So-net無料ブログ作成
検索選択

陸軍豊島ドック

Kitaku_rikugun1

○旧陸軍豊島ドック跡(船留まり)・板橋火薬製作所王子工場跡
 東京都北区豊島2、現豊島公園

 かつて陸軍が、隅田川から石神井川を経て第二造兵廠王子工場へ物資を運んだ。

陸軍 について

Kitaku_rikugun2

Kitaku_rikugun3

Kitaku_rikugun5b石神井川口

Kitaku_rikugun6隅田川口

Kitaku_rikugun7

Kitaku_rikugun9

○豊島公園(豊島ドック跡)
 板橋火薬製造所王子工場跡地と石神井川を結ぶ水路が埋立られ現在の区立豊島公園になりました。 この場所には明治~大正期につくられた豊島ドックと呼ぼれる堀割があったが、軍の施設でもあったため、詳細な資料は残されていません。 ..

YAMADA

保木間堀親水水路

Adachiku_hogima01

○保木間堀親水水路
 足立区東伊興

水路 について

Adachiku_hogima02

※周辺に寺が多いのは、浅草の寺々が震災で引っ越してきたためらしい。

Adachiku_hogima03

Adachi_hogima31

Adachi_hogima32

Adachi_hogima33

Adachi_hogima34

Adachiku_hogima09

YAMADA

奥の山古墳

Gyoda_okunoyama21

さきたま古墳公園・埼玉古墳群
 行田市埼玉

○奥の山古墳

Gyoda_okunoyama22

Gyoda_okunoyama23

Gyoda_okunoyama24

Gyoda_okunoyama25


☆北鴻巣駅から武蔵水路に沿って、「さきたま緑道」を歩いてくると、最初に見えてくる古墳が奥の山古墳です。
 埼玉古墳群の多くの古墳が大字埼玉に分布していますが、奥の山古墳や中の山古墳は大字渡柳にあります。 渡柳地区にある古墳は、東から戸場口山古墳・中の山古墳・奥の山古墳と並び、一番奥にあることからこの名前が付けられました。
 1968年に周堀の一部の発掘調査が行なわれ、埼玉古墳群では唯一、一重で盾形..

YAMADA

旧小松川閘門

Koutouku_nakagawa13

○旧小松川閘門
 東京都江戸川区小松川1-1

Koutouku_nakagawa11

 旧小松川閘門は荒川と中川の両放水路開削により水位調整を図るため、昭和5年に完成しました。現在は水上交通の衰退により廃止され、小松川公園内に保存されています。

Koutouku_nakagawa12

Koutouku_nakagawa14

Koutouku_nakagawa15

YAMADA

鴻沼 メモ

Urawa_kounuma92

鴻沼資料館(こうぬま・高沼)
 (さいたま市桜区西堀4-1-4、9:00~12:00、月木休)

Urawa_kounuma91

☆鴻沼
 江戸時代に、現在の下落合から鹿手袋にかけてあった南北に細長い沼で、沼の周辺17ヶ村の農業用の溜井として利用されていました。 その後、江戸時代中頃の享保年間に井沢弥惣兵衛為永によって、沼の中央部に排水路が開削され、同時に北袋の見沼代用水西縁から引水し、今までの鴻沼の水の代わりの用水として「鴻沼用水」という名称で、以降270年にわたる長い間近隣の水田を潤すことになりました。   ..

YAMADA

高尾駅

Takao11○高尾駅@東京都八王子市高尾町

Takaoeki31

○ホーム柱に残る弾痕
 1945年7月8日浅川空襲時

八王子 について

Takaoeki32

Takaoeki33

Takaoeki34


Takaoeki21○煉瓦アーチ橋・用水路

Takaoeki22

Takaoeki23

Takaoeki24


Takao81

Hachioji_takao1

Hachioji_takao1

YAMADA

向島用水親水路

Asakawa00

水路用水 について

Asakawa01

Asakawa02

向島用水親水路@日野市新井

Asakawa03

YAMADA

荒川

Arakawa0715b

○荒川
 明治四十三年の大洪水後、河川改修が行われ、下流に荒川放水路建設・上流の拡幅や直道化工事・調整池や堤防建設が行われた。

Arakawa0715a

Arakawa0715c


○荒川放水路
 1911年、上流川幅455m・河口部川582m・全長22kmの放水路を開削した。
※工事完成は1930年

☆荒川放水路
 大雨のたびに氾濫した荒川、治水のために造った支流が荒川放水路(後に荒川とよばれる)、本流だった方が隅田川とよばれるようになった。


Iwabuchi1924旧岩淵水門・北区志茂(大正十三年)

Kawaguchi1939旧三領水門・川口..

YAMADA

鳩ヶ谷の藍染

Sr03

○紺屋呉服店(坂の紺屋)
 明治時代は、見沼代用水を利用し藍染をしていた。 古くは、上町に藍玉を売る商いがあり・近隣では藍染が盛んであったらしい。

Sr02

川村染工場跡

※古くは、まる初・紺喜・紺鉄・紺善(旧川村染工場)・坂の紺屋(紺屋呉服店)・紺孝・稲荷の紺屋・紺吉、の八軒あった。

Kawamura1

川村染工場(藍染)
 安政五年~

Kawamura2

藍瓶


Tonbobahi2

○とんぼ橋の橋石
 見沼代用水の主要分水路の一つ平柳用水に架けられていた橋石。 延宝5年(1677)の年号が橋名とともに刻まれている。 橋を渡る..

YAMADA

高崎の地名 (2)

Takasaki58

○高崎市町名由来

○あら町:和田城時代、金井宿・馬上宿に次いでできたので新町。 あら町と本町と田町で三伝馬といわれた。

○引間町:千葉常将が船尾山焼き討ちのさい寺側の僧兵の抵抗にあい、兵を引いたのが引間(引馬)。

○堰代町:熊野神社を挟んで北側は堰方役人屋敷、南側は城代の組屋敷があったので、堰代町。(1973年)

○煙草横町:舘たばこ・光台寺たばこ、を売っていた。

○嘉多町:1774年、本町から片町が独立し嘉多町と改称した。

○歌川町:藤原定家と藤原家隆が「歌の橋」で出会い、互いに歌を詠..

YAMADA

グンマを話そう:足尾

Gunma_watarase5

○足尾・渡良瀬川
 ある時、日光の山深い里で勝道上人が修行中、白ネズミが粟の穂をくわえているのを見つけた。 「こんな山奥に粟はない」とネズミの足に糸をつけその後を追った。 たどり着いたのは、山あいの村里・小さいながらも粟稗稔る豊かな村だった。 ネズミの足に糸(緒)をつけたので、その地が「足尾」。
 足尾の村中で川を渡ろうとしたが、橋もなく対岸へ行かれなかった。 そこで、弟子たちが渡れそうな場所・浅瀬を探し回った。 そしては、勝道上人が渡った浅瀬のある川「渡良瀬川」とよばれるよ..

YAMADA

グンマの昔:女堀

Onnabori22

○女堀(赤堀・東村)
 昔、尼将軍がこの地を豊かにしようと、赤城山麓ま利根川から用水堀をひこうと考えた。 そして、いく千人もの女陣をそろえ・簪で堀はじめた。  しかし西国定まで来ると夜が明け用水路はそこまでとなった。

※尼将軍については、桜姫とも北条政子ともいわれることがある。

女堀 について

Isesaki_onnabori1

赤堀町下触(しょうぶ園)

Isesaki_onnabori2

国定独古田

Isesaki_onnabori3

Onnabori29

※用水路や田圃を「おうな」とよんだので、これが訛って「おんな」となったとの説もある。

Onnabori38

YAMADA

グンマの昔:報恩の水道

Hoin21

○報恩の水道・吾妻町堀切
 ある昔、一人の坊さんが薬師堂に宿をとった。 しかし旅の疲れがたたり、病気になってしまった。 これを知った村人は長らく看護・世話をし、やっとのことで回復した。
 坊さんは恩返しに、水に困っている村民のために、水路をひくことにした。 それは谷から山一つ堀抜くものであり、毎日毎日少しずつ掘り進めた。 やがて村中が手伝うようになり数ヶ月経ってやっと完成した。 そしては村中喜び・お祭りさわぎとなった、そして坊さんはどこかへいってしまった。

YAMADA

グンマの昔:根利林業所

Neri22

○根利林業所
 伐採した用材を銀山平製材所(足尾銅山小滝坑)へ運ぶため、1898年赤城村砥沢に根利林業所(古河)が開設された。 当時、皇海山西麓一帯は根利山(練山)とよばれていた。

Neri21

 銅精錬に石炭が使われる以前は木炭が使われ、足尾近辺の山林を伐採しつくしたため、周辺の国有山林の払い下げを要求し、1882年頃には根利村へ達した。
 根利林業所は1910年頃の最盛期には1500人を超える従業員がいたといわれる。(砥沢集落・平滝集落)  根利地区から銀山平製材所までは、架空線(砥沢線..

YAMADA

道祖神:中室田股倉

Matagura31

○榛名町中室田股倉


《グンマを話そう》

○大和田の化粧水
 中室田の長者が、水の不便な上ノ原に嫁にやった一人娘のために、水路を築いて大和田の水を上ノ原へ送った。 これを「大和田の化粧水」とよび、後に改修され「上ノ原用水」となった。

YAMADA

グンマの昔:里見軌道

Satomikidou12

○里見軌道(上里見村字天水~字新道:4.12km・人車鉄道)
 里見石(安山岩)輸送のため、西毛馬車鉄道・中野軌道など計画されたが実現されなかった。 その後、1916年里見軌道株式会社設立、1920年上州石材を設立、1921年輸送開始、1931年正式開業、1932年営業廃止。 
 当初は、塚沢村大字飯塚~里見村を結び、烏側水力電気株式会社の発電所建設工事に係わる(水路と並行する)計画だった。

Satomikidou13中野軌道

Satomikidou15

○里見軌道(人車鉄道)
 採石し易い安山岩である「里見石」を販売し..

YAMADA

白米城伝説・桐生市城山

Iwabitsuyama

○白米城伝説・桐生市城山
 上杉勢が渋川城を攻め水路を断ったところ、渋川方は計略をもって山頂より白米を滝のごとく流し落とした。 遠目には水に見えたので、これを見た上杉方は、山上には水がたくさん残ってのいるので落城をあきらめたとされる。
 この白米城伝説は、いたるところに見受けられる。 

※写真は岩櫃山・東吾妻




○岩櫃山
 ある昔、武田信玄勢力が岩櫃城(城主・吾妻太郎行盛)を攻め水路を断ったところ、吾妻方は計略をもって山頂より白米を滝のごとく流し落とした。 遠目には水に見..



YAMADA

群馬での暮らし:女堀と桜姫

Onmabori

《グンマを話そう》

○女堀と桜姫
 ある昔の戦国時代、桜姫を大将とする軍勢が攻め入り東村に住み着いた。 桜姫は荒れ果てた野山を見て、田畑を耕し農作物を収穫しようと企てた。 それには水が要ると探したが、水源は何処にもなかった。 ならば、利根川から水を引こうと考えた。 桜姫は幾千という女軍勢を集めて簪で地を掘り起こし水路を築いたが、赤城の裾野はあまりにもなだらかで水が流れることはなかった。 それでも桜姫は自国をこの地に定めたいと願い「国定」と名付け、長く自国を治めた。
 今なお前橋から..

YAMADA

参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

YAMADA