヤバを作って泊まっていると、「ワァーウー・ワァーウー」と吠える化け物が飛んできて小屋を揺すった。 また曲物師が木を切りに刈俣の小屋に泊まったところ、ワァーウーおばけがやってきた。
 そのごだれいうとなく、武尊山刈俣を「ワァーウー沢」と呼ぶようになった。

※この「ワァーウーおばけ」は退治されることなく現在に至っている。

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殺された六部

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《グンマを話そう》

○番頭に殺された六部(上野村)
 村の大金持ちがお金の土用干しをしていると、通りかかった六部が水を求めた。 そして「これはスゴイ・土産話に見せてくれ」 。  これを見た主人は「怪しいヤツ」と、番頭に言いつけ殺させ・証に耳を削いでこいと命じた。 
 それからというもの、家には不運が押し寄せ貧乏になってしまった。  そこで片耳の「耳無し地蔵」を作って祀るようになった。 

※この話は、グンマ各地にある。

○六十六部
 廻国巡礼人、法華経を書写し全国六十六ヶ所の霊場に..

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あずきとぎばばあ

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《グンマを話そう》
○あずきとぎばばあ(前橋編)
 [はんね橋]の下では、あずきとぎはばあがザアッコラ・ザアッコラと小豆をとぎながら「あずきとぐべえか・子供とって食うべえか」とつぶやいていた。 
 ある夜、村の子供がお使いの帰り、あずきとぎはばあが現れて長えツメで子供を横っかけにして川上へ消えていったと。


○あずき研ぎばはあ(桐生編)
 日暮れまで遊んでいた子供二人が、あずきとぎばはあに連れて行かれた。 

※晩遅くまで遊んでいると、あずきとぎばばあ(地域によっては、アズキバ..

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酒の出た清水

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《グンマを話そう》
○酒の出た清水(前橋市荒砥村・村主の清水)
 赤城山へ毎日薪とりに行っている男がいた。 ある夏の晩、のどがかええて道ばたの湧水を飲んだ。 それは水ではなくて酒であった。 男は独り占めしようと木の枝で隠し、毎日飲み続けた。
 薪を取ってこなくなったので困ったおかみさんが後をつけ、酒浸りになっている男を見つけると、怒り狂い道ばたの[馬糞]を清水にぶち込んだ。 すると、瞬く間に酒は水に変わった。

☆群馬にとって文字通り「馬」は大切であり、信仰・伝説・禁句・諺・俗信・..

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オオサキとトンガラシ

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《グンマを話そう》

○オオサキと唐辛子(玉村)
 ある昔、親戚からあぶらげずしいもらって帰る途中で、オオサキにとっつかれた人がいた。 「とうふぅ食いたい・あぶらげずしい食いたい」と寝床の中からねだるばかりで、いつまでたってもオオサキを送り返すことができなかった。

☆言い伝え:人に持たせてやる食べもんの上に、「とんがらしぃ」をえっちけてやればオオサキにとりつかれない。

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釣鐘を傘にした庄衛門

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《グンマを話そう》
○釣鐘を傘にした庄衛門(前橋)
 むかし引間村に庄衛門という力持ちがいた。 庄衛門は仕事嫌いで、ぶらぶら遊んでばかりいた。  ある日、庄衛門が赤ん坊を背負い田の草取りをしているのをみた村人が誉めると、「赤ん坊じゃねえ、おれの隠所は特別でっけえんで腹に二まわりしてその先を背負っているんだ」と答えた。
 またある日、雷で大夕立に出会うと、近くの寺に飛び込み傘を借りようとした。 しかし住職は「遊び人に貸す傘はねえ、そこにぶらさがっている釣鐘でもかぶっていげ」と突き..

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群馬での暮らし:こぶ観音

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○こぶ観音@邑楽郡邑楽町石打
 いろいろの病を治すが、特にコブを専門とする観音様である。 縁を切りたいときは「こぶをとってください」と拝めばよろしい。 ここでいうコブとは「瘤」の他に「子供を生む」が訛ったとの説もある。 このことから「いらないものをコブとして取り除く」とされている。


《グンマを話そう》
○こぶ観音・邑楽郡
 ある昔、大竹伊兵衛の額にコブができ日に日に大きくなり、「コブ殿」とよばれるようになった。 ある日、行商人が邑楽・石打村の明言寺に願かけをすすめた。 そしては..

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群馬での暮らし:おけら

Okera

【おけら(ケラ・タネミ)】
 胴をつかまえると両手を合わせたり・広げたりするのを見て、はやしたてて遊ぶ。

○おけらさん おけらさん おまえのお椀はどのくらい おまえの茶碗はどのくらい
○こま虫 こま虫 旦那の肝っ玉ぁどんなでけぇ
○おけら来い来い おけらの虫は うじゃこい虫で 雨さえ降れば うじゃうじゃじゃ
○□□の□□□どんなにでっけえ 

☆おけらになる
 昆虫「螻蛄」が前足を広げた姿が、お手上げ状態に見えた。


《グンマを話そう》

○シンダンベ
 田の水口のところにいて..

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グンマの昔:神流川のあわこ

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○神流川のあわこ
 三波石48個を「三波石四十八石」と銘打ち、いずれの石にも名称・云を付けている。  神流ではカジカが産卵し、カジカの卵を「あわこ」とよび、カジカは焼いて保存してうどん汁のダシに、あわこは煮付けにして食べたそうだ。(下久保ダムが出来てからはカジカが消えたそうだ)  

※写真は2石目「日暮石」、終日見ていても飽きないので日暮石。





《グンマを話そう》

○髪洗川(神流川)
 平将門が藤原秀郷に追われ上州多野の山中に逃げ込んだ。 将門を見失った秀郷が神流川で休んで..




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群馬での暮らし:グンマの鰻

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○千代田村・王鉄開発株式会社(現王鉄興業株式会社・王子製鉄株式会社グループ)
 (太田市新田反町町51-1、蒲焼加工並びに冷凍パックの製造販売)

 公害問題が騒がれた時代に汚水処理した水質検査に金魚や鯉などの魚を飼ったが、なにをちまよったか鰻を飼った会社があった。 そしては本格的な鰻養殖所となり、その生産高は一工場で千葉県全体を超えるようになった。


※グンマには、ウナギに関する俗信が数多くあり、鰻を禁忌とする俗信も多かった。

《グンマを話そう》

○弘法の井戸・鰻橋
 ある昔..

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グンマの昔:藪塚石材軌道

Yabuzuka51

○藪塚石材軌道
 1909年藪塚石材鉄道設立(東武鉄道太田停車場~両毛線大間々停車場を藪塚石運送計画)、1911年太田~藪塚工事開始、当初は馬車鉄道を計画したが「軽便鉄道法」による敷設に変更し人車鉄道で旅客も運んだ。 同年、太田軽便鉄道に改称、設立当初から東武鉄道資本であったため1912年東武鉄道に線路敷設権を譲渡し太田~藪塚本町で蒸気化・軌間変更、1913年東武鉄道として蒸気鉄道線(太田~相老)となった。

Yabuzuka11○藪塚石材鉄道
 1903年藪塚石材株式会社設立、1908年藪塚石材軌道..

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グンマの昔:浅間山

Asama201202d

《グンマを話そう》
 ある昔、上州と信州の国境を決めることになった。 一番鶏が鳴いたら、上信両方から牛を山頂に向かって歩かせ出会った地点を国境とするとことにした。 信州人は鶏の脚を縛り蒸気蒸しにしたので、驚いた鶏は一時間以上早く鳴きだした。 こうして信州側は山頂を越えより多くの土地をせしめた。  これに対し、上州人は「上野の国や砥沢で鳴くほととぎす」と宣伝活動をし砥沢を死守した。

※下野国との国境争いもあった。

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グンマの昔:一もっこ山

Haruna201202a

《グンマを話そう》
○一もっこ山
 ある昔、榛名の天狗が「富士山に負けない山を一晩で造る」と駿河の天狗に宣言した。 そしては、おっきな「もっこ」を作り、土を運んでは山を造り始めた。 しかしもう一回運べば榛名富士が完成というところで一番鳥が鳴き夜が明けてしまった。
 榛名の天狗はじたんだを踏み・最後の「もっこ」を投げ捨ててしまった。 そのじたんだを踏んですり鉢状の窪地になったのが「すりばち池」・投げ捨てたもっこでできたのが「一もっこ山」・土を掘った跡に水がたまったのが「榛名湖」だ。..

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グンマの昔:子持村

Komochi23

○子持山
《グンマを話そう》
 子持山には千谷あるが、ある昔唐から帰った空海がこの地に寺を営もうとしたので、子持様は一谷隠してしまった。 やって来た空海が数えると九百九十九谷しかないので、寺をあきらめ帰っていった。 このとき空海が爪で岩にかいたのが「爪書不動」といわれている。

※同様な伝説に、袈裟丸山(弘法大師)・赤城山・榛名山・太田金山にもある。 ただし谷を隠すことはしなかった。

Komochi21屏風岩

Komochi22獅子岩

 

Komochi25綾戸渓谷

Komochi26島田家

Komochi27横堀宿本陣 佐藤家


○高..

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グンマの昔:お仙が淵

Gunma_osen

《グンマを話そう》
○お仙が淵・甘楽郡西牧村
 ある昔、吾八という男がおった。 秋が終わり冬になる前にと、正月用の鯉を釣りにでかけた。 それは思うように釣れない日であった、帰りがけにもう一度竿をふると今までにない大きな鯉が釣れた。 吾八は、家の池に鯉を放し毎日眺めてくらした。
 やがて正月も近づいた二十九日、自分の手で料理できないほど愛おしくなったので、鯉を市に売りに行くことにした。 吾八は篭を背負い鯉を釣り上げた淵のそばまで来ると「おせん…どこへいく…」と声が聞こえた。 誰も..

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雷様にさらわれた高鼻男

Gunma_takahana

《グンマを話そう》
○雷様にさらわれた高鼻男
 ある昔、鼻がうんと低くて困っていた男がおった。 ある時出会った行者さまに鼻を高くする方法を聞くと「庭にむしろと布団を敷き、仰向けになって[おれの鼻高くなあれ、チリカンスッチャーポンと唱えろ。 ただし欲張りすぎるな。]といわれた。 
 家に帰った男は、「チリカンスッチャーポン」と唱え続け、これでもかこれでもかと鼻を高くし、ついには雲の上まで伸びていった。 そして雲の布団で寝ていた雷さまの尻をつつき、怒った雷さまが鼻を持って男を雲の..

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百足鳥居

Gunma_mukade

○赤城の百足鳥居@桐生市新里町板橋
 この鳥居は、赤城山へ登る東南麓の参道として1782年に建てられた。 鳥居の島木(しまぎ)には、1.3mの百足が陽刻されており、この周辺の人々はムカデを見ると殺すことなく「ムカデ ムカデ 赤城へいけ」と唱えて逃がしたそうだ。

※老神温泉では「赤城の神が大蛇」であるのに対して、桐生では「赤城の神は百足」とされる。 ただし、二荒山神社には大蛇が祭られてるのに対し、老神温泉には大蛇関連の歴史的資料は無い。




《グンマを話そう》
○日光編
 ある昔、赤..



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グンマの昔:めかご

Gunma_mekago

○目籠
 二月(コトハジメ)と十二月(ヒトジマイ)に、竹籠を逆さにしてたてる。 目が多く四方を睨んでいるので魔物(一つ目の大入道ともいわれる)が寄りつかないとされる。 一部の地域では、口を下にして中に赤飯やヤキビン(焼餅)などを入れ「悪魔は中でゆっくりしろ」と慰める日もあった。

※二月八日を朝おこと・十二月八日を夜おことといった。 事八日は、各種の神や妖怪の来訪があり・前夜は疫神が天から覗くので「水も鳴らさぬコト八日」とひたすら静かにした。

☆十二月八日は事始めの節供、一つ目の鬼が..

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群馬での暮らし:グンマ語(特殊編)

Gunma_go3

《グンマを話そう》
○カガヤク・カヤガク(勢多郡)
☆なにそんなところをガガヤイテいるんだ
☆物置の中をみんなカカグッテみたけどみつからならった

 この場合のカガヤクは、「探す」の意。

※かたづけ仕事のことをいう地域もある(カガヤキ仕事という)
※年寄りのする仕事を「グレグレ仕事・グタグタ仕事」ともいう(地域によってはマゴマゴ仕事)



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○ハヤス
☆お正月にのし餅を切ることをハヤスという
☆桑の木を切ることもハヤスという(..



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群馬での暮らし:オチャスケベ

Chasukebe1

○オチャスケベ(茶好部)
 [お茶大好き人間]のこと。 地域によっては、チャフクベ・オチュッパカリ・チャドウラク・オチャクレ・チャブクレ・オチャッピキ・オチャクライなどというが、いずれもあまりいい意味ではない。

※お風呂好きはユスケベ、出歩くのが好きな人はデスケベ、酒好きはサケックライという。
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○近所でお茶を飲みまくることを「ヒラキマワル・ヒラキアルク」という。

※ヒラキは物貰いの意。




○茶渋
 茶碗の茶渋でお茶が..



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グンマの昔:平兵衛池

Gunma_heibei

《グンマを話そう》
○平兵衛池・六合村京塚
 ある昔、平兵衛とチエの親子がおった。 ある夏、二人は西山へワラビとりにでかけたが、「近寄ってはなんねえといわれている沼」に迷い込んでしまった。 チエを捜してした平兵衛き、沼の淵で篭と櫛を見つけ、沼の主にさらわれたと沼の水をせき止めている大岩を外してチエを助けようとした。 すると、「水がなければ、おらも死んじまうに」とチエの声がした。「もう家に帰ることはできない、一年経ったら会いに来てくれや」
 平兵衛は一年経つのを指折り数えて、供..

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恵方巻生ロール

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創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗
恵方巻生ロール
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)

○ロールケーキ

節分 について

Dagashi2238b

《グンマを話そう》
○いちげえ大尽(いちげえ→急に)
 ある昔、節分の晩に「鬼は内、福は外」といって豆まきをした家があった。 すると、荒神山から鬼がやってきて、お金を家の中に投げ込んでいったので、一夜にして大尽となった。 しかし、 身上の終わるのも早かった。


☆節分の豆を食べる..

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グンマの昔:大峰山笄堀

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《グンマを話そう》
○大峰山こうがい堀(笄堀)・新治村
 ある昔、たいそう身上持ちの長者がおった。 ある夏、日照りが続き田畑が枯れ果て困った長者は立て札を立てた「大峰山の大沼から水を引いた者に娘を与える」 これを見て一人の若者が来たが、長者はその風情を怪しみ難癖をつけた。 「娘のこうがいを使い、一夜にして掘ってくれ」
 その夜、大沼から屋敷に向かい白埃が凄い勢いで向かってきた。 長者は青ざめ、鶏小屋に飛び込み湯をぶちまけると、驚いたニワトリは「コケコーコー」。   「よくもはか..

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群馬での暮らし:振り米

Goropikari3

○米養生(コメヨウジョウ)・振り米
 たまよび(魂呼び)の一つ。 地形的に畑作が多く、米よりも雑穀(麦・粟・稗)が中心の食生活様式であり、とくに北部では米が貴重なため食べられるのは[年取り・正月・誕生]ぐらいでありめったに食べられなかった。
 病人が死にそうな時・病気が重い時に、竹筒に米を入れて振って聞かせると、「米食いたさに病人が生き返る」または「安心して死ぬ」とも言われた。(これはコメヨウジョウ・米養生ともいい、ニホン各地にみられた)

※魂呼びは他に、「屋根の上から大声で呼..

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グンマの昔:前橋市五代

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《グンマを話そう》
○五代・前橋市五代村(現五代町)
 ある昔、三度の飯より碁が好きだという男がおった。 ひまさえあれば碁盤にむかい、腕前も村一番であった。 ある日おかみさんが「良い天気だから、たまには山へソダ(木枝)集めにいきな」。 こうして男はソダを拾っているうちに山奥へ迷い込み、気が付くと「パチッパチッ」と音が聞こえてきた。 よおく見ると白髭の爺様が一人で碁盤に向かい合っていた。 男はいてもたまらず、爺様と勝負に挑みいつ果てるともない互角の戦いを続け、ついには爺様を破った..

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グンマの昔:竜宮へいってきた阿感坊

Isesaki38

《グンマを話そう》
○竜宮へいってきた阿感坊・伊勢崎市宮子町卯ノ木(龍神宮)
 ある昔、阿感坊という人が利根川に浮かぶ竜宮島へフジのつるををとりに行き、誤ってナタを川の中に落としてしまった。 ナタをとろうと川に入った阿感坊は足を滑らし深みにはまり、ついには川底の竜宮へと辿りついた。
 竜宮で三日間過ごした阿感坊は、玉手箱・めのう玉・観音様を土産に村へ帰ると、そこでは三年が過ぎていた。 阿感坊亡き後、玉手箱・めのう玉・観音様は神社に納められた。 この地では「宮古の浦島太郎」とよばれ..

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グンマの昔:片品そして尾瀬

Kamata

片品村鎌田・1964年頃


《グンマを話そう》

○尾瀬の丹花石明神
 ある昔、大納言頼国は京の都を逃れ、北へ北へと笠科(片品)へ都落ちを続けさらに奥地へと入り小さな館を築いた。 郎党の中には不満から盗賊となり「大勢の盗賊」と、里人からは恐れおののかれるようになった。
 ある時、笠科の山裾の村に疲れ切った旅の女がやってきた。 みすぼらしいながらもどことなく気品のあるこの女こそ、保多賀御前(大納言頼国の妻)であった。 頼国が盗賊の頭と聞いた御前は村にとどまり、文字を教えるなどして..

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グンマの昔:馬糞

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《グンマを話そう》
 馬は止まって排泄するので、山のように積もる。  この「馬糞を踏むと背が伸びる」と言われた。 また、ジフテリアの特効薬ともいわれた。  いずれも、馬の怪力を崇めたと思われ、上州路には馬頭観音も多い。

※トウネ一升(トネッコ一升)
 嬬恋村鎌原は浅間山噴火により壊滅された。 その後残った村人は馬を飼うようになり、子馬が他人の家や畑に入り荒らすこともあった。 こんなときは、「トウネ一升」ということで観音様に一升供えると、おたがいさまことで黙認されたという。

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グンマの昔:沼田城・鐘楼

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鐘楼(昭和初期)

 1634年に真田信吉が鋳造させ沼田城にあった「城鐘」(群馬県指定重要文化財)は、廃城ののち寺社で保存されていたが、旧沼田町役場敷地内の「時鐘(ときのかね)」に流用され、その後本丸内に鐘櫓として復元された。

Numata78


《グンマを話そう》

○権現荒

 1681年8月31日、沼田城主真田伊賀守は江戸両国橋の掛替御用木を請負い、中山村三嶋権現の神木を伐った。 すると七日七晩、大暴風雨で93ヶ所崩壊・家屋倒状多数の大惨事となった。

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グンマの昔:大光院

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○大光院
 1612年徳川家康の命により建設され、住職に呑龍上人が命ぜられた。 大光院は「義重山新田寺大光院」といい、徳川氏始祖の新田義重を祀る寺である。(徳川家の先祖は新田氏であるといわれている) 

Ohta12

Daikouinn26

Donryu26

Nittayoshishige

Ohta32新田義重墓


《グンマを話そう》
○呑竜上人となかずの池
 ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が..

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グンマの昔:泣いた大石

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《グンマを話そう》
○泣いた大石・榛名黒沢谷
 ある昔黒沢谷に「めおと岩」とよばれる大きな岩が二つあった。 ある年、大雨で黒沢谷はあふれ、「めおと岩」をも押し流してしまった。  しばらくすると渋川の里では、夜になると大岩が泣くと伝えられた。「黒沢谷こいしや… 女石こいしや…」
 これを知った真光寺の僧正が不動明王をきざみ供養した。 そして「大石」との地名が生まれた。  この「大岩」は今も、渋川市南小学校片隅で黒沢谷へと向いている。

※雄石(男岩) 

Ooishi02

※雌岩(女岩)

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グンマの昔:大木丸と木の葉姫

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《グンマを話そう》

○大木丸と木の葉姫・吾妻郡
 ある昔、おじいさんおばあさんとあった。 ある日、おじいさんが山へしばきりに行き「男の子」をひろい、おばあさんが川へあらいものに行き木の葉の船にのった「女の子」をひろってきた。 そしては、大木丸と木の葉姫と名付けた。
 ある日遊びに行った二人は道に迷い鬼婆に捕まりそうになるも、一人の女の人に助けられ「弓矢と包丁」をもらい家へと戻ることができた。
 やがて、大木丸は狩の名人・木の葉姫は料理の名人となった。 あの時の女の人こそ、本当..

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グンマの昔:鬼のふんどし

Kurotakiyama

○黄檗宗黒瀧山不動寺@南牧村大塩沢
《グンマを話そう》
 ある昔、黒滝山に住む黒鬼が川でふんどしを洗っているところを村の娘に見られ、ふんどしを置いたまま逃げてしまった。 娘は残されたふんどしを洗い・繕い、毎日鬼の来るのを待ったが、鬼は恥ずかしくて娘の前に出ることができなかった。 そして月日が経ち、娘も歳をとり、ふんどしだけが残された。 村人は、あまりにも大きなふんどしなのでノボリにしてみたが、臭すぎるので箱へ入れ神社の縁の下に封印してしまった。 その後、開けてみた者はいない。

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群馬での暮らし:グンマ語(上級編)

Gunma_go3

《グンマを話そう》 @六合村
※グンマ語は日本語に較べて、遥かに解りやすく・趣ある表現が多いです。
 アカメーナシ → 無茶、 アクト → 踵、 アテクトンネー → とてつもない、 アバケル → ふざける、 アボケル → ふざける、 アボル → かばう、 アマメラ → 女子の複数形、 イーカン → たいそう、 イジル → いびる、 イチノー → 全部、 イブセー → 危ない、 イマメシイ → いまいましい、 ウジャケル → とろける、 ウラノウチ→自分、 ウチバ → 少なめ、 ..

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群馬での暮らし:大晦日

Gunma_misoka

《グンマを話そう》
○正月様飾り
 年の暮れに大掃除「すすはき」をして、晦日は干柿・かちぐり・こぶ(喜)・麻・するめ(如何)・ふきのとう(富貴)・さけ・半紙・ほうづき(名声鳴る)・いわし(祝う)・まり(まわる)・だいだい(先祖代々)・ねき(友白髪) などを飾った。
※「としとりの晩に早く寝ると白髪になる」とも言われた。
※貧家では正月行事をいっさい省略し「よろずおんものづくり」と紙に書き神棚へ下げ全てすました。
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お正月は来る来る
おらぁボロをず..

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グンマの昔:赤石になった僧兵

Gunma_souhei

《グンマを話そう》
○赤石になった僧兵・多野郡杖植峠
 千年余り昔、中里村持倉に娘と両親がすんでおり、十二月も押し迫った二十八日、正月用の豆腐をこしらえていた。 夜になり雪が降りはじめたころ、戸をたたく者がおった。「おたのみもうします、どうか一夜の宿を」と杖にすがった坊さんが立っておった。 招き入れようとすると「あと七十四名の僧がおります」と聞き、途方にくれた父親は丁寧に断った。 そして、七十五名の僧はお題目を唱えながら峠へ消えた。 その夜は、どうしてか豆腐が固まらずつくるこ..

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ムシ

Gunma_go3

《グンマを話そう》
○ムシ(敬語:終助詞)は目上へ尊敬の呼びかけ、ただし年齢に比例して尊敬度は下がり「ねぇ」の意になる。(ムサアと言う人もいる)

ござんすムシ←「そうでございます」、尊敬度高い
早かったムシ
遅かったムシ
お晩になったムシ
そしてムシ
そーだムシ←「そうだねぇ」感覚、尊敬度無い

※グンマは、北西部ほど方言が強い。
※「板倉シイシイ、海老瀬ナイナイ、西谷田ゲエゲエ」・「利根はメエメエ、勢多はノウノウ」などともいわれる。

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いちがさけかってまんがひんのんだ

Gunma_ichi

《グンマを話そう》
有史以来謎であったグンマ原語を解読してみた。 グンマ昔話はこの文句で終わる。
 
○市が酒買ってまんがひん飲んだ
  ↓
○いちがさけかってまんがひんのんだ
  ↓
○いちがさかえてまんがひんをのんだ
  ↓
○市が栄えて満が貧呑んだ

「村(一期)が栄えて豊になった、めでたし、めでたし」といったところだ。
※人の名前「市」と「おまん」にかけてある。


他にもあるようだ。
○いちがさけかってこーたろーがひんのんだ
○いちがさかってむかしはむくれる
○むかしむくれてとーやが..

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麦落雁

Mimasu_rakugan

麦落雁
 (三桝家總本舗@館林市本町3-9-5)

《グンマを話そう》
 邑楽郡は、川や沼が多く低地であるため大雨が降る度に洪水にみまわれてきた。 洪水になると米・麦を撒けないだけでなく収穫がなくなるので、食料を節約して翌年まで持ちこたえる習慣ができた。 このような生活のなかで、麦を工夫して食べる方法が考え出された。 それが、麦饅頭・麦団子・麦柏餅・麦ぼうとう(うどん)などであり、今なお残っているのが麦落雁である。


 館林は良質の大麦・小麦を産出し、日清製粉の母体となった館林製粉..

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さるよめご

Saru_yomego2

《グンマを話そう》
○さるよめご
 ある昔、村はずれの一軒屋に、おじいさんと三人の娘が住んでいた。 いつものようにおじいさんが山で畑仕事をし、疲れて休んでいるときに「歳をとった。 だれかこの畑を耕してくれれば、娘をよめにやるがなぁ」と独り言を言った。 すると、林の奥から大きなさるが出てきて、たちまちのうちに畑を耕してしまった。

 

 家に帰って娘に話すと、上二人はイヤだが末娘がイイというので、猿の家に嫁にいくことになった。 猿家ではみな良く働くのでゆたかなお正月を迎えることとなむり..

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宿場まんじゅう

Syukuba_manjyu2

中仙道名物
宿場饅頭
 (わらじ宿場まんじゅう高崎宿店@高崎市あら町7-6) 

○田舎まんじゅう、アンコ強い。

Syukuba_mese



《グンマを話そう》
○甘さが足りないとき→砂糖屋が遠かった
 昔は、砂糖はお金を出して買ってくるしかなく・貴重品であった。 ただし、実際には砂糖屋というものは存在せず、「いなり屋」など近くの店の名を言った。
 また、塩気が強いとき→塩が安かった、塩気が足りないとき→塩が高かった、とも言った。

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群馬での暮らし:姥の皮

Ubanokawa

《グンマを話そう》

○姥の皮
 ある昔、田んぼで蛙が蛇に飲み込まれているのを見たおじいさんが可哀想にに思い「蛙を放したら娘をあげる」と蛇に言うと、蛙を放して山へ帰っていった。 やがて蛇が迎えに来ると、末娘が嫁入り道具に「瓢箪10個と針千本」持って蛇についていった。 住みかの沼まで来ると、蛇に「嫁入り道具の瓢箪を沈めて下さい」と言い、蛇がアタフタしている間に針を刺して蛇を退治した。

 帰り道に迷いたずねた小屋でおばあさんから「ここは鬼が出るから、この姥の皮(かぶると婆さんになる)を持..


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群馬での暮らし:アブラオケスオケ

Aburaoke

《グンマを話そう》
○アブラオケスオケ
 ある昔、碓氷峠の麓におじいさんとおばあさんが住んでいました、 ある夜、雪まみれの旅の坊さんが泊をもとめて戸を叩きました。 二人は貧乏ながらもあたたかくもてなすと、坊さんは「お礼にありがたいお経を教えましょう。 【アビラウンケンソウカ】と朝晩忘れずに唱えるとよいことがあります。」と言って旅立っていきました。  その日の夕方お経を唱えようとすると、どうしても経文が思い出せません。 するとおばあさんが「アブラオケスオケ」だったかなぁと。 そし..

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群馬での暮らし:津久田村の人形芝居

Tsukuda

《グンマを話そう》

○津久田村の人形芝居
 津久田村は人形を大切にする伝統の村として平和な日々を過ごしてきました。

こんな伝説があります。
 上杉・竹田の争覇時代、上杉勢が密かに津久田の要塞を陥れ、大胡城を攻めようと企てました。 そして津久田村に近づくと、山頂には沢山の旗が立ち・鐘や太鼓が勇ましく鳴り響いていました。 これを見た上杉勢は、計画が漏れたようだ・不利な戦いは避けようと、兵を引きました。 それは、八幡様の例祭で人形芝居の日だったのです。



Tsukuda38

○津久田人形
 上ノ杜・桜..


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群馬での暮らし:天に昇りそこねたカッパ

Tenkappa

《グンマを話そう》
○天に昇りそこねたカッパ
 ある昔、大間々町下神梅・観音寺辺りの渡良瀬川には高い崖があり淵にはカッパと竜が住みついていた。 水辺から天に昇る竜を見て、カエルは羨ましくて仕方がなかった。 そこで竜をおだて・ご馳走して、ついに一緒に天に連れて行ってもらうことになった。 
 カッパは竜のしっぽをしっかりとくわえた。 竜は、霧の中を・黒雲を突り・口から火を噴き・稲妻の中を・天を目ざした。 怖くなり下を見たカッパはその高さに驚き・恐れ、思わず「アッ~!」と叫んだ。 
..

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いちがさけかってまんがひんのんだ

Minwa_ichi

《グンマを話そう》
○結び言葉
 グンマ昔話はこの文句で終わる。 「めでたし・めでたし」といったところだ。
【いちが酒買って、まんがひん飲んだ】  
→旦那のいちが酒買ったら、女房のおまんがガブ飲み(丸呑み)してしまった。 女房元気で、めでたい・めでたい。(いちは市の意味で、市場が栄えた・人の一期一生は栄えた という説もある)
 他にも下記の言い方がある。
○いちが酒買って、とうやが飲んだ。
○いちが酒買ってきて、みんなして飲んだ。
○いちが酒買って、ちゅうさんが飲んだ。
○..

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群馬での暮らし:のぞき酒

Sukimisake

《グンマを話そう》
○のぞき酒
 上野村では、婚礼の時に障子に穴をあけ覗き見る習わしがありました。 参会者が儀礼として障子に穴をあけると、「のぞき酒」として若者に酒が振舞われ、庭にムシロをひいて祝杯をあげました。 越後十日町でも「隙見酒」と呼ぶ同じ習わしがあったそうです。
 さらに古くは「婚礼のハレの行事にあたっての石打(砌礫)」と称して婚礼に石をなげる儀式もあったらしい。
 
※この儀式は東北北部でもみられたそうです。

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群馬での暮らし:デーラボウ

Derabo

《グンマを話そう》
○デーラボウ
 ある昔、日野山奥にデーラボウという大男がおった。 ある時、富士山と榛名山が背比べすることになった。 助っ人を頼まれたデーラボウは、御荷鉾山から山を一つ持ってきて榛名山に乗せようと、山を背負って歩き出した。 印地の朝谷まで来たら疲れたので山をぶちゃった。 これが子王山である。 そして歩き続けた、この時の足跡に水が貯まり緑埜の竹沼・七輿山の池・南八幡の木部の池などができた。
 またある時、大神山に腰をかけて新田川原で足をあらったので大神山は頂上が..

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群馬での暮らし:唄うがいこつ

Odorugaikotsu

《グンマを話そう》

○唄うがいこつ
 ある昔、酒大好きの旅商人が見晴らしの良い野原で昼飯を食べ始めた。 まずは、瓢箪から酒を飲み、にぎり飯を食べ始めると、どこからか唄が聞こえてきた。 旅商人は唄人を探してみたが人っ子一人いない、足下を見ると丸くて白い物がある、よく見るとがいこつだった。

旅人:がいこつさん、いい声してるな。
骸骨:お酒ごちそうさま、久しぶりに飲んだのでいい気分になってしまって。
旅人:どうしてここにいるんだ。
骸骨:侍仲間に裏切られて殺されたんです、仇を討ちたい..

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群馬での暮らし:しょうづか婆さん

Saifukuji2

《グンマを話そう》
○しょうづか婆さん
 世間では「亡者の衣を剥ぎ取る葬頭河婆さん」と恐れらますが、グンマでは地方によっては親しまれ、味噌なめ婆や養蚕の守護神として祭られています。
 榛東村では「しょうづか婆さん古着売り」と言われ、「剥ぎ取ったのはよいが自分で着るには限度があるので、結局は古着売りする」と伝えられています。  また「しょうづか婆さま振る手ぶり閻魔が数えて地獄へ桑植え蚕する」と、桑を植えて養蚕する婆さまもいます。
 さらには群馬町では「しょうづか婆さん屁たれた..

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群馬での暮らし:権三虫

Gonzamushi

《グンマを話そう》
○権三虫
 ある昔、太郎はおっかさんと細々と暮らしていた。 ある時おっかさんが病気になったが子供には薬代を工面できるはずもなく、隣の権三さんへ銭を借りに行ったが断れて途方にくれていた。 帰り道、白髭のおじいさんに出会った。「この下駄をあげよう。履いて転ぶと銭が出てくる。だが欲張ると自分の体が小さくなる。」 太郎は「山の神様」に違いないと、薬を買いおっっかさんが治った後は神棚に供えて拝んでいた。
 これを聞いた権三は、無理矢理下駄を取り上げ、転び続けた。 し..

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群馬での暮らし:一もっこ山

Ichimokko

《グンマを話そう》
○一もっこ山
 ある昔、榛名の天狗が「富士山に負けない山を一晩で造る」と駿河の天狗に宣言した。 そしては、おっきな「もっこ」を作り、土を運んでは山を造り始めた。 しかしもう一回運べば榛名富士が完成というところで一番鳥が鳴き夜が明けてしまった。
 榛名の天狗はじたんだを踏み・最後の「もっこ」を投げ捨ててしまった。 そのじたんだを踏んですり鉢状の窪地になったのが「すりばち池」・投げ捨てたもっこでできたのが「一もっこ山」だ。

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群馬での暮らし:石合戦

Inji

《グンマを話そう》
○渡良瀬川の石合戦
 小石を投げ合う石合戦を印字(石撃・因陣・印地)と呼び、多くは河原で行うので「河原印字(印地)」と言います。 はじめは子供の遊びでしたが、だんだん儀式化し一月十五日と五月五日には印字(印地)が行われるようになりました。
 これで収まらないのがグンマです。 だんだん大人が加わり、ついには渡良瀬川をはさんで敵国トチギとの石合戦となりました。 特に桐生団・太田団が激しく、当然ながら多くの負傷者が出たので禁止になりました。


☆印地打ち・石合..

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群馬での暮らし:頭の桜の木

Atamasakura

《グンマを話そう》

○頭の桜の木
 ある昔、大きな桜の木に沢山のサクランボが実った。 通りかかった男があまりにも美味しかったのでアバケ食いし、種も飲み込んでしまった。 すると腹の中で芽を出し頭を突き破って桜の木となり花が咲いた。 これが評判になり、花見客が集まり毎日毎晩ドンチャン騒ぎした。 男は我慢できなくなり、木を引っこ抜いてしまった。 その跡には大きな穴が開き、やがて雨がたまり池となり、魚が泳ぎ始めた。 今度は釣り客が押し寄せ、子供達が水遊びを始めた。 男は我慢できなくな..

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六合村道祖神:長平

Kunimyr_dousojin

《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具脱衣池)、女子供を連れての逃避は二つの集団に別れてしまいました。 先行組は大晦日に入山に着..

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下仁田

Shimonita13b

○下仁田駅・上信電鉄

※下仁田の地名については、仁田は湿地の意でニチャニチャ状態とも、アイヌ語が源とも、いくつかの説がある。

 

Shimonita13a

 

Shimonita13c

○下仁田かつ丼の会
 下仁田かつ丼は、カツを醤油だれにさっとくぐらせるだけ。 もちろんキャベツも無い。


《グンマを話そう》

○下仁田戦争
 1864年11月1日、武田耕雲斎を頭領とする天狗党は水戸藩を脱藩し、約1000人が七隊に分かれて太田~本庄~藤岡~吉井~下仁田を通り京都を目差した。
 一方、江戸幕府から天狗党追討の命により高..


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群馬での暮らし:雷事情

Karuta_kaminari

《グンマを話そう》

 日本海側の雷は「雪おこし」と呼ばれる一発雷であるのに対し、グンマ北部は上昇気流を起こしやすい地形のため雷雲が発達しやすく、質的に日本一の多発雷地帯です。 このため、各種の雷情報が発達しています。

 各地の雷予想は次のとおりです。
○(御荷鉾山)の三束雨→山の雷雲はすぐに麓の雷雨となる@前橋市
○馬鹿とカンダチは西入から来る→雷雨は西から来る@水上町
○武尊の雷来たことなし→北からは来ない@川場村
○北鳴りの雷は川を越えない→北からは来ない@吾妻
○赤城の雷は干柿をしま..

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群馬での暮らし:大歳の火

Ohtoshi

《グンマを話そう》

○大歳の火
 ある大晦日の夜、奉公娘は庄屋の厳しいおかみさんから「囲炉裏の火を絶やさないように」と言われました。 娘は気になり夜中に起きて見ると、火が消えていました。 寒い冬の夜更け、困った娘が外に出ると向山の麓に小さな明かりが見えたので、娘は火をもらおうと一生懸命走りました。

 その小屋には白髪を振り乱して出刃包丁を研いでいるばあさんがいました。 娘は怖くてたまらなかったのですが、「火種を下さいと」を頼みました。 ばあさんは、「わしの頼みもきいてくれ。友が亡く..

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群馬での暮らし:竜宮城

Tsukiyono

《グンマを話そう》

○竜宮と人魚
 ある昔、桃野村小川に清冶という男がいました。 五人の仲間が集まって「庚申待」をすることになり、さらに仲間を探していたところ、見知らぬ若者が加わりました。 やがてその若者が世話役になり、その若者の家に招かれました。

みんなが利根川の深い淵に着くと、若者が言いました。「これから竜宮城へ招待します」  そして、まばゆい竜宮城でご馳走をいっぱい食べましたが、一皿だけ見たことが無い肉塊があり誰も箸をつけませんでした。 清冶はそっとたもとにしまいました。
 ..

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群馬での暮らし:ままごと

Ozenbana

[フシグロセンノウ]の花を二枚貼り合わせてお膳をつくることから、「オゼンバナ」とよばれた。(地方によっては「猫足のお膳」)

《グンマを話そう》
○「ままごと」をこういいます。
 おきゃくごっこ・おきゃくさんごっこ・おきゃくわるさ・おきゃごと・おきゃっこ・おきゃっこと・おばさまっこ・おもちゃっこ・かもちゃごっこ・ままにっこ・まんざっこ・まんじゃっこ… とにかく数え切れないほど沢山あります。

 あねっこあそび・あんかめ・いえこなんそ・いくとこ・うんばーじ・えれもっこ・おーふるまいこ・..

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群馬での暮らし:宝手拭い

Takaratenugui

《グンマを話そう》

○宝手拭い
 ある昔、村にみすぼらしいお坊さんがやってきました。 手にはフチの欠けた赤い椀を持ち、お経を唱えながら村一番の大尽家へ立ち寄りました。「どうか米をめぐんでくだされ」と言うと、その家のおかみさんが「乞食坊主にやるもんなんかない、さっさと消えろ!」と追い返してしまいました。

 


 これを見ていた奉公娘は「私の食べるものでよかったらどうぞ」と言って、自分の昼飯を全部食べさせました。 お坊さんは大変喜び、首に巻いていた汚手拭いを渡し「毎日これで顔を洗いなさい..

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群馬での暮らし:たの九

Tanu9

《グンマを話そう》

○たの九
 ある昔、芝居好きが高じて役者になった「たの九」という男がおった。 ある時、里帰りしようと日の暮れた山道を歩いているうちに、「うわばみ」が出る峠にさしかかった。

蟒蛇「おまえはだれじゃ!」
男「じゃまだ、どけ、おれはたの九だ!」
蟒蛇「オッ!うまく化けたな、娘にも化けられるか?」(「たの九」をタヌキと聞き違えた) 
男「かんたんなこった、ホラヨ」(蟒蛇に目をつぶらせ、その間にカツラをつけ役者衣装を着替えた)
蟒蛇「スゴイ腕前だ! これなら何にも困らないだろう。..

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群馬での暮らし:ソーダ村

Dagashi489

《グンマを話そう》
○早口言葉

ソーダムラのソンチョウさんがソーダのんでしんだソーダ ソーシキマンジュウうまかったソーダ…… (とりあえずグンマ版)

ソージャムラのソンチョウさんがソーダのんでしんだソージャ ソーシキマンジュウうまかったソージャ…… (こちら総社版)

Sodamura

そうだむらのそんちょうさんが
ソーダのんでしんだそうだ
みんながいうのはウッソーだって
そんちょうさんがのんだソーダは
クリームソーダのソーダだそうだ
おかわり十かいしたそうだ
うみのいろしたクリームソーダ
なかでおよげばなおうまそう..

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群馬での暮らし:ツノンデーロ

Denden

《グンマを話そう》

○竜になろうとしたカタツムリ
 ある昔、太郎・二郎・三郎というカタツムリ三兄弟がいました。 みんな大きくなったので外界へ行くことになりました。 三郎は庭に出て木葉の露を吸いました。 二郎は藪に入り竹の露を吸いました。

太郎は決心しました。「地べたで露を吸って生きるのはイヤだ! 角があるんだから竜になるんだ!」  そして太郎は一番高い杉の木に登り天をめざしました。 上へ登るにつれ、背中の貝殻がだんだん重荷となり、ついには貝殻を脱ぎ捨ててしまいました。 身軽にな..

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群馬での暮らし:めっぱ

Meppa

《グンマを話そう》
 [ものもらい(麦粒腫)]のことを「めっぱ・めかご・めかいご・めかい・めもらい・めこじき」などと言います。(※アクセントは語尾が上がります「メッパ↑」)

 六合村には独特な治し方があります。
○スイノー(笊の一種)を井戸に半分かけて、「井戸神さん、井戸神さん、めかごーなおしておくれ。 そーしたらすいのー みんなみせるから。」 とお願いします。 地域によっては、井戸の中を覗いたり、蓑を半分見せたり、片眼を隠してたりしてお願いします。
※「籠をかぶるとめかごができる..

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群馬での暮らし:地獄見物

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《グンマを話そう》

○地獄見物ツアー
 ある昔、鍛冶屋と行者と歯医者が地獄旅行を計画しました。 三人は三途の川を渡り地獄門をくぐりぬけると、そこには赤鬼と青鬼が立っていました。

 鬼は言いました。「なにしに地獄に来たんだ!」  騒ぎを聞いて閻魔様が出てきました。「生きたままで地獄見物など許せねぇ! 針の山へ送り込め!」すると鍛冶屋は、たちまち鉄(かね)のわらじを三足こしらえ、それを履いた三人は針山の頂上に達しました。

 これに怒った閻魔様は言いました。 「ならば、釜ゆでだ!」 今度は..

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群馬での暮らし:雨蛙不幸

Kaeru8

《グンマを話そう》

○雨蛙不幸
 親がなにを言っても反対する子ガエルがいた。 親がなにをいっても反対のことしかしない。 それで、親が死ぬとき、どうせ反対のことをするから、その反対のことをいい残すべえと思った。

 

 ほんとうは(死んだら)山の方へ埋けてもらいたかったんだが、山へ埋けろっていえば、川へ埋けるにちがいないと思って、「おれが死んだら川原へ埋けてくれ」って言った。

 ところが子供は、がらりと一生に一度、正直になった。 他のことは全部反対にしたが、今回ばかりは最後の願..


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群馬での暮らし:エビガニ

Ebigani1

《グンマを話そう》

 グンマではアメリカザリガニを「エビガニ」と呼びます。

 他国では、「ガンツー・ザリィ・トーチカ・トウフ・マッカチン」などとも呼ぶそうです。

 

Ebigani2

 こうして売っています。

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群馬での暮らし:きぬがさ姫

Kaiko2

《グンマを話そう》
○きぬがさ姫
 ある昔「きぬがさ姫」というかわいい娘がいました。 母親が病気で亡くなった後、継母はその美しさをねたんでいました。
○ある日、姫を馬小屋に閉じ込めました。 姫は、背中を馬にけられて痛くて泣きました。 すると、じいやが泣き声を聞いて助けてくれました。(これが、シジの休みの日です)

 

 

Kaiko2○次に、遠くの山のタカが住んでいる竹やぶに捨てました。 そうすると、タカが姫を連れ帰りました。(それがタケの休みの日です)
○今度は、裏の川に連れて行き船に乗せて流しま..


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群馬での暮らし:グンマ語(あ行)

Gunma_go3

《グンマを話そう》
※グンマ語は発音が難しい恒久源語なので、読んだだけでは会話できません。

 あいさ→あいだ・すきま、 あいぶ→あるく・あゆむ、 あいまこいま→いとま・ひまなこと、 あおぬけ→あおむけ、 あかめえなしむん→危険なことをする者・あかんーべをする者、 あぐ→あご、 あくつ→かかと、 あくと→かかと、

 

あげあめ→降ったりやんだりする雨、 あげしょうぎ→ゆで麺をすくい上げるざる、 あこぎもねー→ひどい・無謀、 あさまつ→西風、 あじょーにも→どうにみも、 あちゃ→それな..

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群馬での暮らし:グンマ語(か行)

Gunma_go3

《グンマを話そう》
※グンマ語は極めて独自な恒久源語なので、隣村に行くと通じない事があります。

 かあかあ→ぬけぬけと、 かあち→代わり、 がいに→たくさん、 がおる→よわる・困る、 かかしろー→かまう・相手する、 かがやく→探す、 かくし→ポケット、 かくねっこ→かくれんぼ、 がけえ→体つき・外形、 かけす→よく物忘れする人、 

かさ→上手・上、 かじける→縮む、 かしょー→誘う、 がしょーき→無理・乱暴、 かずける→かぶせる、 かずむ→パサパサになる・(乾水からきている?)、 ..

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群馬での暮らし:グンマ語(さ行)

Gunma_go3

《グンマを話そう》
※グンマ語には乱雑な表現が含まれています。 気分が悪くなった時は直ちに使用を中止してください。

 さあける→いろあせた、 さいちょー→おちゃら、 さいはたき→はたき、 さがねる→さがす、 さがら→唐鍬、 さくい→きさくな、 さくる→耕す、 さき→酒、 ささっぱさ→めちゃくちゃ、 さっつあ→たくさん、 さぬけ→そこぬけ、 

さま→窓、 さやねえ→かんたん・わけない、 さらんぱらん→ちゃらんぽらん、 ざんばらい→一番最後、 さんまさわがし→世間をさわがせる、 さんも..

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群馬での暮らし:グンマ語(た行)

Gunma_go3

《グンマを話そう》
※グンマ語には相手を不快にする表現が含まれていることがあります。 グンマ国外で話す時は、十分気を付けてください。

 たあくら→でたらめ、 たがらむ→巻き付ける・巻く、 たかれ→つかまれ、 だくな→無駄、 だごばち→でぶ、 たち→性分、 だつじ→足腰が強い、 たっぺい→つらら、 たてこーじ→豪雨、 たなぎ→中二階、 だぼー→ばか、 

たぼる→蓄える、 たまか→倹約、 ためる→ねらう、 だらぐそ→下痢、 だらに→たびたび、 だんま→牝馬、 

ちく→うそ、 ちゅらっぽ..

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群馬での暮らし:グンマ語(な行)

Gunma_go3

《グンマを話そう》
※グンマ語は特殊な発音を有する恒久源語です。 意志疎通が困難となることがあるので、グンマ国外での会話はおやめください。

 なあろ→(し)なさい、 ない→ナァ、 なえる→くたびれる・弱る、 なかっつえー→三人兄弟の真ん中、 なから→ほとんど・だいたい、 なぎれる→あふれる、 なぐる→手を抜く、 なす→返す、

なせ→斜面、 なで→ちいさな雪崩、 なまらはんじゃく→なまはんか、  なめ→ハゲ・水垢、 なめる→ばかにする・(ナメシからきている)、 なるい→ゆるい、 なん..

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群馬での暮らし:グンマ語(は行)

Gunma_go3

《グンマを話そう》
※グンマ語は特殊なアクセントを有する恒久源語です。 グンマ国外で使うと、パスポートの提示を求められることがあります。

 はあ→もう、 はあくろ→そばかす、 はか→仕事ぐあい・(はかどる)、 はが→損、 ばかぐれ→大食、 はがむ→はにかむ、 はぎる→くい切る・切り取る、 はぐる→失敗、 ばくる→とりかえる・交換する、 はしっこい→すばしっこい、

はしはし→てきぱき・はきはき、 はたる→催促する・強要する、 ばっかし→子供達、 はっこくる→頭を打つ、 ばっちらがう→..

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群馬での暮らし:グンマ語(ま行~)

Gunma_go3

《グンマを話そう》
※グンマ語には気嫌が隠れています。 使い方を誤ると、身体に危害が及ぶことがあります。

 まぐろう→まちがい、 まけ→血筋、 ままなき→どもり、 まんから→うそつき、 まんごーもん→長持ち、  

みぐせえ→みっともない、 みし→ね・(そうだ)みし、 みぼしい→楽しい、

むせっけえ→むちゃ、 むてっこじ→むてっぽう、

めんごん→軒並み、 めんぱ→木の弁当箱、
もーぞ→急いで、 もっちょする→大事にする・もてはやす、 もぼれる→もうろくする・老いぼれる、 もよって→もうちょ..

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群馬での暮らし:オチャピンチャンプー

Ocyanpi

《グンマを話そう》
 ある昔、働き者のおじいさんとおばあさんがおった。 ある日おじいさんは「ぼた餅」を持って山仕事に出かけた。 働きすぎて休んでいると、立てかけていた鍬の先にちっちゃな鳥がとまった。 あまりにも綺麗な鳥なので、捕まえておばあさんに見せようと、ぼた餅を鳥もちにしてぶっつけた。

 

Akaza_1

 捕まえた鳥を手に取り、鳥の羽をなめなめくっついたぼた餅をとってやったところ、あやまって鳥ごと飲み込んでしまった。 「まぁそのうち出てくるだろう」と思っていると、へそからちっちゃな足が出て..

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群馬での暮らし:キノコの化け物

Kinoko

《グンマを話そう》

○きのこのばけもの
 ある昔、働くの大嫌い人がいた。 雨漏りしても・壁が崩れても・家が壊れても、とにかく寝てばかりいた。 そのころ村では「月がいなくなった・山の化け物が月を隠した」と大騒ぎだった。 そこでなまけ者が山に行ってみると、月を隠すように大きなキノコがたくさん生えていた。

 


 なまけ者は、屋根代わりにキノコのしたで暮らすことにした。 怠け者がキノコと仲良しになったある日、

キノコ:おまえはなんでここにいる?
怠け者:働くのが嫌でここでねてるんさ
キノ..


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群馬での暮らし:でえろんむすこ

Deiron

《グンマを話そう》
○でえろんむすこ
 ある昔、おじいさんが芝刈りに行くと、でえろんが寄ってきて「息子にしてくれ」と言った。 おじいさんは連れて帰り、我が子のように育てた。 やがて大きくなったでえろんは、おばあさんに作ってもらった「こうせん」の袋を角にかけ、嫁探しの旅に出た。

 

とある大屋敷に泊めたもらったでえろんは美しい娘を見つけ、夜中に「こうせん」を娘の部屋に撒いた。 翌朝、でえろんは「こうせんを盗まれた」と騒ぎ出し、疑われた娘は家を追い出された。 でえろんは娘を嫁にもらい、..

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群馬での暮らし:へっぷり鬼

Hepurioni

《グンマを話そう》

○赤城のへっぷり鬼
 ある昔、赤城山には沢山の鬼達が住んでいた。 なかでも大きくて強いのが「赤鬼」と「青鬼」であり、毎年行われる祭りの相撲大会の横綱であった。 その祭りが近づくと、「赤鬼」と「青鬼」は絶対勝つぞ!と大好きな山イモをたらふく食べて体力をつけ・:稽古に励んだ。

 


 そして試合当日「赤鬼」と「青鬼」は向かい合った。 シコを踏めば山々が揺れ、角と角がぶつかり合えば火花が木々を紅葉に変え、しまいに互角のまま動かなくなった。 行司が「はっけよい!」、 思..

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群馬での暮らし:なんご

Otedama

○なんご(おてだま)
[るんるん]おてだまのかぞえうた
一番はじめは一宮 
二また日光東照宮
三また佐倉の惣五郎
四はまた信濃の善光寺
五つは出雲の大社
六つ村々鎮守様
七つ成田の不動尊
八つ八幡の八幡宮
九つ高野の弘法様
十で東京心願寺

 

Jyuzudama5

《グンマを話そう》

他にも、「おてだま」をこうよんだそうです。
あや・あやんご・おいっこ・おいっちょ・おかじょ・おじゃみ・おなんご・おひーと・がっけ…

○おてだまの中には「ずず(ジュズダマ):地域によっては、..

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群馬での暮らし:火薬店

Numata_yokoyama

○湊屋横山銃砲火薬店(@沼田市下之町877)

 沼田城内にあった土岐氏の火薬蔵を、幕末に「湊屋」(横山東四朗1831~)が引き継いだといわれている。

《グンマを話そう》
嫁入りの火投げ
 沼田市薄根地区では、嫁が婚家に入ったら、来た方向にオガラに火をつけて投げる俗信がありました。 これで嫁は実家と縁が切れて新しく家の人となる、と言われています。

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群馬でのくらし:ジャンケンポン

Janken

《グンマを話そう》
○じゃんけんのかけ声はこうです。
 アイケンチ・アイチッチ・イッチキリン・オッカ・オッカソポ・オッカッキュ・オッキュッセ・オッチッチ・オッチャッチ・オッチャッチエ・オッチャッチャ・オッチャッペ・オッチャッポ・オッチャッボン・オッチャンチ・キスカッキュ・キッカソボンヨ・キッカッキュ・キッカック・ジャンケンケ・ジャンケンホイ・ジャンケンポイヤ・ジャンケンポイヨ・ジャンケンボン・ジャンケンボンヨ・ジャンケンワイ・

 


チーカソキュ・チーカソポイヨ・チーカッポ・チーリユ..

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群馬でのくらし:おたまじゃくし

Otama

《グンマを話そう》
○「おたまじゃくし」をこうよびます。

 アメンコロ・オエロンゴ・オカマガエロ・オク・オクマ・オクマガエル・オクマガエロ・オクマガユル・オクマゲエロ・オクマジャクシ・オクマッコ・オクマドジョウ・オクマン・オクマンガエロ・オクマンガユル・オクマンゲーロ・オクマンコロ・オクマンジャクシ・オタマ・オタマゲエロ・オタマジャクシ・オタマン・オタマンガエル・オタマンゲェル・オタマンゴロ・オタマンジャクシ・

 

カエル・カエルノコ・カエロッコ・カエロンゴ・ギャーロッコ・グコニロ..

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群馬での暮らし:板倉町

Mugirakugan

麦落雁(三桝家總本舗@館林市本町3-9-5)

《グンマを話そう》
 利根川と渡良瀬川に挟まれた邑楽郡板倉町は、川や沼が多く低地であるため大雨が降る度に洪水にみまわれてきた。 いったん洪水になるとなかなか水は引かず、いろいろな洪水対策が施されてきた。 そのひとつに「揚げ船」があり、軒先や納屋にそこを上にして吊るしていた。 洪水については、「蛙が小便をしても水が出る」とさえ言われていた。

 


  また洪水になると米・麦を撒けないだけでなく収穫がなくなるので、食料を節約して翌年まで持..

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群馬での暮らし:オコジョ

Okojyo

《グンマを話そう》

 山仕事を主とする片品村では山の神を崇め、オコジョは山の神のお使いとして畏れられていた。 もし、山仕事に行く途中でオコジョを見た者は、すぐ家に帰り謹慎するのである。(危険を知らせてくれる)

 またこの地では、山の神様である十二様は夫婦神であり猟の神様とされている。 なぜ十二かは諸説あって定かではない。 この十二様の大好物はオコゼ(ナマズやカジカなど顔が醜い魚なら良い)とされている。

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群馬での暮らし:殿様ネギ

Shimonita_negi

○下仁田ネギ
 文化二年(1805年)11月8日、江戸より下仁田町名主に[ネギ200本と絹三疋半]の注文あり。  注文書「ねぎ御用につき江戸急送方達」には、金に糸目はつけないとの記。


 これにより「殿様ねぎ」と呼ばれるようになった。 これをまねて他地域でも栽培を試みたが、土壌・気候等が異なるため作ることができなかった。 そのため、今なお下仁田特産となっている。


《グンマを話そう》

ネギをつくるには日向がよいとされ、
○葱は人影でも嫌う
○葱は自分の陰さえ嫌う
とさえいわれ..

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真珠もろこし

Whitecorn

白いとうもろこし
「真珠もろこし」
 (ドールby「I Loveファーム日胆」)

《グンマを話そう》
○とうもろこしを、こうよぶ地域もあります。
 トウミギ・トーギミ・トーミギ・トームギ・トーモロコシ・モロコシ…
○トウモロコシの粒を「タワラ」と言う人もいます。

 

Whitecorn2

○昔は「もちきび」を食べた。 しかし、トウモロコシほど食べられない部分が多い物はないのでは…

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群馬での暮らし:とっかんや

Tokkanya

《グンマを話そう》

 ポン菓子(ばくだんあられ)のことらしい。 ただし米ではなくてトウモロコシ、元祖ポップコーンか。

YAMADA

群馬での暮らし:つるぴかり

Tsurupikari

グンマの小麦は、【つるぴかり】。

《グンマを話そう》
 邑楽郡は、川や沼が多く低地であるため大雨が降る度に洪水にみまわれてきた。 洪水になると米・麦を撒けないだけでなく収穫がなくなるので、食料を節約して翌年まで持ちこたえる習慣ができた。 このような生活のなかで、麦を工夫して食べる方法が考え出された。 それが、麦饅頭・麦団子・麦柏餅・麦ぼうとう(うどん)などであり、今なお残っているのが麦落雁である。

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群馬での暮らし:パチンコ

Pachinko

《グンマを話そう》

 グンビン・ゴム・ゴムカン・ゴムチン・ゴムピン・ゴンピン・スズメウチ・タマウチ・テッポウ・バダブ・パチン・パチンコ・パッチン・パッチンコ・ハフフ・バラブ・バリブ・パルブ・ピチンコ・ブンチン・ユミ… など

YAMADA

群馬での暮らし:鬼と長イモ

Oni_imo

《グンマを話そう》
○鬼と長いも
 ある昔、白根山・四阿山には悪い鬼達が住んでいた。 ある五月節句鬼は「人間は柏餅をうまそうに食べてるな、オレもうまそうな人間を食うことにしよう」。 鬼がある家の前に来ると、家の中では長いもをおろしてトロロ汁を作っていた。 鬼は、「あれがご馳走か、角をおろせばいいんだな」と自分の角を少しくじいておろしてみたが、硬くて歯が立たなかった。 そのうち、家の中では美味しそうにトロロご飯を食べ始めた。 鬼は「こんなに硬い鬼の角をうまそうに食うなんてなん..

YAMADA

群馬での暮らし:食生活いろいろ

Okirikomi

《グンマを話そう》

○アンゴー:竹製の杓子さし。
○ウチヅカイ:家庭用。
○オチャゾッペー:お茶だけで他のものを出さないこと。
○カジリガキ:直ぐ食べられる甘柿。
○カタケニタベル:副食でなくて主食にする。
○カッテクベル:交ぜて食べる。

○キリバン:姐板。
○キリボシ:乾燥藷。
○クスリモン:極く大切な食べ物。○シギ:筋、繊維。
○シップリ:野菜頼の切端、尻。
○シトギ:梁・屋根換えの時米粉のを一つ豆粉のを二つ助けた家に配る。
○ツカイアブラ:食用にしない油。 ..

YAMADA

群馬での暮らし:医者vs.和尚

Tokei_isha

《グンマを話そう》

 ある昔、村の医者と和尚が道端で一緒になった。 そのとき、医者が時計を落とし、それを和尚が拾った。
医者:その時計はわしのものだから返せ!
和尚:医者が見捨てたものは坊主が面倒を見るのが当然だ!
医者:ならば最後の別れをさせてくれ。
 -と医者が時計を耳にあてた-
医者:まだ脈がある。 医者が面倒見るのがあたりまえだ!

YAMADA

群馬での暮らし:からす

Karasu

《グンマを話そう》

○カラス(空巣)
 ある昔、鳥たちが羽を染めてもらいに染物屋へ言った。 スズメやツバメたちは「ここは何色、ここも何色」といろいろ注文した。 カラスはおしゃれだったので(欲張りだったとの説もある)、全色使ったらさぞかし綺麗になるだろうと思った。 そこで、全部の色を混ぜて染めてもらったらマックロになってしまった。


○カラスの歌
カラスカラス
カラスの勘三郎
おめえのうちが焼けるぞ
早くけえって
ためかけろ
※ため→下肥溜のこと

○カラスの歌
カラスカラス
カラスの勘三郎
鉄..

YAMADA

群馬での暮らし:ムジナ

Eisenji

《グンマを話そう》
○永泉寺のムジナ
 高崎駅を出た汽車が永泉寺脇にさしかかると、前方からものすごいスピードでこちらに向かってくる汽車があった。 そして避けきれずに正面衝突した…と思ったが何事も無く次の倉賀野駅に到着した。
 その夜、町医者の所に永泉寺の小僧が「和尚さんがケガをしたので膏薬を下さい」と訪ねてきた。 翌日、医者は和尚の見舞いに永泉寺へ行ったが、和尚は元気で念仏をあげていた、また寺には小僧などいなかった。  そこで、和尚と医者は裏山へ行くと、そこには膏薬を貼ったム..

YAMADA

群馬での暮らし:へびvs.かえる

20121100b

《グンマを話そう》
○ヘビとカエル
 ある昔、動物たちが集まって、お釈迦様にそれぞれの食べ物を決めてもらった。 最後に残ったヘビは、なかなか食べ物を決められなかった。 それを見ていたカエルが馬鹿にして一言、「おれの尻でもなめてろ!」。 お釈迦様が言った、「ん~」。 アッと言う間に、ヘビがカエルを飲み込んだ。 それからというもの、蛇が蛙を食べるようになった。

※「アッと言う間」の事を「めっこのめばたき」とも言う。

YAMADA

群馬での暮らし:なぞなぞ

Asama201303c

《グンマを話そう》

 浅間山でふかされて、碓氷峠でこづかれて、めんがはらで腹切って、くろがねの橋を渡されて、こいけの中へとおとされて、杓子如来にすくわれて、お椀の中へと入れられて、二本の箸につままれて、のどもと峠を通りすぎ、長い細道よたよたと、ご門の外へと捨てられて、広い原っぱへふりまわされて、むかしの土にかえされるものな~に。

お餅

YAMADA

群馬での暮らし:将軍塚古墳

Shougun1

《グンマを話そう》

○将軍塚古墳(島名神社)
  この塚は、前方後方墳と言い、前方部の塚上に島名神社があり彦狭島王を祀っています。第十代崇神天皇の時代(西暦四八年)、息子の豊城入彦命を東国(関東地方)に派遣してこの地方を治めさせました。 

 

Shougun2

 また、代十二代景行天皇の時代(一二五年)、豊城彦命の孫である彦狭島王を東山道十五国の都督に任命しました。ところが赴任の途中、春日の穴作邑で病死しました。上野の国の人達はこの話を伝え聞き、王を哀れみ、ひそかに王の死体を盗みここに祀ったといわれ..

YAMADA

群馬での暮らし:問答

Asama201202d

《グンマを話そう》

 ある昔、村に問答坊主がやってきた。
村人:坊主糞くらえ!
坊主:浅間の夕立だ!
村人:その心は
坊主:にしがくらい

※にし→西・汝、くらい→来らい・食らい。

☆グンマの昔話ときたら、褌・屁(からっ風)・金玉(狸)・糞(蒟蒻)の話 ばっかだ。

YAMADA

群馬での暮らし:むりどん

Muridon

《グンマを話そう》
○むりどん
 ある昔、おじいさんとおばあさんが雨漏りのする古屋に住んでいた。 おじいさんんが「世の中で一番怖いものはオオカミだな」と言うと、おばあさんは「いや、むりどんが一番怖いよ」と言った。 この話を家の外で盗み聞きしたオオカミは、「おれさまより怖いむりどんって、何様だ!」と思わずうなってしまった。 この声に驚いたおじいさんは馬小屋にいた馬に乗って一目散に逃げ回った。

 


 おじいさんは、食われるのはいやだと思いっきり馬にしがみつたが、それは馬ではなくてオオ..

YAMADA

群馬での暮らし:おにごっこ

Onigokko

《グンマを話そう》

「鬼ごっこ」にもこんな種類があったらしい。
 すじっちく・がらがらおに・かくしおに・てんじんさまのごもん・ぽこぺんおに・いろはにこんぺと・かりうどさん・つばめおに・ちゅうちゅうおに・ふうづきばばあ・あずきとぎ…

※詳しくは、「群馬のことばとなぞ・上野勇・煥乎堂」。

YAMADA

群馬での暮らし:加賀千代

Kaga

《グンマを話そう》
 加賀千代が江戸へ向かう折り、中山道を通つて岩鼻の鳥川の渡しの所まで来ました。  川越え人足が見ると、体格がよく大女に見え体重もありそうなので、皆遠ざかり誰一人渡してやろうとしません。  すると、彼女は「ひとかかえあれど柳は柳かな」という一句を作って、柳の木の柔らかさと女の優しさを訴えたといいます。  そこで、人夫達はかわいそうに思い、協力して渡してやった。

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群馬での暮らし:浅間山焼け

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《グンマを話そう》
○天明三年(1783年)7月8日午前10時頃、三ヶ月ほど前から活動を続けてきた浅間山が大爆発を起こした。 有史最大の大噴火であり、溶岩流は60km/h以上の速さで北へ流れ、土石流は嬬恋村・長野原町を壊滅し、吾妻川・利根川へと流れ込んだ。(現在の前橋市から玉村町付近まで被害が及んだ) 
 この時の溶岩流の痕跡が「鬼押出し」である。

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○浅間山噴火
 685年3月、1108年7月21日、1783年7月8日、の記録があるが、それ以前 も火山活動が盛んであ..

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群馬での暮らし:ヘビの目

Hebinome

《グンマを話そう》

○ヘビの目
 ある昔、ヘビが若者に化けてとある娘の所に通い続けたあげく、子供ができた。 娘は男に長い糸のついた針をさして後をつけると、その男はヘビに姿を変え寺の石垣の間に入り込んだ。 石垣の中からはヘビの親子の話が聞こえてきた。

 


 こんな針を刺されたら、もう命がないぞ」
おれは死んでもいいんだ、子供がうまれるから」
「ショウブ湯に入ればへんな物は出てしまうから、ヘビとわかればすぐに捨てられるぞ」
 これを聞いた娘は、ショウブ湯に入りタライをまたいで全部出してし..

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群馬での暮らし:五徳と犬

Gotoku

《グンマを話そう》
○五徳と犬
 ある昔、犬は三本足で四徳は四本足だった。 その犬が三本足でピョコタンピョコタンしているのを見た神様が四徳に言った。
神様:おまえは炉の中でじっとしているだけだから三本足でも良いだろう。 犬に足を一本あげろ!
四徳:イヤダ!
神様:ならばランクアップしてやる。 今日から格上げして【五徳】だ!
 それで、五徳は三本脚となった。 一方足をもらった犬は、汚さないように「おしっこをするときは神様にもらった足」を上げるようになった。

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○三徳・五徳

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浅間山

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1938.6.30

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1973.2.1

Asama19730310浅間山・1973年3月10日


《グンマを話そう》

○上野と信濃の戦い
 1781年秋諏訪神社に、上野国の神々(白雲山妙義大権現・榛名満行大権現など)と信濃国の神々(戸隠山大権現・浅間山大権現など)が集まった。 その席上、「昨今神の威光がが衰退しているのは神々の行いが悪い」と上国対信濃国の論争になり、ついにはエスカレートして浅間山大噴火となった。 
 その結果は、上野国の被害甚大・信濃国の被害軽微であった。(信濃国側には善光寺如来..

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群馬での暮らし:うさぎや

Usagiya

《グンマを話そう》

 昔は、ウサギを売り歩いていたらしい。 他には、とやまのくすり売り・呉服屋・飴売り(よかよかあめ)などの行商があったそうだ。

追記)「うさぎや」はうさぎ買いだったらしい。
 うさぎは、毛皮をとるためにどこの農家でも五~六匹は飼われ、その飼育は子供の仕事としてあてがわれその収入は子供の小遣いとなった。 また、兎肉は、蒸し煮・甘酢煮・袋煮などにして食べたようだ。

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☆ノウサギ・ヤマウサギ
 味噌煮・タタキ(味噌汁)・シカ汁・干肉(秋田)、などにして食べた。

☆..

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群馬での暮らし:運動会には屋台

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 群馬の小学校運動会には屋台(たな店:主に食物)がつきもの。 昔は校内だったが、今は校外に出るそうだ。 


《グンマを話そう》
○グンマでは、「かけっこ」を「かけりっこ」とも言います。

○運動会に屋台
 大衆娯楽が少なかった名残、地域によっては盆踊り禁止・地芝居禁止・山車自粛などであった。

YAMADA

群馬での暮らし:ほたる

Hotaru

《グンマを話そう》
ホタルわらべ歌

ほたるかっか とらかっか
ほたるのおやじはかねもちだ
よるはちょうちんたけのぼり
ひるまはくさばのくさのかげ
---------------------------- (グンマ版1)
ほうほうほたるこい やんぶしこい
あっちのみずはにげいぞ
こっちのみずはあまいぞ
※やんぶし→源氏蛍
---------------------------- (グンマ版2)

YAMADA

群馬での暮らし:グンマネパール

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《グンマを話そう》
 勢多郡東村(現みどり市)は、山々に囲まれた中を渡良瀬川が流れて、グンマ最東端に位置している。(東へ山を越えても・北へ行ってもそこは敵国トチギである)  足尾銅山の銅を運ぶ「銅山街道」として栄える前は、炭焼きと山地農業だけの僻村であり、「グンマネパール」とも言うべき秘境であった。 今でも、東村・黒保根村を「山中」・「花輪山中」とさえ言われている。(厳しい地形の万場町・中里村・上野村なども山中・山中領と呼ばれた)  また、沢のつく地名も多く「沢入」もその一つで..

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群馬での暮らし:唄いろいろ

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《グンマを話そう》
地域によって言葉は全く異なります。
○ああ…浪さんなぜ死んだ ぼーくのかえりがおそかった ……
○いまないたカラスが はかばのダンゴくって ちょっとだまった ……
○いまないたカラスが おてらのダンゴくって ちょっとだまった ……
○あくたれかっちゃんかずのこ にしんのこ ……
○おんなのなかにおとこがひとり なべにほうろく あぶないところ ……

YAMADA

群馬での暮らし:館林城

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《グンマを話そう》
○館林城
 五百年程前、大袋城に赤井山城守照光なる殿様が住んでいました。 ある日、照光一行が千代田村にさしかかると、子供達が子狐を捕まえていじめていました。 照光は家来の鉢形惣五郎に言い、子狐を放してやりました。  ある夜、庭の茂みの中に男が現れ、「この前は子供を助けていただいてありがとうございました。 お礼に良い土地を照会するので新しい城を建ててはいかがてすか。」と言うと、沢山のキツネがたいまつを照らして道案内し、親キツネの指示の下新しい城の設計図を描き..

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群馬での暮らし:雙林寺

Sourinji

《グンマを話そう》

双林寺の七不思議(北群馬郡子持村:現渋川市)
  白井城の殿様長尾昌賢が、月江禅師や牽牛(琵琶法師)をむかえてこの寺を建てたと言われている。 また、「白井の双林寺」とよばれるこの寺には七つの話が伝わっています。

○開山の一つ拍子木
 何か悪いことがおこりそうになると、夜中に大きな音で鳴る。

○開山のつなぎカヤ
 月江禅師がカヤの実で作った数珠の一粒を蒔いたので、カヤの木の実は糸が通る穴が開いている。

○竜神水(蛇頭水)
 本堂北の湧水は「人増せば水..

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群馬での暮らし:榛東村

Soumhara

《グンマを話そう》
 榛東村は榛名山麓傾斜地に位置し広くが山村原野であるため、限られた耕地を利用した農村であった。 古く相馬が原は演習場となり国軍→米駐留軍→自衛隊と変わったが、現在も陸上自衛隊相馬原駐屯地があり、ここから前橋へ通じる軍用道路が密かに建設中である。
 この山麓傾斜地のため水不足は深刻であり、雨乞いも度々行われ、田植えの夜は水を惜しんで風呂に入らないほどであった。 この貴重な水源である井戸には神様がいるとされ、井戸に関する俗信も数多い。

YAMADA

群馬での暮らし:身代わり観音

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《グンマを話そう》
○身代わり観音
 千四百年ほど前、聖徳太子は聖観音をつくりその力により日本に攻めてきた新羅軍を破った。 戦いが終わり、その観音像を見ると刀や矢の傷だらけであったので「身がわり観音」とよぱれ、「とどまりたい地にいったら重くなる」と言われていた。
 1240年、津戸為守が関東に向かう途中上野国緑埜郡鮭塚までくると急に重たくなったので、寺を建て観音像を納めた。 この観音像が藤岡山尊願院一行寺に残されていると言われている。

YAMADA

多胡の碑:羊太夫

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《グンマを話そう》
○羊太夫
 「多胡の碑」は1300年ほど前に作られたもので、村人は「羊さま」と呼び信仰してきました。  かつてこの地に八束城があり藤原将監勝定という城主がいました。  子供がいない勝定夫婦が大沢不動にお参りした満願の夜、白髪の老人が現れ「この子羊を与える、大切に育てよ。」と言いました。  やがて、羊年・羊刻に男の子が産まれ「羊太夫」と名付けました。

Tagonohi  文武に優れたこの若者は、やがて父の後を継ぎ八束城主になりました。  ある日、羊太夫は韋駄天のごとく若者..

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群馬での暮らし:よかよかあめ

Yokayokaame

《グンマを話そう》
○善か善か飴
 飴を挿した盤を頭上にのせて,太鼓を打ち鳴らし「よかよか」とはやしながら売り歩いたそうだ。 

他にも飴売りがあったそうだ。
○ブッカキ飴(ドンドコ飴)
 頭上のハンダイに飴を入れまわりに旗を立て、太鼓を打ち鳴らしてた。
○ギリギリ飴(ガリガリ飴)
 オガラの棒に飴をまいて売っていた。 割った竹でガリガリ音を出していた。
○朝鮮飴
 くじ付きの飴を売っていた。
○金太あめ 


Gunma_yokayokaame

○よかよか飴
 日の丸旗で飾った飯台に飴を入れて頭にのせ、ウチワダイコを叩きながら「..

YAMADA

群馬での暮らし:古語父の鬼女

Seiganin

《グンマを話そう》

○古語父の鬼女:清岸院@川場村立岩
 立岩青岩院の住持文鳳の母「のぶ」は大力無双の女として有名であった。 古くは利根に攻め入った小田原勢を打ち破り、ある時は洗濯のじゃまをした盗賊を岩にたたきつけ、また寺を建てる際には梁を軽々と持ち上げた、などと伝えられている。 一話には、赤鬼に惚れられて力を与えられたとの伝えもある。
 「のぶ」が毎日、川まで運び洗濯をしたという「洗たく岩」が残されている。

YAMADA

群馬での暮らし:めはじき

Mehajiki2

《グンマを話そう》

 短く切った茎を瞼に挟み、眼を閉じる勢いで遠くへ飛ばす遊び。


※埋葬にもメハジキというのがあった。 これは、割った竹を弓状にして土に差して竹垣を作り墓を保護して霊魂が返るのを待つ。

YAMADA

群馬での暮らし:機神様

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《グンマを話そう》
○仁田山のはた織り石
 ある昔、桐生仁田山に母娘が機(はた)を織って暮らしていた。 毎日「トンカラコン・トンカラコン」と母が織る機は、立派な反物になるのでひきてあまただった。 ある日突然母が亡くなり、娘は一人で機をおらなければいけなくなった。 しかし、どうしても母のように上手に織れない娘は、毎晩遅くまで一生懸命機織りを続けたので、ついには手が腫れて上にあげられなくなった。

 七夕の夜、娘は渡良瀬川へ行った。 川に手を入れてみると、とても気持ちが良かった。 その..

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群馬での暮らし:鰻

Minato_unagi

《グンマを話そう》
○虚空蔵様とウナギ
 ある時、片貝の人々がお伊勢参りへ出かけた。 途中の宿で出た汁椀には「ウナギ」が入っていた。 これを食べた同宿者は具合が悪くなったり・病気になったりしたが、片貝の人々は食べなかったので大丈夫だった。
 片貝村には「ウナギは虚空蔵様のおつかいだ。食べるとバチが当たる。」という言い伝えがあったのだ。

 

《グンマを話そう》

○高崎・抜鉾神社
 ある昔、和田山村の三左衛門の子供がほうそうにかかった時、飼っていたウナギにうつって病が治った。  またある時..

YAMADA

群馬での暮らし:豆腐

Zaku2

《グンマを話そう》 
 ある昔、豆腐が病気になった。 そこで友達の野菜たちが見舞いに行くことになった。
ニンジン:酒飲んで赤くなってるから行かれないよ!
ゴボウ:真黒だからお風呂にはいってからにするよ!(本当は風呂嫌いらしい)
 なので、ダイコンが一人で見舞いに行った。(ナスを誘って断られたという説もある)
トウフ:みんなげんきでいいなあ、大病で元のまめにはもどれない。 生まれたままの姿でいられるのは幸せだよ。

YAMADA

群馬での暮らし:竜宮の椀

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《グンマを話そう》
○利根村:竜宮の椀
 吹割の滝の底は竜宮に続いていると言われていました。 ある昔、利根村追貝の若者が嫁をもらうことになりましたが、貧しくて客用の膳と椀がありません。 そこで竜宮にお願いしようと、滝の上手から手紙を流しました。 翌日滝へ行くと、お願いした膳と椀が岩の上に置いてありました。 嫁迎えを無事すませた若者は、膳と椀をきれいに洗って返しました。 やがてこの話が広がり、多くの村人が膳や椀を借りることが出来ました。
 ただ、ある村人が返し忘れたことがありました..

YAMADA

群馬での暮らし:猿ヶ京

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《グンマを話そう》
○猿ヶ京
 1560年(永禄三年)、宮野城にに泊まった上杉謙信は夢を見ました。[運ばれてきたお膳を食べようとすると箸が一本しかありません。それでも食べようすると歯が抜け、それも手のひらには8本もの歯が出てきました。]
 これを家臣の直江山城守に話すと、「れは目出度い。 一本の箸とは、片端からの意。 手のひらの8本の歯は、関八州を手中に治めるの意。」と言われました。 これを聞いた謙信はたいそう喜び「今日は庚申の日、我も申年。ではこの地を申ケ京と呼ぼう。」と言..

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群馬での暮らし:神流川

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《グンマを話そう》
○神流川
 日本武尊は、旅の途中で妻の弟橘姫を亡くしたのを哀しみ、姫の髪を形見として懐に入れていた。 そして、秩父から志賀坂峠を越え上野村 野栗についた時に、野栗神社を建て髪をおさめ臣を使えさせることにした。
 ある時、野栗に悪病が流行ると、村人達はご神体(姫の髪)を清めようと川に流した。 この後、この川を「髪流し川」そして「神流川」と呼ぶようになった。

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神流川(伊香保志)


○野栗の神(上野村)
 ある昔、武州秩父の山奥から神々軍団が信濃路にむけて進軍..

YAMADA

群馬での暮らし:三峰山

Mitsumine

《グンマを話そう》
月夜野町(現みなかみ町月夜野)には伝説がいっぱいあります。

○雨ごい石
 河内神社近くに三つの石があり、火を燃やして竜神に雨乞いすると雨が降ると言われています。

○石神峠の泣き石
 峠の「泣きい」が濡れると雨が降ると言われていました。

○からしな姫の石
 後閑佑房の側室「からしな姫」が奥方毒殺を図ったが見つかり生き埋めにされ、その上に置かれた石が日に日に大きくなり「毒石」と呼ばれるようになり、「加良志奈神」として祭り納めたと言われています。(寛政中頃)

○げえろ石と..

YAMADA

群馬での暮らし:しだれ桜

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《グンマを話そう》
 ある昔、酒井阿久波守親本(前橋藩)という殿様がこのしだれ桜を見て、あまりの美しさに一本譲ってもらい城内に植えたが咲くことは無かった。 そしては、枕元に【花の精】が夜な夜な現れ、「帰りたい」と悲しく泣くので、元あった慈眼寺へ戻すこととなった。 この殿様は享保13年(1728)酒井少将となり、それから「少将桜」と呼ばれるようになった。

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群馬での暮らし:沼田の薬師信仰

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《グンマを話そう》
沼田の薬師信仰
○虫歯神様:大釜と堀廻の境に石宮がありました。歯痛になるとオサゴ(洗米)をおひねりにして願をかけました。
○眼病の治る水:三峰神社への途中にある岩の窪みの水で洗うと治ると言われていました。
○イボ治しの柄杓:「治ったら底なし柄杓を差し上げます」と願をかけました。
○麻疹を治す神様:山崎の八幡様にある麻疹くぐってお参りすると早く治ると言われていました。  
○また、上川田町には「弘法大師が渡った足跡」と言われる岩の窪みがあります。  ここにたま..

YAMADA

群馬での暮らし:グンマの山々

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《グンマを話そう》

 グンマの山々には、大蛇・龍・竜・鬼・雷・天狗をはじめ色々な方々が暮らしておられます。 中には、有り余った力で山を蹴散らかしてしまう方もみうけられます。 グンマの山々がギザギザなのはこのためです。 また、転んだり・投げ飛ばされたりしてできた窪みに水が貯まっると、沼や湖になってしまいます。
 さらには、「からっ風」は寒くなると鬼達が大好きなイモを焼いてたらふく食べるために起きる自然現象です。

YAMADA

群馬での暮らし:御荷鉾と鬼

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《グンマを話そう》

○御荷鉾と鬼
 ある昔、御荷鉾山には鬼が住みつき村人たちを苦しめていた。 そこに弘法大師が立ち寄り、御荷鉾山に向かってお経を唱えた。 鬼は石棒を振りかざし襲ってきたが、お経を唱える弘法大師には近づくことさえできず、とうとう石棒を投げ捨てて逃げかえり山に封じ込められてしまった。
 喜んだ村人たちは、この石棒を祭りこの地を「鬼石」と名づけた。 鬼が石棒を投げ捨てた場所が「投石峠」である。

○御荷鉾山
 古くは三株山とよばれ、東御荷鉾山・西御荷鉾山・オドケ山の総称だ..

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群馬での暮らし:六合村

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《グンマを話そう》
○六合村にはグンマから独立した方言があります。
 あなた→こんた、 いしけり→けだし、 かくれんぼ→かくねっこ・おにさんこ、 かたぐるま→てんぐるま、 かまきり→とーろー・はえとり・かまぎっちょ・かまよん、 くるぶし→くるみ、 しゃがむ→つくじょむ・しょごむ・しょごじょむ・しょごずむ、 たけうま→たかあし・たかうま、 つむじ→まきめ・まきまーし・まきむし、 とかげ→かまちょろ・かなへび・とかよん・とかちゃん・かまぎっちょ、 なめくじ→なめら・なめらっ..

YAMADA

群馬での暮らし:音無川

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《グンマを話そう》

○音無川
 嬬恋村干俣に、源頼朝が蹴鞠をしたとされる鞠宮神社があります。 源頼朝が鞠宮に宿をとったときの事です。  そばを流れる川の音が枕元に響き眠れませんでした。 そこで、頼朝は床から起き上がると「川の音よ、静まれ!」と厳かに念じました。 はたして、川音はやみ、音もなく流れ始めました。 これが「音無川」です。

YAMADA

群馬での暮らし:みもすぎの湯

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《グンマを話そう》

○みもすぎの湯
 谷川岳山頂には浅間神社の奥宮があり、麓の谷川村には里宮があります。 ある時浅間神社の神が小川で足を洗っていると、小石の間から暖かい湯が湧いているのを見て「この湯につかれば病を癒すことができよう」と伝えました。 これを聞いた里人は川底から沸く湯を引いて湯場を作りました。 こうして、神様も入った湯なので「御裳濯の湯」と言われるようになりました。
※谷川岳は谷川富士とよばれ、富士山より馬の沓分だけ低いと信じられ、浅間神社が信仰対象であった。

YAMADA

群馬での暮らし:めっぱ

Meppa

《ぐんまぐんぐん キャンペーン:群馬語を学ぼう!》

 群馬では、[ものもらい(麦粒腫)]のことを「めっぱ・めかご・めかいご」などと言います。 治し方は地域により異なり、
○めっぱを井戸に半分見せ、治るようにお願いする。
○井戸の中へ笊を半分覗かせ、治ったら全部見せると言ってお願いする。
 などいろいろです。 「ざるをかぶるとメッパになる」、言い伝えもあります。
※アクセントは語尾が上がります「メッパ↑」。
※地域によっては水嚢。

 

《グンマを話そう》
笊や籠をかぶるとなるので、..

YAMADA

群馬での暮らし:しゃべり石

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《グンマを話そう》
○しゃべり石
 伊参村に三角形をした大きな石「しゃべり石」があります。 ある昔、親の敵討ちに歩いていた男が大道峠にさしかかったときにはもう日が暮れ、石のそばで一夜を明かしました。 すると、真夜中に人の声がしました。 まわりには誰もいません、石が「敵のいる場所」を教えているのでした。 こうして敵を討つことができました。
 やがて、里人は「しゃべり石」と名付け祠を建てました。  その後、通りかかった越後人が石の声に驚き、刀で石の角を切り落としてしまいました。 それ..

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群馬での暮らし:草津の湯

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《グンマを話そう》
○草津の湯
 建久四年八月三日、源頼朝は三原野で狩りをした後草津へとやってきました。 その三日月の夜、一面のアシの中から立ち昇る白い煙をみつけました。 かまでアシを刈り分けて進むと、それは、ゆけむりがたつ温泉でした。  頼朝は大喜びで旅の疲れをとりました。 これが、「御座の湯」です。 また、そばにあった大きな石に腰を下ろして休んだので「御座の石」と呼ばれました。 
 そこで頼朝は「まだ他にも湯口かあるだろう」と探すと、岩の間から滝のように流れ出しいてる「滝..

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群馬での暮らし:二荒山vs.赤城

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《グンマを話そう》

○二荒山vs.赤城:日光編
 ある昔、赤城山の神と二荒山の神との間に、中禅寺湖の水利権を巡り争いが起きました。 ある晩赤城の仁王が水を盗みに行き、二荒山の仁王と水掛戦争となり、飛び散った中禅寺湖の水で大沼と小沼ができました。

 その後も戦いは続き、ついに日光側は「大蛇」に・赤城側は「大百足」に姿を変え大戦争となりました。(今回の話は日光編なので、自国が大蛇となっている)  やがて、足尾が日光軍に・小川(片品)が赤城軍に加わり、戦場ヶ原で戦闘が繰り広げられ..

YAMADA

群馬での暮らし:沼田湖の主

Kurihara_tone2

《グンマを話そう》

○沼田湖の主
 ある昔、沼田は赤城山・子持山・武尊山に囲まれた大きな湖でした。 ある時、都の役人「鳥臣」が上野国に来て、戸河の滝を広げて干拓しこの湖に田畑を開こうとしました。 しかし湖に住む「蛟(みずち)」が暴れたので、日本武尊と諏訪の神様の力を借り、ついには「みずち」を三峯山の大沼に追いやりました。 

Numata25

YAMADA

群馬での暮らし:六合村湯本家

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《グンマを話そう》
 湯本家は鎌倉時代から続く村医者でした。 ある日、日影村への往診の帰り道、夜も更け井出橋にさしかかったところ乗っていた馬が何かにおびえて動かなくなりました。 「カッパにちがいない!」と見当をつけて振り下ろした刀が、カッパの手を切り落としました。
 夜も更けたころ、「トントン、お医者様、お頼み申します」と誰かが訪ねてきました。 そう、カッパです。 「もう悪いことはいたしません。 どうぞ手を返してください。」とカッパが泣きながら言うのを見て、医者はふびんに思..

YAMADA

群馬での暮らし:稲含の神

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《グンマを話そう》
稲含の神
 ある昔、姉妹であった「稲含山・榛名山・一ノ宮」の三神は住むところを決めました。 稲含の神は最も高い稲含山、春名の神は眺めの良い榛名山、一ノ宮野上は両方の山に挟まれた一ノ宮にしました。 稲含には大小の沼があり、榛名にはサルオガセがあります。 やがて、稲含の神はサルオガセが欲しくなり・榛名の神は沼が欲しくなったのでお互いに交換することになりました。

  しかし、榛名の神は惜しくなり山麓のサルオガセしか渡さなかったので、稲含野上と榛名の神は不仲になりまし..

YAMADA

群馬での暮らし:号令

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《ぐんまぐんぐん キャンペーン:いろいろ群馬》

群馬の学校では、
 起立!
 注目!
 礼!
 着席!

※他の県でもあったそうだ。

《グンマを話そう》
○グンマでは整列させるとき、「手をあげて、前の子のチンゲを見ろ!」と言ったそうな。 (チンゲとは「ぼんの窪の毛」のことです)

○チンゲ・トトゲ・トトクイゲ
 後頭部盆の窪の毛を剃らずに残しておく。 こうすると、何かあった時(転んだ・鼻血がでた)に、神様がこの毛を引っ張って助けてくれると言われていた。(七つ坊主・五つ坊主とも言う)

YAMADA

群馬での暮らし:ぶっちめ

Bucchime5

《グンマを話そう》

 小鳥を捕るために笹などで作った罠。 ふるい等をつかって生け捕る「からねこ」というのもある。

YAMADA

群馬での暮らし:片品村

Katashina

《グンマを話そう》
 沼田より片品村へ向かう事を「利根の東入り」、三国峠へむかう事を「利根の西入り」と言う。 今でも、沼田から車で一時間ほどかかるこの地は、山々で囲まれ標高も高く(役場でも813m)、その気候は冬長く・春無く・夏短く・秋短く・年中曇空に覆われ、日本海気候である。そのため住民は時間を惜しんで山稼ぎと養蚕に精を出し働いた。「朝食→茶菓子、昼飯→朝飯、おやつ→昼飯、夕食→夕飯」とさえ言われた。「雪隠よりとま(里)へでろ!」は土地の言葉である。
※片品村には「星野」性..

YAMADA

群馬での暮らし:ハゲ盛り

山田君の世界

《ぐんまぐんぐん キャンペーン:大盛群馬》

【はげ盛チャンピオンシップ in 尾瀬かたしな】
 「かたしなの食・盛上委員会」@片品村むらづくり観光課([電話]0278-58-2112)
※群馬ならではの企画。 群馬では、「大盛こそ最高のサービス」と考える風潮がある。

 《グンマを話そう》
グンマならではの食べ方があります。
「アバケ食い」→むやみにとにかく沢山食べる。
「カタケに食う」→おかずのうち一品だけをやたら食べる
「ホグイ」→ご飯だけ食..


YAMADA

群馬での暮らし:とっこ

Tokko1

《グンマを話そう》

  グンマの正月遊びに「とっこ」があります。

 遊び方は、中央の6枚の絵の上にお菓子など景品をおきます。  子供達は両脇にある小片をはがすと、その小片裏に描いてある絵の所にあるお菓子がもらえます。

※地域によっては「むき」とよんだそうだ。

 

Tokko2

○正月のわらべうた@昭和村
おしょうがつはいいもんだ
ぼろをきててもいいもんだ
あぶらのようなさけのんで
ゆきのようなごごくって
こっぱのようなととせえて
おしょうがつはいいもんだ

○正月のわらべうた@片品村
おんしょうしょうしょう しょうが..


YAMADA

群馬での暮らし:正月料理

Suberihiyu

《グンマを話そう》

 正月料理と言えば、「マメ(青ばち豆)・カズノコ・ヒョウ」だ。 【マメでカズカズ働いてヒョッとしたことのないように】とのことらしい。

 ヒョウはスベリヒユ(滑莧)のことで、ゆでてカラシ醤油で食べる、正月用には干して保存したものをゆで戻して食べたようだ。
※厄病除けとしてスビョー(スベリヒュウ)を戸口にさげる地域もある。
※地域によってはゴンベイともいう。(ゴンベゴンベ酒飲んでよっぱらぇ)

YAMADA

群馬での暮らし:大晦日

Misoka

《グンマを話そう》
○正月様飾り
 干柿・かちぐり・こぶ(喜)・麻・するめ(如何)・ふきのとう(富貴)・さけ・半紙・ほうづき(名声鳴る)・いわし(祝う)・まり(まわる)・だいだい(先祖代々)・ねき(友白髪) など 

正月様こざった
どこまでござった
赤城さままでござった
何にのってござった

※「としとりの晩に早く寝ると白髪になる」とも言われた。


☆橙色
 橙の木、同じ木に親・子・孫と実を結ぶ(実が落ちない)ことから「先祖代々」、その実の色を橙色とよぶようになった。

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群馬での暮らし:前橋ブルース

山田君の世界

《ぐんまぐんぐん キャンペーン:歌歌群馬》

[前橋ブルース]

 関東で県庁都市名が歌名になっているのは、東京・横浜・前橋だけだ。 宇都宮・水戸・浦和・千葉に勝ッタ~! (TV主題歌を除く)

 

Maebashi_uta2

 「前橋市の歌」というのもあることはある。  




《グンマを話そう》
 【落語:「たいらばやし」か「ひらりん」か「いはちじゅうのもくもく」】の源話はグンマ、という説がある。

YAMADA

おきりこみうどん

山田君の世界

おきりこみうどん(おっきりこみうどん)

 しょうゆ味にしてみた。 群馬では、味噌味か多いようだ。


《グンマを話そう》
 煮込みうどんがドロドロになると「どろがし」と言います。

YAMADA

カツフライ

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんキャンペーン》
《ファーストフード・サイドメニュー研究》

○舞茸ごはん(250円)+カツフライ(250円)+そばつゆサービス
 (株式会社ネクスコ東日本リテイル@駒寄PA上り)

 この地では、トンカツにはマヨネーズだ。

Komayosekatsu2


ところで、【カツフライ】 てナンダ?




《グンマを話そう》
 グンマでは、油で揚げたものはすべて「てんぷら」と呼ぶので、「天ぷら・フライ・かりんとう」 など表現上の区別はできない。

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群馬での暮らし:碓氷峠

Karuta_usui

《グンマを話そう》
 1030年ある日、生まれ故郷の碓氷に里帰りした碓氷定光は、碓氷峠に住む毒蛇退治をすることとなりました。 定光が碓氷峠をめざして上っていくと、空がにわかに暗くなり・風が吹き・林がゆれ・雲がわきおこりました。 そして、金色の眼。赤い二筋の舌・白金色の鱗をもつ大蛇が襲いかかってきました。 定光は太刀を振りかざして戦い、明るくなった天空から現れた観音様から渡された鎌を持ち、毒蛇を退治しました。
 こうして、碓氷峠に「降魔の宝鎌」を祭り、お守りとしていた観音様を..

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群馬での暮らし:ちゃんころりん石

Annaka_daisenji

《グンマを話そう》

○ちゃんころりん石(大泉寺@安中市)
 ある昔、安中の町を真夜中に「ちゃんころりん、ちゃんころりん」と鳴りながら転がり歩く物があった。 町人は怖がり、どこの家もさっさと戸を閉めて早寝してしまった。 そんななか、怖い物見たさの目撃者が現れた。「おっきな石が転がりながら大泉寺のなかへ入っていったぞ」

 そこで町の力自慢が集まって化け物退治となり、転がってきたおっきな石を打ちすえ・切りつけたが、「ちゃんころりん」はいつものとおり大泉寺の中に入っていった。  翌朝、寺を..

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群馬での暮らし:弘法の井戸・鰻橋

Unagibashi

《グンマを話そう》
 ある昔、弘法という坊さんが堀を見ると、いつもは静かに澄んでいる水が、今日は黒く濁って激しく波立てていた。 「これでは渡れないなあ」と困っていると、おっきなウナギが現れて言った。 「私はここに住んでいるうなぎです。 橋の代わりになりますから背中を渡ってください」 そこで、坊さんは丸太のように浮いた背中を渡って、向こう岸に着いた。 信心深い坊さんは、「これも仏様のおかげじゃ。この堀に水が絶えることのないように井戸をほってやろう」。 そして、持ってい杖で地..

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群馬での暮らし:鉢の木

Jouyo

《グンマを話そう》
○常世神社(高崎市佐野町)
 七百年前、雪の中旅の僧が宿を求め、やっとのことで一軒の家に泊まることができました。 その家では貧しいながらも泡粥を出し、鉢に植わった梅・松・桜の枝を囲炉裏にくべて暖をとらせました。 僧は家に馬がいて鎧兜があるのを不思議に思いたずねると、「落ちぶれてはいるが佐野源左衛門常世、いざ鎌倉とうときにははせ参る」 と答えました。
 やがて春になると鎌倉から召集がかかりました。 関東中から集まった武士の中で一番身なりが粗末なのが常世でし..

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群馬での暮らし:おんちょろちょろ

Onchororo

《グンマを話そう》
○おんちょろちょろ
 ある昔、正直じいさんが一人で暮らし、寂しいので毎晩念仏を唱えながら寝ていた。 ある真夜中、カタッと音がしたので目を覚ますと、天井の穴からネズミが顔をのぞかせた。 
「おんちょろちょろ」と言うとネズミはジッとなった。
「おんたちどまってナムアミダブツ」と言うとネズミは穴に戻った。
「穴をくぐつておんナムアミダブツ」 ちょうどその時家に入ろうとしていた泥棒はこれを聞き、見つかったと思い逃げていった。
 おじいさんはネズミが面白くて念仏を唱..

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群馬での暮らし:赤金様・白金様

Akaganeshirogane

《グンマを話そう》
○赤金様・白金様
 ある昔、大久保村に無人のあばら屋があったが、夜になると人の声が聞こえるのでだれも近づかなかった。 ある冬の寒い晩、泊まるところの無かった旅の坊さんがその家に入り、枯枝を集めて囲炉裏で暖をとっていると、奥の方から声が聞こえてきた。
「あかがねさーまよ、しろがねさーまよ」 誰もいないはずの家の中、声は縁の下から聞こえてきた。 坊さんが縁の下を覗くと、瓶の中から金貨・銀貨が世に出たくて叫んでいた。

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群馬での暮らし:仙人嶽の梨の木

Sennindake

《グンマを話そう》
○仙人嶽の梨の木
 ある昔、桐生仙人嶽の麓に塩乃瀬町に母と三人の兄弟が住んでいました。 ところが、お母さんが病気になり、夜も寝ないで看病しましたが重くなるばかりでした。 ある日、三男が桐生宿場に薪を売りに行った帰り、白い衣を着た占師に呼び止められました。

 占師は「お前の孝行に感心した。仙人嶽の頂上にあるナシの木の実を食べさせるがよい。」と言って、小さい弓と矢を置き立ち去りました。 三男はこの話を兄弟に伝えまると、みん困ってしまいました。 仙人嶽には魔物がいて..

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群馬での暮らし:女堀と桜姫

Onmabori

《グンマを話そう》

○女堀と桜姫
 ある昔の戦国時代、桜姫を大将とする軍勢が攻め入り東村に住み着いた。 桜姫は荒れ果てた野山を見て、田畑を耕し農作物を収穫しようと企てた。 それには水が要ると探したが、水源は何処にもなかった。 ならば、利根川から水を引こうと考えた。 桜姫は幾千という女軍勢を集めて簪で地を掘り起こし水路を築いたが、赤城の裾野はあまりにもなだらかで水が流れることはなかった。 それでも桜姫は自国をこの地に定めたいと願い「国定」と名付け、長く自国を治めた。
 今なお前橋から..

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群馬での暮らし:川場の湯

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《グンマを話そう》
○川場の湯
 ある昔、川場湯村は遠い沢まで水を汲みにいかなければならない「水の不便なさびしい村」でした。 そこへ旅の坊さんが疲れ歩いてきました。 一軒の百姓家の前まで来ると、おばあさんに「喉が渇いた、水をめぐんでください。」と頼みました。 おばあさんは『気のどくだがもう水がないのじゃ。 この里には水がないので、沢まで水を汲みに行かねばならぬ。 ちょっと待っててくんろ。」 と遠い沢まで水を汲みに行きました。
 その水をおいしく飲んだ坊さんは、持っていた杖をい..

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群馬での暮らし:百合若大臣

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《グンマを話そう》
○百合若大臣
 ある昔、妙義山の麓に百合若大臣という大男がいた。 有り余る力をもてあました男は、妙義連山にひときわ大きい岩を見て、穴を開けてみたくなった。 幾日か過ぎ、大きな弓と矢を持った男は、左足を下横川の小山沢に・右足を五料の名木にふんばり、妙義山に向けて力一杯矢を放った。 そして岩に穴が開き穴からは星が見えたので、その後「星穴」と呼ばれるようになった。 足を踏ん張った所は窪みとなって残った。

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※百合若大臣話は、復讐譚として日本各地に伝わっている。

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群馬での暮らし:万字峠

Manki

《グンマを話そう》
○万字峠(万騎峠)
 1193年源頼朝が三原野でまき狩りをしたところ、大勢の勢子が集まった。 あまりも勢子の数が多すぎるのを不思議に思った頼朝は、翌日、峠まで来た所で勢子の額に墨で「卍」の印を付けた。 実は、昨日は野伏が紛れ込んでいたのであった。 この印により、野伏達は成敗されてしまった。 この峠が万字峠である。 日が暮れて狩りも終わり、途中の谷川で卍印を落とした一行は本宿へと引き上げた。 頼朝は勢子を見て「きれいになった、素顔になった」と言った。 これが「..

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群馬での暮らし:金の茶がま

Kinnochagama

《グンマを話そう》
○金の茶がま
 ある昔、おじいさんがイタズラタヌキを捕まえ、おばあさんと一緒にかわいがっていた。  貧乏で食べ物もあんまりないので、タヌキと分け合って食べていた。 ある時、タヌキ が恩返しだと言って「金の茶がま」に化けた。
 この金の茶がまを見た和尚がたいそう気 に入り寺にもらっていった。 やがて金色がくすぶってきたので小僧が磨いていると、そ の痛さにもとのタヌキの姿に戻り、おじいさんの家へと逃げ帰った。
 おじいさんとおばあさんは喜こび「こんどは綱渡りして..

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群馬での暮らし:カッパヤナギ

Doai1

《グンマを話そう》
○カッパヤナギ
 ある昔、湯檜曽に阿部彦太郎貞政(後の隼人正)なる番所の役人かいた。 ある日馬を洗いに川へ行き、戻ってみると馬の尻尾に何かがぶら下がっていた。 捕まえようとすると、馬小屋の中を逃げ回った。 カッパだった。
 追いつめて捕らえようとするとカッパが言った。  「お助けください。今まで川で静かに暮らしていたのです。 そこへあなた様が馬をつれ、川を騒がせ・汚したので仕返しに来たのです。」
 これを聞いた隼人正は一理あると、カッパを許してやることにした。..

YAMADA

群馬での暮らし:鏜々が淵

Gunma_tenmon1

《グンマを話そう》

○鏜々が淵(堂々が淵)
 高山村尻高の龍海寺跡・名久田川近くに鏜々が淵があった。 858年春、与五右衛門が藤の花を採ろうと「どうどうが淵」へやってきたが、ふとした拍子に鉈を淵に落としてしまった。 鉈を拾おうと淵に入った与五右衛門は水底深く吸い込まれてしまった。

 気がつくと機織り娘が、酒・さかなを運びご馳走してくれた。 三日三晩を過ごした与五右衛門が村に帰ると、村人はいなくなった与五右衛門のお弔いをしていた。  このことがあってから、与五右衛門はす..

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群馬での暮らし:赤城山

Karuta_akagi

《グンマを話そう》
 赤城山は、標高1828m(黒檜山)・裾野面積は富士山に次ぐ広さだ。  この「あかぎやま」、古代は富士山と高さそしてその美しさを競いあっていた。  しかしながら「赤城山の神」と「二荒山の神」が大蛇と大百足に変身して戦った際に上半分を蹴散らかされ、今のギザギザ山になった。 という伝説は………ない

YAMADA

群馬での暮らし:雷

Karuta_kaminari

《グンマを話そう》

 【木部殿領分桑原桑原】と唱えれば決して雷が落ちない、という言い伝えがある。

※「桑ばら」とは、桑畑の意でもあった。

☆「くわばらくわばら」と唱えるのは、菅原道真の領地桑原だけには雷が落ちなかった名との説もある。

☆一生懸命
 時は鎌倉・室町時代の武士「何としてもこの一所(領地)だけは守らねばならぬ」、命がけで守るので一所懸命の地、略して「一所懸命」。 時がたち・領地を守ることもなくなり、「一生懸命」となった。

YAMADA

群馬での暮らし:猫踊り

Neko_ongaeshi

《グンマを話そう》
○猫踊り
 ある昔、沼田市岩本村では夜遅くなると、屋外に干しておいた手ぬぐいがなくなり・飼い猫がいなくなりました。 不思議に思って猫の後をつけてみると、猫たちが手ぬぐいをかぶって踊っていました。
「おまぇおそいニャン」
「わるいニャー、夕飯の団子汁が熱くてなかなか食えなかったニャン」
※ほかにも「ねこのおんがえし」など猫が集まって踊る民話が数多くある。(大きな藁ムシロを"ねこ"と呼ぶのも関係しているかもしれない)
※猫の話が多いのは、養蚕のネズミ除けとして猫を..

YAMADA

群馬での暮らし:竜の穴

Kawaba3

《グンマを話そう》

○川場村:竜の穴
 ある昔、川場村七子坂の道脇(現:門前~大倉の坂)に大きな穴がありました。  赤城大沼につながっていると言われ、竜が行き来していたそうです。 また、この穴に向かって大声を出すと、門前中の人々に聞こえたそうです。

YAMADA

群馬での暮らし:長年寺・木部姫の井戸

Karuta_haruna

《グンマを話そう》
○長年寺・木部姫の井戸
 榛名町・下室田に長歳寺があり、そこには榛名湖に通じていると言われる古井戸があります。 ある昔、この寺に大勢の人々を集めて寺ぶるまいをしてご馳走することになりました。 しかし、お膳やお椀が足りなくて困っていました。

 この長年寺には、ある寂しい雨の夜一人の女がやってきたことがありました。 それは榛名湖に身を沈めた木部姫が長い苦しみ・悲しみから助けを求めて来たのでした。 住職は木部姫の願いをかなえてやり、木部姫は「お礼に、この寺を守..

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群馬での暮らし:錦野伝説(玉村伝説)

Manpukuji

《グンマを話そう》
○錦野伝説(玉村伝説)
 千年ほど前上野の土豪たちは、平将門の攻めから逃れようと、沼田の庄(現玉村町芝根)の地頭の娘を差し出すことにしました。 しかしながらこの娘には、許婚がいました。 親子ともども悩んだあげく、娘は錦野(現玉村)にいる許婚のもとへと走りました。 ところが、矢川まで逃げた所で追い詰められ川に身を投げてしまいました。 このことを知った許婚はたいへん嘆き悲しみ、後を追ってこの矢川に身を投げてしまいました。 その後この二人は竜となり、それぞれに玉を抱..

YAMADA

群馬での暮らし:袈裟丸山

Kesamaru25

《グンマを話そう》

○袈裟丸山
 ある昔、弘法大師が利根村に立ち寄りその景色が気に入り、お寺を建立して霊場としました。 ところが霊場とするには千の谷が必要ですが、どう数えても九百九十九谷しかありません。 天狗が一谷隠してしまったのです。 これにがっかりした弘法大師は、袈裟を脱ぐと丸めて谷底へ投げ入れました。 これが袈裟丸山です。

○袈裟丸山
 百万年ほど前の火山、長い年月の間に浸食され、前袈裟・後袈裟・中袈裟・奥袈裟・法師岳などギザギサな袈裟丸連峰となった。

YAMADA

群馬での暮らし:虚空蔵様

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《グンマを話そう》

 川場村虚空蔵山には虚空蔵様が祭られ、その社のそばに小さな池があります。 この池は どんなに日照りが続いても、決して枯れることがありませんでした。 「この池の底は赤城大沼とつながっている」と言われています。

YAMADA

群馬での暮らし:おくまん様

Karuta_numata

《グンマを話そう》
○おくまん様
 沼田熊野神社の近くににある大きな岩には、熊がひっかいたような跡があります。 昔、熊が持ってきた岩なので、おくまん様(熊野神社)とも言われています。

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YAMADA

群馬での暮らし:奇応丸

Rekishi_kusuri2

《グンマを話そう》
○奇応丸
 ある昔、身なりの貧しい坊さんが一夜の宿を求めて利根村根利(小出屋峠を越え降りたところに根利の宿があった)へやって来た。 どこの家でも泊めてくれなかったが、小林家では気持ちよく泊めてくれた。 これに感謝した坊さんは、ある薬の製造方法を教えて立ち去った。
 これが「奇応丸」であり、小林家は日本三大奇応丸と言われた薬屋となった。  しかし、利根村は1946年以来の大水によりほとんどの家屋や寺を流出した。 また小林家は旅館として続いていたが、2001年焼失..

YAMADA

群馬での暮らし:矢場川の薬師様

Yabagawa

《グンマを話そう》
○矢場川の薬師様
 ある昔、矢場川村の薬師山には薬師様を祭ってあった。 ある晩、泥棒が盗んだ物を背中にしょい薬師山を通り抜けて逃げようとしたが、同じ道をグルグル回るばかりで山から出ることができなかった。 やがて泥棒は薬師様に気づき、薬師様の目を見えないようにして逃げ去った。
 目が見えなくなった薬師様は、毎夜矢場川の水で目を洗いつつけると、やがて目が見えるようになった。 
 こうして、「目洗い薬師」と呼ばれ、目の悪い人がお参りするようになった。

YAMADA

群馬での暮らし: 片品村の穴観音

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《グンマを話そう》

○片品村の穴観音
 1798年越後東福寺和尚が金の如来観音を背負い片品村にやってきました。 「上野国針山の岩屋の前に祭りなさい」とのお告げがあったそうです。 この話を聞いた村人たちは喜んで、岩屋の前にお堂を建て観音様を祭りました。
 ある時、村人が「この岩穴は越後に通じているかもしれない」と、ニワトリを穴に放ちました。 すると、数日後に越後の蔵王堂の裏岩穴から出てきたそうです。

YAMADA

2013-10-25

Higirijizou

《グンマを話そう》
○日限地蔵様
 ある昔、桐生安楽土に繻子の機屋があり、毎日朝早くから夜遅くまで娘達が機を織っていた。 そしてある晩から窓の外に坊さんが現れるようになった。 娘達がこわがるので、機屋の主人は火縄銃を撃った。 翌朝、血の跡を辿ると観音院まで続き、そこには肩に玉跡のある地蔵様が立っていた。 
 その夜、主人の夢枕に地蔵様が現れた。「毎夜みんなの家内安全を祈って訪ねていた。我は野天立っているのでお堂を建てて欲しい。そうすれば願いごとを望む日までにかなえよう。」
 こ..

YAMADA

群馬での暮らし:長手の幽霊

Nagate

《グンマを話そう》
○長手の幽霊
 ある昔、長手の溜池に幽霊が出るとの噂が広まり、強者どもが正体を見届けようと出かたが皆逃げ帰ってしまった。 村はずれにおっかさんと住んでいた天真爛漫男が「捕まえておっかさんにみせてやるべぇ」と溜池へ出かけていった。
 はたして真夜中過ぎ、さざ波をたて振り髪姿の娘が現れた。 男が娘を連れて帰ろうとするとイヤがる娘は、「私は小判です。新田義貞の家来がヨシの根本に千両箱を埋めた後討ち死にしました。この三千両は世の中に出て使って欲しいのです。」と言いま..

YAMADA

群馬での暮らし:百姓のいない村

Nanushi

《グンマを話そう》

○瀧の慈眼寺・百姓のいない村
 旧瀧村は一軒家で名主家族のみ、一人の百姓もいませんでした。  それは、武田氏に従っていた江原河内佐藤原重安が討ち死にした後、上州に移り住んだ重安の子・江原源左衛門が「天狗岩用水工事」に功績があったとして三町四反一畝二十二歩・二十九石七斗の土地を与えられ、江原家は一村一軒代々名主をつとめることとなったのです。

YAMADA

群馬での暮らし:指太郎

Yubitaro

《グンマを話そう》
○指太郎
 ある昔、おじいさんとおばあさんがおった。 子供がいなかったので神様にお願いすると、おばあさんの親指がふくらんで子供が生まれた。 指から生まれたので「指太郎」と名付け大事に育てが、いつまでたっても指ほどの身丈だった。
 ある日、馬の耳の中に入った指太郎は、馬を操って薪を売りに出かけた。 帰り道泥棒につかまりやっと逃げ出したと思ったら、狼に飲み込みれてしまった。 指太郎は狼の腹の中から「ご馳走のある所を教える」と言って狼を操りおじいさんとおばあさん..

YAMADA

群馬での暮らし:女神の足跡

Komochi1jpg

《グンマを話そう》
○女神の足跡
 かつて子持村・子持神社では、ある時社殿が火事になりご神体に累が及ぶとみるや、忽ち美しき女神と化した祭神が乳兒をしかと抱きしめ社外へ舞い、沓ぬぎ石に足跡を残したと伝えられています。
 現在は「兒持山若かへるでのもみづまで寝もと吾は思う汝はあどか思う」なる万葉歌の石碑が建てられています。
 グンマには足跡に関する言い伝えが多くあります。  渋川・早尾神社の足跡、榛名・白岩観音の手跡、松井田の百合若大臣の足跡、前橋深山・天狗の足跡、(前橋下小出の..

YAMADA

群馬での暮らし:熊汁

Kumajiru

 グンマでは「二足四足は食べない」と言う人もいるぐらい、獣肉を食べない習慣があった。 実際のところは、鹿や熊はいたが簡単に捕らえられるわけではなく、せいぜい兎程度だったと思われる。 また、卵は食べたが、鶏肉は食べなかったようだ。 鶏を祭った庚申様もあるぐらいだから、食べるのを嫌がった感もある。
※グンマ人気質として「自分で飼った家畜は、可哀想で食べられない」というのがあるようだ。
※ケイヤク(村寄合)により、鶏・犬の放し飼いを禁じたり・飼育数を制限していた地域もあったそうだ。
※鶏..

YAMADA

群馬での暮らし:板東太郎の伊勢参り

Bando_souri

《グンマを話そう》
○板東太郎の伊勢参り
 ある昔、東村沢入りから板東太郎がお伊勢参りへ出かけた。 お参りも終わり宿を出ようとすると財布が無いのに気づいた。 困り果てた太郎は宿屋の主人に「何かの用事で上州にきたら沢入りによって下さい、お支払いします」と頼み込んで帰った。
 何年か後、宿屋の主人が上州に来ることがあり、沢入に太郎を尋ねた。 しかしながら、板東太郎を知る村人は居なかった。 主人は仕方なく渡瀬川の中にある板東太郎と言う岩を見に行った。 はたして岩の上には、宿に泊まった時太..

YAMADA

群馬での暮らし:田かき地蔵

Takakijizou

《グンマを話そう》
○田かき地蔵
 ある昔、小泉に働き者のおじいさんとおばあさんがおった。 寄る年波には勝てず「田かきがつらくなったのぉ 子供がおったら手伝ってくれたじゃろぅ」と話していると、あぜ道の向こうから見たことのない子供がやって来て手伝ってくれた。
  仕事も終わり子供を家に連れて帰り、ご馳走するよと言うと子供は「煮たてのあずき飯が一番好きだ」と言った。 おばあさんがあずき飯を作っていると子供は「川で手足を洗ってくる」と出ていったきり戻ってこなかった。  心配したおじい..

YAMADA

群馬での暮らし:おびんずるさま

Ohinzurusama

《グンマを話そう》
○おびんずるさま
 ある昔の鷺の宮、村人が小さな石の橋を通るたびに馬から落ちたり・転んだりしとけがが絶えなかった。 そこで村人が石橋の裏側を見ると、何かの彫物があり、泥を落としてよく見ると仏様のようであった。 そこで村人は、仏様をきれいにみがき・橋のたもとに祭り・通るたびに手を合わせて拝んだ。
 それ以来けがをする人はいなくなった。  やがて白頭長眉の像から「おびんずるとま」と呼ばれ、病気を治す仏様として伝えられるようになった。


○おびんずるさま・安中市鷺..

YAMADA

群馬での暮らし:龍の鱗

Zendouji

《グンマを話そう》

○龍の鱗
 吾妻町・善導寺の円光上人(道阿上人の説もある)の母(娘の説もある)が榛名湖に身を投げ龍(大蛇の説もある)になった伝説があり、その「龍の鱗」が残されている。

○大蛇になった寺のばあさん
 ある昔、寺の婆さんがあまりにも「榛名湖へ連れて行け」というので、家の者が榛名湖の畔へと連れて行った。 すると榛名湖の中から大蛇が現れ、おばあさんが湖に飛び込むと大蛇と一体になり湖底へと消えてしまった。  それからというもの、毎年5月25日の命日には、赤飯を重箱に入れ..

YAMADA

小豆かゆ

Azukimeshi

 お正月十五日や冬至などには「小豆がゆ・小豆飯」を食べる。 穴っぷさげには「砂糖入り小豆がゆ」を食べる。(力仕事を伴う祝い事でたべることもある)
 

 グンマの民話には、この「小豆飯」が多く語られている。

※「小豆の九十九味、米の一味」とも言われている。


《グンマを話そう》

○あとかくしの雪
 村はずれの婆さんの家へ、みすぼらしい旅人が宿を求めた。 家には食べるものが無いので、旅人が袋から小豆三粒と糯米三粒出して鍋に入れると、小豆と米でいっぱいになり小豆がゆができた。 こんどはおかずが欲..

YAMADA

群馬での暮らし:化粧薬師

Kesyouyakushi

《グンマを話そう》

○化粧薬師(元総社)
 ある昔、蝦夷が攻め込んできた時、上毛野君の祖・荒田別王の第二子・田道の霊が大蛇になり撃退した。 しかしながらその後、大蛇は風呂沼に住み着き、村中を荒らし回った。 これに困った村人は若い娘を人身御供とした。 村が静かになると、娘を薬師様をお祀りした。
 ただ「この薬師堂の前を花嫁が通ると離縁になる」と今なお伝えられている。

YAMADA

群馬での暮らし:夢見小僧

Hatsuyume

○夢見小僧
《グンマを話そう》
 ある正月夢見の晩、大きな庄屋で主人が奉公人から縁起の良い夢話を買っていたが、風呂たき番の男だけはどうしても言わなかった。 これに怒った主人は男を箱に入れ川に流してしまった。 岩にぶつかり壊れた箱からはい出した男はカッパに出会った。 男はカッパから水の上を歩ける「川足袋」を借りて遊んだあげく「生き針死に針」をまきあげた。

 

 男が歩いていくと一人娘が死んで悲しんでいる大臣の家に出くわし、無理矢理上がり込むと娘に「生き針」を刺した。 生き返った娘を見た..

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群馬での暮らし:蔵金

Zoukin

《グンマを話そう》
○ぞうきん
 ある昔の大晦日、えらいお大尽では年越しの準備も終わり、奉公人の娘がしまい湯をもらう時には12時をまわっていた。 娘は拭き掃除をしながら「ぞうきんがボロボロになってしまった、正月から新しくしよう」と思いながら、気づかずにバケツの水と一緒に外へぶちゃった。
 あけて正月、門松に引っかかったぞうきんを見つけた主人は烈火のごとく怒り狂った。 それを見たおかみさんが「ぞうきんは文字で書けば蔵に金、そして福(拭)の守。まことに縁起がよい、みんなにお年玉をは..

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野反湖

山田君の世界

《群馬デスティネーションキャンペーン B級版》

山岳湖には珍しく周囲が草原で広々している。

 

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 途中にある品木ダムは、他のダムと異なり日本屈指の酸性河川であった吾妻川の水質改善・河水の中性化を最大の目的としている。


○グンマを話そう:野反湖の弁財天
 入山村・細野御殿介なる者、猟にて野反湖畔に来して美しき女「この湖の主なり、弁財天に祀られよ」とて、湖畔に祠を建立した。

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榛名湖

山田君の世界

  



 

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《グンマを話そう》

○赤城赤鬼対榛名青鬼
 赤城の赤鬼と榛名の青鬼が、一夜でどちらが大きな山を造れるか競争しました。 両者譲らず山を造り続け、青鬼が最後の土を運ぶ途中で夜が明けてしまい、赤鬼が勝ちました。 負けた青鬼は、最後の土を投げ出しそれが「モッコ山(水沢山)」となりました。

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榛名湖

山田君の世界

《グンマを話そう》
 ある昔、木部村の豪族だった木部氏の妻・木部姫(長野姫)が、夫君の活路を開かんと榛名湖に身を投げ、侍女達もそれに続き湖底のカニとなり姫を守ることとなった。   しかしながら木部氏は妻を忘れることができず、榛名湖に出向いて妻の名を呼んだ。 湖底から現れた妻は、「私はこの湖の主です。理由あってあなたの妻となりましたが、湖に戻るときがきたのです。」と言うと大蛇となり再び湖底に姿を消した。(龍という説もある)

※榛名湖の主は十尺もある緋鯉だとの伝説もある。
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