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[グンマを話そう] ・ [群馬での暮らし] ・ [グンマの昔]
○地域別一覧(未踏の地あります)
【群馬県】
みどり市・
安中市・
伊勢崎市・
館林市・
桐生市・
高崎市・
渋川市・
沼田市・
前橋市・
太田市・
藤岡市・
富岡市・
みなかみ町・
下仁田町・
甘楽町・
吉岡町・
玉..
グンマの昔:関所一覧
○関所一覧
戸倉関所:会津街道・片品戸倉
湯桧曽番所:原則通行禁止・水上湯桧曽
入山番所:六合村入山
伊香保関所:伊香保 榛名関所:榛名神社内
祖母島関所:渋川市祖母島
大笹関所:原則通行禁止(毛無峠道もあった)・嬬恋大笹
※非常時は「くさび」をはずすと橋が吾妻川に落下する仕組だった。(刎橋)
狩宿関所:長野原応桑
大戸関所:吾妻大笹
本宿関所:信州街道(中山道脇往還)・下仁田町本宿
藤井関所:女街道(西牧関所)・下仁田町藤井
砥沢関所:中山道脇往還(南牧関所)・南牧村砥沢
白..
グンマの昔:吾妻鉱山
○吾妻鉱山
1908年猟師が露頭発見、1914年群馬硫黄開発開始その後吾妻硫黄が買収、1928年落盤事故も順調に発展、1971年閉山。
○石津鉱山(硫黄)
1932年北海道硫黄が本格的に探鉱(小串鉱山の支抗)、1941年石津鉱山として独立したが企業整備令で休山、終戦後再開するも1968年米無鉱床を堀尽くし1971年閉山。
○硫黄採掘鉱区(大正l4年)
嬬恋・白根鉱山:15.270坪、箱根土地株式会社
嬬恋・万座鉱山:61,672坪、西郷勘三郎外
嬬恋・吾妻鉱山:12..
嬬恋・昔の地名
あくと、ういせ、うすがどう原、うるいの、えくぼ沢、おなし、かいしこ、さる畑、のっち平、はんだぢ、ぼためき、ほとけ窪、むめの木平、もろしこ、姥ケ原、姥ケ沢、下道路(したすくじ)、嘉助井戸、花童子(げどうじ)、荷付戸、蟹掛(かにかけ)、開発場、鰍沢、刈敷山、閑木(くぐるき)、岩茸沢、鬼の泉水、郷路、狗脊原(ぜめっぱら)、群馬坂、御厩、御関所裏、御座石、向道路(むかいすぐじ)、腰巻、三吹沢、山之神、四寸道、四良戸沢(しろとざわ)、七ふしの下、車平、蛇石、手梨貝戸(てなしかいど)、..
グンマの地名
○グンマの地名 上級編
○芦生田(あしょうだ)
○安楽土町(あらとちょう)
○尉渡野(しゃうとの)
○磯部(いそべ):石上部の居住地。
○印字(いんじ)
○宇貫(うぬき)
○羽根(はね):赤土などの意。
○羽根尾(はねお):「埴」が源、粘土質土壌の意。
○姥が懐(うばがふところ)
○姥懐(うばどころ):深く狭い谷間の意。
○瓜山(うりやま):ウルイが源。
○瓜生(うりゅう)
○乙鳥・燕鳥(つばくら)
○乙父(おっち)
○乙母(おとも)
○下賛郷(しもさぬ)
○下仁田(し..
グンマの昔:妙義基地
○妙義基地
1953年4月3日、妙義山・浅間山一帯(八風平・高岩中心)をアメリカ軍演習場にする計画が発表された。 これには、坂本町・臼井町・松井田町・九十九村・細野村・西横野村・妙義町・小坂村・西牧村・嬬恋村・軽井沢町が含まれ、各地で反対運動が起き全県的運動となった。 その後、政府側から数々の好条件が示され、受入派と強行派と別れ、土地収用法発動かと思われたが、1955年1月19日強制測量が行われた。 そして三月一日、突然「妙義演習場の接収解除」となった。
※坂本町恩賀・高岩..
グンマの昔:小串鉱山
○小串鉱山
1967年11月11日午後3時半、山津波が鉱山を埋め尽くし、火薬庫が爆発し火災が発生、村全体が被害を受け最終的には死者600名以上といわれる。
※御飯岳頂上の貯水池が浸透し、地盤がゆるみ山崩れとなったともいわれている。
○小串硫黄鉱山
1929年、東洋硫黄株式会社から北海道硫黄株式会社に移管。 県内最大の三十一万千坪。
山崩れは、幅30m長さ1kmに及び、死者16名・傷者28名・行方不明136名・家屋損害1000戸。
毛無山山麓を主に嬬恋村には、「小串鉱山」・..
グンマの昔:浅間山
○天明三年(1783年)7月8日午前10時頃、三ヶ月ほど前から活動を続けてきた浅間山が大爆発を起こした。 有史最大の大噴火であり、溶岩流は60km/h以上の速さで北へ流れ、土石流は嬬恋村・長野原町を壊滅し、吾妻川・利根川へと流れ込んだ。(現在の前橋市から玉村町付近まで被害が及んだ)
☆浅間山
江戸時代に四十四回噴火したと記録されている。
新田伝説(新田郡、現太田市)
○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。
○呑竜上人が、生まれつき弱い子を預かり七歳になるまでは大光院の弟子として面倒を見た、のが「七つ坊主」。
○呑竜上人となかずの池
ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が続いた。
やがて食べ物がなくなり病に倒れたおっかさんのために、女房が弓矢を持ち山へ出..
グンマの昔:鹿沢温泉
○鹿沢の湯
白雉元年頃、貞保親王なる者が眼疾でなかなか治らないでいると「信濃国浅間山裏にある温泉で眼を洗え」と夢の中でお告げをうけた。 そして現地におもむき沸々と湧く湯を見つけた。 これが「鹿沢の湯」である。 病の治った親王は、近傍の弥津村に永住したとされる。
また、鹿を追って狩人が深山に入ると、手負の鹿が湯に入り疵を治しているのを見て、「鹿沢の湯」と名付けたとの説もある。
鹿沢温泉(昭和初期)
○鹿沢温泉
1918年鹿沢温泉で大火となりほとんどの旅館が焼けた、6km下流に..
グンマの昔:浦倉鉄山
○浦倉鉄山(嬬恋村)
浦倉山の標高1500m~1600mの赤沢川左岸に分布し、露天掘り褐鉄鉱で、川崎製鉄へ輸送した。(1953~1963)
○浦倉鉱山
関東鉱産株式会社浦倉鉱業所、地元では元山とよばれた。 本来は帝国硫黄株式会社の鉱区であったのを譲り受けた。
草津白根山
(1982.10.26)
○草津白根山
五十七万年前現本白根山付近で噴火、三十七万年前火砕流噴出(長野原・嬬恋まで積もったとされる)・その後溶岩噴出し休止、一万八千年前再び噴火を繰り返し現在の形となった。
※湯釜・水釜・涸釜・弓池・鏡池、などは噴火口痕。
※本白根山(草津白根山南側)は、三千年ほど前、火山噴出物が積もってできた。
草津温泉
○湯畑
○草津温泉
111年(景行天皇四十年)、日本武尊が東夷征伐の折、発見したとされる。 源頼朝が巻狩の帰り、地元住人細野御殿之助の案内で硫黄温泉を見つけ入浴したので「御座の湯」と名付け後に「白旗の湯」ともよんだ。 そのとき座ったのが「御座の石」であり、細野氏を「湯本」と名乗らせた。
○西の河原露天風呂
※傷ついた鷲が湯に足を浸して治したことから「鷲の湯」とよばれるようになった。
※脚気を煩った弘法大師が病を治したので「脚気の湯」とよぱれた。(今は無い)
※地蔵を祀ったお堂のそ..
鎌原・観音堂
グンマの昔:白根硫黄鉱山
○白根鉱山・万座鉱山(業業人硫黄株式会社)
鉱脈発見時期不明、古くより白根釜として採掘されており、1886年精錬開始、1896年株式会社となる。(冬が厳しいので4月~11月だけの操業であった) 1897年7月草津白根山噴火で破壊・埋没した。
※嬬恋村には、吾妻・石津・小串・白根・万座などの硫黄鉱山があった。
○万座鉱山
1955年万座硫黄鉱業所入道沢採鉱諸飯場に雪崩 で14名死亡。
○白根硫黄鉱山株式会社谷所採鉱所(草津)
1936年2月4日、大雪により雪崩で飯場街が埋ま ..
グンマの昔:鎌原城
《グンマを話そう》
○鎌原城と羽尾城
1560年、羽尾氏(上杉謙信派)対鎌原氏(武田信玄派)の戦い始まる。 1562年、羽尾氏が万座温泉で遊んでいる間に羽尾城が乗っ取られる。
羽尾氏が奪還にでる。 鎌原の家来・樋口からの裏情報では「鎌原氏は黒馬に乗っている」とのこと、鉄砲名人が黒馬に乗る武士を撃ち落とした。
この日、鎌原氏は乗っている黒馬が進もうとしないので樋口の馬と取り替えていた。 鎌原軍は勝利に酔いしれていた羽尾軍に攻め入り勝利した。
○鎌原城三の丸追手口
○鎌原..
グンマの昔:天明の浅間焼け
○嬬恋村鎌原(かんばら)
1783年7月8日10時、日本有史最大規模の浅間山噴火、全村火砕流に流され、残ったのは観音堂と秋葉神社を含めて四町歩(東京ドームより狭い)。 477人が死亡・観音堂に逃げた93人が助かった。 残った村人は全員平等の基に家族を構成して新村建設し、鎌原村がよみがえった。 そしては「八日の念仏」として念仏和讃が唱えられ、毎年鎌原観音堂で供養際が行われている。(毎月7日と16日にも行われている)
※大笹村黒岩長左衛門・干股村千川小兵衛・大戸村加部安左栄門など..
馬の骨
《グンマを話そう》
【馬の骨】、それはグンマでは特別な呪力を持っている。
事例1:
藤原栗沢部落では、温泉に馬の骨を投げ入れたため、温泉が枯れてしまった。 代わって宝川湯の花に温泉が湧き出た。
事例2;
吾妻名久田村では、忙しすぎた女中が温泉に馬の骨を投げ入れたため、熱い湯であった温泉が「ぬる湯(大塚鉱泉)」となった。
事例3:
嬬恋村三原湯窪では、里の者が温泉によくないことをしたため、薬師様が怒り温泉を取り上げ、草の葉に包んで北方へ放り投げてしまった。 この草の葉が「くさつつ..
グンマの昔:ロウ石山・下仁田
○ロウ石山・上信鉱山(嬬恋村干俣仁田沢)
草軽鉄道嬬恋駅からアルミ鉱山ロウ石山まで索道(約6.3km)を架設する計画があり、開削工事が終わりレールを敷こうとしたところで終戦により中断放置された。 鉱山でも軌道はできたが、鉄道がないので操業できず、鉱山そのものが忘れられてしまった。
1940年頃新鉱床が見つかり、小規模ながら馬ソリで運び出していた。 まもなく酸化アルミ36%鉱石だとわかり、ジュラルミンの原料として需用が見込めることから、日窒鉱業が開発をおこない大鉱山となっ..
グンマの昔:ミコト牛乳
(WEB 転載)
○ミコト牛乳
かつて嬬恋村農業協同組合が経営していた牛乳、日本武尊の「ミコト」から名づけたらしい。 1954年、嬬恋ではニュージーランドとオーストラリアから一千頭のジャージー牛を入れ、濃くて味の良い牛乳を供給していたのだが、牛が病気(嬬恋ゼンソク)にかかり衰退してしまった。
※嬬恋農協は、北軽井沢のスズラン牛乳(現在のすずらん牛乳とは違うらしい)も管理していたらしい。
※現在、明治・吾妻牛乳というのがある。
妙全の逆さ杉
○妙全の逆さ杉(龍澤寺)
六合村・日影竜沢寺門前に「竜沢寺の大杉・妙全の逆さ杉」がある。 樹齢八百年余、尼僧妙全の杉の杖が逆さのまま根付いたといわれている。
☆グンマでは木が逆さに生える。 たとえば、逆さ杉 ・逆さ桜 ・逆さ梅 ・逆さ柳 ・逆さウツギ、などある。
○逆さ杉(嬬恋村門貝熊野神社)
弘法大師巡錫のとき、過ぎの枝を逆さにして杖としたものが根付いた。
○逆さ桜(新治村赤谷湖畔)
上杉謙信が出陣しこの地を通ったとき、馬の鞭に使ったサクラを地にさして、軍勢を占った。 ..
グンマの昔:アズキゴシゴシ
○ドンドンの滝(嬬恋村)
①ドンドンの滝には「ドンドンばばあ」が住んでいて、油屋(油桶)を引き込んだ。
②ドンドン沢から「アズキゴシゴシ」という妖怪がでた。
③「小豆とごうか、人とって食おうか」と言う声を聞いた。
※これについては、グンマ各地に出没する「小豆とぎ婆」の仕業だと判明した。 今のところ出没が確認されたのは次の地区、沼田市神沼須の竹やぶ沢・昭和村金棒のガン沢・月夜野町師の送り橋下・桐生川の所々の沢・太田市矢田堀諏訪神社裏の橋下・赤城村村上三原田八幡宮ナゴヤ坂・箕郷生..
グンマの昔:北毛の民家
旧鈴木家・沼田市利根
旧富沢家・中之条
旧雲越仙太郎家・みなかみ町藤原
※雲越仙太郎の館:雲越仙太郎(明治30年~昭和55年)自給自足の生活をした。
旧戸部家・みなかみ町湯原
旧生田家・沼田市
黒岩九蔵家・嬬恋
グンマの昔:馬糞
《グンマを話そう》
馬は止まって排泄するので、山のように積もる。 この「馬糞を踏むと背が伸びる」と言われた。 また、ジフテリアの特効薬ともいわれた。 いずれも、馬の怪力を崇めたと思われ、上州路には馬頭観音も多い。
※トウネ一升(トネッコ一升)
嬬恋村鎌原は浅間山噴火により壊滅された。 その後残った村人は馬を飼うようになり、子馬が他人の家や畑に入り荒らすこともあった。 こんなときは、「トウネ一升」ということで観音様に一升供えると、おたがいさまことで黙認されたという。
グンマの昔:小串鉱山
○小串鉱山
嬬恋村には、吾妻・石津・小串・白根・万座などの硫黄鉱山があった。 明治以前に発見された小串鉱山は、昭和期に地すべりがあったも順調に採掘が続いたが、1961年閉山した。
※1937年11月11日山津波により部落埋没、死者300名(500名とも)。 燃え盛る燐火と毒瓦斯火の泥土に手の下しようもなかった。
○小串鉱山
1929年、東洋硫黄株式会社から北海道硫黄株式会社に移管。
○吾妻鉱山
1911年発見、1917年精錬開始・我妻硫黄株式会社。
草軽電気鉄道(3)
草軽電気鉄道(1)
1909年草津軽便鉄道着手。 1915年営業開始:新軽井沢~小瀬温泉。 1917年小瀬温泉~吾妻。 1919年吾妻~嬬恋。 1924年電化し草津電気鉄道に改称。 1926年新軽井沢~草津温泉全線開通(55.5km約3時間・車内トイレは無い)、「四千尺高原の遊覧列車」として全盛、草津節流行の波にのる。 1939年草軽電気鉄道に改称。 国鉄長野原線開通による乗客減少・台風被害により1960年新軽井沢~上州三原廃線。 1962年1月31日全線廃止された。(当日は、大雪で乗客・見物..
草軽電鉄(草軽電気鉄道)
太子線
○太子線(おおし)
長野原駅~太子駅(群馬鉄山・六合村本山)間5.8Kmは日本鋼管の専用線であった。 1946年には旅客部門も開設され、1950年後半は貨物収入関東上位を誇っていたが、鉄鉱石の枯渇により衰退し1970年11月1日休止路線となり廃線となった。
嬬恋パノラマライン
群馬での暮らし:浅間山焼け
《グンマを話そう》
○天明三年(1783年)7月8日午前10時頃、三ヶ月ほど前から活動を続けてきた浅間山が大爆発を起こした。 有史最大の大噴火であり、溶岩流は60km/h以上の速さで北へ流れ、土石流は嬬恋村・長野原町を壊滅し、吾妻川・利根川へと流れ込んだ。(現在の前橋市から玉村町付近まで被害が及んだ)
この時の溶岩流の痕跡が「鬼押出し」である。
○浅間山噴火
685年3月、1108年7月21日、1783年7月8日、の記録があるが、それ以前 も火山活動が盛んであ..
ハゲン正月(半夏正月)
○半夏(嬬恋)
七月二日をハゲン正月(半夏正月)といい,ナベッコスリモチを搗いた。 この日半夏に天気がわるいと穀物が採れないとされ、ハゲンさんはネギ畑で死んだのでこの日はネギ畑に入ってはいけないとされた。
※ハゲンさんについては、数々の話が残っており、死に方もさまざまある。
※地域によっては:半夏様が、あまりの忙しさのため片足を田にもう一方を畑に入れたまま死んだので、この日は田植えをしない。 竜の日・犬の日も田植えを嫌った。
群馬での暮らし:音無川
《グンマを話そう》
○音無川
嬬恋村干俣に、源頼朝が蹴鞠をしたとされる鞠宮神社があります。 源頼朝が鞠宮に宿をとったときの事です。 そばを流れる川の音が枕元に響き眠れませんでした。 そこで、頼朝は床から起き上がると「川の音よ、静まれ!」と厳かに念じました。 はたして、川音はやみ、音もなく流れ始めました。 これが「音無川」です。
つまごいパノラマライン
群馬での暮らし:群馬の地名
○どれだけ読める群馬の地名
相生(あいおい)、間野谷(あいのや)、天引(あまびき)、安楽土(あらと)、請地(うけち)、碓氷(うすい)、鶉(うずら)、笂井(うつぼい)、采女(うねめ)、祖母島(うばしま)、老神(おいがみ)、邑楽(おうら)、大胡(おおご)、大間々(おおまま)、邑楽(おおら)、行田(おくなだ)、乙父(おっち)、乙母(おとも)、女屋(おなや)、鬼石(おにし)、…
上小塙(かみこ..
群馬での暮らし:市町村
○群馬県市町村一覧
市町村名、どこまで読める?
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桐生市
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藤岡市
富岡市
甘楽郡(かんらぐん)・下仁田町(しもにたまち)
甘楽郡(かんらぐん)・甘楽町(かんらまち)
甘楽郡(かんらぐん)・南牧村(なんもくむら)
吾妻郡(あがつまぐん)・高山村(たかやまむら)
吾妻郡(あがつまぐん)・草津町(くさつまち)
吾妻郡(あがつまぐん)・中之条町..
嬬恋キャベツ
○嬬恋キャベツ
嬬恋村は、旭川並の気温で米作に適さず・霜や雹のため養蚕も適さず、雑穀とジャガイモの自給自足の村であった。 昭和初期に村に幹線道路が通ると、信州上田の青果商の呼びかけでキャベツ栽培を始め、鳥居峠から長野県を経由して京阪市場に出荷されるようになった。 その後、数々の難局を乗り越え「嬬恋キャベツ」のブランドを築いた。
☆越冬キャベツ
キャベツを雪中に保存し・真冬に掘り出して出荷する、和寒など。
参考文献
☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..