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阿弥陀堂

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○阿弥陀堂
 川口市木曽呂

 六地蔵と猿田彦を奉る。 古くは、赤山源長寺僧侶の隠居堂だったといわれる。

阿弥陀 について

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猿貝貝塚

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○猿貝貝塚・猿貝北遺跡
 川口市安行805他

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○猿貝貝塚
 川口市安行字宮越990・川口市安行字大元790他

縄文時代
 安行式土器の標識遺跡。 大宮台地鳩ヶ谷支台の東部に位置し、東方から入る谷に面して台地肩部から斜面にかけて形成されています。貝塚は2箇所に認められ、北斜面の貝塚は東西約20m、南北約30m、西斜面の貝塚は東西約50m、南北約40mの範囲に広がっています。 貝類はヤマトシジミ、ハマグリ、カキを主体とする淡鹹貝塚です。

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○安行氷川神社
 川口..

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浦寺字町屋第四遺跡

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○鳩ヶ谷・浦寺字町屋第四遺跡
 川口市桜町

※現在消滅

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Kawaguchi_takainari高稲荷古墳

Kawaguchi_sarugai猿貝北遺跡

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社寺彫刻 メモ

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1.柱
 直立材。 上部の構造を受け、しじようを補強する材。 形から円柱・角柱・多角柱があり、彫刻は角柱に多い。 位置によって向拝柱・内陣柱などがある。 

2.蟇股(かえるまた)
 鉄の雁股から転じた語。 上下の横木の間に設けた斗束(短柱)の一種。 束は二股の雁股状をなし、上に斗を戴く構造材でもあり、装飾でもある。 形態は多様である。 

3.虹梁(こうりょう)
 梁の一種で、屋根の荷重を受け本屋と庇を繋ぐ役目をする。 種類・名称も多く、和..

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浅間の猿

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○浅間の猿
 羽根倉浅間神社・志木市上宗岡4-700

 猿は富士山の使者とされた。

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について

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☆こどもの好きなお稲荷様
 羽根倉浅間神社の境内にある蓮田稲荷には、神社やお堂などにあるような戸も木連格子もない。 そのことは、何でもこの祠を建てた時「こどもが入っていたずらをするといけないから」と世話人達が扉をつけたそうだが、その後世話人の一人が原因不明の病気になり、医者も薬も効果なく、どこかの神様にお伺いを立てたところ、このお稲荷様がお告げにあらわれ「わしの大好き..

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どうでもいいこと

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[どうでもいいこと]メモ



○あっけらかん
 江戸時代「あけらかん」は、口を開いてぽかんとしている様子だった。

○アリジゴク・ウスバカゲロウ
 アリジゴクが成長してウスバカゲロウになるまでの数年間、排泄しない。 獲物の体液だけを吸い取り、死骸は穴の外へ投げ捨てるらしい。

○イタチごっこ
 天保年間には「鼠ごっこ、鼬ごっこ」なる終わりなき遊びがあった。
※嬉遊笑覧

○ウクレレ
 ハワイ語で、ウクは蚤・レレは飛び跳ねること。 ノミが跳ねるがごとく、おどけながら弾いたらしい。

○おあ..

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埼玉県立自然の博物館 (2)

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埼玉県立自然の博物館@月休・長瀞町長瀞1417-1・0494-66-0404


 サメの歯は抜けても次から次へと生えてくるらしい。

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☆熊は動物の中で唯一直立して歩くことができる。 猿やゴリラも歩けるが、背筋をピンとのばして歩くことはない。


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背中が丸くなった状態を猫背というが、猫は四つ足であるから、猿背の方が正しい。

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楊枝

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楊枝入れ・楊枝

☆さるや
 宝永元年創業、よい香りがするクロモジを使った手削り。
※楊枝の他端が房で歯を磨いたのが「房楊枝」・「総楊枝」

楊枝 について

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さるや・楊枝専門店@中央区日本橋小網町18-10

 古くは楊柳の木で作ったので「楊枝」。 平安時代、仏家七物の一つとして貴族や僧侶の間に広く普及した。 「猿の歯が白い」・「楊枝屋が猿を連れて売り歩いた」などの説がある。 ただし、江戸では縁起をかつぎ「エテ屋」とよばれた。

※浅草仲見世には楊枝屋が多かったらしい。
※猿は歯が白..

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久喜市立郷土資料館

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久喜市郷土資料館・鷲宮図書館
 月休・久喜市鷲宮5丁目33番1号・0480-57-1200

久喜市 について

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鷲宮催場楽神楽


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鷲宮催馬楽神楽
 北葛飾郡鷲宮町の鷲宮神社の四月十日、十月十日ほかの祭礼に演じられるもので、「土師【はじ】一流催馬楽神楽」ともいわれる。もとは三十六座あったと伝えられるが、享保年中に十二座ほか一座のかたちに整理されたともいわれ、演目には、「神詠」「榊」「国堅」「猿田彦」など十二座と番外「天狐」がある。大太鼓、小太..

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根付

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Netsuke

骸骨の重石上げ 玉寿

骸骨の踊りに芸者と猿旦那 玉春


☆旦那
 古くは仏教語、サンスクリット語のダーナ(dana・布施)といわれる。

☆ろくでなし・宿六
 「ろく」はまともの意、まともでないから「ろくでなし」。 その後、「六」は卑しむことが多くなった。

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ようじ

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○こけし楊枝
 古くは、両端を削り・真ん中で半分に折って、製造していた。 この時の切断面が荒く・削ると黒くなる(焦げる)ので、さらに筋を入れて「こけし」のように見せたのがはじまりといわれる。


☆さるや・東京都中央区日本橋小網町18-10・楊枝専門店
 古くは楊柳の木で作ったので「楊枝」。 平安時代、仏家七物の一つとして貴族や僧侶の間に広く普及した。 「猿の歯が白い」・「楊枝屋が猿を連れて売り歩いた」などの説がある。 ただし、江戸では縁起をかつぎ「エテ屋」とよばれた。
※京都には..

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曲馬

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○曲馬
 明治四年招魂社境内にて沸国曲馬観世物興行、明治五年浅草寺奥山にて興行。 明治十九年伊太利曲馬団神田秋葉原にて興行

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☆曲馬団・サーカス
 明治四年フランスのスリエが来日し浅草奥山にて興行するも、ほとんどが馬芸で人気いまいち。  明治十九年イタリアの曲馬団が来日し秋葉原にて興行、馬・虎・ライオン・象・駝鳥・猿など連れてきて人気となった、団長はチャリネ。  後に日本チャリネができた。

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さとり

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○さとり
 民話では、読心術に長じた猿の化け物とされる。
※焚火などに暖まりに来るので、黒ん坊・おもい、などともよばれる。

について

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上野公園 メモ

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上野・東京今昔絵巻

Taitouku_uenodaibutsu1○上野大仏

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Taitouku_hakubutsukan○帝室博物館

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○エスカレーター(東京大正博覧会・大正三年)

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○ケーブルカー(東京大正博覧会・大正三年)

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○お猿の電車(上野恩賜公園動物園)

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○浅草松屋・屋上遊園地

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木曾街道六十九次

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○歌川国芳木曾街道六十九次 京都 鵺/大尾
   『平家物語』の巻四「鵺」が出典。 近衛天皇時代、毎夜黒雲が御殿の上にあらわれ、天皇をおびえさせた。 このため、源頼政が召され、家来の井早太と黒雲を退治することになった。 頼政が黒雲に矢を放つと、射られた怪物が落ちてきたが、頭が猿・胴は狸・尾は蛇・手足は虎の姿で、鳴く声は鵺に似ていたという。 この鵺を大きく描いたものが本図。

※「大尾」とはおしまいのこと。

について


☆平家物語
 「祇園精舎の鐘の声…」ではじまる..

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鯰押え

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○鯰押さえ(大垣)
 箱の紐を引くと、瓢箪を持った道外坊と鯰が回る。 瓢箪で鯰を押さえようとしている。
※地震のお守り「ひょうたん鯰」が源。 大垣祭り山車のからくり人形「道化坊」を玩具化。
※瓢箪鯰は、室町時代に措かれた「瓢鮎図」が源、猿知恵の意。

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○うずまの鯰・栃木市
 農民が助けたナマズがその恩返しに、巴波川でおぼれてい た農民の子供を救ったといわりる。 子育てのお守り。

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○鯰押え・青森
 大津絵の瓢箪絵をもとに白粘土で作られた。

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瓢鮎図


☆蓴菜で鰻繋ぐ・瓢..

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河童

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○河童像
 (磯前神社、飯能市中藤上郷438 )

 猿にも見えるが、頭に皿があるので河童らしい。

☆飯能
 朝鮮語で隣国の意、ハンナラ→ハンナム→ハンノウと転化した。

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○水虎像(すいこ)
 北津軽に見られる水虎様、甲羅は無い。 実相寺第十八第住職長円堯諦師(明治時代)が「水虎大明神」を祀ったとされる。

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○河伯の河童・松浦一酒造株式会社

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河童 vs. 天狗

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【河童】
◇棲息地
アイヌの神話から琉球の民話にまで登場していることから、北は北海道から南は沖縄まで広範にわたって棲息していたと考えられる。 
◇総数
九州に渡来した河童一族はその後繁栄し、多いときにはその総数9000匹を数えたという。 
◇身長
河童の体は伸縮自在であるので正確な値は定かではないが、河童図の記載などによれば最大で105cm、最小で21cm、平均60cm程度であったようである。 
◇特技
水泳。 一回の呼吸で12時間潜ってられるという。 また、体が伸縮自在で小さな水溜まりの中..

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長野原町

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 八ッ場ダム建設に伴い、仏像・道祖神・弁財天・大黒天・観音・地蔵・菩薩・如来・水神・蚕神・猿田彦・不動明など、多くの神様・仏様達が引っ越すこととなった。

※王湯・1991年

長野原町

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※川原湯温泉街・1981年


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八ツ場大橋(1935年頃)

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湯元敬業館(昭和初期)

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柴又帝釈天

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柴又帝釈天@葛飾区柴又7-10-3


☆柴又
 古くは、島俣・嶋俣。 後に、芝亦・芝俣・芝亦・柴又、など。

☆亀有
 古くは「亀無」・「亀梨」、亀の甲羅のような地形に関係したといわれる。 正保元年村民曰く、「せっかく亀は縁起が良いのに無ではダメ」そこで縁起良く「亀有」とした。

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山本亭
 山栄之助が浅草小島町から移り住んだ、大正末の建築。 大正十五年より増改築数回。

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寅さん記念館


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はじき猿(柴又帝釈天)

☆柴又帝釈天
 江戸末期、近郷..

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梅まんじゅう

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梅まんじゅう
 (道の駅ごか@茨城県猿島郡五霞町幸主18-1)

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獣の雨やどり

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○道外獣の雨やどり
 歌川国芳、天保後期(1830~1844年)頃。

 馬=やじうま、熊=あらくま、牛=車引き、羊=かみくず、狐=白玉うり、鹿=鹿の子、兎=びょうとう、鼡猟=竹じゅばん、猪=おはぎ、虎=竹うり、猫=ねずみ取り、猿=桃うり、いたち=ところてん、狼=ぼうず、犬=たでうり、狸=茶がまうり。

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○道外獣の雨宿り
 天保十三年頃。

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鯰天丼

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なまず天丼
 (レストラン華こぶし@道の駅ごか:茨城県猿島郡五霞町幸主18-1)
ここの鯰、おいしい!

※古くは、埼玉縣猿島郡五霞村。

☆鯰
 「古代関東に鯰はいなかったが、享保十三年の東国洪水で流れてきた」との説もある。

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鯰絵

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上方震下り瓢磐鯰の化物他
画像番号: C0090882
列品番号: QB-11034
時代: 江戸時代

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○鯰絵

「なまづさんおめえのおかげで今年ア久しふりでたわらで米をかつく餅をつきやしたからたんとあかってくたせいやし」

「これはこれはよくねれましたお礼に一しゃうかミました」

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○大津絵・瓢箪鯰(江戸時代)
 猿が瓢箪で鯰鎗を押さえている絵。 大津絵は、東海道大津宿で旅行者の土産物として売られた絵で、もともとは仏画であったという説もある。

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○恵比寿天申訳之記・安政2年(1..

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のぼり猿

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○のぼり猿
 のぼり旗に風を当てると猿が木に登り、風が止むと降りてくる。

について

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○昇り猿(延岡)
 風が吹くと幟が膨らみ・猿が昇る、三番叟姿のさるが昇るので出世を表す。 
※江戸時代、武士の内職から生まれたといわれる。

○弾き猿(柴又)
 竹の弾力で猿を弾くので「弾くさる」、訛って「災いを弾き去る」。
※登り猿が源。

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はじき猿(柴又帝釈天)

☆柴又帝釈天
 江戸末期、近郷の常右衛門が縁日に「はじき猿」を売り出した。   江戸中期、本尊が行方不明になり・庚申の日に見つか..

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歴史と民俗の博物館

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埼玉県立歴史と民俗の博物館
 (さいたま市大宮区高鼻町4-219)

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☆埼玉県立歴史と民俗の博物館  1971年開館。

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○大宮公園内遺跡
 1955年に行われた発掘調査で、弥生時代後期の竪穴住居跡一軒と弥生時代後期から古墳時代初頭と見られる方形周溝墓一基が確認されています。


☆埼玉県選定重要遺跡
大久保古墳群(さいたま市桜区)、側ヶ谷戸貝塚(さいたま市大宮区)、側ヶ谷戸古墳群(さいたま市大宮区)、五味貝戸貝塚(さいたま市西区)、大和田陣屋跡(さいたま市見沼区)、永田陣..

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判じ絵

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○歌川重宣(1847~1852)「勝手道具はんじ物・上」

 火打箱、釜、柄杓、猿棒、水瓶、片口、布巾、手桶、へっつい、薬缶、七輪、包丁、十能、ながし、膳碗、火消し壷、まな板、銅壷。

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○歌川重宣(1847~1852)「勝手道具はんじ物・下」

 火箸、茶釜、皿、鍋、ザル、せつかい、かうけ、火吹き竹、たわし、雑巾、焙烙、味噌こし、お鉢、すりこ木、おかもち、菜箸、灰ふるい、擂り鉢、めかご。

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よねまんじゅう

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○よねまんじゅう
 米汁で生地をつくり米粒形にしたので「米饅頭」、鶴屋の娘およねが創製したともいわれる。

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○米饅頭
 慶安年間浅草聖天町鶴屋の娘およねが売り出したともいわれ、鶴屋・麓屋・ひめじ屋など広く売り出されたが江戸末期には作られなくなった。
※延宝年間までは辻売りであった。
※コメで作った饅頭なので「米饅頭」とも。

☆米饅頭
 待乳山金龍山聖天院麓で売られていた、場所がらその形には俗的意味があったらしい。

☆鶴屋と亀屋
 江戸時代以前は、五軒の亀屋と二軒の鶴屋があった。(五亀二鶴)..

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おさる電車

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○おサル電車
 1948年上野動物園に子供専用の「おサル電車」走る。 猿の「チーちゃん」が実際に運転していたため、観客が食べ物を投げ入れる度に停まり、叱られると足で運転し拾い食いするようになった。
 人気がでると、1950年その運営は東京動物園協会から東京都直営となり利益を求めたため猿は座っているだけの豆電車となった。 1969年再びサルの運転となったが、1973年の「動物の保護ならびに管理に関する法律」成立により廃止となった。
※ハンドルを引くと走り、離すと止まる。

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Ueno1950お猿の電..

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塩の長司

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○塩の長司(長次郎)
 加賀小塩に住む塩の長司は家裕福にして馬三百疋持つも、常に悪食を好み死んだ馬の肉を味噌や塩に漬けて食らうも、肉が尽きたため老馬を殺して食べた。 それからは毎夜、馬が夢に現れ長司の喉に食いつき・口から入り・腹中を傷め悩ませて出ていくようになり、ついに長司は死んでしまった。

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☆やまくじら
 江戸時代、ももんじ屋なる肉料理屋が、いのしし・しか・きつね・うさぎ・かわうそ・おおかみ・くま・かもしか・さる、などの肉を食べさせたらしい。 ただし、表向きは薬食と称し、「イノ..

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グンマ幻の鉄道計画

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○碓氷鉄道
 アプト式官線では輸送量に限界があるので、トンネルを設けた南回りルートを敷設する「碓氷鉄道株式会社」を計画したが没となった。

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○桐生鉄道
 大間々を起点に、桐生で両毛鉄道連絡・太田で毛武鉄道接続・さらには東武鉄道に接続する「桐生鉄道株式会社」を計画するも没となった。

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○関東鉄道
 両毛鉄道前橋停車場を起点に、玉村・新町・藤岡・鬼石・秩父大宮への本線と、藤岡で別れて吉井への支線を結ぶ「関東鉄道株式会社」を計画するも没となった。 
※南側の人々が相手にしなかったらしい。..

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天狗岩用水

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天狗岩掘割之図

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○天狗岩用水
 慶長年間、総社藩主秋元越中守が、利根川からの灌漑用水を計画しながらも地勢が高くて苦労していた。 ある時、身の丈八尺程の威容優れた老人が現れ「地の利を図って導けば水をひくことができる」というので、其の人物に命じて工事を始め・巨石を割り・丘を切り、いくばくもなく利根川の水が用水を流れ・千石の米が採れる田が開けた。
 工事が終わると老人の姿が見えなくなったので、あれは天狗様だったのだろうと「天狗岩用水」とよぶようになり、羽階権現を秋元氏の守護神として祀る..

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藤岡伝説

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○弘法大師が杖を地に突き刺したところ水が湧きだしたのが「弘法井戸」。 高山・上の谷戸、根岸に三カ所、庚申山、三本木などにある。

○高山下組の「又平だいら」には酒が湧く泉があった。(樽湧き)

神流川は天正年間前は名もない狭い川であったが、ある年の大洪水で堤防でも防ぎきれず「火の神社・水の神社・木の神社・金の神社・土の神社」を祭った。

○平塚の沼は「大蛇の沼」とよばれた。 

○高山下組は「白塩」とよばれ、塩が湧いたとされる。

○十八町坂の途中の市衛門の洞穴には古狐が住んでい..

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砥沢砥石

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○砥沢砥石(上野村)
 江戸時代は「上野砥」とよばれ、幕府の御用砥であった。 猿に教えられて発見したとされる。 17世紀初め代官中野七蔵が奈良屋彦次郎に開発を命じる、1923年土豪市川氏が採掘開始、その後幾多の変還を経た。 17世紀初め全盛期をむかえ、江戸への輸送のため富岡町新田が整備された。


☆砥沢の砥石
 砥山の起源は不明、元和九年市川半兵衛が幕府に公認され幕府の御用砥となる。 その後、頻繁に経営者が 入れ替わり、弘化元年洪水により休山となった。


☆他山の石
 粗末な石でも..

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猿ヶ京

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まんてん星の湯(みなかみ町猿ヶ京温泉1150-1)

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永井宿郷土館

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○猿ヶ京関所
 村人が交代で関所人足当番に行ったらしい、そのためかなりいい加減で芸人が通ると「何か芸してみせろ」と芸を観て通したともいわれる。

○猿ヶ京
 昔は、野猿京と悪口をいう人もいた。 猿がいたので猿ヶ京ともいわれる。
※実際に山中には猿が多くいる。 猿がてでくる昔話も多い。

○昔、猿ヶ京でどんどん焼きから大火になったので、猿ヶ京には道祖神が無いらしい。

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猿ヶ京関所

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猿ヶ京関所

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関所役宅

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○猿ヶ京関所
 ある昔、手形を持たずに通りかかった旅人がおった。

役人:どちらから参った
旅人:越後から…
役人:なに江戸からだと
旅人:いえ越後…
役人:手形の無い者を通すことはまかりならん。 トットッと江戸へ戻れ!

と江戸へ追いやったという話がある。 

※多くの関所に女人道(抜け道)があった。 また門を閉じても穴をあけておく「犬くぐり」なるものもあり、これは犬専用なのでここを通るものはすべて犬とみなされた、という話もある。

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猿ヶ京・赤谷湖

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猿ヶ京カッパ公園・カッパ地蔵
 (群馬県利根郡新治村猿ヶ京温泉)

利根郡 について

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○カッパのおんがえし(赤谷・本宿)
 日照りで食べ物が無くなったカッパが、じいさん・ばあさんの住む水車小屋にやってきたので米を与えた。 その冬、じいさんが雪道で転んで足を折ってしまったところ、助けたカッパが出てきて、治るまで背負って足代わりになってくれた。 
※ただし、カッパの背中だったので、いつもビショビショになったらしい。

○かっぱのおんがえし(相俣)
 湯の原村相俣の..

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長野原伝説

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(石梨の木)

○「おきゃくまんま」とは米の飯。 お客専用だった。

○「三杯汁は馬鹿がする」といわれた。

○「女のもつべき穴一つ ささんとすれば毛がもじゃもじゃ つばきをつけてねじりこめ」、は針のこと。

○お供えを射ったら中から白い鳥が飛びだし・その家は貧乏になったので、「お供えを射てはいけない」。

○お熊野様の洞窟に鶏を放したら、鶏は越後へ出たといわれる。

○カッパが法印さんに教えたのが「骨接薬」、女人だけが作れたらしい。

○ダイダラボッチが高くしたのが浅間山・残った一もっこ分の土が小..

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上野国鉱泉一覧

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☆現在、グンマには約461の源泉(温泉地数は203ヶ所)がある。
 カルシウム鉱泉(黒保根)、 伊香保温泉、 磯部鉱泉、 猿ケ京温泉、 塩川鉱泉、 塩之沢温泉(上野村)、 塩平林鉱泉(多野郡日野)、 奥平温泉、 応徳温泉、 温泉沢鉱泉(碓氷坂本)、 下仁田鉱泉、 花敷温泉、 我楽目嬉鉱泉(がら)、 蟹沢鉱泉(原市)、 開場温泉(利根郡東村老神)、 勧能鉱泉(南牧村・勧能)、 丸沼温泉、 亀沢鉱泉(碓氷川浦)、 吉ケ谷鉱泉、 錦山荘鉱泉(清水鉱泉)、 穴原温泉(利根郡東村老神)、..

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グンマの昔:猿ヶ京温泉

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○猿ヶ京温泉


☆猿ケ京
 サルは崖・キョウは狭、の意。

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○猿ヶ京温泉
 1956年相俣ダム完成、生井(古くは温井)部落が赤谷湖底に沈み、湯島温泉から猿ヶ京温泉に変わった。  当初の湯島温泉は湯島河原とよばれ、交通不便な地で子どもの湯遊び場程度であった。
 1869年関所が廃止され、1889年頃に湯を1kmほど木管で 引き生井鉱泉(生井林温泉・笹の湯)が誕生した。  明治末になり小学校建設資金を得ようと村で県道工事を請け負ったが、難工事で赤字となり村所有の温泉湯権が民間へ渡ってしま..

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グンマの昔:岩櫃城

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○岩櫃城
 鎌倉時代、吾妻太郎助亮が構築したといわれる。 1192年源頼朝巻狩りのさい、高嶺山が櫃に似ているので「岩櫃山」となづけ・城を築くに絶好の地と吾妻太郎助亮に薦めた。

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 1349年岩櫃城主五代目吾妻太郎行盛は、碓氷・里見義時父子軍に攻め入られた。 要害の地を利用した堅城は難巧不落、持久戦となりついには水源を絶つ手段にでた。 もはやこれまでと覚悟を決めた行盛は、立石河原で自害した。 このとき、自らの首を対岸めがけて投げつけたとされ、のちに「首宮」とよばれるようになった。 ..

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グンマの昔:カッパの恩返し

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○カッパのおんがえし(赤谷・本宿)
 日照りで食べ物が無くなったカッパが、じいさん・ばあさんの住む水車小屋にやってきたので米を与えた。 その冬、じいさんが雪道で転んで足を折ってしまったところ、助けたカッパが出てきて、治るまで背負って足代わりになってくれた。 
※ただし、カッパの背中だったので、いつもビショビショになったらしい。

(猿ヶ京カッパ公園)

○かっぱのおんがえし(相俣)
 湯の原村相俣の西川と赤谷川の合流近く「千淵」・「万淵」に、カッパが住んでいた。 ある日、小野屋のばあさ..

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グンマの昔:祭文

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○祭文
 右手にホラ貝・左手に錫杖を持ち。各家の門づけ(玄関先)で唄った。 グンマでは「デロレン祭文」ともよばれた。

デレンデレン デレレレーン デレンデーン
さては一座の御方様 
伺いまする芸題は
わずか離れた安中の 
豆腐屋の二番息子の庄三郎
中のちようの召し捕りをば 
時間くるまでつとめましょう
デレンデレン デレレレーン デレレレデレテレレレーン


○門付芸(門付芸人)
 一般的には下記のものがあった。
千秋万歳、 松囃子、 傀儡子(傀儡・人形回し・でこまわし)、 萬歳(門付歌..

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グンマの昔:星穴岳

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○星穴岳
 ある昔、中木の山猿谷に長者がおり、その一人娘が二人の若者から婿を決めかねていた。 そこで長者は、二人の若者に言った「あの岩山に登り、大きな穴を開けた者を婿にする」
 その結果は写真のとおり。

※写真を見てもよく解らない

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大間々伝説(大間々町、現みどり市)

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○高津戸城の戦い
 父里見上総入道勝広の敵討ち(山越出羽と石原石見)を企てた里見勝政・勝安兄弟が居館としたのが、1100年頃に築城された高津戸城(1351年桐生国綱により廃城)。 しかしながら、本望を遂げられなかった。(里見十二騎の墓)

○新田芳重の隠し館
 新田芳重が一族の隠れ場所としたのが上州桐原牧新田金塚隠し館、農具・武具などを作った。 金塚は鉱石貯蔵所、ジャンジャン屋敷は溶解所。

○自然のままに暮らしていた念仏行者「行仙房」、村人達に尊敬され・見守られながら1278年..

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松井田伝説

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○碓氷関所付近の山は、栗拾いが禁止されていた。(関所破りと区別がつかないので)
○塩沢の地では、を山の神として祀った。(宮地の山の神)
○松井田町奥土塩の奥山に行った狩人三人が道に迷い山中で一夜を過ごしていると、どこからともなく美女が現れ静かに居座った。 気味悪く思ったがどうしても帰らず、薪もなくなったのでメンバを燃やしたところ、ドカーンとはじけ・その音で美女は消え去った。
※美女は猿の化物(さとり)とされる
○松井田大久保村の六地蔵・石灯籠が化ける というので、若侍が退治に..

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藤原伝説(現みなかみ町藤原)

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○七人仲間になって狩をしてはいけない。(七人狩)
○日本の三薬は、山は熊の胆・里は人参・海はオットセイ。
※藤原には熊がいた。 熊は木に牙痕をつけるので目印に熊穴を探した。(穴探し・寝当たり)
○狩の獲物は平等に分ける。
○カモシカの肉(カングラ)は薬になる。 
※クラはカモシカの意

○ヤエン(猿)の頭の黒焼きは脳病の薬。
○冬のムジナは脂分が多いので油の代わりに燃やした。
○二月八日と十二月八日は、籠を外に出しておくと鬼が来ない。 
※事八日。 メカゴの編み目がたくさんの眼にみえるので、鬼が..

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猿ヶ京関跡

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○猿ケ京温泉
 上杉謙信が関東出陣のおり、宴会の席で「今年は庚申の年・今日は庚申の日・我も申年、めでたいめでたい。 ならばこの地を猿ガ京とせよ」。

☆「今日は申の日か?」のつもりで「申が今日か?」と言ったとの説もある。

※江戸時代は関所が設けられた。手形は関所ホテル管理。

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グンマの温泉

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どこまで解るグンマの温泉。(温泉一覧)

 グンマには約461の源泉(温泉地数は203ヶ所)があり、約1/3が自然湧出泉で北部に多く・南部には掘削泉が多くある。  近年東部平野部で1000m以上掘る「大深度掘削泉」が広まった。(グンマ何処でも1000m掘れば,60℃程の温泉が湧くともいわれる) ただし、この大深度温泉水は地下停滞水と考えられ限りあるといわれている。
※泉温25℃未満は冷鉱泉。
※老神温泉や猿ヶ京温泉はダム建設で移転した掘削泉。

 カルシウム鉱泉(黒保根)、 伊香保温..

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サージタンク

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○東京電力佐久発電所(1928年竣工)・渋川市北橘町

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○天狗岩用水と午王頭川との立体交差
 上のコンクリートが天狗岩用水、下に見えるのが一級河川午王頭川。


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《グンマを話そう》
○天狗岩用水
 慶長年間、総社藩主秋元越中守が、利根川からの灌漑用水を計画しながらも地勢が高くて苦労していた。 ある時、身の丈八尺程の威容優れた老人が現れ「地の利を図って導けば水をひくことができる」というので、其の人物に命じて工事を始め・巨石を割り・丘を切り、いくばくもなく利根川の水が用水を流れ・千石..

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グンマの昔:山王猿

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○棟高の山王猿
 堤ケ丘小学校東隣・真言宗大乗寺奥、雌猿の石像が棟高の山王猿。

※一部赤いのは、願掛けにべにがら(べんがら)を塗る風習があるため

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☆山王権現、明治の神佛分離にて日吉神社となった。
 館林観昌寺の山王権現、群馬郡堤ヶ岡村棟高・大乗寺の石造山王猿、勢多郡荒砥村石山観音の山王猿、群馬郡久留馬村の山王猿。
※願掛けには紅をつける

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グンマの昔:山王大権現

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○金井原のタイコノボー(山王大権現・長光寺)

 左右に眷族猿を従えている。 かつては上金井原にあったがのが下金井原に移して祭祀したとされ、子供の欲しい人・下の病の人に信仰厚い。(タイコノボーの祭日4月12日)

 ある昔、榛名山で鉄砲ぶちしていると孕んだ雌猿を見つけ撃ち、背負って帰るといつの間にか石になっていた。  これは山王様に違いないというので、山王大権現に祭ったとされる。

※本件は調査待ち

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○金井原のタイコノボー
 山王大権現・
長光寺

※写真はタイコノボーの御神木

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グンマの昔:チンゲ

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《グンマの号令》
【手をあげて、前の子のチンゲを見ろ!】  グンマでは整列させるとき、こう言ったそうな。

○チンゲ・トトゲ・トトクイゲ・トトッケ・トトクッボ、(ぼんの窪の毛)
 後頭部盆の窪の毛を剃らずに残しておく。 こうすると、何かあった(転んだ・溺れた・炉に落ちた)時に、神様がこの毛を引っ張って助けてくれると言われていた。 また、子供の鼻血にはチンゲを抜く、魚の骨が喉に刺さった時は一本抜いて喉をさする、とよいとされた。

 坊主でないことを示すために盆の窪にひとつまみの毛を剃..

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グンマの昔:尻焼温泉

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○尻焼温泉(新花敷温泉)
 花敷からの道が急峻であり・周りにおびただしい蛇が生息していたため、長く人を寄せ付けなかった。 川床から湧き出る温泉に尻を焼かれるので「尻焼温泉」という。

※湯本館

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※「尻明の湯」・「新花敷温泉」ともよばれ、昔猿が入浴し尻を焼いたともいわれている。

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引札:駱駝之図

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○駱駝之図
 1821年ペルシャより2頭のラクダが長崎にやってきた。 東へと見世物興行を続け、1824年西両国広小路でラクダの見世物がおこなわれた。 「物の大にして鈍なるを駱駝という」とまで言われ、駱駝本・錦絵・玩具・狂歌・駱駝炭など大評判となったそうだ。

☆文化七年中山道伏見宿に駱駝現る。

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象の見世物


☆動物見世物ベスト10
 象・駱駝・虎(豹)・海獣(海豹・あしか)・火食鳥(駝鳥)・孔雀・珍魚(赤鯉・マンボウ・大烏賊など)・猫と鼠の曲芸・猿芝居・山雀の芸

☆あだ名としての..

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不二洞

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○不二洞
 今から約1,200年前、山中へ入った村人が野猿の集まっている小さな穴を見つけた。 その後は、洞内があまりにも大きく複雑なため探検に成功した者はなかった。 そしては400年前、藤原山吉祥寺の僧・中興開山上人が始めて最奥部まで足を踏み入れこの洞窟を世に広め、その後は修行の場として利用された。
 洞内の総延長は2.2km、関東一の規模を誇っている。

○不二洞鍾乳洞
 千二百年ほど前、大福寿山断崖で猿がやかましく騒いでいたので村人が近寄って見ると、奥深い穴が開いていた。  1..

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グンマの昔:カッパピア/こども博覧会

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○フェアリーランド・カッパピア
 「新日本子供博覧会(1952年@観音山)」の跡地を利用して、1961年上信電鉄が「高崎フェアリーランド」として開園した。 開園当初は子供相手の小動物園があり・スケートができた時期があったが、やがてプールができ「カッパピア」と改称した。
※園外にも「スケート場」があったそうだ。

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新日本高崎こども博覧会@観音山(1952年4月から50日間)

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Takako

象の高子、名前は高崎の高とされる。(密かには高島屋という説もある)

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お猿の電車

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郷土玩具:木の葉猿

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○木の葉猿(熊本)
 723年の元旦、虎の歯の里に住んでいた都の落人が夢枕に立った老翁のお告げによって奈良の春日大明神を祀り、神社に奉納する祭器を木葉山の赤土を用いて作り、残った土を捨てたところ猿に化けたという伝説に基く。 悪病・災難除け・子孫繁栄などのお守りとしても用いられている。

Konohazaru2

(WEB 転載)

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群馬での暮らし:グンマまじない

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○魔境の邦グンマ 【グンマのまじない】
 グンマで生きるにカナラズ役立つ【まじない術】。 これを覚えねば命の保証はない。

--------------------
足が痛い→子の権現に草鞋をつくってあげる。
いぼ→米粒でなぜる。
いぼ・あざ→神社の小石を貰ってなでる、治ったら倍にして返す。
漆にかせたとき→おわんに孔をあけてさげる。
えぼ→米粒を雨だれおちにうめると、腐るころには治る。
男四十二才になると、村の辻に酒を供え・褌を落として厄おとしとする、女は蜜柑と櫛・手拭い。
かぜ→うるしの木に..

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グンマの昔:十二様

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十二様
 十二様は山の神であるが、片品では「さんじん:産神」と読み出産の神様としている。

※十二様は、山の守護神だけではなく、子供を守る神・お産の神としても信仰されている。 
※なぜ十二かは諸説あって定かではない。 この十二様の大好物はオコゼ(ナマズやカジカなど顔が醜い魚なら良い)とされている。




○十二様  
※伐ってはいけない木→トマリギ・コシカケギ・アスビキ・メドキなど十二様が宿る木とされた。  
※木挽きは、夢の話をする事を嫌った。猿を嫌い「エンコウ」とよび、猿を撃つとその..



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グンマの昔:庚申まつり

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○庚申さま(庚申講)
 庚申さまは、百姓の神・作神・鬼門よけの神・猿田彦神などといわれている。 年に六回ある庚申の夜は身を謹んで徹夜する。(お日もち)  実際は、庚申の晩の禁忌も多いが、ご馳走を食べながら談笑して一夜を過ごしたようだ。

※庚申塔は、三隣亡除けでもあった。
※庚申様とお正月様とは仲が悪いらしい。 「赤城の神と二荒山の神との戦い」に代表されるがごとく、グンマの神々はあまり仲がよろしくないようだ。

Sarudahiko

猿田彦


○庚申
 庚申の夜に寝ると、人の身体の中にいる三尸という..

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グンマの昔:鹿笛・雉笛

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○シカ笛・キジ笛
 雄笛と雌笛がある。 猟のできる期間と鹿笛を利用できる鹿の発情期がズレていたため、使われなくなったらしい。

※うづら笛というのもあったらしい。

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 キジ笛(雉子笛)は口に含んで吹き、雄を呼び寄せるメンドリ笛と、雌を呼び寄せるオンドリ笛がある。 五円玉を二枚重ねた形をしている。(キジ笛は1947年禁止された)  雉は山里の鳥で、豆・キュウリなど農作物を荒らした。


 「熊は片品・鹿は利根」といわれ、ヤマドリはどこにでもいた。 猟に関する禁句は数多い。

○汁かけ飯..

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百足鳥居

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○赤城の百足鳥居@桐生市新里町板橋
 この鳥居は、赤城山へ登る東南麓の参道として1782年に建てられた。 鳥居の島木(しまぎ)には、1.3mの百足が陽刻されており、この周辺の人々はムカデを見ると殺すことなく「ムカデ ムカデ 赤城へいけ」と唱えて逃がしたそうだ。

※老神温泉では「赤城の神が大蛇」であるのに対して、桐生では「赤城の神は百足」とされる。 ただし、二荒山神社には大蛇が祭られてるのに対し、老神温泉には大蛇関連の歴史的資料は無い。




《グンマを話そう》
○日光編
 ある昔、赤..



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グンマの昔:わらじ

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○フセギ(塞ぎ
 村境は、疫神が入ってきたり、厄災・悪霊を追い出す所であった。 そのため、村境に大きな草履をつるし「この村にはこんな大きな草履を履く大男がいる」と脅す習俗があった。(八丁じめ・辻切り・フセギ等ともよばれた)

※大わらじには、「旅の具として遠くから来る神をもてなす」との説もある。

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※「天照大神の使者アマノウズメノミコトが大国主命の国へ入ろうとしたところ、臣の猿田彦が大きなワラジを片方だけぶら下げて入国を阻止した」のが始まりとされている。 なぜ片方だけだったのかは解..

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グンマの昔:かどづけ

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 かつては、万才・俵ころがし・猿まわし・飴屋・さいもん(語り)・鉦打・春駒・市巫・瞽女・六部などが村々を巡っていたそうだ。

○俵ころがし
 正月にやって来た門付け芸人。 かすりの股引に半纏を着て・豆搾りの手拭いを腰と頭に巻き「宝の持ち込み」と言いながら、米俵を転がして入ってきた。 ち「一つころがし千俵、二つころがし万俵、めでたやめでたや俵ころがし」といい餅・米・お金を貰った。 もし断ると「宝の持ち出し」と言って帰っていった。 

○門付芸(門付芸人)
 一般的には下記のものがあった..

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さるよめご

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《グンマを話そう》
○さるよめご
 ある昔、村はずれの一軒屋に、おじいさんと三人の娘が住んでいた。 いつものようにおじいさんが山で畑仕事をし、疲れて休んでいるときに「歳をとった。 だれかこの畑を耕してくれれば、娘をよめにやるがなぁ」と独り言を言った。 すると、林の奥から大きなさるが出てきて、たちまちのうちに畑を耕してしまった。

 

 家に帰って娘に話すと、上二人はイヤだが末娘がイイというので、猿の家に嫁にいくことになった。 猿家ではみな良く働くのでゆたかなお正月を迎えることとなむり..

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猿追い祭り

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○花咲の猿追い祭り
 その昔、武尊山に住んでいた猿軍団が村を襲ったので、猿追い行事を行ったのが始めとされる。
 神主の祝詞が終わると風呂敷を頭からかぶった「櫃番」が東と西に分かれ赤飯を杓文字で「エーチョ(栄長)」「モーチョ(茂長)」と投げ合う。 やがて謡とともに白装束の「酒番」が猿となり社殿を右回りに三回まわり、追い役が追いかけ猿が拝殿に逃げ込んで終わる。

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○エエッチョ祭り
 利根地方には特徴ある祭りが多く、「猿追い祭り」・「ヤアヤアどり(にぎりっくら)」・「エエッチョ祭り..

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群馬での暮らし:宝手拭い

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《グンマを話そう》

○宝手拭い
 ある昔、村にみすぼらしいお坊さんがやってきました。 手にはフチの欠けた赤い椀を持ち、お経を唱えながら村一番の大尽家へ立ち寄りました。「どうか米をめぐんでくだされ」と言うと、その家のおかみさんが「乞食坊主にやるもんなんかない、さっさと消えろ!」と追い返してしまいました。

 


 これを見ていた奉公娘は「私の食べるものでよかったらどうぞ」と言って、自分の昼飯を全部食べさせました。 お坊さんは大変喜び、首に巻いていた汚手拭いを渡し「毎日これで顔を洗いなさい..

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群馬での暮らし:めっぱ

Meppa

《グンマを話そう》
 [ものもらい(麦粒腫)]のことを「めっぱ・めかご・めかいご・めかい・めもらい・めこじき」などと言います。(※アクセントは語尾が上がります「メッパ↑」)

 六合村には独特な治し方があります。
○スイノー(笊の一種)を井戸に半分かけて、「井戸神さん、井戸神さん、めかごーなおしておくれ。 そーしたらすいのー みんなみせるから。」 とお願いします。 地域によっては、井戸の中を覗いたり、蓑を半分見せたり、片眼を隠してたりしてお願いします。
※「籠をかぶるとめかごができる..

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群馬での暮らし:猿ヶ京

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《グンマを話そう》
○猿ヶ京
 1560年(永禄三年)、宮野城にに泊まった上杉謙信は夢を見ました。[運ばれてきたお膳を食べようとすると箸が一本しかありません。それでも食べようすると歯が抜け、それも手のひらには8本もの歯が出てきました。]
 これを家臣の直江山城守に話すと、「れは目出度い。 一本の箸とは、片端からの意。 手のひらの8本の歯は、関八州を手中に治めるの意。」と言われました。 これを聞いた謙信はたいそう喜び「今日は庚申の日、我も申年。ではこの地を申ケ京と呼ぼう。」と言..

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群馬での暮らし:二荒山vs.赤城

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《グンマを話そう》

○二荒山vs.赤城:日光編
 ある昔、赤城山の神と二荒山の神との間に、中禅寺湖の水利権を巡り争いが起きました。 ある晩赤城の仁王が水を盗みに行き、二荒山の仁王と水掛戦争となり、飛び散った中禅寺湖の水で大沼と小沼ができました。

 その後も戦いは続き、ついに日光側は「大蛇」に・赤城側は「大百足」に姿を変え大戦争となりました。(今回の話は日光編なので、自国が大蛇となっている)  やがて、足尾が日光軍に・小川(片品)が赤城軍に加わり、戦場ヶ原で戦闘が繰り広げられまし..

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みくにの詩

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんぐんまんじゅう キャンペーン》

みくにの詩
 (新月@ みなかみ町猿ヶ京温泉1137-5 、0278-66-0087)

○チーズケーキ

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【美味しい店の見分け方】
 一番安い饅頭を一つ買ってみよう。 気持ちよく買えて餡が美味しければ、その店の菓子はみな美味しい。

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酒まんじゅう

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんぐんまんじゅう キャンペーン》

峠の酒まんじゅう
 (新月@ みなかみ町猿ヶ京温泉1137-5 、0278-66-0087 )

Shingetsu_sake2

Shingetsu_mise

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群馬での暮らし:群馬の名字

山田君の世界

《ぐんまぐんぐん キャンペーン:嬉楽嬉楽群馬》

○どれだけ読める群馬の名字
 阿久沢(あくざわ)、阿久澤(あくざわ)、阿久戸(あくど)、阿佐見(あさみ)、阿佐美(あさみ)、阿左見(あさみ)、阿左美(あさみ)、薊(あざみ)、畔見(あぜみ)、天笠(あまがさ)、天田(あまだ)、蟻川(ありかわ)、有阪(ありさか)、淡島(あわしま)、安済(あんざい)、………

飯出(いいで)、家住(いえずみ)、家泉(いえずみ)、砂盃(いさはい)、石北(いしきた)、..

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三国峠

山田君の世界

《群馬デスティネーションキャンペーン もう終わってる版》

チョッポリ雪。

Mikuni2

新三国大橋

Mikuni3

猿注意! 

Naeba

チョット苗場まで。

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駄菓子屋さん (26)

山田君の世界

食玩:二丁目のぷち駄菓子屋さん
Re-Ment ぷち サンプルシリーズ


日本一 きびだんご
 (株式会社リーメント@東京都千代田区麹町3-5 麹町シルクビル3F)

○菓子風玩具
 原材料名:おばあちゃんの優しさ

Rement26b

Rement26c

  桃太郎にお供した、犬・猿・キジの3匹。 犬は誠実、猿は知恵、キジは勇気を表すとされています。

☆桃太郎
 瀬戸内海備讃海峡の間にちらばる島々をまとめて鬼ヶ島とよんだ。(物語では女木島または女..

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山王猿

山田君の世界

萩日吉神社(山王社)@都幾川村

 猿を簡略化した縁起物、1月15日に限り授与される。

☆萩日吉神社・神猿
 烏帽子の雄猿と赤顔の雌猿、神棚に祀り・自分の体の悪い部位と同じ所を縫い針で刺して平癒を祈る。


☆都幾川
 平安中期の書「和名類聚抄」に見られる地名。 都家郷との説もある。


☆都幾川村大野
 明治時代の神仏分離の波にのり、村中の寺院を壊した。 葬式は神式・戒名も無い。


☆都幾川村七重
 慈光寺奥の院巡り行者の休み場が七カ所かったので、..

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参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

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