So-net無料ブログ作成
検索選択

浄蓮寺

Tokikawa7_31

○浄蓮寺
 東秩父村御堂362、0493-82-0095

東秩父村 について

Tokikawa7_32

 今から約七百年前当地の豪族大河原神冶太郎光興の草創光興は比企大学三郎能本と親善厚く、法華の妙理を談じ、後に帰依し法名を浄蓮と名乗る。 そして自分の邸内に、本化の道場を建立せんと(正応元年)、日蓮聖人の六老僧の一人、高祖日朗上人に法会を講じて、開山の件を志願、厚く法喜なし給い老師を関山とし、鎌倉妙本寺、池上長栄山の一字をとり、山号を「妙栄山」、光興の法名をとって浄蓮寺と賜る。 後に天正中に北条..

YAMADA

鎌倉橋

Kawaguchi_kamakura1

○鎌倉橋の碑・鎌倉橋記念緑地
 川口市本町1-8

 鎌倉街道中道が入間川を渡る岩淵郷、室町時代には橋があり、通行する人々から橋賃を徴収し・鎌倉大蔵稲荷社の修理に当てていた。 当初の橋は、川の形態からして浮橋(舟橋)だったと考えられる。

舟橋 について

Kawaguchi_kamakura2

Kawaguchi_kamakura9

YAMADA

八坂神社

Koshigaya_yasaka1

○八坂神社
 越谷市大成町1-71

越谷市 について

Koshigaya_yasaka2

Koshigaya_yasaka9


 奥州街道に面した、元は大相模郷の一つの村である見田方の鎮守で、天王社と呼ばれた古くからある神社でもあります。 見田方は大相模の元郷ともいわれ、早くから開けた地と伝えられ、江戸時代は忍藩 支配地で、柿ノ木領八か村といわれました。境内にある大小の建物には、天文二十一年在銘の弥陀三尊図像板碑が納められています。そのほか、境内には文和八年銘の改刻賽神塔などが建てられています。
 改刻賽神塔はもと庚申塔でしたが、..

YAMADA

聖徳寺

Koshigaya_syotoku1

○聖徳寺・塩地蔵
 越谷市北川崎18

塩地蔵 について

Koshigaya_syotoku2

Koshigaya_syotoku3

☆塩地蔵
 安産子育・いぼとりなど、塩を供えると願をきき届けてくれるといわれる。 岩塩を彫った地蔵様なので、雨季になると石から塩分が出てくるといわれる。

※聖徳寺のイチョウは、樹高20m・幹回り4m・幹は地上3.41mのところで数本に分かれ、さらに上方で多数の枝を広げています。 このイチョウは雌株でギンナンの実を結びます。 樹齢は400年ぐらいと推定されていますが、樹勢は旺盛です。


☆越谷の七不思議

ぎょ..

YAMADA

行弘寺

Urawa_gyokou1

○行弘寺
 さいたま市南区太田窪2310、048-882-3992

 大同二年健立、古くは玉林院末寺(本山派修験)。 玉林院本堂の遺構ともいわれた不動堂は焼失した。

Urawa_gyokou5

☆足立百不動尊
 足立百不動尊の百番目。

☆筆塚・星野順栄師寿碑
 行弘寺住職星野順栄師が、幕末から維新の三十五年間寺子屋を開いた。

Urawa_gyokou9

☆行弘寺のツバキ
 行弘寺境内の西縁に植えられ、高さ9m・幹まわり0.48m・根まわり1.49m・枝張りは東西7.4m・南北7m(指定時)を測ります。 ツバキとしては、かなり大木に属..

YAMADA

高篠村 メモ

Takashino_map

○高篠村メモ(現秩父市定峰・栃谷・山田)

Takashino1927

○高篠村役場・1927年

○新井イッケ・秩父市定峰に七戸
新井源蔵(文政七年)・屋号ナツウチ、父源助(文化七年)、新井源蔵は栃谷下郷日向の大工と伝えられる。
 文政年間、本家新井忠兵衛(コヤツマ)が破産し、新井イッケの構成が変わった。 新井源蔵は、天保期以降百姓代につき経済的な地位を上げ、明治期には定峰の村民に対する金貸業で急激な成長を遂げた。 新井家は、その後高篠村の信用組合長や高篠村村長(新井源克、八代村長・十二代村長)といった役職..

YAMADA

武州鉄道 メモ

Bushu_jyuden1

武州鉄道 メモ


○停車場道路工事記念碑(武州野田駅)

停車場 について
軌道 について

Busyutetsudo3

Busyutetsudo2b

Byushu_gyoei

Busyutetsudo1

Busyutetsudo1b

Bushyu_ticket

Bushyu_daimon武州大門駅


○武州鉄道
 明治四十三年中央軽便電気鉄道株式会社設立(川口町~春岡村宮ヶ谷塔、最終的には東京~日光を目指した)、明治四十四年中央鉄道株式会社に社名変更(川口町~岩槻町林道枡形とし、電車をあきらめ汽車とした)、大正八年武州鉄道株式会社に改称。 営業時は、蓮田・馬込・河合・岩槻北口・岩槻本通・岩槻・真福寺・浮谷・笹久保・武州..

YAMADA

東福寺

Souka_toufukuji12

○松寿山不動院東福寺
 草加市神明1-3-43、048-922-3051

 草加宿の祖・大川図書により慶長十一年に創建され、僧・賢宥が開山したといわれています。 旧道に面して石碑が建っており、そこから西へ参道を進み・山門をくぐります。 本堂の内陣と外陣との境には、島村園哲による見事な彫刻欄間があります。 欄間は三枚で、真ん中は龍、左右が中国で古来有名な二十四考です。

山門 について

Souka_toufukuji11

○東福寺山門
 この山門は、正面の柱間3.03m・妻は2.57mの棧瓦葺四脚門です。 四脚..

YAMADA

旧浦和宿本陣表門

Urawa_ohkuma1

○旧浦和宿本陣表門・大熊家表門
 さいたま市緑区大間木202

 江戸時代終り頃。 薬医門・切妻造・桟瓦葺・桁行2.750m・梁間1.790m。 元中山道浦和宿本陣星野家の表門・唯一の本陣遺構、明治初年現在地に移転。

本陣 について

Urawa_ohkuma2

Urawa_ohkuma3

Urawa_ohkuma9


Urawa_ohkuma8

○旧浦和宿本陣表門(大熊家表門)
 さいたま市浦和区仲町2-6、仲町公園・明治天皇行在所跡
 浦和宿本陣星野権兵衛家の表門、明治初期大間木へ移設。

Urawa_ohkuma9

☆浦和宿
 本陣一(星野権兵衛家)・脇本陣二・旅籠十五。
 本陣表門、..

YAMADA

さむらい墓

Kawaguchi_kirihara

○さむらい墓(腹切原・腹血)
 一色家板碑・川口市木曽呂455?

 古くは傷を負った武士が切腹した地が「腹切原」・腹が向いていた方向を「腹前神戸」・背中が向いていた方向が「後神戸」といわれる。

※調査中

切腹 について

Kawaguchisshiki9

☆明治二十二年、神戸村・根岸村・石神村など12村が合併し「神根村」ができた。(村名の一字を組合わせた)

※神戸村は石神村内に飛地を有していたため、両村の境界は複雑だった。


☆伊達
 江戸時代の武将伊達政宗の家来が派手な格好をしていたとも、「人目に立つ」..

YAMADA

保渡田古墳 メモ

Kokugau_hotota5

保渡田古墳 メモ

Kokugau_hotota1

Kokugau_hotota2

Kokugau_hotota4

Kokugau_hotota6

Kokugau_hotota7

Kokugau_hotota8


Takasaki_kamishiba2

☆上芝古墳
 高崎市箕郷

Takasaki_kamishiba3

Takasaki_kamishiba4

Takasaki_kamishiba5

Takasaki_yamagami1

☆山上碑
 高崎市

YAMADA

千住製絨所跡

Arakawaku_senjyuseijyu48

○千住製絨所跡
 荒川区南千住6

○日本羊毛工業発祥の地・井上省三の碑

発祥の地 について
について

Arakawaku_senjyuseijyu49

Arakawaku_senjyuseijyu21

Arakawaku_senjyuseijyu22

Arakawaku_senjyuseijyu23

Arakawaku_senjyuseijyu24

Arakawaku_senjyuseijyu29

YAMADA

二本榎

Kitaku_nihonenoki88

○二本榎
 東京都北区西ケ原2-47

Kitaku_nihonenoki89

二本榎保存之碑
公爵徳川家達題
府下北豊島郡瀧野川町大字西ヶ原に幹太く枝茂りて緑陰地を覆ひ行人皆仰ぎ見て尋常の古木に非ざるを知るものあり之を二本榎と云ふ是れ旧岩槻街道一里塚の遺存せるものにして日本橋元標を距ること第二里の所なりとす往昔群雄割拠の世道路久しく乞梗塞せしか徳川氏覇府を江戸に開くに当り先づ諸街道の修築を命じ道を夾みて松を植ゑ里毎に塚を置き塚には榎を植ゑしむ之を一里塚と云ふ然るに年を経て塚多くは壊れ榎も亦斧片の厄を免れず今存するも..

YAMADA

道灌山 メモ

Edo_higurashi00

Edo_higurashi01

Edo_higurashi02

Seishin_doukanyama

Meisho_dokanyama1

Meisho_dokanyama2

Doukanyama31

Doukanyama32

Doukanyama33

Doukanyama34

Edo_higurashi09

Edo_higurashi11

Edo_higurashi12


☆道灌船繋松・日暮里惣図・道灌山

※江戸名所図会・道灌船繋松

※東都名所・日暮里、名所江戸百景・日暮里寺院の林泉、名所江戸百景・日暮里諏訪の台、安藤広重

※根岸谷中日暮里豊島辺図

※道灌舟繋松之碑・青雲寺本堂脇に移設(画本物見岡・日暮里青雲寺境内、鳥居清長)


☆道灌山遺跡 
 現開成学園グランド。

☆日暮里道灌山
 谷中長耀山感応寺および根岸善性寺の開基「関小次郎長耀入道道閉」の屋敷があったので、「道閉山..

YAMADA

礫川公園

Bunkyo_rekisen1

○礫川公園
 文京区春日1-15

Bunkyo_rekisen3

☆諸工伝習所跡記念碑(陸軍工科学校の前進)

Bunkyo_rekisen7

☆射場遺構

Bunkyo_rekisen8


Bunkyo_rekisen9

YAMADA

さきたま古墳公園

Gyoda_saitama21

さきたま古墳公園
 行田市埼玉
○埼玉県名発祥の碑

※古くは埼玉県北埼玉郡埼玉村大字埼玉(以下、字下埼玉…などと続いた)。 もっと古くは、佐吉多万・前玉・佐以多万、などとよばれた。

発祥の地 について

Gyoda_minka21

○移築民家
 旧遠藤家、江戸時代末期に建てられた民家を幸手市千塚から移築。

Gyoda_minka22

Gyoda_minka23

YAMADA

両大師・開山堂

Taitoku_ryotaishi01

○両大師・開山堂 
 台東区上野公園14

Taitoku_ryotaishi02

☆両大師
 慈眼大師(天海僧正)と慈恵大師(良源)をまつる。
※おみくじの考案者は慈恵大師といわれる。

Taitoku_ryotaishi06

幸田露伴旧宅門・移築

Taitoku_ryotaishi08


Ueno_ryodaishi6☆祈武運碑


Ueno_rinouji8輪王寺門跡

YAMADA

寛永寺

Taitouku_kaneiji01

○寛永寺・旧根本中堂
 台東区上野桜木1

Taitouku_kaneiji02

Taitouku_kaneiji03

Taitouku_kaneiji04

Taitouku_kaneiji06虫塚碑

Kaneiji_map

Taitoku_kaneiji71

Taitoku_kaneiji72

Taitoku_kaneiji70


☆東叡山寛永寺
 徳川三代将軍家光が、川越喜多院天海僧正に命じて健立(寛永二年)。 最盛期は寺域30万坪、明治維新上野戦争で堂宇のほとんどを焼失、明治十二年川越喜多院から本寺堂を移設し根本中堂とした。
 四代家綱と五代綱吉が上野寛永寺に葬られたが、六大将軍以降は徳川家菩提寺の増上寺と調整するようになった。
※寛永寺には、八代吉宗・十代家治・十一代家斉・十三代家定の霊廟があっ..

YAMADA

前橋市総社歴史資料館

Soujya_rekishi2

○前橋市総社歴史資料館
 前橋市総社町総社1584、月休

Soujya_rekishi1

総社 について

Soujya_rekishi3

Soujya_rekishi4

Soujya_rekishi6

Soujya_rekishi7

Soujya_rekishi8

Soujya_rekishi9


前橋市総社歴史資料館メモ

☆秋元氏と天狗岩用水
 慶長六年初代総社藩主となった秋元長朝は、総社城の築城や城下町の建設・天狗岩用水の開削など数々の事業を行って領内の石高の増加に努め、総社の地を豊かな土地へと変えました。 秋元氏が総社藩を治めたのは、長朝と泰朝の二代30年あまりですが、総社の基礎を築いた秋元氏は、転封後もなお領民に愛されました。
 秋元長朝は..

YAMADA

佐野の渡し

Takasaki_sano1

○佐野のわたし・上信電鉄
 高崎市上佐野町

佐野の渡し について

Takasaki_sano2

Takasaki_sano3

Takasaki_sano4

Takasaki_sano5

Takasaki_sano6

Takasaki_sano7

Takasaki_sano8

Takasaki_sano9


☆佐野の船橋歌碑
 むかし、烏川という川ををはさんで二つの村があり、それぞれに朝日の長者と夕日の長者が住んでいました。  村人たちは二つの村の間に船橋を作って行きを来していました。 朝日の長者にはナミという娘が・夕日の長者には小治朗という息子がいましたが、2人はいつしか舟橋を渡ってデートを重ねるようになりました。 しかしある夜デートの邪魔のために船橋の..

YAMADA

大戸貝塚

Urawa_ohto31

○大戸貝塚
 さいたま市大戸1-30

Urawa_ohto39

 縄文時代前期の貝塚です。 貝塚とは、主に食料とした貝の殻などが堆積した遺跡で、大戸貝塚からは、ヤマトシジミを中心に・マガキ・ハマグリ等が確認されています。
 また、現在記念碑の立つ場所は、指定のきっかけとなった昭和32年の発掘調査が行われた場所で、竪穴住居の床面から貝の堆積層と共に土器片・石器・獣の骨等も出土しています。 使われなくなった住居が、廃棄場として使用された一例となっています。


★貝塚
 大規模な貝塚については、食料残滓の..

YAMADA

廣徳寺 (1)

Kawashima_koutokuji02

○廣徳寺
 比企郡川島町表76

Kawashima_koutokuji01

☆広徳寺大御堂
室町後期/1467-1572
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺

Kawashima_koutokuji03

Kawashima_koutokuji06

Kawashima_koutokuji07

Kawazima_koutokuji9

☆廣徳寺
 平成天皇御代大同年間創立、鎌倉時代に衰退するも北条政子が大御堂・本堂 ・坊舎など再建し廣徳寺と改称。

※平家物語巻第十一「弓流」に、三尾屋十郎が平家の家人上総悪七兵衛是清の 引き立て役として登場する。


☆養竹院(西約400m)
 太田道灌の陣屋跡と伝えられる。

Kawashima_koutoku82

Kawashima_koutoku83

Kawashima_koutoku84

Kawashima_koutoku85

Kawashima_koutoku81


☆広徳寺・大御堂
 北条政..

YAMADA

羽黒権現宮

Toda_haguro1

○戸田川渡口 羽黒権現宮・羽黒霊泉
 上戸田氷川神社、戸田市上戸田3-20-11

Toda_haguro5

 上戸田氷川神社の創立は、縁起によると永徳二年(1382)と伝え、古くから旧上戸田村の鎮守として祀られてきました。 祭神は、素戔嗚命で、明治六年に村社となり、明治四十年に旧上戸田村にあった羽黒社、道祖神社、山王社、稲荷社などを合祀しています。
 境内には、寛政十年(1798)の銘がある石造の大鳥居や、延宝元年(1673)十月造立の市内で最も古い庚申塔があります。 羽黒社は合祀されていますが、以前はボ..

YAMADA

染井吉野桜発祥の里

Komagome_someiyoshino1

○染井吉野桜発祥の里・染井吉野桜記念公園
 豊島区駒込2-2

 いっせいに咲きそろい散り際が見事なことから、日本中に植えられているソメイヨシノは、駒込のこの地域でつくりだされました。 駒込の駅前広場を地下駐輪場とともに公園として整備した時に、このことを記念して園名がつけられ、「桜の里」の碑が建てられました。


☆ソメイヨシノ(染井吉野)
 元々は一本の木を挿し木にして増やしたので遺伝子は同じ、環境条件がそろえば一斉に咲くらしい。(遺伝子が同じなので、どの桜の木も考えることは同じ。 ..

YAMADA

飛鳥山

Kitaku_asukayama9

○アスカルゴ
 飛鳥山公園・東京都北区

Kitaku_asukayama1

○飛鳥山の碑

☆王子
 紀州牟婁の熊野若一王子を勧請したことに由来。 紀州新宮の飛鳥明神を勧請したので飛鳥(山)。

飛鳥山 について

Kitaku_asukayama2

Kitaku_ichirizuka1

○西ヶ原一里塚 
 北区西ケ原2-13
 一里塚は街道の一里(約4km)ごとに道の両側に築かれた塚で、その上には榎が植えられていました。 この一里塚は、日光御成道の日本橋から二里目にあたります。 23区内には18カ所あったといわれていますが、当時の位置を保っているのは西ヶ原一里塚と板橋区の志村一..

YAMADA

氷川女体神社

Urawa_hikawa01

氷川女体神社
 さいたま市緑区宮本2-17-1

 見沼を囲み、大宮氷川神社を男体社・中山神社を王子社・氷川女体神社を女体社、ともいわれる。

Urawa_hikawa02

氷川神社 について

さいたま市緑区 について

Urawa_hikawa03

Urawa_hikawa04

Urawa_hikawa06

Urawa_hikawa08

Urawa_hikawa09

○案山子の碑・唱歌「案山子」発祥の地
 唱歌「案山子」を作詞した武笠三、氷川女体神社神主家系といわれる。


Urawa_mimuro三室村・元簸河神社

Urawa_hikawa31

☆氷川女体神社
 奈良時代以前の創建ともいわれる。 寛文七年、徳川家康が忍城主阿部忠秋を奉行として再興。 見沼方向に向き..

YAMADA

駒つなぎの欅

Urawa_tsuki71

○調神社・駒つなぎのケヤキ
 さいたま市浦和区岸町3-17-25

 日蓮上人が佐渡に流される途中、この地でケヤキに駒をつなぎ曼陀羅を掲げて安産祈祷したと伝えられる。
※現在は、碑右に根本部分が残るのみ。

Urawa_tsuki72

☆古木林
 境内には、ケヤキの大木・ムクノキ・イチョウなど多くある。

上人 について

Urawa_tsuki73


Urawa_tsuki74


Urawa_tsuki75

Urawa_tsuki76

Urawa_tsuki77


Urawa_tuki01

Urawa_tsuki92

Urawa_tsuki31

YAMADA

野田市・まちあるき (1)

Noda_machi81

○野田市・まちあるき

Noda_machi82

旧野田商誘業銀行(大正十五年)
 明治三十三年五月茂木家の事業として創立。

Noda_machi83

旧奥富薬局店舗(大正~昭和)

Noda_machi84

Noda_machi85

Noda_machi88

野田の醤油発祥地碑

Noda_machi89

野田市駅

☆野田線
 明治時代は江戸川舟運を利用して醤油を運んでいたが、不便なので明治四十四年千葉県営鉄道野田~柏が開通した、大正十一年北総鉄道に譲渡し野田~船橋の営業となった。 さらに、東北方面に醤油を輸送しようと、野田~大宮の路線ができ、北総鉄道から総武鉄道と改称、1944年東武鉄道に合併され野..

YAMADA

玉川分水

Tamagawa16

○玉川上水支流(玉川分水)@立川市柴崎町1

 中央線電車の上を流るは玉川分水

Tamagawa11

☆山中陸橋
 甲武線に架けられていた奥多摩街道の陸橋。 かつては人と水を渡していたがコンクリート橋に架け替えられたさい、人が通る橋と水橋部分とが切り離された。

Tamagawa12

Tamagawa13

Tamagawa15

Tamagawa17

Tamagawa19b


Tamagawajyosui○玉川上水

Tamagawa02○水道碑

YAMADA

福神漬

Syuetsu1

福神漬の碑(福神漬顕彰碑)@日暮里・浄光寺

福神漬 について

Syuetsu2

Syuetsu5

石碑 について


☆酒悦
 延宝年間(1673~1781年)伊勢山田の野田清右衛門が江戸本郷元町にて乾物屋「山田屋」を開いたのが前身といわれ、後に池之端に移った時に上野輪王寺の門跡が好き勝手につけたらしい、詳細は不明。

☆福神漬
 日暮里浄光寺に福神漬の碑(福神漬顕彰碑)があるらしい。

☆福神漬け
 酒悦十五代店主野田清右衛門が、七種類の野菜を醤油漬けにしたのが始まり、七種類の野菜で..

YAMADA

小石川後楽園

Koishikawa00_2

Koishikawa01

小石川後楽園@文京区後楽1-6-6

Koishikawa02

Koishikawa03

Koishikawa04

Koishikawa05

Koishikawa06

Koishikawa07


Kourakuen91a

Kourakuen91b

Rikugun_zohesyou陸軍造兵廠東京工廠記念碑


☆小石川後楽園
史跡名勝天然記念物
 寛永二年水戸潘祖徳川頼房ノ築造スル所ニシテ其ノ嗣徳川光圀之ヲ修治シ朱之瑜ニ選名セシメテ後樂園ト稱セリ江戸庭或ハ大名庭ノ稱アル型體ノ古園ニシテ築山泉水庭ニ屬シ徳川時代初期ヨリ中葉ニ於ケル庭園作物トシテ典型ト見ルヘキモノトスヘシ明治二年諸潘封土ヲ奉還スルニ方リ潘主徳川武時其ノ邸ト共ニ之ヲ上地シ今ハ東京砲兵工廠敷地ノ一部..

YAMADA

草加宿 (2)

Souka29

おくのほそ道の風景地・草加松原

Souka21

Souka22

Souka23

Souka24記念碑

について

Souka25

松尾芭蕉翁像

Souka26

望楼

Souka28

Souka27

Souka41

YAMADA

朝霞大仏

Asakadaibutsu2

○朝霞大仏(朝霞市膝折・現朝霞駐屯地内)
 1933年、遊園地・庭園・大仏・梵鐘などを含む根津公園(根津は計画者の東武鉄道社長名)建設計画あり。 1935年梵鐘完成(高さ約3.9m・重さ約6750kg)、1935年大仏原型完成(高さ約14m)するも、1937年計画中断・金属供出により熔解された。  そして、公園敷地には陸軍予科士官学校がつくられ、戦後アメリカ軍の根津パークとなった。

Asaka_daibutsu1

 1933年、根津嘉一郎が膝折の地五万坪を購入し・根津公園建設を計画。 1935年公園内の鋳造工場..

YAMADA

神田明神

Kandamyoujin11

神田明神(千代田区外神田2-16-2)

明神 について

Kandamyoujin12

○神田明神
 天平二年武蔵国豊島郡江戸柴崎に大己貴命を祀った。  平安時代、京で晒されていた平将門の首が柴崎に飛んできたので塚を築いて祀った。 その後、将門の怨霊が祟り人々を苦しめたのを、時宗二世真教が「蓮阿弥陀仏」の法号を板碑に刻み供養し・荒れ果てた神田の宮を再興したといわれる。
 その後、江戸城拡張造成に伴い駿河台に移転、更には湯島台に移転し江戸城東北の鬼門鎮護の江戸惣鎮守として幕府により壮麗な社殿が造営された..

YAMADA

王子製紙

Ohjiseishi61

洋紙発祥の碑

製紙 について

Ohjis71

○抄紙製紙(しょうし)
 渋沢栄一が、三井・小野・島田らに製紙事業起業を呼びかけ1873年2月12日「抄紙製紙」創立。 1875年12月16日王子村にて操業開始。(石神井川と千川の水を使った)  敷地内に紙幣寮(後の印刷局)が進出し「製紙会社」に強制改称、1893年王子製紙株式会社となる。

Ohjis72

 1933年、王子製紙・富士製紙・樺太工業が合併。  1949年GHQにより解体され、苫小牧製紙株式会社・十條製紙株式会社・本州製紙株式会..

YAMADA

福神漬おにぎり

Fukujinzuke2

ここでは、「福神漬け」が主役。

☆福神漬け
 酒悦十五代店主野田清右衛門が、七種類の野菜を醤油漬けにしたのが始まり、七種類の野菜で七福神から「福神漬」と名付けた。
 明治三十五年頃日本郵船欧州航路でカレーライスに福神漬をそえたといわれる。 この「福神漬」は一等船客限定であり、二等船客・三等船客には沢庵だったそうだ。

Onogiri_cheez

チーズサンドおにぎり


☆酒悦
 延宝年間(1673~1781年)伊勢山田の野田清右衛門が江戸本郷元町にて乾物屋「山田屋」を開いたのが前身といわれ、後に池之端に移..

YAMADA

正幸寺の三碑

Syoukouji11

○正幸寺(前橋)

三日月の碑 「三日月や広い空にも曲げて置く」
十夜の碑 「祖父祖母の孫にもあまき十夜かな」
猫の碑 「麦飯にやつつる恋や里の猫」

 昔前橋城主坂井氏家老の娘が猫を可愛がり一時も側から離さなかった。 娘は年頃になり・猫は年老い魔物の性がが現れた。 かくして家臣は猫を斬り殺し、娘は嘆き悲しんで病となり死んでしまった。 その娘の追善のために建てたといわれる。

※正幸寺は朝7時と夕方6時に「時を知らせる鐘」として鐘を鳴らしている。 グンマでは、この時間に鐘を鳴らす寺が多い..

YAMADA

竜宮伝説

Fukiware21

○グンマには竜宮伝説が数多くある。

グンマの伝説 について

○伊勢崎市宮子
 雨乞い・日和乞い、阿感坊三日間滞在するも領主に龍宮の様子を話したため狂死。 椀貸し伝説あり、浦島太郎の石碑あり。

○桐生市梅田町
 鍾乳洞奥が龍宮に通じている。椀貸し伝説あり。

○千代田村
 五軒屋敷の井戸は龍宮に通じ、水が尽きない井戸といわれる。

○上野村
 龍宮洞(不二洞)、罪人が洞窟中に織姫っを見たが役人に話したため狂死。
※白鰍を見たものは死ぬといわれる。

○吹割の滝
 滝壺は龍宮への..

YAMADA

宝樹院

Warabe_houjyouji1

○宝樹院(宝珠院)蕨市中央2丁目10-4
 永禄十年渋川公(宝樹院)が上総国三舟山合戦で里見氏に破れて戦死、これを悲しんだ奥方(竜体院)は榛名湖に入水し竜神となった。 
※榛名神社に雨乞いに行くと雨が降るとの伝説が残った。
※渋川公墓石碑は文化三年(250年忌)に渋川氏家来子孫が造立した。

Warabe_houjyouji2

Warabe_houjyouji3

Shibukawa_haka11

YAMADA

上野三碑

Kouzukesanpi11b

山上碑:辛巳歳(681年)銘
多胡碑:和銅四年(711年)銘
金井沢:神亀三年(726年)銘

三碑 について

Yamanoue61

Tago61

Kanaisawa61


Rekishi_gunma1金井沢碑

Rekishi_gunma2山ノ上碑

Rekishi_gunma3多胡碑

YAMADA

大笹関所

Ohsasa11

○大笹宿
 信州街道(中山道~万騎峠~鎌原~大笹~鳥居峠~須坂~善光寺)の本陣があったとされ、碓氷峠の裏街道でもあった。
※毛無峠越えは、大笹関所ができてから閉鎖された。

○大笹関所
 どの関所にも女人道(抜け道)があった。 また門を閉じても穴をあけておく「犬くぐり」なるものもあり、これは犬専用なのでここをとおるのものはすべて犬とみなされた。
 大笹関所の抜け道の分かれ道には「揚雲雀見聞てここに休ふて右を佛の道としるべし」と彫られた石碑があった。

○大笹関所跡
 寛文二年徳川家綱..

YAMADA

グンマ三碑

Gunma_3hi

 グンマ三碑とは、現在のグンマに所在する20世紀にかけての古代の石碑3基の総称で、それぞれ上州人を表すといわれています。(グンマ上野三碑)

○おろかもの之碑(中之条)
 1961年、吾妻会(公職追放された戦中指導者達)が「我々は馬鹿正直であった」と反省して建てた。(後に林昌寺)

○内村鑑三の詩碑(高崎・頼政神社)
 上州無智亦無才 剛毅木訥易被欺
 唯以正直接万人 至誠依神期勝利

○恐妻之碑(磯部駅前)
 恐妻会長・阿部真之助染筆といわれる。

YAMADA

グンマの昔:十石峠

Jyukkoku14

○十石峠
 かつては、信州大日向へ馬子が荷(下駄など)を運び、帰りは米・酒・わら・草鞋などを持ち帰った。 小諸へ行く馬子衆は帰りに十石の米を上野村白井まで持ち帰ったので、「十石街道」・「十石峠」と呼ばれるようになった。 帰り荷は、白井の市場でトリヒキされた。 
※細い崖道で馬もろとも谷間におちてしまうのが「やきゅう沢」、供養の馬頭観音石碑も多い。

○十石街道(じっこく)
 中山道新町から藤岡・鬼石・万場を経て神流川沿いを遡り、十石峠を越え信州南佐久へ至る街道、十石峠道・山中道とも..

YAMADA

グンマの口碑(太田史)

Ohta27

○「千早振る卯月八日は吉日よ、神さげ虫の成敗をする」と云ふ歌を書て流しにはると虫が出ない
○おさきなる動物は人の家に禍福を与ふ
○お月様が笠をかぶると近きに雨ふる
○からたちの木に生じたる菌は煎じてれうまちによし
○しびれのきれたる時塵を額に貼ればなほる

○烏鳴が悪いと人が死ぬ
○卯の日に田植をすると其米が不幸の役に立つ
○燕に糞をかけらると運がよい
○燕を捕れば目がつぶれる
○下雷は牡丹餅をして招んでも釆ない
○家によりて作物に作ることの出来きぬ作物あり
○柿の種を囲炉裡へ..

YAMADA

渋川伝説(1)

Onogami11

○小野上名石
 ・夫婦石:七社神社そばにあるのが女石、粗末に扱うと祟りがある。 男石は上流にいる。
 ・牛の屎石:牛の糞に似ている、でも高さ6m幅9m。
 ・むしば神:虫歯に見えないこともない、おがらの箸を供えると虫歯が治る。
 ・弘法の腰掛石:弘法大師が腰掛けた、足跡二つとお尻の跡がある。
 ・白丁石:弘法大師が「白丁」と書いたといわれる。
 ・蟹石:川辺の蟹に見えた。
 ・かえる石と硯石:雨乞い祈願用。

○有馬五石ほか
 ・子種石:石に手を触れて祈願すると子種が授かる。(若伊..

YAMADA

館林・館林城(尾曳き城)伝説

Tatebayashi31

○赤井但馬守照康が助けた子狐の親白狐が城の地割りをして築いたのが「館林城・尾曳き城」。

○永禄六年の北条勢が攻め行ったとき、白狐が七千の軍馬に化けて援軍した。

(上州館林城図)

○天正十八年石田光成勢の攻撃には、堀に生えた葦が多数の城兵に姿を変え敵を後退させた。 そのときから、葦はみな方葉となった。

○正保年間の城主松平和泉守乗寿の元へ、江戸表から早馬が来た。 書状は「若君家綱公御疱瘡重体」。 城主は取るものも取りあえず・大慌てで江戸へ上ると、何事もなく平穏。 書状を老大臣に..

YAMADA

新田伝説(新田郡、現太田市・みどり市・伊勢崎市)

Fumonji

○笠懸桜塚・園田屋敷の地蔵様は、賭事の地蔵様だった。 そのため賭博人が「かけら」を求めたため、頭・手が無くなってしまった。 その後、復元されたらしい。

○岩宿の天王様は、疫病が流行った時に担ぎ出されて、疫病を追い払った。(1962年)

○平安時代、新田荘では鹿に田畑を荒らされたので、領主園田太郎家茂が「鹿専用畑」を作らせ・通常の畑と分離したので、この地を「鹿田」とよんだ。 
※山田郡小倉村の鹿田との説もある。

○葬式が家から出る時坊さんが鐘を「ジャラン・ボーン」と鳴らしたので、葬式を..

YAMADA

粕川村伝説(勢多郡粕川村、現前橋市)

Otoginomori

○一休和尚が作った歌の碑があるのが「つつじが峰」。

○源平合戦で源氏本陣に建立されたのが新家・薬師様(源氏薬師)、敗れた平氏の首を埋めたのが首切り薬師。

○1350年頃、女渕城主が軍場訓練場としたのが「桜の馬場」、管理者は家臣桜氏だったので、桜氏の家が桜屋敷。

○享保時代、ダイコウ寺の沼が河原となり・粕川の流れが変わった。 申の年だったので、「申年の大水」。

○稲は瑞穂国からキツネがくわえてきた。

○上野国司高野辺家成りの後妻が、先妻の娘二人を沈めたのが「増田ケ渕」。 その後、夜な夜..

YAMADA

前橋伝説(2)

Maebashijyou2

○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

YAMADA

グンマの昔:神代文字

Gunma_jindai

○神代文字碑
 復古神道の遺物として明治3年3月に建碑された。 碑文は平田鐵胤(平田篤胤の養子)、神文は延胤(鐵胤の子)による撰文。 神文「マナヒトコロノナレルコヱヨシ」は対馬の阿比留家に伝わる阿比留文字で書かれている。

Gunma_jindai1


Cascajal

☆カスカジャル・ブロック(Cascajal block)
 解読できた者はいない。

YAMADA

引札:猩々と酒樽

Hikifuda_04

○薬師嶽牛乳搾取所・吾妻町原町

Hikifuda_04b

引札:横綱と征清勝軍記念碑
○牛乳販賣所精養軒・上州新田郡尾島町堀口

※現太田市

YAMADA

子持山

Gunma_komochiyama

○子持神社
 子持山中腹にある子持神社は木花開耶姫を祀り、子授け・安産の上とされる。 また大正天皇が生まれる際に祈願したともいわれている。 日本武尊や弘法大師の伝説も多い。

※火山でもある子持山は、万葉集には「児毛知夜麻」とある。

Komochi_ayato

○綾戸の穴道(1951年頃撮影)

 子持村から渋川・高崎方面へ抜けれるよう、金剛院住職江舟と村役人後藤門右衛門らにより「綾戸道切開計画」が立てられた。 
 1842年11月工事開始、並行する十八坂が廃れると岩本村新田組の反対あり、 1844年4月..

YAMADA

数字歌碑

Hitotsuie

○一つ家の碑

①八万三千八三六九三三四四一八二
 四五十二四六百々四億四百

②子子子子子子、子子子子子子

③大、二、八、を、四、六、九、八、九、十一、十二、か、な

①やまみちは、さむくさみしし、ひとつやに、よごとに、しろく、ももよおくしも

②ねこのここねこ、ししのここじし

③おおにわをしろくはくしもしわすかな


☆ひとつ・ふたつ・みっつ・よっつ・いつつ・むっつ・ななつ・やっつ・ここのつ・とお
 とおつ(十つ)と言わないのは、いつつで「つ」を二回使ってしまったかららしい… ..

YAMADA

よもがしま

Yomogashima

○蓬が嶋@虎屋
 子持饅頭

Manjyu_hi

○御饅頭所の碑
 福岡・承天禅寺の「御饅頭所の石碑」。 東京「虎屋」に保存してある看板を石碑に転写したもの。

YAMADA

群馬での暮らし:大島梨

Ohshimanashi2

○大島梨
 前橋市下大島町にて梨栽培を成功させたのが関口長左衛門と伝えられる。 その後、全国的にこの栽培法が広がったらしい。 来迎寺に、功績碑(石碑)がある。 

○里見の大梨(里見豊栄梨)
 清水家の鬼門除けに栽植されたといわれる。 

※かつて、梨はグンマの名産であった。 (梨はバラ科)

について

Ohshimanashi5

☆大島梨
 文政十三年関口長左衛門が梨の栽培をはじめた。 これを見た近在農家も梨栽培をはじめ、大島梨として名物になった。 その後、前橋藩主毎年松平侯に毎年献上するようにな..

YAMADA

多胡の碑:羊太夫

Karuta_tago

《グンマを話そう》
○羊太夫
 「多胡の碑」は1300年ほど前に作られたもので、村人は「羊さま」と呼び信仰してきました。  かつてこの地に八束城があり藤原将監勝定という城主がいました。  子供がいない勝定夫婦が大沢不動にお参りした満願の夜、白髪の老人が現れ「この子羊を与える、大切に育てよ。」と言いました。  やがて、羊年・羊刻に男の子が産まれ「羊太夫」と名付けました。

Tagonohi  文武に優れたこの若者は、やがて父の後を継ぎ八束城主になりました。  ある日、羊太夫は韋駄天のごとく若者..

YAMADA

群馬での暮らし:群馬県群馬郡群馬町

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんキャンペーン》

○群馬県群馬郡群馬町
  2006年に高崎市に編入されたため、現存しない。
(土屋文明の歌碑・山村暮鳥の詩碑、などある)


☆群馬県
 古くは、群馬郡(くるまのこおり)。 車は車持公に由来。

YAMADA

群馬での暮らし:女神の足跡

Komochi1jpg

《グンマを話そう》
○女神の足跡
 かつて子持村・子持神社では、ある時社殿が火事になりご神体に累が及ぶとみるや、忽ち美しき女神と化した祭神が乳兒をしかと抱きしめ社外へ舞い、沓ぬぎ石に足跡を残したと伝えられています。
 現在は「兒持山若かへるでのもみづまで寝もと吾は思う汝はあどか思う」なる万葉歌の石碑が建てられています。
 グンマには足跡に関する言い伝えが多くあります。  渋川・早尾神社の足跡、榛名・白岩観音の手跡、松井田の百合若大臣の足跡、前橋深山・天狗の足跡、(前橋下小出の..

YAMADA

榛名湖

山田君の世界

《グンマを話そう》
 ある昔、木部村の豪族だった木部氏の妻・木部姫(長野姫)が、夫君の活路を開かんと榛名湖に身を投げ、侍女達もそれに続き湖底のカニとなり姫を守ることとなった。   しかしながら木部氏は妻を忘れることができず、榛名湖に出向いて妻の名を呼んだ。 湖底から現れた妻は、「私はこの湖の主です。理由あってあなたの妻となりましたが、湖に戻るときがきたのです。」と言うと大蛇となり再び湖底に姿を消した。(龍という説もある)

※榛名湖の主は十尺もある緋鯉だとの伝説もある。
※..


YAMADA

参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

YAMADA