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源証寺

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○源證寺・聖徳太子堂
 足立区入谷2-15-25

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 太子堂の創建は、正徳年間と伝えられ、江戸時代の建築様式を留めており足立区登録文化財です。 太子堂とは、聖徳太子をまつる堂で、区内では源証寺の太子堂が唯一のものです。 軒下の組物・海老虹梁・頭貫・獅子舞や内部の格天井・天井絵など、手の込んだ建築技法には目を見張るものがあります。江戸中期鋳造の梵鐘、庭園もあります。

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舎人氷川神社

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☆舎人氷川神社
 足立区舎人5-21

 正治二年、武蔵国一の宮を勧請し須佐男神を奉った。 境内に円墳があったとい われる。

氷川神社 について

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☆舎人氷川神社
 神社の本殿は総欅造り、柾目の素材を使用し、屋根は唐破風の流し造りです。一面に施された精巧な彫刻(昇龍・降龍・唐獅子・牡丹・八岐大蛇退治・天の岩戸開き・天孫降臨等)は、区内屈指の神社建築(足立区登録文化財)で、舎人町・入谷村 遊馬村(草加市)の3町村の鎮守です。 また、正治元年に、武蔵野一宮で..

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向山不動堂

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向山不動堂
 上尾市向山1-13-39

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☆向山不動堂彫刻
 向山不動堂は、明治十年前後に、向山村と近在近郷の人たちの寄付によって建立されました。堂は向拝付の入母屋造で、本尊は不動明王です。
 指定の彫刻はケヤキ材を透かし彫りしたもので、堂の周囲三面に龍や鳳凰・十六羅漢と思われる図柄などがあります。
 堂の裏、欄間に明治10年2月10日から着手の彫りもあり、作者は明治中期ごろの名工(宮大工)山田弥吉こと山田右衛門(大谷本郷住、後東京へ出る)の壮年期の作です。
 堂の一面にだけ彫刻は..

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社寺彫刻 メモ

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1.柱
 直立材。 上部の構造を受け、しじようを補強する材。 形から円柱・角柱・多角柱があり、彫刻は角柱に多い。 位置によって向拝柱・内陣柱などがある。 

2.蟇股(かえるまた)
 鉄の雁股から転じた語。 上下の横木の間に設けた斗束(短柱)の一種。 束は二股の雁股状をなし、上に斗を戴く構造材でもあり、装飾でもある。 形態は多様である。 

3.虹梁(こうりょう)
 梁の一種で、屋根の荷重を受け本屋と庇を繋ぐ役目をする。 種類・名称も多く、和..

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国昌寺

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○国昌寺
 さいたま市緑区大崎2378、048-878-0413

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 曹洞宗の古刹であり、開山は心厳宗智。中興開山は桃山期に能筆家で知られた大雲文龍。文龍は諸国を遊歴し名僧としての名を高め、後陽成・後水尾の両天皇に歌書を指導した。国昌寺に戻ってから関東地方のいくつかの寺院の開山、または中興開山となった。3代将軍家光から寺領10石を寄進される。   国昌寺の山門は「開かずの門」として有名。江戸中期に建立された。欄間の龍は左甚五郎作と伝えられ、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉とい..

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茂木本家住宅メモ

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☆茂木本家住宅煉瓦塀
昭和前/1926-1988
煉瓦造、総延長26m
 稲荷神社の北面から東面にかけて、道路沿いに設けられる塀。折曲り延長26m。石積基礎上、フランス積とし、上部は小屋根状に造る。西側10mが高さ4.3m、東側が高さ3.5mで、西側は厚く、南面に柱型を造り出す。板塀と対照的な重厚な景観を創出する。

☆茂木本家住宅稲荷神社水屋
江戸/1808
木造、銅板葺、面積2.0㎡
 社殿の東南に、南北棟で建つ。桁行..

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八潮市立資料館 (1)

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八潮市立資料館
 (八潮市南後谷763-50、月休、048-997-6666)

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八潮市 について

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☆八潮市垳
 他には無い地名。 八潮は、八幡村・潮止村・八條村が合併してできた。



八潮のむかしばなし

○月夜に光る丸木舟(西袋・柳之宮)
 西袋の蓮華寺のわきの田んぼは、まん月の晩にかぎって、ピカッ、ピカッと光ったそうな。 何でも、そのように光るところには、丸木舟がうまっているそうな。 


○たから船のちんぼつ(大原・浮塚・南川崎)
 むかし、八潮は海だった。 この海をば、..

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三島神社

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三島神社@藪塚本町
 神楽奉納の際、余興として「ねんねこ踊り」と「カンカン踊り」が行われていた。 ここの神官はひょっとこ踊りが上手だったので「ひょっとこ神官」ともよばれていた。

※この神社・この地には、数々の艶話があった。

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おこもりや@三島神社・二の宮神社(多野郡西平井)
 上杉憲実が平井城に移るさい、伊豆三嶋神社を勧請し社殿を建て祭祀した。

★三島神社:多野郡西平井
 「大蚕をあてる」のは三島神社の夜祭り(春夏二希)、十一月十四日のオコモリ(お籠もり)には一万人を越える若い男女が..

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毛呂山

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毛呂山町

毛呂 について

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桂木観音(毛呂山町滝ノ入)

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獅子ケ滝

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嫁入人形

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○嫁入人形(香川)
 嫁入りに先方の子供達に土産として持っていった張子人形・土人形、持っていく人形の数が多いほど裕福な家とされた。 ビンビン鯛・俵馬・チン・鯛エビス・天神・寝牛めチンタイ・鯉ダキ、などの縁起物。
※香川には「奉公さん」・「獅子頭」があり、張子人形が有名。

☆犬張子
 古くは二個一組の屑紙入れであり・嫁入道具のひとつだったともいわれる。

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歯磨

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歯磨
 明治二十八年本舗東京資生堂(現資生堂)が福原衛生歯磨石鹸発売。 明治二十九年「ライオン粉歯磨」発売。 その後、花王散歯磨・ライオン歯磨・菊世界はみがき・ベビー歯磨・アーム歯磨・コルゲート・スモカ歯磨・鹿印練歯磨・クラブ歯磨・象印歯磨、などあった。

※ライオン歯磨きの社名は、ライオンの牙が白くて強いので「ライオン歯磨き(獅子印ライオン歯磨)」とした。

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ライオンコドモハミガキ・1937年

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○ライオン歯磨・磯部工場
 明治41年9月磯部温泉に炭酸カルシウム工場建設(小..

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ずぼんぼ

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○ずぼんぼ
 うちわで風を送ると、紙製の獅子が舞い踊る。 脚先には小さな蜆貝殻が重り代わりについており、うまく吹けば後足で立ち上がる。

※隅田川でとれる蜆を使った。 「ずぼんぼ」は獅子舞の囃子詞。

獅子 について

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☆除夜の獅子舞
 江戸では、年越しの日に町を巡る獅子舞があったらしい。

Sukeroku67助六@浅草仲見世


☆獅子舞
 古くはインドの遊牧民・農民がライオンを神様として崇拝し獅子舞を行っていた。 これが日本に伝わったといわれる。

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塩の長司

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○塩の長司(長次郎)
 加賀小塩に住む塩の長司は家裕福にして馬三百疋持つも、常に悪食を好み死んだ馬の肉を味噌や塩に漬けて食らうも、肉が尽きたため老馬を殺して食べた。 それからは毎夜、馬が夢に現れ長司の喉に食いつき・口から入り・腹中を傷め悩ませて出ていくようになり、ついに長司は死んでしまった。

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☆やまくじら
 江戸時代、ももんじ屋なる肉料理屋が、いのしし・しか・きつね・うさぎ・かわうそ・おおかみ・くま・かもしか・さる、などの肉を食べさせたらしい。 ただし、表向きは薬食と称し、「イノ..

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獅子岩

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獅子岩@定峰峠北約1km

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館林伝説

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○城沼に住む竜が女に身を変え、七日間上人の説教を聴いた後飛び込んだのが善導寺「竜の井」。 それ以降、井戸使用禁止。

○須賀沼の南沼の主は大蛇・北沼の主は大亀、宝光寺・とみ坊主が魚取りをしたに怒り懲らしめてからは魚取りをする者はいなくなった。

○昔から洪水に見舞われた大沼を埋め立てたさい、沼の主夫婦の二匹のウナギを祀ったのが「須賀弁天祠」。

○赤岩にあった沼の主は大蛇、村の娘が次々と消えた。 そこで、藤原長良の御殿女中「おさよ殿」が弓で退治し、頭を瀬戸井・切り刻んだ胴体を舞木などに祀..

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宮城村伝説(現前橋市の一部)

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○「後閑・朝倉、女のよばい、男ごしよらくしてまちる」

○「重兵衛膏」は、くるまやに伝わる家伝薬。 酒で飲む内服薬もあった。

○「大前田の獅子は火事よりこわい、栗の強飯、むね(胸と棟の意)がやける」といわれた。 

○「盆のぼたもち、芯から米だ」といわれた。

○いたかそば:大根を沢山入れたソバ、「ここにソバがいたか!」。
 (だいこんそば・大根蕎麦は、ダイコンの量が多いので別名「蕎麦大根」)

○イモデンガク:芋をゆで・串にさし・焼いて・味噌をつける。 イモグシともよばれた。 

○うどんはぶつ..

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嫁入道具

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○嫁入道具・獅子(造物趣向種:下)

 頭→たんす、 目→かがみ、 鼻→手箱、 歯→爪ぞこ、 舌→緋の衣装、 耳→帯、 かしらの毛→しごき、 尾→ひしぶき、 胴→よざふとん、 手足→まくら、 爪→丸づけあわぴ

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復元@大阪


☆桜嫁
 旧暦三月に結婚することを謂って忌む。
※花の散る月だかららしい、神無月を忌む地もあった。

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長野原伝説

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(石梨の木)

○「おきゃくまんま」とは米の飯。 お客専用だった。

○「三杯汁は馬鹿がする」といわれた。

○「女のもつべき穴一つ ささんとすれば毛がもじゃもじゃ つばきをつけてねじりこめ」、は針のこと。

○お供えを射ったら中から白い鳥が飛びだし・その家は貧乏になったので、「お供えを射てはいけない」。

○お熊野様の洞窟に鶏を放したら、鶏は越後へ出たといわれる。

○カッパが法印さんに教えたのが「骨接薬」、女人だけが作れたらしい。

○ダイダラボッチが高くしたのが浅間山・残った一もっこ分の土が小..

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グンマの昔:養蚕

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○養蚕
 1859年6月横浜開港により生糸輸出が脚光を浴び、養蚕国上州は大発展し蚕糸王国となった。 そしては、新技術・新知識の取得に意欲的になった。

※養蚕中は、ねずみは「ヨメゴ・ヨモノ・ヨムシ」といった。 ネズミというと、蚕にかみつくといわれた。
※シジ・タケ・フナ・ニワ:シジには獅子の口になり・タケには竹を切ったようになり・フナには船のようになり・ニワには忙しいから庭で休ませろ、といわれた。
※カイコは大きくなるまでに四回脱皮し、順番に、シジ(一眠)・タケ(二眠)・フナ(三..

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どこまで解る上州弁(再)

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どこまで解る[上州弁]!


☆大切なお知らせ
 これらを覚えても何の役にも立ちません。

 アカチンベロン→あかんべーの派生、 アクンベ→石灰、 アゲル→※目下の者に使うことがある、 アジャラジャナイ→大変・容易でない、 アダジョッパイ→喉にくるようなしょっぱさ、 アッタラモン→新しい・せっかくの、 アバケグイ→無茶食い、 アバケル→ふざける、 イイコトサイワイ→もっともらしい言い訳、 イキガツク→萎れた野菜など、 イギツギバッタリ→行き当たりばったり、 イゴッタイ→いぐい・いがらっ..

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グンマの昔:祭文

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○祭文
 右手にホラ貝・左手に錫杖を持ち。各家の門づけ(玄関先)で唄った。 グンマでは「デロレン祭文」ともよばれた。

デレンデレン デレレレーン デレンデーン
さては一座の御方様 
伺いまする芸題は
わずか離れた安中の 
豆腐屋の二番息子の庄三郎
中のちようの召し捕りをば 
時間くるまでつとめましょう
デレンデレン デレレレーン デレレレデレテレレレーン


○門付芸(門付芸人)
 一般的には下記のものがあった。
千秋万歳、 松囃子、 傀儡子(傀儡・人形回し・でこまわし)、 萬歳(門付歌..

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グンマの昔:麦播ゴジンジ

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○麦播ゴジンジ・那波の神事(玉村町・火雷神社)
 境内四方に注連縄を張り、中に入ることなく十三日間静かにすごす。 ことの起こりは862年冬近く、この地に黒雲・暴風・天地鼓動・大雪など異変か起こり、困り果てた郡司が朝廷にお願いし、僧正と武士が火雷神社で祈ること七日目、武士が現れた妖怪の首を切り落とした。 
 こうして毎年火雷神社で御神事が行われるようになり、季節は麦巻きだったので「麦播きゴシンジ」と呼ばれた。
 妖怪を退治した武士は「那波八郎」と名乗るようになり、八郎神社に祀られ..

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渋川伝説(1)

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○小野上名石
 ・夫婦石:七社神社そばにあるのが女石、粗末に扱うと祟りがある。 男石は上流にいる。
 ・牛の屎石:牛の糞に似ている、でも高さ6m幅9m。
 ・むしば神:虫歯に見えないこともない、おがらの箸を供えると虫歯が治る。
 ・弘法の腰掛石:弘法大師が腰掛けた、足跡二つとお尻の跡がある。
 ・白丁石:弘法大師が「白丁」と書いたといわれる。
 ・蟹石:川辺の蟹に見えた。
 ・かえる石と硯石:雨乞い祈願用。

○有馬五石ほか
 ・子種石:石に手を触れて祈願すると子種が授かる。(若伊..

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大間々伝説(大間々町、現みどり市)

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○高津戸城の戦い
 父里見上総入道勝広の敵討ち(山越出羽と石原石見)を企てた里見勝政・勝安兄弟が居館としたのが、1100年頃に築城された高津戸城(1351年桐生国綱により廃城)。 しかしながら、本望を遂げられなかった。(里見十二騎の墓)

○新田芳重の隠し館
 新田芳重が一族の隠れ場所としたのが上州桐原牧新田金塚隠し館、農具・武具などを作った。 金塚は鉱石貯蔵所、ジャンジャン屋敷は溶解所。

○自然のままに暮らしていた念仏行者「行仙房」、村人達に尊敬され・見守られながら1278年..

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高崎伝説(3/3)

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○「恋しくば尋ね来て見よ上野の わが浜川の須苗子の森」と唄われたのが須苗子の森。

○1646年3月23日夜、倉賀野町城跡の三ノ廊の茂みに、地響きとともに井戸ができ清水があふれた。 そして、泉の中にあったご神体を祭ったのが「井戸八幡」。

○豊岡・金ヶ崎の渕の主は大亀。 豊岡のトは岬・山・土の意、ヨは土地・畑の意、オカは山・麓の意、カは跡の意、というアイヌ語説もある。

○723年、土の中から輝きとともに古鏡がでてきたので、石凝姥命を祭ったのが小八木。「鏡の宮」。 
※石凝姥命は国鏡..

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高崎伝説(1/3)

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○倉賀野
 倉賀野は舟運で栄えた町であり、米や穀物も多いのでネズミもおおかった。 しかしネズミを殺すのは忍びないと、安楽寺に「鼠供養塔」を建てた。

○目青竹(鼻高)
 小林爺婆が仲良く香煎を食べているところに来た老翁(一沙門とも)が、森に向かって竹の杖を飛ばして根付いたのが「逆さ竹」、「目青竹(金明竹)」ともいう。 この地に創建したのが上野国一社八幡宮、857年鎮座とされる。

○少将桜(慈眼寺)
 前橋城主酒井阿波守親本が「しだれ桜」を城内に植えたところ、咲くことなく、夜には..

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グンマの昔:今井の子宝神

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○オトコシさま(沼田・今井)
 地域により、金精さま・大通龍さま・ごもっともさま・福守さま・男石さま・お種神さま・麻良さま・珍鋒さま・男石尊さま・道祖神さま・立石さま、なとどもよぶ。

※鎌倉時代、今井四郎兼平が落ちのびて住みついたのが今井部落であったとされる。
 


☆利根郡沼田町の神明宮境内末社・鹿島宮の石宮(獅子追かけ)

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グンマの昔:子持村

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○子持山
《グンマを話そう》
 子持山には千谷あるが、ある昔唐から帰った空海がこの地に寺を営もうとしたので、子持様は一谷隠してしまった。 やって来た空海が数えると九百九十九谷しかないので、寺をあきらめ帰っていった。 このとき空海が爪で岩にかいたのが「爪書不動」といわれている。

※同様な伝説に、袈裟丸山(弘法大師)・赤城山・榛名山・太田金山にもある。 ただし谷を隠すことはしなかった。

Komochi21屏風岩

Komochi22獅子岩

 

Komochi25綾戸渓谷

Komochi26島田家

Komochi27横堀宿本陣 佐藤家


○高..

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郷土玩具:山名八幡獅子頭

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○山名八幡獅子頭
 上信電鉄山名駅近くの山名八幡宮は830年前、山名城主新田義範が宇佐八幡宮を勧請して社殿を造営したと伝わる。 この神社では、古くから子育てと虫封じの縁起物として張り子の獅子頭が授与され人気がある。 全国でも珍しい頭にかぶる様式で、神功皇后が幼い息子(応神天皇)に唐獅子を与えたところ、獅子をかわいがり、思いやりのある元気な子供に成長したとの伝説に由来する。 

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グンマの昔:かどづけ

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 かつては、万才・俵ころがし・猿まわし・飴屋・さいもん(語り)・鉦打・春駒・市巫・瞽女・六部などが村々を巡っていたそうだ。

○俵ころがし
 正月にやって来た門付け芸人。 かすりの股引に半纏を着て・豆搾りの手拭いを腰と頭に巻き「宝の持ち込み」と言いながら、米俵を転がして入ってきた。 ち「一つころがし千俵、二つころがし万俵、めでたやめでたや俵ころがし」といい餅・米・お金を貰った。 もし断ると「宝の持ち出し」と言って帰っていった。 

○門付芸(門付芸人)
 一般的には下記のものがあった..

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グンマの昔:藤原の獅子舞

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○藤原の獅子舞・みなかみ町藤原
 8月17日、藤原諏訪神社で獅子舞(獅子を振る)が行われる。 別名「藤原祭り」とよばれ、その歴史は古くすでに1780年代に行われていたらしい。 獅子の頭はきわめて小さく・頭に鶏の羽・角は「鹿の子頭」とされ、午前中から夕方まで延々と牝獅子と牡獅子が踊り続ける。

※源頼朝が病のおり鶴岡八幡宮へ病気平癒祈祷をかけ、相模小太郎義国を京都へ遣わし獅子舞を奉納した。 建久二年、この相模小太郎義国が鉄の宮を奉納するため藤原に泊まり、獅子舞を伝授したとされる。

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参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

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