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姥神様

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○姥神様
 川口市石神1

 姥神様は、子供の病に良く効くが・やきもちで円満離婚の神様ともいわれる。

について

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○稚児桜・姥ヶ池
 川口市西新井宿・弁天様と池名残

 将軍行列の最中、幼い若様が落馬し亡くなり、姥は近くの池に身を投げた。 その地に植えた一本の桜が稚児桜・池が姥ヶ池、姥神様として奉った。

※馬を繋いだ地が「駒が塚」ともいわれるが、稚児桜と共に現存しない。(現高速道路)

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厳島神社

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○弁天様・厳島神社(厳嶋神社)
 川口市東内野/さいたま市緑区下山口新田

 古くは沼の中程に弁財天を奉っていたが、沼地が無くなり移設。  「この沼には雌の大蛇が住んでおり、印旛沼に住む雄の大蛇に会いに行った」・「大蛇の鱗」などの伝説もある。
※沼の中から見つかった弁天様を奉ったといわれる。

弁天 について ・ 大蛇 について

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どら焼き

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絶賛どら(どら焼)
宇治金時
 (祥貴@函館市弁天町22-2)

○半生菓子

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不忍池

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不忍池

Shinobazu61

○不忍池
 古くは「篠輪津」、寛永年間に「不忍」と改称。 上野の岡を「忍ヶ岡」とよんだのに対抗し、「不忍」とした。
※明治十三年には池の周囲に競馬場をつくったらしい。

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Shinobazu62弁天堂


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東京勧業博覧会・池之端(明治四十年)

Ikenohata_meiji2

Shinobazu_benten不忍池弁財天社

Shinobazu_ishibashi不忍池石橋・雪景

Shinobazu1890○不忍池弁天堂・1890年


☆月見
 月見の名所は高台でもあったが、不忍の池・隅田川など水面に映る地も名所であった。

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☆不忍弁天天龍門×
 大正三年..

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両国の花火

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東都両国ばし夏風景(名所江戸百景)

花火 について

Edo_ryogokuyusuzumi

東都両国夕涼之図(名所江戸百景)

☆両国の川開
 八代将軍徳川吉宗の時代、大飢饉・コレラ流行などにより死者多数、このため享保十七年五月二十八日水神祭を催す、その後盛大となり両国橋上流は玉屋・下流は鍵屋の花火大会となった。

☆花火屋
 慶安元年七月の禁令にて花火製造禁止。 その後、両国吉川町玉屋市郎兵衛と横山町鍵屋弥兵衛が認められた。

☆玉屋と鍵屋
 享保十八年隅田川・川開きで大がかりな花火が打ち上げられた。   万治元..

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江ノ島

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江ノ島・明治時代

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江ノ島・1960年代

Enoshima95江の島神社

Enoshima91平和塔

Enoshima92稚児ヶ淵


Enoshima1880江ノ島・1880年

Enishima_1880江ノ島・1880年

Enoshima_meiji

Enoshima_iriguchi

Enoshima85

Enoshima86

Enoshima87

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Enoshima90

Enoshima1900○江ノ島神社・1900年

Enoshima_meiji○江ノ島・弁天橋

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館林伝説

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○城沼に住む竜が女に身を変え、七日間上人の説教を聴いた後飛び込んだのが善導寺「竜の井」。 それ以降、井戸使用禁止。

○須賀沼の南沼の主は大蛇・北沼の主は大亀、宝光寺・とみ坊主が魚取りをしたに怒り懲らしめてからは魚取りをする者はいなくなった。

○昔から洪水に見舞われた大沼を埋め立てたさい、沼の主夫婦の二匹のウナギを祀ったのが「須賀弁天祠」。

○赤岩にあった沼の主は大蛇、村の娘が次々と消えた。 そこで、藤原長良の御殿女中「おさよ殿」が弓で退治し、頭を瀬戸井・切り刻んだ胴体を舞木などに祀..

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どら焼き

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絶賛どら(どら焼き)
 (祥貴@函館市弁天町22-2)

○半生菓子
 高さ約6cm。

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どら焼き について


Seppukumonaka

☆切腹最中
 新正堂@港区新橋4-27-2・新正堂本店ビル

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厳島神社(白蛇弁天)

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○厳島神社(白蛇弁天)

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 グンマには白蛇に纏わる話が多く、白蛇を祀った神社や伝説も多い。

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グンマの昔:川原湯温泉

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○川原湯温泉弁天橋(昭和初期)

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○川原湯温泉(明治時代)

Kawarayu22川原湯岩脈

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グンマの神々(1)

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 グンマの主な山は、アカギサマ・ハルナサマ・コモッチャマ・ホタカサマ・シラネサマ、などみなタケ山的性格を持っている。  また、井戸などの水資源は共同利用だったので、清浄に保つため数多くの俗信があった。

カッパはグンマ各地でみられた。 嫌われることが多かったが、六合村湯本家にはカッパに教えられた秘伝薬がある。
○グンマの川・池・淵の底には多くの竜宮が存在し、そのほとんどが椀・膳の貸し出しをおこなっていた。
○メカゴ(メッパ)ができたら、井戸の上にふるい(ショウギ・スイノウ)を半..

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渋川伝説(2)

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○千手姫(榛東村柳沢寺)
 千手姫は京の都に憧れ病となった。 京に上った夫田烈太夫信保が見たのは「散りもせず咲きおくれたる花もなし 今日をさかりりの庭桜かな」と詠み消えた千手姫似の女であった。 そのころ桃井の郷では、千手姫が他界していた。

○赤いお椀で鰻料理を出したら不幸が続いたのが地名「赤椀田」。

○雙林寺の七不思議
 ・開山堂の一本の拍子木、悪いことが起こりそうになると鳴る。
 ・月江和尚が持っていた数珠が大木となったのが「開山のつなぎカヤ」。 その実は針で通したような穴..

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桐生・金山城伝説

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○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

○桐生落城
 領主・桐生大炊介助綱は人望厚かったが子供が無く佐野家から養子(親綱)もらったが折り合い悪く、ついには由良成重らに攻め入られた。 そして親綱が奥方・姫達と桐生川の大滝を岩から岩へと飛び跳ねて逃げたので「跳滝」とよばれる。 
※このとき「宝の入った瓶」三..

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群馬町伝説(現高崎市)

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○ある夜、天空の北斗七星が一塊となり群馬町冷水の小祝池に落ちた。 翌日、池を探ると金色の亀がでてきたので、妙見社本殿下に神井が掘られ・深く埋められ、本尊となった。 それっきり、本尊を見た人はいない。
※年号が、和銅から霊亀に変わったのはこのせいだといわれる。

○妙見様が火事となったとき、力持ちの力庄右衛門が仁王像を担ぎだし・境内の弁天池に放り投げた。 池では、田螺が降りかかる火の粉から仁王像を守ったので、田螺の尻は黒くなった。 それからは、この村では田螺を食べてはいけないことと..

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高崎伝説(3/3)

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○「恋しくば尋ね来て見よ上野の わが浜川の須苗子の森」と唄われたのが須苗子の森。

○1646年3月23日夜、倉賀野町城跡の三ノ廊の茂みに、地響きとともに井戸ができ清水があふれた。 そして、泉の中にあったご神体を祭ったのが「井戸八幡」。

○豊岡・金ヶ崎の渕の主は大亀。 豊岡のトは岬・山・土の意、ヨは土地・畑の意、オカは山・麓の意、カは跡の意、というアイヌ語説もある。

○723年、土の中から輝きとともに古鏡がでてきたので、石凝姥命を祭ったのが小八木。「鏡の宮」。 
※石凝姥命は国鏡..

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高崎伝説(2/3)

Takasakishi

○1793年、岩鼻陣屋創設、現日本化薬地。

○1616年、下小鳥にて高崎藩検見あるもその厳しさに村人が役人を殺害。 藩主松平丹波守が激怒・出兵し、部落皆殺しにしたのが「首塚」。

○高崎はたばこの産地、「館たばこ」で有名だった。

○田嶋元七が蛇場見の谷川で水に石油気が含まれているのを見て、乗附山に石炭があるのを確信した。(1874年) 後にこの亜炭がも富岡製糸場・新町紡績所でも使われた。

○京ヶ島にある井戸が「七つ井戸」or「いろは井戸」。 弘法大師が掘ったといわれている。 
※実..

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新田伝説(新田郡、現太田市・みどり市・伊勢崎市)

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○笠懸桜塚・園田屋敷の地蔵様は、賭事の地蔵様だった。 そのため賭博人が「かけら」を求めたため、頭・手が無くなってしまった。 その後、復元されたらしい。

○岩宿の天王様は、疫病が流行った時に担ぎ出されて、疫病を追い払った。(1962年)

○平安時代、新田荘では鹿に田畑を荒らされたので、領主園田太郎家茂が「鹿専用畑」を作らせ・通常の畑と分離したので、この地を「鹿田」とよんだ。 
※山田郡小倉村の鹿田との説もある。

○葬式が家から出る時坊さんが鐘を「ジャラン・ボーン」と鳴らしたので、葬式を..

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太田伝説(2)

Nittayoshisada

○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

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北橘伝説(勢多郡北橘:きたたちばな、現渋川市北橘町:ほっきまち)

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○親鸞一行が「波阿弥陀物」と唱えながら布教の途中、上箱田の硯石で利根川の白波を見て、「この自然の激しい地の人々はその気質も激しく、私の教えも容易には理解されないであろう」。 布教をあきらめ常陸国へ向かった。 このとき、硯石で墨をすり和歌を詠んだ。

○火事の時に助けられたお坊さんに、お茶がなかったので甘酒を出したら喜んで飲んだ。 翌朝、石井・珊瑚寺のお地蔵さんの手が焼けていた。 それ以来、甘酒を供えるようになり「甘酒地蔵」とよばれる。 萩原右近・左近兄弟が祭った地蔵ともいわれる。..

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赤城村伝説(勢多郡赤城村、現渋川市赤城町)

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○湧玉には白蛇が住んでいる、汚したり・不浄物を洗うと祟りがある。 雨乞いだけはきいてもらえる。

○勝保沢の清水側に住んでいた「お哲」は超美人だったので、弁天様とよばれた。 その地では、女の子が産まれると「お哲」と名付けるのが流行った。

○おとうか久保には、オトウカが出た。

○上三原田・三島山の大松の木には天狗が住んでいた。 音を聞いた人も多い。

○戦の時、内出城内の松に登り情勢を眺めたので「物見の松」。

○二城主見立権太郎が仲井の田のくろを枕に切腹したので「枕田」となった。 田には..

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前橋伝説(2)

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○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

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横浜弁天通り

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ヨコハマ…、グンマとは軸が異なるようだ…

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○グンマの昔:グンマ観光ツアー(外国人向)
 1870年、外国人向けグンマ観光ツアー始まる。(安中宿泊アサマヤマ)  その後は、「前橋生糸観光コース」と「伊香保温泉コース」が人気。

※1879年、ヴェガ号航海記・ノルデンシェルド
 伊香保から沢渡温泉に駕籠に乗ったが、胡座をかけないのでこうなった。 23.6kmを約十時間で着いたといわれる。

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○籠
 「can go」なるも乗り心地悪し。

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○乗合馬車
 横浜居留地にて危険!

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弁天通り商店街

山田君の世界

《群馬デスティネーションキャンペーン B級版》

前橋市、弁天通りアーケード街。

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オリオン通りアーケード街。

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※前橋は、[高崎市]との幾たびもの戦いの末「県庁」の座を勝ち取った。 [前橋]の名は「うまやの橋」すなわち「厩橋(まやはし)」に由来する。

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氷頭なます

山田君の世界

五色氷頭なます
 (ぐるめ食品株式会社@増毛町弁天町1-12-1)

○ひずなます(110g、大根・人参入り)

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塩辛干しちゃった

山田君の世界

NUMOME
塩辛干しちゃった
乾燥 いかしおから
 (株式会社布目@函館市弁天町17番10号)

○魚介乾製品(20g)
 「いか塩辛」のフリーズ・ドライ。 「イカ足の薫製」をしょっぱくしたような味だ。

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