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草津中和工場

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品木ダム水質管理所@草津町大字草津604-1・0279-88-5677

ダム について

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吾妻川
 草津温泉の湯はpH2の強酸性であり、流れ込む白砂川・吾妻川には魚が棲めず・農業用水にもならず・コンクリートを溶かすため吊り橋しか作れなかった。  1974年、石灰を流し込む中和事業がはじまった。 この課程で中和生成物を沈殿・堆積させるために六合村に「品木ダム」が造られた。

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YAMADA

山本館

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山本館@草津町草津404・0279-88-3244

草津町 について

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○山本館本館(草津温泉)
 第一期1928年増築・第二期1935年増築、木造地上3階地下1階建・鉄板葺・建築面積370㎡。

 大正後半に現玄関部分を建築、昭和になり左右に増築。 この地一帯を六合村の山本家(山本十右衛門)が治めていたので、その中心の意味もあり「山本館本店」としたらしい。

 山本家は、1184年京都粟田口の合戦で敗れ・六合村入山にたどり着いた木曽義仲の家臣山本勢の家系と思われる。

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双体道祖神

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冬住みの里資料館

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冬住みの里資料館(群馬県吾妻郡中之条町小雨540)

※冬季休館、「冬住みの里資料館」も冬住み実施中だ。

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Gunma_fuyuzumi

☆冬住み・草津
 草津温泉は標高1200mの高所にあるため冬が厳しく、通年住むことができなかった。 ただ、先史時代は半穴居型住居だったため一年中住むことができたらしい。
 やがて木造家屋になり冬の寒さに耐えられなくなったので、湯治客のいない冬の間は山を下り六合村(沼尾・小雨・下間・谷所・井堀)に住むようになった。(冬住み:10月8日~4月8日と決められており、数名の保守..

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グンマの昔:山小屋

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○山小屋・六合村入山
 入山では、山小屋に寝泊まりして山仕事をした。

Iriyama97入山学校


《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具..

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グンマの昔:関所一覧

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○関所一覧
戸倉関所:会津街道・片品戸倉
湯桧曽番所:原則通行禁止・水上湯桧曽
入山番所:六合村入山
伊香保関所:伊香保 榛名関所:榛名神社内
祖母島関所:渋川市祖母島
大笹関所:原則通行禁止(毛無峠道もあった)・嬬恋大笹
 ※非常時は「くさび」をはずすと橋が吾妻川に落下する仕組だった。(刎橋)
狩宿関所:長野原応桑
大戸関所:吾妻大笹
本宿関所:信州街道(中山道脇往還)・下仁田町本宿
藤井関所:女街道(西牧関所)・下仁田町藤井
砥沢関所:中山道脇往還(南牧関所)・南牧村砥沢
白..

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グンマの昔:吾妻川中和

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○吾妻川
 草津温泉の湯はpH2の強酸性であり、流れ込む白砂川・吾妻川には魚が棲めず・農業用水にもならず・コンクリートを溶かすため吊り橋しか作れなかった。  1974年、石灰を流し込む中和事業がはじまった。 この課程で中和生成物を沈殿・堆積させるために六合村に「品木ダム」が造られた。

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長野原伝説

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(石梨の木)

○「おきゃくまんま」とは米の飯。 お客専用だった。

○「三杯汁は馬鹿がする」といわれた。

○「女のもつべき穴一つ ささんとすれば毛がもじゃもじゃ つばきをつけてねじりこめ」、は針のこと。

○お供えを射ったら中から白い鳥が飛びだし・その家は貧乏になったので、「お供えを射てはいけない」。

○お熊野様の洞窟に鶏を放したら、鶏は越後へ出たといわれる。

○カッパが法印さんに教えたのが「骨接薬」、女人だけが作れたらしい。

○ダイダラボッチが高くしたのが浅間山・残った一もっこ分の土が小..

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松井田伝説

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○碓氷貞光
 碓氷の荒太郎・荒童子ともよばれ、怪力だった。 これを土産としたのが、碓氷峠の「力餅」。 貞光梨というのもあった。

○十九夜様・十九夜念仏
 お産の神様、三月十九日が祭日だが、農繁期を避け二月十九日に行うことが多い。

○天狗
 目撃情報多数。 谷急山ケゲンが穴・角内山・オヤン沢、など。

○狐
 狐に化かされた人も多数。

○丸目蔵人
 剣客丸目蔵人が、坂本町城山頂上に道場を建てたとされる。

○山賊
 灘の佐太夫なる山賊がいたといわれる。 怪力で殿様の駕籠を一人で担ぎ峠を越えたといわれる..

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グンマの昔:群馬鉄山

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群馬鉄山
 1941年六合村入山で発見された鉄鉱石は群馬鉄山として採掘が計画され、搬出用に渋川~長野原間(44.7km)に鉄道が敷設され、三か月で完成した。 
*当時の戦況下で商工省では地下資源を欲しがっていた。

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 鉄鉱石は空中ケーブルで太子駅に運ばれ貯鉄されたが、採掘量が輸送量を上回り鉄鉱石の山となった。(太子鉱山ともよばれた) さらには、水分・不純物を取除き純度の高い鉱石を送り出そうと、焼結工場か建設された。 この焼結工場の煙突から出た赤黒い煤煙・亜硫酸ガスは、地上を赤く染..

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群馬での暮らし:チャツボミコケ

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○チャツボミコケ(六合村
 群馬鉱山・褐鉄鉱採掘の中心地「穴地獄」では、湧きだした鉱泉が沈殿し褐鉄鉱となるすり鉢状の地形であった。 硫黄泉なので植物が育たなかったが、閉山後ひっそりと緑の絨毯「チャツボミコケ」が広がった。 群馬鉄山閉山のさい、日本鋼管は国からの借地を返すためには現状復帰が条件だったが、その費用があまりにも莫大となりそうなので敷地を国から買い取り休暇村としたため、「チャツボミコケ」は残った。 
※当初は遊園地にする計画もあった。

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群馬での暮らし:花いんげん

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○花インゲン
 1921年、北海道からとりよせたオニマメの種を六合村・田代原に蒔いたが、きれいな朱色の花は咲けども豆はほとんど収穫できなかったので「花いんげん」とよんでいた。   その後、高地での栽培が軌道に乗り、草津温泉土産の一つになった。

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グンマの神々(1)

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 グンマの主な山は、アカギサマ・ハルナサマ・コモッチャマ・ホタカサマ・シラネサマ、などみなタケ山的性格を持っている。  また、井戸などの水資源は共同利用だったので、清浄に保つため数多くの俗信があった。

カッパはグンマ各地でみられた。 嫌われることが多かったが、六合村湯本家にはカッパに教えられた秘伝薬がある。
○グンマの川・池・淵の底には多くの竜宮が存在し、そのほとんどが椀・膳の貸し出しをおこなっていた。
○メカゴ(メッパ)ができたら、井戸の上にふるい(ショウギ・スイノウ)を半..

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グンマの昔:宵の山本・明けの山本

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《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具脱衣池)、女子供を連れての逃避は二つの集団に別れてしまいました。 先行組は大晦日に入山に着..

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道祖神:六合村

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○六合村入山長平

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道祖神:六合村

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○六合村入山和光原

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道祖神:六合村

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○六合村荷着場観音

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道祖神:六合村荷付場

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○六合村荷付場

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道祖神:六合村長平

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○六合村長平

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グンマの昔:ガラン渓谷

Gunma_garandani(WEB 転載)

○ガラン渓谷@六合村
 笹川支流切畑の上流をガラン谷とよび、人跡未踏・千古斧鉞の地であった。 長らく「魔の谷」とよばれ、流域の山に入っても谷に近づく者はいなかった。 ピーコック事件をはじめ遭難が多発した。

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妙全の逆さ杉

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○妙全の逆さ杉(龍澤寺)
 六合村・日影竜沢寺門前に「竜沢寺の大杉・妙全の逆さ杉」がある。 樹齢八百年余、尼僧妙全の杉の杖が逆さのまま根付いたといわれている。

☆グンマでは木が逆さに生える。 たとえば、逆さ杉 ・逆さ桜 ・逆さ梅 ・逆さ柳 ・逆さウツギ、などある。






○逆さ杉(嬬恋村門貝熊野神社)
 弘法大師巡錫のとき、過ぎの枝を逆さにして杖としたものが根付いた。

○逆さ桜(新治村赤谷湖畔)
 上杉謙信が出陣しこの地を通ったとき、馬の鞭に使ったサクラを地にさして、軍勢を占った。 ..





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グンマの昔:平兵衛池

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《グンマを話そう》
○平兵衛池・六合村京塚
 ある昔、平兵衛とチエの親子がおった。 ある夏、二人は西山へワラビとりにでかけたが、「近寄ってはなんねえといわれている沼」に迷い込んでしまった。 チエを捜してした平兵衛き、沼の淵で篭と櫛を見つけ、沼の主にさらわれたと沼の水をせき止めている大岩を外してチエを助けようとした。 すると、「水がなければ、おらも死んじまうに」とチエの声がした。「もう家に帰ることはできない、一年経ったら会いに来てくれや」
 平兵衛は一年経つのを指折り数えて、供..

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松井田の二度陽

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○二度陽・稲村山
 松井田町入山遠入地区は、天正年間奥州信夫の庄から源氏落人として佐藤監物一族が逃げのびてきて、先住民は六合村へ避難したと伝えられる。 
 11月下旬から2月下旬ごろまで、妙義・白雲山から日が昇り、一旦稲村山陰に隠れた後、再び稲村山から現れるそうだ。

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ぐんまわらべうた:じゃおうじ

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○じゃおうじ(ふきのとう)捕り

じゃおうじ権現 水権現
今でじゃ出めえ
出なけりゃ
焼けしむぞ

※じゃおうじを細かくきざんで生味噌と練り、ツケギに塗りつけて焼くと、風の特効薬となった。  また六合村では、じゃおうじ味噌が風邪薬でもあった。

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グンマの昔:冬住み・草津

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 草津温泉は標高1200mの高所にあるため冬が厳しく、通年住むことができなかった。 ただ、先史時代は半穴居型住居だったため一年中住むことができたらしい。

 やがて木造家屋になり冬の寒さに耐えられなくなったので、湯治客のいない冬の間は山を下り六合村(沼尾・小雨・下間・谷所・井堀)に住むようになった。(冬住み:10月8日~4月8日と決められており、数名の保守要員が残った) やがては、1869年の草津大火をきっかけに消えていった。

 実状は、六合村の住人が、夏の間草津で湯治客相手に温泉..

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グンマの昔:案山子神

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○カカシ神
 六合村入山だけにみられ、通常一体でこわい顔が描かれている。 案山子と同じ考えとみられ、鳥や獣が畑を荒らさないようにと作る。 正月がすむと、畑際に持っていくか・翌年まで神棚にかざっておいた。

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○カカシ神(古事記)
 出雲の国で大国主命が国造りをしていると、海の彼方から小さな神様がやってくるのが見えた。 誰だかわからないので久延毘古(クエビコ)に尋ねると「少彦名神(スクナビコナ)」だと教えられた。 クエビコナこそ「山田のソホド(カカシ)」であった。 こうして、大国生命と..

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グンマの昔:アーボヒーボ

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○粟穂稗穂(アーボヒーボ・アワボヒエボ)
 小正月に、「今年もこのように粟・稗が見事に実りますように」と願って立てる。(十三日に作られ・堆肥の上に立てられることが多い)  

アーボヒーボ このとおり
このよなかますに 十かます
(叺10袋採れるように)

※予祝との説もある。
※皮をむいたのがアワボ(粟穂)・むかないのがヒエボ(稗穂)とした。

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曲げた竹の先にオッカドを下げる、粟の穂を表すとされる。

○こえがみさま
 堆肥置場をケエニワ(肥庭)とよび、豊作を願う神様がいた。 小正月には、堆肥の上..

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グンマの昔:しゃくし

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○杓子
 かつては六合村の特産品・碓氷峠の土産品であった。 その歴史は古く、文化文政時代には作られていたらしい。(メンバは明治時代以降)  木製は、熱い鍋の中に入れおいても柄が熱くならないのが利点。

○柄の形状により二つに別けられる。
ナミジャクシ:まっすぐな柄
オウランジャクシ:付け根が曲がつてそっているもの

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○飯杓子
 ミズブサなど硬くて白い木が好まれた。 8種類(四尺~六寸)の大きさがあり、六寸五分・七寸・七寸五分が家庭用に使われた。

○汁杓子
 ブナなど硬い木で作られ、タマ(マ..

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群馬での暮らし:グンマ語(上級編)

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《グンマを話そう》 @六合村
※グンマ語は日本語に較べて、遥かに解りやすく・趣ある表現が多いです。
 アカメーナシ → 無茶、 アクト → 踵、 アテクトンネー → とてつもない、 アバケル → ふざける、 アボケル → ふざける、 アボル → かばう、 アマメラ → 女子の複数形、 イーカン → たいそう、 イジル → いびる、 イチノー → 全部、 イブセー → 危ない、 イマメシイ → いまいましい、 ウジャケル → とろける、 ウラノウチ→自分、 ウチバ → 少なめ、 ..

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グンマの昔:紙もらい

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○紙もらい(六合村)
 正月、子供たちは「こんちゃ かみを くだーれ」と各家をまわり、半紙を一束もらいお草紙を作った。

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○釘ぶち
 集まった半紙は、遊びのたねになった。 一枚の半紙に2cmくらいのます目をつくり、そのます目ごとに「トカモカサカモトヤ……」などと同一の文句をくりかえし記入し、中央に墨で小円を書いたものをつくる。 木綿針(釘ぶちねっくい)を、この紙に投げてつき立てる。 「トは一枚とる・カはかける・サはさらう・モはもう一枚出す・ヤはやる」 などして紙をやりとりする。 中央..

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群馬での暮らし:道祖神

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○道祖神(ドウソジン・ドウロクジン)
 境の神、外界から集落に入ってくるあらゆる魔障を防ぐとされる。 グンマでは男女の双体道祖神が多い。(兄妹説が多い)

(@六合村長平)

※昔は「サエノカミ」と読み「塞の神」であり、村境で悪霊が入ってくるのを遮ったとされる。地方により、岐の神・クナドノカミ・フナドノカミ・チマタノカミともいった。

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太子線

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太子線(おおし)
 長野原駅~太子駅(群馬鉄山・六合村本山)間5.8Kmは日本鋼管の専用線であった。 1946年には旅客部門も開設され、1950年後半は貨物収入関東上位を誇っていたが、鉄鉱石の枯渇により衰退し1970年11月1日休止路線となり廃線となった。

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Taishi_st5右側は鉱石積み出しのホッパー(焼結工場)跡

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Gunma_ohshi2左は建設中の嬬恋線@長野原

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六合村道祖神:長平

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《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具脱衣池)、女子供を連れての逃避は二つの集団に別れてしまいました。 先行組は大晦日に入山に着..

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群馬での暮らし:めっぱ

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《グンマを話そう》
 [ものもらい(麦粒腫)]のことを「めっぱ・めかご・めかいご・めかい・めもらい・めこじき」などと言います。(※アクセントは語尾が上がります「メッパ↑」)

 六合村には独特な治し方があります。
○スイノー(笊の一種)を井戸に半分かけて、「井戸神さん、井戸神さん、めかごーなおしておくれ。 そーしたらすいのー みんなみせるから。」 とお願いします。 地域によっては、井戸の中を覗いたり、蓑を半分見せたり、片眼を隠してたりしてお願いします。
※「籠をかぶるとめかごができる..

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六合村:湯本家住宅

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重要伝統的建造物群保存地区:山村・養蚕集落
 (吾妻郡中之条町六合村赤岩地内)
○湯本家住宅
 1806年(文化3年)ごろ土壁と置き屋根の土蔵造りの2階屋として建築、1897年(明治30年)養蚕の拡大のため3階を増築した。

※湯本家の先祖は、清和天皇の子孫信州小県郡海野庄の海野小太郎幸恒の三男望月三郎重俊とされてい る。

 

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高野長英をかくまった「長英の間」。

 

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3階への階段。

 

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蚕部屋。

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☆高野長英
 天保二年沢渡の医者福田宗禎が高野長英を招き、これがきっ..

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六合村:赤岩集落

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重要伝統的建造物群保存地区:山村・養蚕集落
 (吾妻郡中之条町六合村赤岩地内)

○赤岩地区は、138人程のちっちゃな山村。  

 重要伝統的建造物群保存地区は、全国で104地区。  群馬には、もう一箇所「桐生市桐生新町:製織町」がある。

 

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水車小屋

 

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赤岩ふれあいの家

 

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群馬での暮らし:六合村

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《グンマを話そう》
○六合村にはグンマから独立した方言があります。
 あなた→こんた、 いしけり→けだし、 かくれんぼ→かくねっこ・おにさんこ、 かたぐるま→てんぐるま、 かまきり→とーろー・はえとり・かまぎっちょ・かまよん、 くるぶし→くるみ、 しゃがむ→つくじょむ・しょごむ・しょごじょむ・しょごずむ、 たけうま→たかあし・たかうま、 つむじ→まきめ・まきまーし・まきむし、 とかげ→かまちょろ・かなへび・とかよん・とかちゃん・かまぎっちょ、 なめくじ→なめら・なめらっ..

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群馬での暮らし:六合村湯本家

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《グンマを話そう》
 湯本家は鎌倉時代から続く村医者でした。 ある日、日影村への往診の帰り道、夜も更け井出橋にさしかかったところ乗っていた馬が何かにおびえて動かなくなりました。 「カッパにちがいない!」と見当をつけて振り下ろした刀が、カッパの手を切り落としました。
 夜も更けたころ、「トントン、お医者様、お頼み申します」と誰かが訪ねてきました。 そう、カッパです。 「もう悪いことはいたしません。 どうぞ手を返してください。」とカッパが泣きながら言うのを見て、医者はふびんに思..

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参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

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