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中山道

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○中山道・まちあるき
 さいたま市浦和区

中山道 について

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旧浦和宿本陣表門

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○旧浦和宿本陣表門・大熊家表門
 さいたま市緑区大間木202

 江戸時代終り頃。 薬医門・切妻造・桟瓦葺・桁行2.750m・梁間1.790m。 元中山道浦和宿本陣星野家の表門・唯一の本陣遺構、明治初年現在地に移転。

本陣 について

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○旧浦和宿本陣表門(大熊家表門)
 さいたま市浦和区仲町2-6、仲町公園・明治天皇行在所跡
 浦和宿本陣星野権兵衛家の表門、明治初期大間木へ移設。

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☆浦和宿
 本陣一(星野権兵衛家)・脇本陣二・旅籠十五。
 本陣表門、..

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鴻沼 メモ

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鴻沼資料館(こうぬま・高沼)
 (さいたま市桜区西堀4-1-4、9:00~12:00、月木休)

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☆鴻沼
 江戸時代に、現在の下落合から鹿手袋にかけてあった南北に細長い沼で、沼の周辺17ヶ村の農業用の溜井として利用されていました。 その後、江戸時代中頃の享保年間に井沢弥惣兵衛為永によって、沼の中央部に排水路が開削され、同時に北袋の見沼代用水西縁から引水し、今までの鴻沼の水の代わりの用水として「鴻沼用水」という名称で、以降270年にわたる長い間近隣の水田を潤すことになりました。   ..

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二七の市

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○二七の市
 浦和宿二・七市場跡 付市場定杭
 さいたま市浦和区常盤1-5-19・慈恵稲荷社

浦和宿 について

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○慈恵稲荷神社・成就院持
※浦和宿は上町・仲町・下町に分かれており、「上のお稲荷さん」とよばれていた。
※成就院は玉蔵院の末寺、明治四年廃寺、平成二年復興された。

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 中山道に面した慈恵稲荷神社の社頭に「市神様」と「市場定杭」が建てられています。ここは、浦和宿で市(いち)が開催された場所です。浦和の市は、毎月2と7の日に開かれており、月6回行われていました。始まり..

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氷川神社

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上尾二ツ宮 氷川神社
 上尾市二ツ宮866、048-773-5057

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○氷川神社・遍照院持
 中世の創建、鎌倉街道を隔てて「男体社」と「女体社」があった。 明治初年神仏分離により二つの氷川神社となる、明治四十二年女体社・氷川神社が上尾宿鍬神社に合祀され、男体社・氷川神社だけが残った。

※かつては、境内に湧水池があり雨乞いが行われた。

※「男体社」と「女体社」二つの社があったので、二ッ宮。

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 本殿彫刻は、江戸末期の作と推定される。

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浦和・旧中山道

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さいたま市浦和区

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中山道 について

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○浦和一女発祥の地
 埼玉縣高等女學校・埼玉縣女子師範學校(鳳翔閣)

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中山道桶川宿 (2)

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中山道桶川宿・まちあるき

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武村旅館・桶川市南1-8-8
 江戸(1830-1867/1868-1911改造)、木造2階建、瓦葺、建築面積102㎡

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島村家住宅土蔵・桶川市寿2-1-4
 江戸(1836)、土蔵造3階建、瓦葺、建築面積71㎡

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レンガ蔵

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中山道桶川宿 (1)

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中山道桶川宿・まちあるき

本陣 について

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桶川宿本陣遺構・桶川市寿2-2-4

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小林家住宅主屋・桶川市寿1-14-11
 江戸(1830-1867)、木造2階建、瓦葺、建築面積104㎡

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矢部家住宅・桶川市寿2-1-10

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江戸の八百屋

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江戸の米屋

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※米屋の鶏は、地面に落ちた穀物を拾わせる・俵に付いた虫を捕らせるため。 夜は逃げないように棚の上に寝せる。

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○八百屋・1890年

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○水菓子屋・1890年


☆大八車
 八百屋・呉服屋・酒屋などは大八車を引いてまわった。 坂の多い地域には、坂の下に後押しを仕事にする者もいたらしい。

☆大八車
 八人分の仕事をする車とも、大八がつくった車、ともいわれる。

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☆八百長
 八百屋の長さんが、関取「伊勢の海」と碁を打つときにいつもわざ..

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戸田市立郷土博物館

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戸田市立郷土博物館(戸田市大字新曽1707)

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木曾街道六十九次 木曾街道・蕨之駅・戸田川渡

Toda06伊香保志・戸田橋

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○戸田橋
 明治六年東京の堀・天野両人が埼玉県庁に戸田橋架設を出願、同時に東京の市川代次郎も吊橋を出願。 明治七年堀・天野両人による木橋認可されるも、自己都合により長野士族正木誓・東京小池新兵衛らに権利譲渡。 
 明治八年五月二十日戸田橋完成するも、費用がかさみすぎたため通行賃を徴収することとなった。
 明治十七年上野~高崎間鉄道開通により徴収橋銭..

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五料の茶屋本陣

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五料の茶屋本陣(中山道松井田宿)

本陣 について

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☆五料の茶屋本陣(中山道松井田宿)
 「お東」と「お西」と称し東西に二軒あり、村名主の中島本家と分家が務めた。  宿と宿の間の街道筋に、参勤交代の大名などの昼食・休憩用に茶屋本陣が置かれた。 上野国内は、上富岡(高崎~飯鼻)・五料(安中~松井田)・横川(碓氷関所)・羽根石(坂本宿~碓氷峠)・山中(坂本宿~碓氷峠碓氷関所)、ほとんどが村名主の旧家であった。
※街道の茶屋・大名行列時の宿場では、一度の大勢に対応できない..

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グンマの昔:高崎

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木曽海道六拾九次 高崎
画像番号: C0007234
作者: 歌川広重
時代: 江戸時代

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中山道分間延絵図 熊谷・深谷・本庄・新町・倉賀野
画像番号: E0036055
時代: 江戸時代

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グンマの昔:中山道

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追分

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長久保

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和田峠

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坂本宿

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浅間山

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グンマの昔:旅籠飯

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○一般食
 玉子、菜の汁、芋・蒟蒻・揚豆腐・菜・椎茸の煮物、一膳飯。

@桶川・脇本陣内田喜三郎(升屋平右衛門山片重芳・文化十年仙台下向日記)
朝飯は、菜の汁・きざみするめ・八杯豆腐。
※飯については記載なし。

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○大名食
 若魚子としょうが、いかといんげんのあんかけ、長芋・椎茸・いんげん・あわび・玉子焼、沢庵、飯、里芋の汁、蓮根の木の芽和え、白瓜の酢和えといなご。


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黍飯・粟飯・稗飯


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○中山道妻籠宿
 飯・菜っ葉のみそ汁・八杯とうふ・塩さばの酒がけ・ほうれんそうのごま..

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グンマの昔:街道一覧

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中山道脇往還

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利根郡脇往還

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吾妻郡脇往還

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東上州

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西上州


○日陰道
 渋川~金井~祖母島~箱島~新巻~植栗~岩井~原町~中之条へ、吾妻川の南側を通る道。

☆街道
 古くは海沿いにつくられていたので「海道(東海道など)」。 やがて山越えの道もつくられるようになり、読みはそのままの「街道」とした。

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グンマの昔:関所一覧

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○関所一覧
戸倉関所:会津街道・片品戸倉
湯桧曽番所:原則通行禁止・水上湯桧曽
入山番所:六合村入山
伊香保関所:伊香保 榛名関所:榛名神社内
祖母島関所:渋川市祖母島
大笹関所:原則通行禁止(毛無峠道もあった)・嬬恋大笹
 ※非常時は「くさび」をはずすと橋が吾妻川に落下する仕組だった。(刎橋)
狩宿関所:長野原応桑
大戸関所:吾妻大笹
本宿関所:信州街道(中山道脇往還)・下仁田町本宿
藤井関所:女街道(西牧関所)・下仁田町藤井
砥沢関所:中山道脇往還(南牧関所)・南牧村砥沢
白..

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グンマの昔:五料

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○五料の茶屋本陣(中山道松井田宿)
 「お東」と「お西」と称し東西に二軒あり、村名主の中島本家と分家が務めた。
 宿と宿の間の街道筋に、参勤交代の大名などの昼食・休憩用に茶屋本陣が置かれた。 上野国内は、上富岡(高崎~飯鼻)・五料(安中~松井田)・横川(碓氷関所)・羽根石(坂本宿~碓氷峠)・山中(坂本宿~碓氷峠碓氷関所)、ほとんどが村名主の旧家であった。
※街道の茶屋・大名行列時の宿場では、一度の大勢に対応できないので茶漬けの一汁一菜が普通であった。(武士・庶民も中食は茶漬けだ..

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グンマの昔:坂本宿

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○坂本宿
 古くからの交通の要所であり、700年ころには開通されていたとされる。  その後1630年ころ、中山道の宿駅として別の場所に新たな坂本宿が設けられた。(集落の無い碓氷川沿いの台地を町割りしたとされる)
※古代は仲仙道とよんでいたが、1716年以降は中山道と書くようになった。

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グンマの昔:松井田宿

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○松井田宿
 室町時代に松井田城が築かれ、碓氷峠を扼する要衝であった。  1603年五街道の一つとして中山道が制定され松井田に宿場町が開かれたが、宿場町として整ったのは1700年頃とされる。

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大笹関所

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○大笹宿
 信州街道(中山道~万騎峠~鎌原~大笹~鳥居峠~須坂~善光寺)の本陣があったとされ、碓氷峠の裏街道でもあった。
※毛無峠越えは、大笹関所ができてから閉鎖された。

○大笹関所
 どの関所にも女人道(抜け道)があった。 また門を閉じても穴をあけておく「犬くぐり」なるものもあり、これは犬専用なのでここをとおるのものはすべて犬とみなされた。
 大笹関所の抜け道の分かれ道には「揚雲雀見聞てここに休ふて右を佛の道としるべし」と彫られた石碑があった。

○大笹関所跡
 寛文二年徳川家綱..

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グンマの昔:新町宿

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中山道新町宿

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中山道新町宿

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高崎の地名 (2)

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○高崎市町名由来

○あら町:和田城時代、金井宿・馬上宿に次いでできたので新町。 あら町と本町と田町で三伝馬といわれた。

○引間町:千葉常将が船尾山焼き討ちのさい寺側の僧兵の抵抗にあい、兵を引いたのが引間(引馬)。

○堰代町:熊野神社を挟んで北側は堰方役人屋敷、南側は城代の組屋敷があったので、堰代町。(1973年)

○煙草横町:舘たばこ・光台寺たばこ、を売っていた。

○嘉多町:1774年、本町から片町が独立し嘉多町と改称した。

○歌川町:藤原定家と藤原家隆が「歌の橋」で出会い、互いに歌を詠..

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グンマの昔:坂本宿

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○坂本宿
 古くからの交通の要所であり、700年ころには開通されていたとされる。  その後1630年ころ、中山道の宿駅として別の場所に新たな坂本宿が設けられた。(集落の無い碓氷川沿いの台地を町割りしたとされる)
※古代は仲仙道とよんでいたが、1716年以降は中山道と書くようになった。

宿 について

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 東山道は和銅年間~宝亀五年までは碓氷廻りだったが、1603年中仙道の建設が始まった。 碓氷峠を越えるには下記街道があった。
○吾妻街道(上代東山道):萩生峠越え、日本武尊..

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グンマの昔:松井田宿

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○松井田宿
 室町時代に松井田城が築かれ、碓氷峠を扼する要衝であった。  1603年五街道の一つとして中山道が制定され松井田に宿場町が開かれたが、宿場町として整ったのは1700年頃とされる。


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グンマの昔:板鼻宿

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○板鼻宿
 古くは若田郷藺田鼻、1604年中山道改修を機に北稜から移した。 旅籠数五十四軒は街道随一。 1845年上番と下番に分けられたのが災いし争いが絶えなかったとされる。
※群馬県唯一の現存する一里塚が、「藤岡の一里塚」。
※板鼻で悪事を尽くしていた伊勢三郎義盛が、源義経に会い改心したともいわれる。(松井田ともいわれる)
※達磨寺・糸操り灯籠人形、などある。

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グンマの昔:高崎宿

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○高崎宿
 中山道で最も繁華な宿場町であり、越後と富岡の分岐となる交通の要地であった。  中世和田氏時代は「和田宿」ともよばれ、以降城下町・市場町・宿場町として繁栄した。
※本陣・脇本陣がないのは、諸大名が城下町での宿泊を敬遠したらしい。
※高崎の古名は「赤坂の荘」。
※高崎城主安藤重長に預けられ幽閉された徳川忠長が葬られたのが「大信寺」。

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○中山道(木曽街道)略図

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グンマの昔:十石峠

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○十石峠
 かつては、信州大日向へ馬子が荷(下駄など)を運び、帰りは米・酒・わら・草鞋などを持ち帰った。 小諸へ行く馬子衆は帰りに十石の米を上野村白井まで持ち帰ったので、「十石街道」・「十石峠」と呼ばれるようになった。 帰り荷は、白井の市場でトリヒキされた。 
※細い崖道で馬もろとも谷間におちてしまうのが「やきゅう沢」、供養の馬頭観音石碑も多い。

○十石街道(じっこく)
 中山道新町から藤岡・鬼石・万場を経て神流川沿いを遡り、十石峠を越え信州南佐久へ至る街道、十石峠道・山中道とも..

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グンマの昔:アプト式草津鉄道

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○幻のアプト式草津鉄道
 1963年碓氷新線開通にともないアプト式が廃止され設備が撤去された。 そこでこれらを再利用して、羽根尾~草津(全長9.8km)にアプト式鉄道を敷設しようと草津鉄道株式会社が発足した。 このため現地では、軌条・ラックレール・サードレールなどは再利用を考え丁寧に撤去された。
 これに対する国鉄高崎局の回答は「ダメ!」。 すべてが終わった…

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○幻の中山道線
 1871年、東海道線に先立ち中山道線が立案され、まず東京~高崎間が計画された。 その理由は、..

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引札:駱駝之図

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○駱駝之図
 1821年ペルシャより2頭のラクダが長崎にやってきた。 東へと見世物興行を続け、1824年西両国広小路でラクダの見世物がおこなわれた。 「物の大にして鈍なるを駱駝という」とまで言われ、駱駝本・錦絵・玩具・狂歌・駱駝炭など大評判となったそうだ。

☆文化七年中山道伏見宿に駱駝現る。

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象の見世物


☆動物見世物ベスト10
 象・駱駝・虎(豹)・海獣(海豹・あしか)・火食鳥(駝鳥)・孔雀・珍魚(赤鯉・マンボウ・大烏賊など)・猫と鼠の曲芸・猿芝居・山雀の芸

☆あだ名としての..

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例弊使街道・中仙道

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○分け去りの辻
 左:例弊使街道、右:中仙道

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○見通し灯籠(常夜灯)
 1815年頃旅人の目印としてたてられた。 その後1978年復元された。

  「燈の光にさすか行きかえの ひとよ夜な夜な迷はすもがな」・「燈にそむかざりせぱ闇路にも まよいはせまじ行くも帰るも」とうたわれた。

○常夜灯(倉賀野)
 五料の里・高橋光賢が私財を投げうち・寄進をあおいで建立したとされる。

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○倉賀野常夜灯
 高崎市倉賀野町


☆例幣使街道の常夜灯及び道しるべ
 例幣使街道とは..

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碓氷鉄道馬車

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 明治21年、横川~軽井沢間に碓氷馬車鉄道株式会社が開業。

 横川駅~軽井沢駅間10kmは鉄道が途切れているので、ここに馬車鉄道を敷けば儲かるとの目論見があり、期間四年限定で無理やり許可をとった。 当初は確かに儲かったが、やがて計画通り横川~軽井沢に日本鉄道が通り馬車鉄道は廃止された。 皮肉にも、鉄道の建設資材は「碓氷馬車鉄道」により運ばれていた。

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○碓氷鉄道
 明治18年10月「中山道鉄道」が横川まで開通、軽井沢まで延長計画あり、明治24年3月19日起工、明治26年1月23日..

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群馬での暮らし:加賀千代

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《グンマを話そう》
 加賀千代が江戸へ向かう折り、中山道を通つて岩鼻の鳥川の渡しの所まで来ました。  川越え人足が見ると、体格がよく大女に見え体重もありそうなので、皆遠ざかり誰一人渡してやろうとしません。  すると、彼女は「ひとかかえあれど柳は柳かな」という一句を作って、柳の木の柔らかさと女の優しさを訴えたといいます。  そこで、人夫達はかわいそうに思い、協力して渡してやった。

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村岡牛乳

Muraoka

(WEB 転載)


☆牛乳の蓋
 1930年代の法改正で、牛乳は「王冠栓で密閉」となったが、機械・設備は輸入に頼らざるを得なかった。  これを聞いた役人が「紙栓に掛け紙(パラフィン紙)をかけて輪ゴムで留めれば王冠に見える」と一言、これで決まった。

※ゴム留めは、販売店が留めていたので、めんどくさい・ついたまま戻ってくることがあり工場洗浄能率が落ちるので、後に廃止された。 その後は「マチコ糊付き掛け紙」とよばれた。


Saitama_kadokura○角倉牧場・中山道大宮

Kujirai_kumagaya鯨井牧場・熊..

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参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

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