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金昌寺

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○札所4番 高谷山金昌寺
 秩父市山田1803-2、0494-23-0976

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 本堂は三間四面、様式は唐様、江戸中期のものである。 山門は仁王像を安置し、階上には縁をまわして石仏の五百羅漢を安置している。 秩父札所のうちで最も豪華な山門である。 本尊は十一面観世音・像高107cm、室町時代の作で、慈母観音の石仏も有名。

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すまんじゅう

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○すまんじゅう・素饅頭
 小松屋本店、東秩父村安戸41、0493-82-0016

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つる

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○元祖伝統菓子 つる
 小松屋本店、東秩父村安戸41、0493-82-0016

焼菓子
 寛政三年の創業以来今日まで、味と伝統を守り抜いてきた素朴な菓子。

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店主:鶴の子餅に似ているから「鶴の子」と名付けよう。
客 :この色は、鶴の子(卵)の色ではないな… 
店主:それなら略して「鶴」にしよう、いや「つる」の方が美味しそうだ!

かくして「つる」とよばれるようになった。

※古くは、卵形の「紅白すあま」をおめでたい鶴の卵の形になぞらえて、慶事用「鶴の子餅」あるいは「鳥の子餅」とよんでいた。 ..

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妙円寺

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○法昌山妙圓寺
 秩父市栃谷栃谷921、0494-22-1215

 十六世紀後半・戦国時代の建立(甲州山梨に本山)、天明三年現在地に移転・再建立・1929年現本堂再建。 身延山久遠寺末寺。

※他に、高麗郡岩淵村字三ツ沢 曹洞宗通幻派妙円寺・栃谷村字越腰 日蓮宗一致派妙円寺・黒谷村字市道 曹洞宗妙円寺、があった。

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四萬部寺

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○誦経山四萬部寺 札所第一番
 秩父市栃谷418、0494-22-4525

 本堂(観音堂)は元禄十年建立、本堂正面欄間には地獄極楽の彫刻、寺名は性空上人の弟子幻通が四万部の仏典を読経して経塚を築いたことに由来。

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☆かつて、四万部寺では施餓鬼のときに大賭場が催された。 そこには、外見二階建て・内部は三階建ての蔵があったといわれる。

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札所番号:長享番付→現行番付
1:定林寺→妙音寺
2:蔵福寺→真福寺
3:今宮坊→常泉寺
4:慈眼寺→金昌寺
5:野坂寺→..

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浄蓮寺

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○浄蓮寺
 東秩父村御堂362、0493-82-0095

東秩父村 について

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 今から約七百年前当地の豪族大河原神冶太郎光興の草創光興は比企大学三郎能本と親善厚く、法華の妙理を談じ、後に帰依し法名を浄蓮と名乗る。 そして自分の邸内に、本化の道場を建立せんと(正応元年)、日蓮聖人の六老僧の一人、高祖日朗上人に法会を講じて、開山の件を志願、厚く法喜なし給い老師を関山とし、鎌倉妙本寺、池上長栄山の一字をとり、山号を「妙栄山」、光興の法名をとって浄蓮寺と賜る。 後に天正中に北条..

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長慶寺

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○長慶寺
 東秩父村白石30

秩父 について

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ふるさと文化伝習館分館

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○ふるさと文化伝習館分館(旧西小学校白石分校)
 東秩父村白石936

あじさいの道

和紙 について

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和紙の里 ひがしちちぶ

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○道の駅 和紙の里 ひがしちちぶ
 東秩父村御堂441、0493-82-1468

ふるさと文化伝習館・和紙の里製造所

道の駅 について

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☆東秩父及び周辺地域の手漉和紙の製作用具及び製品
 槻川流域の秩父郡東秩父村や比企郡小川町では江戸という大消費地をひかえ、江戸期以降、盛んに紙漉がなされてきた。 この収集は、こうした歴史をもつこの地域の製紙に関し、各工程の作業用具のほか、仕事着や製品までを網羅的に収集・整理したものである。..

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秩父鉱業御堂工業所

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○秩父鉱業御堂工業所・御堂鉱山
 秩父村御堂948-1、0493-82-1311

鉱山 について

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埼玉県立嵐山史跡の博物館

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○埼玉県立嵐山史跡の博物館・菅谷館跡
 比企郡嵐山町菅谷757、博物館月休、0493-62-5896

史跡 について

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☆小衾郡菅谷館
 平安時代終わり、畠山重忠が鎌倉街道沿いに館を構えた。 その後の戦乱により修築・拡張が繰り返され、当時の面影はない。

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Higashi_sugaya9※軍用金を貯えておいたのが金蔵跡

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☆畠山重忠
 長寛二年月日不詳生~元久二年年六月二十二日没
 桓武天皇十二代秩父太郎重弘の長子畠山庄司重能の男・母は三浦義明..

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厳島神社・代山城跡

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○厳島神社・代山城跡
 さいたま市緑区代山

※厳島神社は、代山城(岩槻城出城)の裏鬼門といわれる

城跡城址 について

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☆厳島神社絵馬 
 縦30.2cm・横168.0cmの一枚板の絵馬で、左側に瑞雲に乗る御幣と鳥居が描かれ、それに向かって7頭の飾り馬が、歩んでいく様子を描いています。 左端には「大願成就馬大牧邨」の銘があります。これは現在の緑区大牧にあたります。 紀年銘がないため、時代ははっきりしませんが、江戸時代末期か明治時代初期の作と考えられています。

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お御前様

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○お御前様・栃谷立石(高篠村)

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☆御前社・将門伝説
 頃は天慶年間平将門は破れ その后妃は御厨(屋)三郎(平定延期)につれられて 下総の古河より秩父の城峰山に移ったが 程なく城峰の砦も落ちてしまった。
 主従合わせて百余人は敵の大軍に追われつつ三峰方面に向って逃げたのである。 然し此分ではとても逃のびる事は不可能であると悟った家来の五人は如何にして我が主だけは刃にかけたくないと思って一策を案じ 敵の大軍が雪崩を打って押し寄せてくるのに乗じ意を含めて味方の大部隊..

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伝説の秩父

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☆御前様・高篠立石
 天正十八年北条氏邦戦いに破れ鉢形城開城、徳川氏代官の支配下となった。 家臣御前但馬守と家来椿兵左衛門は立石に落ちのぴ、小さな小屋を建て・農耕し・子供達に学問を教えた。 村人達に信頼されるようになったころ、武士達がやってきて・御前らを殺害してしまった。 これを哀れんだ村人達は 小屋跡に祠を建て御前様を奉り・廻りに椿を植えた。
※武士達に桔梗紋だったともいわれる。

☆天狗たん譚・槻川村坂本琴平神社
 近くの山には天狗が住み、この天狗をからかった男の家が飛ん..

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夏内 メモ

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○白石村字夏内(東秩父村)

Shiroishi_02※かつさあし小屋(楮晒)・細川紙

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○白石村夏内、文化文政年間
 近くに楮(姫楮)が生え・急流がありそこそこの水量が得られることから、清流を求め槻川に沿い和紙作りが発展した。 周りを山に囲まれたこの地では農耕ができず、男は炭焼き・女は紙漉(場所によっては蚕養)を業とした。 作られた和紙は紙問屋の蔵に保管され、主に社寺に納められた。
 東秩父村の和紙作りは、江戸時代に全盛となり・江戸時代終わりに紙漉農家は八百軒程に達した。 江戸..

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新井イッケ メモ

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☆新井イッケ 参考文献

「秩父之精神・新井源藏」
「定峰における新興地主の成長とその地域的背景」

その他に、「定峰の小字地名と屋号」・「戦国期定峰における村落社会の変容」・「秩父の今昔」・「定峰誌」、など。

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【 だれも知らない新井イッケのはなし 】

○屋号「ナツウチ」は地名の夏内
○一代目源蔵は大工、二代目源蔵は大尽

○現建物は妙圓寺だった
○【本】の紋は本化日蓮宗
○寺は山寺、坂本山が寺敷地だった
○寺隣地はコヤツマ新井家だった
○本堂は山の上に南向..

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高篠村 メモ

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○高篠村メモ(現秩父市定峰・栃谷・山田)

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○高篠村役場・1927年

○新井イッケ・秩父市定峰に七戸
新井源蔵(文政七年)・屋号ナツウチ、父源助(文化七年)、新井源蔵は栃谷下郷日向の大工と伝えられる。
 文政年間、本家新井忠兵衛(コヤツマ)が破産し、新井イッケの構成が変わった。 新井源蔵は、天保期以降百姓代につき経済的な地位を上げ、明治期には定峰の村民に対する金貸業で急激な成長を遂げた。 新井家は、その後高篠村の信用組合長や高篠村村長(新井源克、八代村長・十二代村長)といった役職..

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秩父定峰山里の道

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秩父市定峰

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○定峰神社
 社伝によれば、天正十一年武田信玄の家臣・島田左近大夫定峰村に土着帰農に際し、加賀総社白山神社の分霊を勧請、伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命を本村字権現堂宮城の地に鎮座し・白山権現と称し・村の総鎮守とす。 境内に愛宕社・天神社・白鳥社・山神社を祀る。 明治四年村社に列せられ、明治四十年七月、高篠村中心地字七曲り無格社八坂神社に合祀し、さらに無格社・妙見社・稲荷社を合祀して定峰神社と改称す。

☆古くは権現様ともよばれ、安産を願う産泰講があった。

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平塚神社

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平塚神社・平塚城跡(豊島城跡)
 東京都北区上中里1-14-1、03-3910-2860

城跡 について

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☆平塚神社付近は、平安時代に豊島郡を治める郡衙のあった場所だと推定されていますが平塚明神并別当城官寺縁起絵巻の伝承によれば、この時代の末期には、秩父平氏庶流の豊島太郎近義という人物が平塚城(豊島城)という城館をつくります。
 平塚城は源義家が後三年の役で奥州に遠征した帰路の逗留地で、義家は近義の心からの饗応に深く感謝し、使っていた鎧と守り..

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川越城跡

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川越城中ノ門堀跡
 川越市郭町1-8-6


☆川越
 古くは、河越・河肥。 入間川を渡った所の意。

Kawagoe_fujimiyagura1○富士見櫓跡
 川越市郭町2-15

Kawagoe_nagashima1○永島家住宅
 川越市三久保町5-3


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☆河越館跡
 鎌倉時代の関東武士のなかで、とりわけて重鎮の位置を占めた河越氏の館跡である。 遺跡は、現在の川越市の北西、入間川西岸に接する平坦地にあり、その東南部を占める常楽寺境内をはさんで、東西約150メートル、南北約200メートルの方形の区画を思わせる高さ1~3メートルの土塁及びその外側の堀が一..

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荒川

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川口市舟戸

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Kawaguchi_zenkouji9b舟戸の渡し・善光寺

Kawaguchi_zenkouji☆東京真画名所図解 川口善光寺
井上安治 明治14


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Arakawa_suigen○荒川水源

 秩父の大林山広見寺、南北朝末明徳二年に天光良産禅師が開闢した。 この良産禅師が秩父下宮の地が気に入り・庵を造り修行に入った。 近くの音窪の池の主大蒼竜、禅師に諭され、その身を谷に横たえ・荒川となった。
※みこし洗い、災いを竜の化身の荒川で洗うといわれる。

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秩父セメント

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秩父太平洋セメント株式会社@秩父市大野原1800
 旧秩父セメント第二工場・1956年建設

セメント について

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荒川苑中継室
 約23km離れた群馬県多野郡神流町・叶山鉱山(鉱業所)から、石灰石がベルトコンベア(地下トンネル)で送られてくる。
 

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秩父太平洋セメント・ベルトコンベア

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2017-07-03

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○武甲山
 秩父市・横瀬町

 向こうの山→向山→むこうやま→武甲山。 あるいは、昔の秩父郡七庄の一つ武光庄があったので、武光山→ぶこう山→武甲山、ともいわれる。

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★武甲山には山姥が住み、村人を苦しめていた。 ある時巡杖の行基菩薩が武甲山に登り・十七日間祈願すると、山姥は神通力を失い・松の木に藤つるで縛られてしまい、「松藤絶えろ!」とどなった。 それ以来、武甲山から松と藤が無くなった。 横瀬村刈る苅米の秩父観音札所六番萩之堂には、行基に抜かれた「山姥の歯」が残っているらしい。

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番場通り (2)

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秩父市 番場町 (まちあるき)

☆秩父鉄道御花畑駅舎
大正/1917 木造平屋建、スレート葺、建築面積182㎡
 秩父~影森間の開通に伴い建設された平屋建の駅舎で,駅長事務室・待合室・改札・プラットホームからなり,キングポストトラスの小屋組を組み,切妻造,スレート葺の大屋根を架ける。全体的に実用的なつくりであるが,雰囲気のある駅舎として親しまれている。

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☆薗田家住宅表門
江戸/1830-1844
木造、瓦葺、間口3.0m、袖塀付

 敷地東辺にある。1間..

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番場通り (1)

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秩父市 番場町 (まちあるき)

秩父 について

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☆安田屋・馬場町19-9  
大正五年創業
昭和前/1930頃

 木造2階一部3階建、鉄板葺、建築面積43㎡  角地に建つ木造2階建で,正面の東側と両側面の壁を高く立上げ,背面側に鉄板葺の片流れ屋根を架ける。壁面はモルタル塗で,小屋裏窓を設け3階建にみせ,上部にコーニスを廻し,窓上にアカンサスをあしらった装飾をつける。洋風意匠を摂取した店舗兼用住宅。

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☆パリー食堂・馬場町19-8
カフェ・パリー 1927年開業..

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ちちぶ銘仙館 (2)

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ちちぶ銘仙館@秩父市熊木町28−1

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ちちぶ銘仙館 (1)

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ちちぶ銘仙館@秩父市熊木町28−1

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☆旧埼玉県繊維工業試験場秩父支場本館
昭和前/1930
木造平屋建、瓦葺、建築面積373㎡  

 木造,平屋,寄棟造,桟瓦葺で,事務棟として内部は執務室,会議室などが配される。主体部に比して異様に巨大な玄関ポーチを正面に突出させるとともに,大谷石積腰壁や連続した縦長の窓によってF.L.ライト風の外観を造るなど,特筆すべき造形がみられる。

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☆旧埼玉県繊維工業試験場秩父支場倉庫
昭和前/1930
木造平屋建、セメント瓦葺、建築面積194㎡、渡廊..

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秩父まつり会館

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秩父まつり会館@秩父市 番場町2-8

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秩父神社

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秩父神社@秩父市番場町1−3

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☆八意思兼命履歴書・秩父神社
 高天原最高司令神タカミムスビ神の子、天岩戸に隠れたアマテラス大神を引き出すための祭祀を指揮、その所椀が認められ「知恵の神」となる。 現在「合格祈願の神様」として人気。
※ヤゴコロオモイカネ命は、数多くの人間が持つ思慮分別の知恵を一身に結晶させる、の意。


☆秩父
 武蔵国、奈良朝時代の国守・丹治比県守や丹治比真人から、丹治比→丹生→壬生→乳生→秩父と..

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旧新井家住宅

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旧新井家住宅@長瀞町大字長瀞1164番地
(埼玉県秩父郡野上町より移築)

江戸中期/1745頃
桁行17.0m、梁間10.0m、切妻造、二階建、板葺、東面下屋附属、茅葺、 西面及び北面庇附属、杉皮葺
重要文化財

古家屋 について

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郷土資料館(長瀞町大字長瀞1164、月休)

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 大きな居間を持った家で、居間や土間まわりの柱や梁は太く、いかにも農家らしい。秩父地方にかって広く分布していた板葺農家の典型であり、外観の意匠も優れている。

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岩魚すし

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岩魚すし(みな寿し@秩父市大野原91-3)

岩魚 について

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小見真観寺古墳

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○小見真観寺古墳@行田市小見1124・真観寺

全長102m、高さ8m、前方後円墳

古墳 について

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 前方後圓型ノ墳丘ニシテ俗ニ觀音嶽ト称ス 主軸西々北ニ向ヒ封土ノ左側部及前後頂部共ニ削平セラレ右側部ハ旧規ヲ存ス主軸ノ全長約三百三十三尺前方ノ高サ二十一尺後圓ノ高サ約二十二尺後圓部頂部ヨリ深サ約九尺ノ所ニ孔口ヲ南面セル石槨ヲ露出セリ寛永年間觀音堂創建ノ際発掘セシト傳ヘラル槨ハ緑泥片岩ノ板石ヲ以テ築カレ前後二室ヨリナル後室ニハ組合セ石棺ノ置カレタル痕迹ヲ存セリ..

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高麗村石器時代住居跡

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高麗村石器時代住居跡
 日高市・高麗駅北

高麗 について

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高麗村石器時代住居跡
史跡名勝天然記念物

住居跡 について

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☆高麗村石器時代住居跡
 字台とせられる緩傾斜の台地に存する。この地一帶には表面に縄文土器・石鏃・石斧等が散布して石器時代の遺跡であることを示しているが、多数の住居跡も検出されている。これ等はほぼ円形の竪穴式を示し中央に炉跡をそなえているが、中にも第一号住居跡はそれぞれ中央に炉をもつ二箇の竪穴の複合よりなるも..

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秩父太平洋セメントベルトコンベヤー

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○秩父太平洋セメントベルトコンベヤー
 秩父太平洋セメント秩父工場~群馬県多野郡神流町・叶山鉱山(鉱業所)まで、ベルトコンベア用トンネルがあるらしい。(三基合計で総機長約23km、一部は地上)

石灰 について

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※石灰石ルートは、叶山鉱山~巣掛砕鉱場~第二プラント~秩父鉄道。

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叶山鉱山

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Chichibu_no2秩父第二工場

Chichibu_miwa三輪鉱山

Chichibu_belt06荒川苑中継室@秩父セメント第二工場

Chichibu_memo1☆三輪鉱業所

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こがね芋

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小江戸川越 
こがね芋
 (株式会社亀屋@川越市仲町4-3)

○焼菓子

について


☆埼玉老舗菓子屋
池上商店・蕨市北町3-4-27・明治20年・米菓
いわせ・大宮市大門町1-93・明治10年・洋菓子
四つ目屋製菓所・越谷市越ケ谷本町1-21・天明以前・生菓子
池田商店・草加市吉町4-1-40・天保~慶応・煎餅
田中屋本店・岩槻市本町2-2-43・天明~嘉永・生菓子
松崎米菓・川本町畠山1753・大正12年・煎餅
水戸屋・熊谷市石原2-1・天..

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みそポテト

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みそポテト
 ジャガイモの天ぷらに甘めの味噌だれ、店によってはタレに唐辛子少々。 おかずのような・おやつような・おつまみのような、秩父の食物。


☆おかずとは御数のこと、総菜は菜のこと。

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歴史と民俗の博物館

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埼玉県立歴史と民俗の博物館
 (さいたま市大宮区高鼻町4-219)

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☆埼玉県立歴史と民俗の博物館  1971年開館。

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○大宮公園内遺跡
 1955年に行われた発掘調査で、弥生時代後期の竪穴住居跡一軒と弥生時代後期から古墳時代初頭と見られる方形周溝墓一基が確認されています。


☆埼玉県選定重要遺跡
大久保古墳群(さいたま市桜区)、側ヶ谷戸貝塚(さいたま市大宮区)、側ヶ谷戸古墳群(さいたま市大宮区)、五味貝戸貝塚(さいたま市西区)、大和田陣屋跡(さいたま市見沼区)、永田陣..

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あゆ飯

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あゆ飯弁当(鮎飯弁当)
 (木の子茶屋@秩父郡横瀬町大字芦ヶ久保405番地)

について

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たらし焼き

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 小麦粉に味噌・細かくきざんだネギ・ゴマ・シソなどを加え、水で溶いたら鉄板にたらして両面を焼いたもの、秩父の食物。

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みそポテト

Misopotato

 ジャガイモの天ぷらに甘めの味噌だれ、店によってはタレに唐辛子少々。 おかずのような・おやつような・おつまみのような、秩父の食物。

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三峰口駅

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秩父鉄道・三峰口駅

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☆武蔵野電鉄・武蔵野鉄道
 昭和十年十月二十一日、武蔵野電鉄に対し電気代滞納のため東京電燈が送電制限、この結果停電続出・運休多数。

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グンマ幻の鉄道計画

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○碓氷鉄道
 アプト式官線では輸送量に限界があるので、トンネルを設けた南回りルートを敷設する「碓氷鉄道株式会社」を計画したが没となった。

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○桐生鉄道
 大間々を起点に、桐生で両毛鉄道連絡・太田で毛武鉄道接続・さらには東武鉄道に接続する「桐生鉄道株式会社」を計画するも没となった。

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○関東鉄道
 両毛鉄道前橋停車場を起点に、玉村・新町・藤岡・鬼石・秩父大宮への本線と、藤岡で別れて吉井への支線を結ぶ「関東鉄道株式会社」を計画するも没となった。 
※南側の人々が相手にしなかったらしい。..

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三峯神社

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○三峯神社・秩父大滝村
 江戸時代になると各地に三峯講が組織され、火災・盗難除け・家内安全祈願にお札をもらい受けに来るようになった。

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 三峯神社の主祭神は伊邪那岐・伊邪那美だが、その眷属である狼の御利益が絶大とされる狼信仰神社。 秩父には、宝登山神社・椋神社・両神神社・釜山神社など大神を眷属とする神社が多い。


Saitama_mitsumine○三峰神社

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奥武蔵グリーンライン

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奥武蔵グリーンライン

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☆天狗と鬼・奥武蔵
 顔振峠には高岩、大きな松は「天狗のこしかけ松」、天狗の休み処だった。 
 日和田山には天狗、弱虫末太郎が天狗に力を授けてもらった。
 都幾川村坂本の八幡神社、山伏神力坊が秩父の天狗に「白い石の豆腐」を食べさせ退治した。


☆顔振峠・冠峠
 昔義経が通ったとき景色がよいので顔を振り振り行ったとも・弁慶が二十二曲がりの急坂で頭を振り振り登ったとも、いわれる。
※地元語は「かあぶりとうげ」・「かはぶりとうげ」。
※頭が顔振峠(冠峠)・..

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椋神社

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椋神社
 (埼玉県秩父市下吉田7377)

※今年の龍勢は、平成26年10月12日(日曜日)。

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 龍勢(りゅうせい)は、10月の第二日曜日に椋神社例大祭に奉納する神事として、代々伝承されてきた農民による手作りロケットです。

諸説ある起源は・・・・・
1.椋神社縁起に「日本武尊が奉持した鉾より発した光のさまを尊び、後世氏子民が光を飛ばしご神意をなぐさめ奉った。」(要約)と記されています。
2.また「戦国の頃、ノロシ(狼火)から土地の農民が考案し、その後改良された」とも伝えられ..

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グンマの昔:倉賀野宿

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○倉賀野宿
 下町・中町・上町が、月の1/3ずつ交替で 伝馬を受け持ち宿を運営し、水陸交通の要であった。 川井河岸・新河岸・玉村河岸は三国街道方面、倉賀野河岸は上州・信州方面を扱った。 また、大名・旗本の蔵米を扱う米宿もあった。
※徳川家康の命日4月17日に日光東照宮へ幣帛を奉納する勅使が通ったので「例幣使街道」。(1646年から1867まで毎年行われた)

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 五世紀頃大豪族が倉賀野の地に住んでいた。 鎌倉時代に児玉党秩父氏一族が倉賀野氏を称し、十四世紀末には倉賀野城が築城された..

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太田伝説(1)

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○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○植木野村にみすぼらしい修行僧がきて、芋を洗っていたお婆さんにお布施を求めたが、断られた。 そこで隣家へ行くと、快く泊めできる限りのもてなしを受けた。  お婆さんの芋は石に変わった。 隣家のまな板裏には「阿弥陀如来像が描かれ・南無阿弥陀物と書いてあった」その脇には「空海」と。 これが、宗金寺の弘法大師が爪で掘った「まな板の名号」である。

○八重傘沼には大蛇が住んでいたが、竜舞の修験者・松本院清安が切..

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グンマの昔:谷地の磨崖仏

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○磨崖仏(川場村谷地)
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基・弁財天磨崖が揃っている。 秩父路を巡拝できない村人のために、まとめて一回で巡礼できるようにと作られたらしい。

※グンマには、自然の岩面に刻まれた磨崖仏が30体以上あるといわれている。

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グンマの昔:白石石灰採掘場

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○白石石灰採掘場・下仁田町1957年頃
 下仁田から南牧村にかけては、良質の石灰石「上野石灰」が掘れた。

 青倉村では、1900年石灰製造合資会社設立、1901年西毛石灰製造株式会社設立。 1938年白石工業(本社広島)が「群馬工場(白艶華工場)」開設準備、1932年世界最大の化合反応槽を持つ工場として稼動。
※主に肥料用として使われた。

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 南牧村でも、1933年青倉石灰工業株式会社稼動(秩父セメント系列)、1994年有垣鉱業株式会社に吸収される。
※吾妻川の中和剤として使われた..

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グンマの昔:赤飯・紅白餅・長寿袋

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葬儀に赤飯
 長生きした人の葬式には「長生きして天寿をまっとうした大往生だからお祝いだ」として、赤飯・紅白餅・長寿銭が出ることがあった。  長寿をまっとうした人だけが出すことができる赤飯や餅は希少価値があり、参列者にも長寿の幸運を分け与えるとの思いである。  長寿銭として長寿袋に百円(百歳にあやかって百円・一部地域では五円も)を入れることも多かった。  また、野辺送りで小銭を降らす儀礼(撒き銭・投げ銭・弔い銭)もあった。 ただし、拾ったお金は当日に使いきり家には持って帰らな..

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秩父ぽてと

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ちちぶぽてと
 (有限会社 菓子工房 玉木家@秩父市番場町9-5、0494-22-0810)

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群馬での暮らし:神流川

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《グンマを話そう》
○神流川
 日本武尊は、旅の途中で妻の弟橘姫を亡くしたのを哀しみ、姫の髪を形見として懐に入れていた。 そして、秩父から志賀坂峠を越え上野村 野栗についた時に、野栗神社を建て髪をおさめ臣を使えさせることにした。
 ある時、野栗に悪病が流行ると、村人達はご神体(姫の髪)を清めようと川に流した。 この後、この川を「髪流し川」そして「神流川」と呼ぶようになった。

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神流川(伊香保志)


○野栗の神(上野村)
 ある昔、武州秩父の山奥から神々軍団が信濃路にむけて進軍..

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土坂峠

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんキャンペーン:秘境群馬》

土坂トンネル、埼玉県側。

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埼玉県端から西へ、矢久峠方面。 一部道狭く、草木をかき分けながら走る。

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埼玉県端から東へ、城峯山方面。

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林道上武秩父線。

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矢久峠~土坂峠

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんキャンペーン:秘境群馬》

 矢久峠埼玉県端から東へ、土坂トンネルを目指す。

 

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道幅狭く、一部草木をかき分けて走る。

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父不見山フラワーライン。

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林道西秩父線、林道長久保線。

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伐採作業待ち。

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矢久峠

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんキャンペーン:秘境群馬》

林道二子山線

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 林道高萩線から矢久峠へ向かう。

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 ジムニーサイズでも、枝葉をかき分けながら走る。

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 群馬県側へ降りるつもりが、林道西秩父線から299号線へ抜けてしまった。

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日窒鉱山

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんキャンペーン:秘境群馬》

株式会社ニッチツ・秩父事業所
 現業中、白いのは石灰。

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 「秩父鉱山簡易郵便局」、「グンマー中央郵便局」に非ず。

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 雁掛トンネル(400m位)。

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Nittetsu1940☆ニッチツ(1940年)


☆平賀源内
 明和元年那賀郡野中村(美里)名主中島利兵衛を訪れた平賀源内、中津川・両神山をまわり石綿を発見し「火浣布」を織り出した。 翌年、再び中津川を訪れ・金山採掘..

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秩父方面

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秩父

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※山階宮定峰別邸、門前には大きな池があった。(山階宮疎開には新井正義が介入)

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※印入模様軒瓦、小巴に「本」の印(脇本陣、定峰本陣は思兼神社)

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Arai_59※蔵屋根の熨斗瓦の下(大棟瓦の下の横に長い部分、輪違い・棟込瓦)に、透かし模様(模様の隙間から向こう側が見える)

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Yoshimi_arai新井侊家・吉見郡久保田村(吉見町)名主

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埼玉丸

山田君の世界 日本郵船株式会社 埼玉丸


1959年4月11日
三菱日本重工業株式会社横浜造船所

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○日本郵船・秩父丸
 秩父丸の船内売店は三越の出店であった。

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Usei_chichibumaru1☆秩父丸

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参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

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