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日枝神社

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○日枝神社
 越谷市相模町6-481

☆大相模
 昔、僧侶が相模の国の大山で、一本のケヤキから二体の不動尊をつくり、そのうち一体を今の大相模に置き、「大の相模」とよばれたのが大相模になったといわれる。

大相模 について

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 かつての日光街道の道沿いに鎮座し、その裏手には元荒川が流れています。 当社は神仏分離以前「山王社」と称し、本山派修験の東光院を務め、「山王権現本地薬師如来」の墨書がある神璽筥が安置されていたといわれ、この地に住む人々には「山王様」と呼ばれ親しまれてい..

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三佛寺

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○三佛寺
 川口市戸塚南4-19-33

 徳川家光が家来彦左ヱ衛門ともども日光から逃れ戸塚権現道であばら屋に宿を求めた。 その家の爺がありあわせの雑炊でもてなしたが、将軍は何の持ち合わせもないので「後日江戸城に来るように」と立ち去った。
 何年待っても爺が来ないので将軍は金の茶碗を手みやげに使者を向けると、爺は「何にもいらない、静かに寝られれば良い」。 困った使者は「周りの土地が欲しいと言った」と告げると、殿様は二百石を与え・三佛寺を建立した。
※金の茶碗は行方不明らしい。

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秩父定峰山里の道

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秩父市定峰

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○定峰神社
 社伝によれば、天正十一年武田信玄の家臣・島田左近大夫定峰村に土着帰農に際し、加賀総社白山神社の分霊を勧請、伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命を本村字権現堂宮城の地に鎮座し・白山権現と称し・村の総鎮守とす。 境内に愛宕社・天神社・白鳥社・山神社を祀る。 明治四年村社に列せられ、明治四十年七月、高篠村中心地字七曲り無格社八坂神社に合祀し、さらに無格社・妙見社・稲荷社を合祀して定峰神社と改称す。

☆古くは権現様ともよばれ、安産を願う産泰講があった。

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十二所神社

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○十二所神社
 川口市南鳩ヶ谷5-31-1

 元禄十三年社殿再建、享保十一年鳥居造立、嘉永二年鳥居造立。
※宝林寺法印が宝厳院を介して十二神社(十二所権現社)の分霊を祀ったといわれる。
※十二所は、十二柱の神々の意。

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羽黒神社

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○羽黒神社・権現さま
 川口市東内野

 地蔵六体と「およし地蔵」がある。

権現様 について

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○およし地蔵(真言宗院明山長福寺)


※明治時代、東内野では天然氷を製造販売(氷用室に保存)していた。(川口自然公園西側)

※川口市芝6299・長徳寺西隣には氷室神社が残る。

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熊野三社

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○熊野大権現(熊野神社・熊野三社)
 川口市神戸雀田89

熊野様 について

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 享保八年創設、明治三十九年木曽呂朝日神社に合社、1951月9月復元。  伊邪那岐命・伊邪那美命・菊理姫命を奉る。 二月十六日、五穀豊穣・無病息災を願い「日社講(おびしゃ)」高盛の儀。


○神戸浅間神社
 古くは浅間神社があり、社南側には高さ約10m・胎内めぐり約30mの横穴(あほぐら)を有する富士塚があった。(現グリーンセンター見沼用水側)

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日枝神社

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○日枝神社・赤山城跡・赤山陣屋敷址
 川口市大字赤山218

 赤山陣屋空堀掘削の廃土で築山とし、伊奈氏創建。
※赤山陣屋内には、八幡社や天神社があったといわれる。

城跡 について

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☆赤山山王権現社本殿 付覆屋・狛犬 
 江戸時代

 赤山陣屋の一角に祀られ、赤山陣屋敷絵図面にも記されています。創建年代については明らかではありません。 「新編武蔵風土記稿」によると、江戸時代には村の鎮守と記されていました。 同社内に八幡社、天..

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安行桜

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○安行桜
 川口市密蔵院 他

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☆安行桜
 1952年頃沖田雄司が、安行田中一郎家の早咲桜を接木して育てた。 その後、 埼玉県立植物見本園(現植物振興センター)中村博士と小清水亀之助らと「安行 緋寒桜」と名付けた。 後に「安行桜」・「安行大寒桜」と呼ばれるようになり、蜜蔵院(密蔵院)の参道にも植えられた。
※穂木の原木は、幸手権現堂桜並木の中に変種であるのてはともいわれる。

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かね山古墳

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○かね山古墳
 桜区大字白鍬


※この辺の古墳は個人所有。

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☆市内西部、鴨川流域に位置する「大久保古墳群」のひとつです。 古墳群の中で墳丘が残っている古墳としては、最も北側に位置し、直径15m・高さ2.5mの円墳です。 1971年に古墳の北側を発掘調査したところ、古墳の周りに掘られた周溝の内側の直径が40mに及ぶことが確認されました。 周溝からは円筒埴輪の破片も出土し、六世紀後半に造られたものと考えられています。


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○権現塚古墳

☆市内西部、鴨川流域に位置する「大..

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お化け燈籠

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○お化け燈籠

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お化け灯籠(おばけどうろう)
 佐久間大膳亮勝之が東照宮に寄進した石造の燈籠で、
 奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之
 東照大権現御宝前石燈籠
 寛永八年辛未孟冬十七日
と刻字し、寄進者・寄進年月を知ることができる。 寛永八年当時、東照宮は創建して間もなく、社頭には、現存の大鳥居・銅燈籠・石燈龍などは、まだわずかしか奉納されていなかった。 勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進したのである。
 勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男・母は猛将柴..

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高虫氷川神社

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○高虫氷川神社
 蓮田市高虫1702

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 氷川神社は、東京都・埼玉県に多く、元荒川を東の限界とし、西は多摩川を限界とした区域にのみ多い神社です(その他の地方では、神奈川県・千葉県・北海道に1社、茨城県・栃木県に2社あります)そしてその多くは、埼玉県大宮市にある大宮の氷川神社の分霊を移し祀ったといわれています。
 祭神は、須佐之男命・稲田姫命・大己貴命の三神です。  須佐之男命は、出雲国簸の川上で八岐大蛇を退治し、稲田姫命を妻と迎えました。 ..

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地福寺

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○地福寺
 和光市白子2-18-1、048-461-2032

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Wako_jufuku5石神さま
 御石神が転訛して「おしゃくじん」ともいわれる。

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☆地福寺 石神詞 
 吉田東伍博士の「大日本地名辞書」に『白子駅南の小寺の境内一樫樹あり、その皮肉の間に挿入する所の石器ありて、四五寸許を露出す、石器は謂ゆる石棒の類とす』とあるもので、以前には石神大権現という詞があったが焼失し、御礼も樫の枝閲に陽石の突出した図を措き、「地福開運石神大権現」「武州白子」と刷ったものを出..

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羽黒権現宮

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○戸田川渡口 羽黒権現宮・羽黒霊泉
 上戸田氷川神社、戸田市上戸田3-20-11

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 上戸田氷川神社の創立は、縁起によると永徳二年(1382)と伝え、古くから旧上戸田村の鎮守として祀られてきました。 祭神は、素戔嗚命で、明治六年に村社となり、明治四十年に旧上戸田村にあった羽黒社、道祖神社、山王社、稲荷社などを合祀しています。
 境内には、寛政十年(1798)の銘がある石造の大鳥居や、延宝元年(1673)十月造立の市内で最も古い庚申塔があります。 羽黒社は合祀されていますが、以前はボ..

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鎮守子日宮

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○鎮守子日宮
 川口市新井宿157 

子日神社
 子聖権現として東新井宿村の鎮守であった。(文化三年)  初子の日に収穫祭「子祭り」が行われたことから、「お日待」「子祭り」から子日神社とよばれたらしい。

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越谷御殿跡

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○越谷御殿・御守御殿
 越谷市御殿町

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 徳川家康越ヶ谷鷹野狩のさい、會田出羽家にて休憩のおり付近の景色が気に入り、御所望遊ばさるままに會田氏がこの地を献納した。 慶長九年増林御茶屋御殿をこの地に移すも、明暦三年江戸大火にて江戸城内に移設、跡地を林とし小林藤左衛門・濱野藤蔵が御林守となったが、元禄八年検地により貢税の地となり、御守殿跡は権現林として小祠を祀るのみとなった。

☆会田出羽家
 慶長九年出羽陣屋のうち六町歩を徳川家康に寄進し越ヶ谷御殿築造、元禄八年武蔵国幕領総検地により江戸に..

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黒浜久伊豆神社

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○黒浜久伊豆神社
 蓮田市黒浜1346

慶長十六年創建

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☆当社は室町時代の享禄年間(1528年頃)に騎西町の玉敷神社より勧請されて、その後江戸時代の慶長の16年(1611年)勝利正(すぐれとしまさ)(元上総国真里谷城主<千葉県木更津市>三河守重信の子孫、小田原城落城とともに身をかくし、当地に修験者となり居を構えた)が願主となり再興したと伝えられます。
 宝暦2年(1752年)には神祇管領ト部兼雄より久伊豆大明神の弊帛を受け、明治4年(..

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八潮市立資料館 (1)

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八潮市立資料館
 (八潮市南後谷763-50、月休、048-997-6666)

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八潮市 について

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☆八潮市垳
 他には無い地名。 八潮は、八幡村・潮止村・八條村が合併してできた。



八潮のむかしばなし

○月夜に光る丸木舟(西袋・柳之宮)
 西袋の蓮華寺のわきの田んぼは、まん月の晩にかぎって、ピカッ、ピカッと光ったそうな。 何でも、そのように光るところには、丸木舟がうまっているそうな。 


○たから船のちんぼつ(大原・浮塚・南川崎)
 むかし、八潮は海だった。 この海をば、..

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厚焼玉子

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○厚焼玉子
 有限会社扇栄・王子扇屋(東京都北区岸町-1-7)

 関東風の甘い味付け。
※出汁巻きの関西風、関東の鍋は正方形・関西は長方形といわれる。

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☆玉子焼き
 玉子は、黄金色でめでたい(二色=錦)・鶏は卵をたくさん産むので子孫繁栄 、などとされた。 
※出汁巻き玉子は関西風、江戸前玉子焼きは出汁を入れず・海老や白身魚や山芋 などをすりおろしたものをつなぎとし・四角く焼いた、といわれる。


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☆王子・扇屋
 扇屋三右衛門が慶安元年創業、飛鳥山麓音無川沿いに軒を並べていた料理屋..

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愛宕山

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○愛宕神社(港区愛宕一丁目五番三号)

※東京23区の最高峰は愛宕山、標高が25.7mもある。

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出世の石段(男坂)と女坂

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○愛宕塔
 かつては、木造三階建ての見晴らし台があった。

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Atago18761876年

Atago_18801880年

Atago_meiji○愛宕山からの眺め

Atagoyama81愛宕山

Atago_gongen愛宕山権現社

Atagoyama1880○愛宕山・1880年

Bakumatsu_atago愛宕山より東京湾

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両国の花火

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東都両国ばし夏風景(名所江戸百景)

花火 について

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東都両国夕涼之図(名所江戸百景)

☆両国の川開
 八代将軍徳川吉宗の時代、大飢饉・コレラ流行などにより死者多数、このため享保十七年五月二十八日水神祭を催す、その後盛大となり両国橋上流は玉屋・下流は鍵屋の花火大会となった。

☆花火屋
 慶安元年七月の禁令にて花火製造禁止。 その後、両国吉川町玉屋市郎兵衛と横山町鍵屋弥兵衛が認められた。

☆玉屋と鍵屋
 享保十八年隅田川・川開きで大がかりな花火が打ち上げられた。   万治元..

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桜まつり・幸手市

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幸手桜まつり@幸手権現堂桜堤(県営権現堂公園内)

桜もスゴイが、露店もスゴイ(一列に並んで約100店)。

について

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Saitama_gongendo○権現堂堤

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歴史と民俗の博物館

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埼玉県立歴史と民俗の博物館
 (さいたま市大宮区高鼻町4-219)

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☆埼玉県立歴史と民俗の博物館  1971年開館。

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○大宮公園内遺跡
 1955年に行われた発掘調査で、弥生時代後期の竪穴住居跡一軒と弥生時代後期から古墳時代初頭と見られる方形周溝墓一基が確認されています。


☆埼玉県選定重要遺跡
大久保古墳群(さいたま市桜区)、側ヶ谷戸貝塚(さいたま市大宮区)、側ヶ谷戸古墳群(さいたま市大宮区)、五味貝戸貝塚(さいたま市西区)、大和田陣屋跡(さいたま市見沼区)、永田陣..

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天狗岩用水

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天狗岩掘割之図

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○天狗岩用水
 慶長年間、総社藩主秋元越中守が、利根川からの灌漑用水を計画しながらも地勢が高くて苦労していた。 ある時、身の丈八尺程の威容優れた老人が現れ「地の利を図って導けば水をひくことができる」というので、其の人物に命じて工事を始め・巨石を割り・丘を切り、いくばくもなく利根川の水が用水を流れ・千石の米が採れる田が開けた。
 工事が終わると老人の姿が見えなくなったので、あれは天狗様だったのだろうと「天狗岩用水」とよぶようになり、羽階権現を秋元氏の守護神として祀る..

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八王子丘陵

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○八王子丘陵
 太田市・桐生市・みどり市にかけて点在する低い山塊。 中・古生代の陸地に、新生代に大火砕流に覆われ・地殻変動で海底に沈んで疑灰岩・礫岩が厚く堆積し、南西側に傾きながら隆起したとされる。(隆起のさい断層で凸凹になった)

※八王子権現・八王丸道行
 家康の後妻の子八王丸を祀ったのが八王子権現、その地を八王子。(あくまでも伝説)

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東村(勢多郡)伝説

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○草木八景
 タツノ口(竜が口を開けた形)・タツ石・トウロウ石(姫様が灯明をつけたとも)・四十八か石(穴が48あった)・メガマ石・オガマ石・弘法の割り石・オボシ石

○小中鉱泉

○万太郎淵
 万太郎が魚釣りをしていたらクモに糸をかけられた。

○カリガケの滝
 カッパが出たらしい。

○天狗の森

○袈裟丸山
 弘法大師が寺を建てようとしたら、天狗が一谷隠したので九十九谷しかないのであきらめ、自分の袈裟を丸めてぶちゃった。

○板東太郎の大石
 割ると血が出るといわれる。

○板東太郎の大岩
 伊勢参りをしたとさ..

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群馬での暮らし:空中ケーブル

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○利根郡東村穴原
 片品川にかかる空中ケーブル(手動)のみが交通路だった利根郡東村穴原集落に、 ついに吊り橋「しまぶるい橋」ができた。(1951.11.20)

※赤城明神軍と日光権現軍の激戦地が、穴原山原野ともいわれる。(穴原温泉)

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グンマの昔:熊野神社

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○日本武尊と熊野神社
 陸奥国・蝦夷を平定し上野国から碓氷峠にさしかかった日本武尊は、自分の身代わりとなり海に身を投じた妻の弟橘姫を偲び「ああ、あづまやはや」と嘆いた。
 ある時、日本武尊が碓氷峠にさしかかると、悪神が城鹿に姿を変え襲ってきた。 そこでニンニクを投げつけると城鹿の目に当たり痛みに逃げ去った。 それ以来、この峠をとおる者はニンニクを持ち歩くと悪神が近づかないとされる。
 またあるとき、深い霧に包まれたとき数羽の八咫烏が現れ、くわえたナギの葉をおとして道案内し..

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日本の神々

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☆日本最初の神様
 天地初発之時、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神が高天の原に誕生した。 続いて「別天の神々」が登場し、その後に地上の神「神世七代」が登場した。 一番最後が、伊邪那岐神と伊邪那美神、この二神の間に次々と神が生まれ・そしては神々の誕生ブームとなった。  時が流れると、亡くなると神様になる人々があらわれた。 早良親王・菅原道真・平将門・武田信玄・上杉謙信・徳川家康・吉田松陰・明治天皇・乃木希典、など多数。
※浦島太郎もその一人。


【日本神様御祈願担..

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邑楽伝説(邑楽郡、現板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町)

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○玉取姫
 秋妻村の長者の娘は、どうしても「竜宮の玉」が欲しくてたまらなかった。 意を決し・命と引き換える覚悟で竜宮に行くと、玉を手にし帰ろうとした時、竜神に追いかけられ・門の敷居につまづき、やっとのことで玉を自分の乳房の中に隠して逃げ帰った。  しかしながら、この傷がもとで死んでしまった。 こうして、秋妻では門を立てないとした。

○万寿二年、宝日向なる者が来て、沼の辺に居を構え・釜の鋳造(鋳物)を始めた。 なので地名「日向」、鋳物につかうフイゴ(タタラ)から「多々良沼」とよ..

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グンマの昔:沢渡温泉

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沢渡  
 この地は、菅ノ沢・大沢・砥沢・楢の沢・白石沢・権現沢、など沢が多かったので沢渡とよばれるようになったらしい。

 温泉の由来は、
①湯原が繁昌していたころ、湯元主人に恨みを持った女中「とり」が損馬の骨を源泉に投げ入れたため、湯原の湯が沢渡へ移った。
②湯原の繁昌で待遇が悪くなった女中が損馬の骨を源泉に投げ入れたため、湯原の湯が沢渡へ移った。

 ともいわれ祟りを恐れた沢渡では、正月十四日に「鳥追い」をするようになった。

※沢渡温泉には、ヌル湯・熱ノ湯・メノ湯・ナラシ・瀧ノ..

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新田伝説(新田郡、現太田市・みどり市・伊勢崎市)

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○笠懸桜塚・園田屋敷の地蔵様は、賭事の地蔵様だった。 そのため賭博人が「かけら」を求めたため、頭・手が無くなってしまった。 その後、復元されたらしい。

○岩宿の天王様は、疫病が流行った時に担ぎ出されて、疫病を追い払った。(1962年)

○平安時代、新田荘では鹿に田畑を荒らされたので、領主園田太郎家茂が「鹿専用畑」を作らせ・通常の畑と分離したので、この地を「鹿田」とよんだ。 
※山田郡小倉村の鹿田との説もある。

○葬式が家から出る時坊さんが鐘を「ジャラン・ボーン」と鳴らしたので、葬式を..

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太田伝説(2)

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○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

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新里村伝説(勢多郡新里村、現前橋市)

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○弘法大師が杖で掘ったら清水が湧いたのが「弘法の井戸」。
○藤原秀郷が植えたのが、板橋・秀郷の末並木。
○藤原秀郷が橋を渡る途中で足下を見たら大ムカデだった。 そこでムカデを象って鳥居にしたのが「板橋・百足鳥居」。
○藤原秀郷が戦勝祈願に杉を植えたのが「藤太杉」。
○赤堀道元の娘のお供が責任を感じて腹を切ったのが「地蔵坂(腹切り坂)」

○上板橋に小豆洗い(アズキゴシゴシ)がでた。 見た人もいた。
○機織りを眺めていた六部に少し切ってあげたら、その機はいくら切っても次々に織れるようになっ..

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伊勢崎伝説(現伊勢崎市)

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○七夕にはメズラ畑に入ってはいけない。
○子供に新しい着物を買ったらまず七夕様に供える。
○権現山頂上の石に刻まれた文字が読めれば、金の鞍をつけた白馬が飛び出してくる。
○五郎兵衛墓場(石宮)は虫歯の神様。
○半夏の日には笠をかぶるな。
○広瀬川・タネン淵にはカッパが出た。
○広瀬川に流れ着いた矢を祀ったのが太田町・五郎神社。
○八坂堰近くに生える蘆が片葉なのは落人の怨念。
○宮子町にキリギリスがいないのは宮子大明神の髭をかじったから。

○平家一族がヤナギの箸を地に挿したのが「逆さ楊」となっ..

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サージタンク

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○東京電力佐久発電所(1928年竣工)・渋川市北橘町

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○天狗岩用水と午王頭川との立体交差
 上のコンクリートが天狗岩用水、下に見えるのが一級河川午王頭川。


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《グンマを話そう》
○天狗岩用水
 慶長年間、総社藩主秋元越中守が、利根川からの灌漑用水を計画しながらも地勢が高くて苦労していた。 ある時、身の丈八尺程の威容優れた老人が現れ「地の利を図って導けば水をひくことができる」というので、其の人物に命じて工事を始め・巨石を割り・丘を切り、いくばくもなく利根川の水が用水を流れ・千石..

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グンマの昔:山王猿

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○棟高の山王猿
 堤ケ丘小学校東隣・真言宗大乗寺奥、雌猿の石像が棟高の山王猿。

※一部赤いのは、願掛けにべにがら(べんがら)を塗る風習があるため

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☆山王権現、明治の神佛分離にて日吉神社となった。
 館林観昌寺の山王権現、群馬郡堤ヶ岡村棟高・大乗寺の石造山王猿、勢多郡荒砥村石山観音の山王猿、群馬郡久留馬村の山王猿。
※願掛けには紅をつける

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グンマの昔:山王大権現

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○金井原のタイコノボー(山王大権現・長光寺)

 左右に眷族猿を従えている。 かつては上金井原にあったがのが下金井原に移して祭祀したとされ、子供の欲しい人・下の病の人に信仰厚い。(タイコノボーの祭日4月12日)

 ある昔、榛名山で鉄砲ぶちしていると孕んだ雌猿を見つけ撃ち、背負って帰るといつの間にか石になっていた。  これは山王様に違いないというので、山王大権現に祭ったとされる。

※本件は調査待ち

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○金井原のタイコノボー
 山王大権現・
長光寺

※写真はタイコノボーの御神木

Tatebayashi_gongen8館林観性..

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都まんじゅう

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都まんじゅう
 (つるや製菓@八王子市旭町7-8、042-626-0223)


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○武蔵中央電気鉄道・八王子追分(1929年開業)


☆三太郎
 八王子から江戸見物に来た三太郎を笑いの種とした。(当時の八王子はド田舎だった)


Hachioji01八王子

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Asakawa浅川停車場

Asakawa1934○浅川駅前・1934年


☆八王子
 八王子権現に由来。 千人同心がおかれたので千人町。

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群馬での暮らし:グンマまじない

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○魔境の邦グンマ 【グンマのまじない】
 グンマで生きるにカナラズ役立つ【まじない術】。 これを覚えねば命の保証はない。

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足が痛い→子の権現に草鞋をつくってあげる。
いぼ→米粒でなぜる。
いぼ・あざ→神社の小石を貰ってなでる、治ったら倍にして返す。
漆にかせたとき→おわんに孔をあけてさげる。
えぼ→米粒を雨だれおちにうめると、腐るころには治る。
男四十二才になると、村の辻に酒を供え・褌を落として厄おとしとする、女は蜜柑と櫛・手拭い。
かぜ→うるしの木に..

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春駒まつり

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開催日 2月11日(祝)
場所  川場村門前地区

 金甲稲荷神社の祭日に奉納されるまつりで、2月11日に行われます。 女装した若者が唄と踊りを 披露しながら門前地区内の家々を廻り、家内安全と養蚕豊作を祈願する、全国的にも知られたお 祭りです。

お問い合わせ【川場村役場むらづくり振興課TEL.0278-52-2111】





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 春駒はグンマ各地にみられ、女一人(高山村)・母と娘(川場村)・爺さんと婆さん(上野村)、などがやって来た。 しかし、養蚕業の衰退・芸人の高年齢化などにより消えた..




YAMADA

ぐんまわらべうた:じゃおうじ

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○じゃおうじ(ふきのとう)捕り

じゃおうじ権現 水権現
今でじゃ出めえ
出なけりゃ
焼けしむぞ

※じゃおうじを細かくきざんで生味噌と練り、ツケギに塗りつけて焼くと、風の特効薬となった。  また六合村では、じゃおうじ味噌が風邪薬でもあった。

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グンマの昔:沼田城・鐘楼

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鐘楼(昭和初期)

 1634年に真田信吉が鋳造させ沼田城にあった「城鐘」(群馬県指定重要文化財)は、廃城ののち寺社で保存されていたが、旧沼田町役場敷地内の「時鐘(ときのかね)」に流用され、その後本丸内に鐘櫓として復元された。

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《グンマを話そう》

○権現荒

 1681年8月31日、沼田城主真田伊賀守は江戸両国橋の掛替御用木を請負い、中山村三嶋権現の神木を伐った。 すると七日七晩、大暴風雨で93ヶ所崩壊・家屋倒状多数の大惨事となった。

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グンマの昔:伊香保ケーブルカー

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○伊香保ケーブル鉄道(関東鋼索鉄道株式会社)
 1929年伊香保~ヤセオネ峠間に施設開業、1934年伊香保ケーブル鉄道に改称、戦時中は撤去されたが再建したものの、1966年廃止。(傾斜長2090mは当時最長)

※左側の駅舎は1947年カスリーン台風で流失。

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○ヤセオネ駅
 伊香保神社から峠まで約5kmの道は急峻な山道が続き馬でさえ「骨まで痩せる」といわれたところから「ヤセホネ→ヤセオネ」になったといわれている。

○ヤセオネ峠
 ある昔、伊香保明神..

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浅間山

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1938.6.30

Asama1973

1973.2.1

Asama19730310浅間山・1973年3月10日


《グンマを話そう》

○上野と信濃の戦い
 1781年秋諏訪神社に、上野国の神々(白雲山妙義大権現・榛名満行大権現など)と信濃国の神々(戸隠山大権現・浅間山大権現など)が集まった。 その席上、「昨今神の威光がが衰退しているのは神々の行いが悪い」と上国対信濃国の論争になり、ついにはエスカレートして浅間山大噴火となった。 
 その結果は、上野国の被害甚大・信濃国の被害軽微であった。(信濃国側には善光寺如来..

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群馬での暮らし:竜宮の椀

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《グンマを話そう》
○利根村:竜宮の椀
 吹割の滝の底は竜宮に続いていると言われていました。 ある昔、利根村追貝の若者が嫁をもらうことになりましたが、貧しくて客用の膳と椀がありません。 そこで竜宮にお願いしようと、滝の上手から手紙を流しました。 翌日滝へ行くと、お願いした膳と椀が岩の上に置いてありました。 嫁迎えを無事すませた若者は、膳と椀をきれいに洗って返しました。 やがてこの話が広がり、多くの村人が膳や椀を借りることが出来ました。
 ただ、ある村人が返し忘れたことがありました..

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群馬での暮らし:海

山田君の世界

《ぐんまぐんぐん キャンペーン:海有群馬》

【群馬にも海があった】
 邑楽郡板倉町には貝塚(寺西貝塚・離山貝塚・一峰貝塚・権現沼貝塚群など)が多くあることから、10000年位前は海に面していたと考えられる。

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狸最中

山田君の世界

たぬきモナカ
(狸屋@北区王子 権現坂)

 7cm程の最中、左は粒餡・右は白餡、その場で詰めてくれる。 最中としては、チョット大きめ。 「狐最中」ではなくて、「狸最中」なのも不思議ではある…

 最中の皮(最中種)は餅米から作られた一種の餅、その語源は、月見の菓子を「最中の月」と言われた事によるらしい。

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たぬきもなか

王子物語

王子で見かけた 「狸最中 」 
(王子 権現坂 狸屋)

 王子と言えば、狐・ミミズク、と思ったら、狸もあった。 昔は、一回り小さかったらしい。 さしずめ、これは親狸か。
 昔ながらの素朴な味で、美味しい。(黒餡と白餡がある。 皮だけでも、パリッとして美味しい。)


Bakumatsu_ohji王子権現豊年祭

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