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鎌倉橋

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○鎌倉橋の碑・鎌倉橋記念緑地
 川口市本町1-8

 鎌倉街道中道が入間川を渡る岩淵郷、室町時代には橋があり、通行する人々から橋賃を徴収し・鎌倉大蔵稲荷社の修理に当てていた。 当初の橋は、川の形態からして浮橋(舟橋)だったと考えられる。

舟橋 について

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三角稲荷

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○三角稲荷
 さいたま市浦和区本太3-27-1

稲荷 について

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 キツネが住む三角稲荷、ある冬の寒い日一人の旅人が稲荷の前を通った。 そこには頭に木の葉をのせて化けようとしているキツネ、旅人が捕まえようとするとキツネは境内の穴に隠れた。 それならばと、枯葉や枝を焚き付けていぶしだそうとするもキツネは出てこない。 これでもかと、火を燃やし続け・熱いので自ら着物を脱ぎ、とうとう夜となった。
 村人達が見たものは、稲荷の前で・裸になり・うちわを扇ぐ、一人の男の姿だった。 それ以..

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泣虫稲荷

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○泣き虫稲荷
 志木市中宗岡1・せせらぎの小径 

 昔、隣村から宗岡に嫁いできたお嫁さんに、男の子が生まれましたが、この赤ん坊の夜泣きが激しく、それが原因で体をこわしてしまい、実家で養生することになりました。 ところが、実家への帰り道、草むらの中の小祠を見つけたので、赤ん坊の夜泣き治癒を祈願して帰ったところ、不思議にもその晩から赤ん坊の夜泣きは止み、お嫁さんも健康を回復したということです。 それ以後、夜泣きを治すお稲荷様として、あつく信仰されてきたといわれています。

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☆泣虫稲荷
 と..

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足立神社

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○足立神社・天神社
 さいたま市緑区寺山

日本武尊 について

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 日本武尊が東征のおり稲荷社に立ち寄り・剣を置いたので、神社名を「足立野の神社」と号した。 縁起絵馬によると、日本武尊がこの地で病気になり・膝子の神饌の水で体を洗ったところ、たちまち病が治り・再び足が立って歩けるようになった。

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 狛犬の足に紐(麻紐)を結ぶと、行方不明の人が歩けなくなるので見つけだすことができる、と伝えられる。

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☆阿吽
 吐く息と吸う息。 密教では宇宙を表す。 狛犬や..

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秩父定峰山里の道

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秩父市定峰

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○定峰神社
 社伝によれば、天正十一年武田信玄の家臣・島田左近大夫定峰村に土着帰農に際し、加賀総社白山神社の分霊を勧請、伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命を本村字権現堂宮城の地に鎮座し・白山権現と称し・村の総鎮守とす。 境内に愛宕社・天神社・白鳥社・山神社を祀る。 明治四年村社に列せられ、明治四十年七月、高篠村中心地字七曲り無格社八坂神社に合祀し、さらに無格社・妙見社・稲荷社を合祀して定峰神社と改称す。

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☆地名
 山田:山の傍らに田畝
 栃谷..

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慈恵稲荷神社・成就院

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○慈恵稲荷神社・成就院持
 浦和市常盤1-5-19

※浦和宿は上町・仲町・下町に分かれており、「上のお稲荷さん」とよばれていた。

☆浦和宿 二・七市場
 室町時代中頃に浦和宿に市(二七市場)が設けられたといわれる。

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○成就院
 さいたま市浦和区常盤1-4

※成就院は玉蔵院の末寺、明治四年廃寺、平成二年復興された。

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笹岡稲荷

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○笹岡大稲荷社・笹岡小稲荷社
 さいたま市浦和区常盤3-26・常盤3-27

稲荷社 について

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神明神社

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○神明神社
 さいたま市南区根岸1丁目23 

 創建不詳、明治六年村社、明治四十六年久保入鹿島社と稲荷社を合祀、大正以降数回改築。 初午行事が行われていた。

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○根岸薬師堂・根岸公会堂・大聖不動尊

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若王子稲荷神社

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○若王子稲荷神社
 さいたま市浦和区高砂2-15-19

 商売繁盛を願う地元商家により創建。 京都伏見稲荷大社の分霊を祀ったとも・王子稲荷社総司とも、いわれる。

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九重神社

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○九重神社
 川口市安行原2042・密蔵院持

 享保年間密蔵院中興第十六世法院栄尊が武蔵一宮氷川神社を勧請、明治の神仏分離後、領家新明社・慈林氷川稲荷・籐八菅原社・吉蔵八幡社・北谷稲荷社・花栗稲荷社・苗塚稲荷社・小山氷川社など九つの村社を合祀。
※此地久保山は、平将門が砦を築いたと伝えられる。

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Kawaguchi_kokone3御嶽山

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○安行原の蛇造り
 安行原蛇造り保存会・川口市安行原2680-1

 毎年5月24日に五穀豊穣・天下泰平・無病息災等を祈願して、旧原村の小清水・半縄・向原..

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本杢古墳

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○本杢古墳
 さいたま市桜区中島2-2-17

古墳 について

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 市内西部には、古墳が多数存在します。 この古墳は、長く円墳と考えられていましたが、平成4年の発掘調査で一辺約20m・高さ4.5mの方墳であることが確認されました。 宅地造成などで墳丘東側と北側が壊されていますが、墳丘の残る南側一帯は「中島本杢緑地」として整備されており、墳丘を保護するための柵は、古墳の周りに掘られた溝に沿って設置されています。

※南側に日向古墳と、柊稲荷。 舟をつなぐために打ったヒイラギの杭が..

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朝日神社

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○朝日神社
 川口市木曽呂193

 室町時代に氷川様として奉られたといわれる。 明治四十年、源左衛門新田・東内野・道合・神戸・在家の氷川様が合社した。 
※十月十日が大祭だったので朝日神社とも。(朝を分解すると、十日十月)

氷川様 について

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 応永三年氷川神社として創建、慶応三年社殿再建、明治六年神仏分離により薬王寺管理下から村社、明治三十年十一面観音を薬王寺に移した。
 明治四十年以降、木曽呂・東内野・源左衛門新田・神戸・安行領在家・道合の各神社を合祀、大正二年朝日神社と..

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吉峰神社

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○吉峯神社(首無し地蔵・道光塚)
 川口市源左衛門新田122

について

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 天正頃、戦いに敗れ落ち延びこの地に住み着いた一軍が、鎧・兜・刀など武具を埋め土を盛って隠し「正一位稲荷大明神」としたのが大塚ともいわれる。 その後木曽呂氷川神社に合社、塚の隣に吉峯神社をつくり地蔵を祀った。 この地蔵には、いつの頃からか首が無く・「首無し地蔵」とよばれ、疣に良く効くといわれた。  五月十五日疫病払い・九月二十九日豊作祝いが祭られた。

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○大塚古墳・古峰神社遺跡..

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宮合貝塚

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○宮合貝塚・二宮神社
 川口市西立野字宮合1110

 古くは氷川神社、明治四十年長蔵新田稲荷社を合祀、明治四十二年二宮神社に改称。

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○宮合貝塚・二宮神社
 川口市西立野字宮合1110
縄文時代

 径150m程の縄文時代後期から晩期中葉にかけての遺跡で、貝塚は遺跡の北よりの台地縁辺部に径25m程のものが存在しています。 今までの調査により、溝や祭祀跡・方形平地式住居などの遺構のほか、石鍬や祭祀用の精製土器が数多く出土しています。 また、遺跡内の二宮神社付近は盛土遺構の可能性があり..

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高稲荷古墳

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○高稲荷古墳跡
 川口市東本郷

 全長75mの前方後円墳・四世紀甲板の築造といわれたが、消滅。

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○高稲荷古墳・宮脇一号墳・宮脇二号墳
 川口市東本郷
 前方後円墳、主軸全長75m・後円部直径50m・後円部高さ9.5m・前方部前端幅27m・前方部高さ6.5m。

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赤羽西 まちあるき

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東京都北区赤羽西

赤羽 について

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○道灌山稲荷社
 東京都北区赤羽西2-14-20
 道灌山稲荷社では、毎年2月の初午に、別当寺だった普門院の住職がお経をあげるという、神仏混同の時代のなごりを見ることができます。 この日に道灌山稲荷講の人々によりによって披露される餅練唄・餅搗唄は、その名のとおり餅を搗く時に唄ったもので、餅を練る時のものが稲付千本枡餅練唄で、餅をつく時のものが稲付千本枡餅搗唄です。

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○香取神社
 東京都北区赤羽西2-22-7、03-3909-7002 ..

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大日塚古墳

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○大日塚古墳・行田市埋蔵文化財センター
 行田市佐間3-8-9

 円墳、直径約18m、五世紀末

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☆大日塚古墳は六世紀前半頃に築造された直径18mほどの円墳と考えられています。
  本古墳は佐間古墳群に属し、周辺には他にも数基の円墳が存在していました。 昭和52年8月に発掘調査が行われ、木の棺を粘土でくるんだ粘土槨が二つ並んで発見され、直刀・刀子・鉄鏃・人骨片等が検出されました。 さらに粘土槨のすぐ下からは、長瀞の緑泥片岩を使って組み合わせた石棺1基が..

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埼玉古墳群 メモ

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○さきたま古墳公園・埼玉古墳群
 行田市埼玉

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Gyoda_saitamanuma埼玉沼

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○埼玉古墳群は、全国一を誇る大型円墳と武蔵国最大の前方後円墳を含む9基の大型古墳が群集しています。 かつては、40基ほどの大小の古墳が造られたことがわかっており、出土した遺物から5世紀後半から7世紀初めごろまでの約150年間に次々と造られたと考えられています。 

☆丸墓山古墳:日本で最大の円墳で、直径105m、高さ18.9m、豊臣秀吉が天下統一を進める1590年、家臣の石田三成が忍城を水攻め..

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二子山古墳

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さきたま古墳公園・埼玉古墳群
 行田市埼玉

○二子山古墳
 武蔵国最大の前方後円墳

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☆二子山古墳は、稲荷山古墳の南側、埼玉古墳群のほぼ中央にあたります。長さ138m、埼玉古墳群の中で、そしてかつての武蔵国の中でも最大の前方後円墳です。名前は、前方部と後円部という二つの山が連結したような形からついたもので、「観音寺山」とも呼ばれていました。 「二(双)子山」という名の古墳は全国各地にみられます。墳丘は二重の堀に囲まれており、それを含めた長さは南北240m以上になります。 ..

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稲荷山古墳

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さきたま古墳公園・埼玉古墳群
 行田市埼玉

○稲荷山古墳

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☆稲荷山古墳は5世紀後半に造られた前方後円墳で、埼玉古墳群の中で最初に出現した古墳です。以前、古墳の上に小さな稲荷社があったことから、稲荷山と呼ばれるようになりました。
 前方部は1937年に土取で壊されてしまいましたが、1997年からの復原整備で前方部が復元され、現在では造られた当時のカタチを見ることができます。 墳丘の全長は120mで、12m近い高さがあり、周囲には二重の堀が巡ってい..

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丸墓山古墳

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さきたま古墳公園・埼玉古墳群
 行田市埼玉

○丸墓山古墳
 日本最大の円墳

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☆丸墓山古墳は、直径105m、日本最大の円墳として有名です。 墳丘の高さは埼玉古墳群で最高、まさに山のようです。 頂上に立つと、隣に稲荷山古墳、その向こうに将軍山古墳の復原整備を終えた墳丘がよく見えます。 また、近年では昔地元の方が植えたソメイヨシノが成長し、桜の名所として親しまれています。 振り返って北西には、行田の市街地が遠望されます。 下から見上げても、上に上ってもその大きさ、高さが実感さ..

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浦寺字町屋第四遺跡

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○鳩ヶ谷・浦寺字町屋第四遺跡
 川口市桜町

※現在消滅

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Kawaguchi_takainari高稲荷古墳

Kawaguchi_sarugai猿貝北遺跡

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本太氷川神社

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○本太氷川神社
 さいたま市浦和区本太4-3-33、048-885-7412

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☆本太氷川神社旧本殿、慶安三年護摩札一枚
 江戸時代、桁行1.230m・梁間1.002m・向拝の出0.766m、慶安3年の護摩札。一間社流見世棚造・厚板葺・素朴な社殿。
☆本太氷川神社宮殿、室町時代、高さ74.8㎝・木鉾長さ1.67m、宮殿の屋根裏に「宝徳三年(1451)九月十四日」、案に「文安五年(1448)六月五日」の墨書銘がある。

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☆三角稲荷
 さいたま市浦和区本太3-27-1
 三角..

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向山不動堂

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向山不動堂
 上尾市向山1-13-39

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☆向山不動堂彫刻
 向山不動堂は、明治十年前後に、向山村と近在近郷の人たちの寄付によって建立されました。堂は向拝付の入母屋造で、本尊は不動明王です。
 指定の彫刻はケヤキ材を透かし彫りしたもので、堂の周囲三面に龍や鳳凰・十六羅漢と思われる図柄などがあります。
 堂の裏、欄間に明治10年2月10日から着手の彫りもあり、作者は明治中期ごろの名工(宮大工)山田弥吉こと山田右衛門(大谷本郷住、後東京へ出る)の壮年期の作です。
 堂の一面にだけ彫刻は..

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羽黒権現宮

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○戸田川渡口 羽黒権現宮・羽黒霊泉
 上戸田氷川神社、戸田市上戸田3-20-11

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 上戸田氷川神社の創立は、縁起によると永徳二年(1382)と伝え、古くから旧上戸田村の鎮守として祀られてきました。 祭神は、素戔嗚命で、明治六年に村社となり、明治四十年に旧上戸田村にあった羽黒社、道祖神社、山王社、稲荷社などを合祀しています。
 境内には、寛政十年(1798)の銘がある石造の大鳥居や、延宝元年(1673)十月造立の市内で最も古い庚申塔があります。 羽黒社は合祀されていますが、以前はボ..

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二七の市

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○二七の市
 浦和宿二・七市場跡 付市場定杭
 さいたま市浦和区常盤1-5-19・慈恵稲荷社

浦和宿 について

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○慈恵稲荷神社・成就院持
※浦和宿は上町・仲町・下町に分かれており、「上のお稲荷さん」とよばれていた。
※成就院は玉蔵院の末寺、明治四年廃寺、平成二年復興された。

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 中山道に面した慈恵稲荷神社の社頭に「市神様」と「市場定杭」が建てられています。ここは、浦和宿で市(いち)が開催された場所です。浦和の市は、毎月2と7の日に開かれており、月6回行われていました。始まり..

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道標・真乗院

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○道標 (地蔵菩薩)
 川口市石神1253・真乗院

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○道標 (地蔵菩薩)
江戸中期/1737
 本塔は、石神町の地蔵信仰者6人によって元文2年に造立された、道標を兼ねた地蔵菩薩塔です。江戸時代の川口市域において重要な幹線道路であった日光御成道と赤山街道千住道の数少ない道標の一つであり、地域の歴史を知るうえで重要な文化財です。

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○稲荷社
 川口市石神1253・真乗院持
 京都伏見稲荷大社もしくは茨城笠間稲荷神社からの勧請とも伝えられる。 明治六年..

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浅間の猿

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○浅間の猿
 羽根倉浅間神社・志木市上宗岡4-700

 猿は富士山の使者とされた。

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について

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☆こどもの好きなお稲荷様
 羽根倉浅間神社の境内にある蓮田稲荷には、神社やお堂などにあるような戸も木連格子もない。 そのことは、何でもこの祠を建てた時「こどもが入っていたずらをするといけないから」と世話人達が扉をつけたそうだが、その後世話人の一人が原因不明の病気になり、医者も薬も効果なく、どこかの神様にお伺いを立てたところ、このお稲荷様がお告げにあらわれ「わしの大好き..

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はた神さま

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○はた神さま・機神社・高橋新五郎遺跡
 堀越神社@蕨市塚越3-2-19

 元禄元年塚越村に住み始めた高橋新五郎、五代目新五郎がこの地に機業をおこし、稲荷神社(塚越神社)境内に祠を建て「関東宮」として祀った。

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☆塚越稲荷社境内に鎮座する末社。 「機神様」は、蕨地方を一大織物の町とした功労者、「二代目高橋新五郎・いせ夫妻」と新五郎が信仰していた「関東宮」(住吉神社とも徳川家康とする考えもある)を合示巳したものです 。

機織 について

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Warabi_tsukagoshi11○稲荷社
 明応..

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いなりずし

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コンビニの稲荷すし、温めるのがデフォルト。

Dagashi2506aいなりすし@福のから

稲荷すし について

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黒浜久伊豆神社

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○黒浜久伊豆神社
 蓮田市黒浜1346

慶長十六年創建

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☆当社は室町時代の享禄年間(1528年頃)に騎西町の玉敷神社より勧請されて、その後江戸時代の慶長の16年(1611年)勝利正(すぐれとしまさ)(元上総国真里谷城主<千葉県木更津市>三河守重信の子孫、小田原城落城とともに身をかくし、当地に修験者となり居を構えた)が願主となり再興したと伝えられます。
 宝暦2年(1752年)には神祇管領ト部兼雄より久伊豆大明神の弊帛を受け、明治4年(..

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茂木本家住宅

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○茂木本家住宅
 千葉県野田市野田字東下町242-10

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☆キーコーマン
 寛文二年、野田にて創業した茂木家の本印が「亀甲萬」。 香取神宮(下総国亀甲山香取神宮)の神宝「三盛亀甲紋松鶴鏡」の裏面に描かれていた亀甲模様を図案化し「萬」マークとした。

☆醤油
 醤から作られるとろりとした液体の意。

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茂木家仕込蔵・キッコーマン稲荷蔵(明治四十一年頃)

Noda_mogi76茂木七郎治邸(安政五年頃)

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茂木本家住宅メモ

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☆茂木本家住宅煉瓦塀
昭和前/1926-1988
煉瓦造、総延長26m
 稲荷神社の北面から東面にかけて、道路沿いに設けられる塀。折曲り延長26m。石積基礎上、フランス積とし、上部は小屋根状に造る。西側10mが高さ4.3m、東側が高さ3.5mで、西側は厚く、南面に柱型を造り出す。板塀と対照的な重厚な景観を創出する。

☆茂木本家住宅稲荷神社水屋
江戸/1808
木造、銅板葺、面積2.0㎡
 社殿の東南に、南北棟で建つ。桁行..

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八潮市立資料館 (1)

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八潮市立資料館
 (八潮市南後谷763-50、月休、048-997-6666)

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八潮市 について

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☆八潮市垳
 他には無い地名。 八潮は、八幡村・潮止村・八條村が合併してできた。



八潮のむかしばなし

○月夜に光る丸木舟(西袋・柳之宮)
 西袋の蓮華寺のわきの田んぼは、まん月の晩にかぎって、ピカッ、ピカッと光ったそうな。 何でも、そのように光るところには、丸木舟がうまっているそうな。 


○たから船のちんぼつ(大原・浮塚・南川崎)
 むかし、八潮は海だった。 この海をば、..

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和井田家住宅

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和井田家住宅
 八潮市大字八條1377番地1

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☆和井田家住宅(埼玉県八潮市大字八條) 長屋門
江戸中期/1661-1750
桁行13.9m、梁間4.1m、寄棟造、茅葺

 和井田家住宅は,肥沃な田園地帯として発展してきたところに所在している。
 和井田家は,少なくとも延宝期以降,近世を通じて名主職を世襲した家柄である。
 主屋は,東西棟の寄棟造,茅葺である。内部は東半が土間,西半が田の字型に室を配する。上手二室は南をゲンカン,北をオクと呼び,床の間と違棚を備える..

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深谷・まちあるき

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深谷市・まちあるき

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○大谷家住宅

深谷 について

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○旧東京第二陸軍造兵廠深谷製造所給水塔

陸軍 について

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Fukaya_44○煉瓦煙突


☆深谷市町名一覧
 秋元町(あきもとちょう)・明戸(あけと)・新井(あらい)・石塚(いしづ か)・伊勢方(いせがた)・稲荷町(いなりちょう)・内ケ島(うちがしま)・上野台(うわのだい)・江原(えばら)・大塚(おおづか)・大塚島(おおつかじま)・大谷(おおや)・起会(おきあい)・折之口(おりの..

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越谷市

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越谷市・まちあるき

越谷 について

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横田診療所・旧越ヶ谷郵便局@越谷市越ヶ谷3-2-30

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木下半助商店@越谷市中町7-20

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Koshigaya39ある瀧家のタブノキ


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○木下半助商店店舗及び土蔵
埼玉県 明治/1898~1912
木造平屋建及び土蔵造2階建、鉄板葺及び銅板葺、建築面積71㎡
 日光街道越谷宿の中ほどに位置し北面する道具店で、短冊形敷地の前面に店舗及び土蔵を構える。店舗部は低床のミセの東側に土間を通し、正面に摺揚戸を残す。背後に接続..

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うらわ

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浦和うなこちゃん・さいたま市浦和区
(まちあるき)

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稲荷湯・銭湯

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裏門通り、かつて県庁官舎裏門へ通じる道であった。

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浦和市役所
 トルーカの鐘(メキシコ・トルーカ市)

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埼玉サッカー発祥の地

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○浦和市紋章
 大正十一年募集、昭和九年市制施行により正式に認定された。 「ウラワ」文字三組を福良雀型に配置。
※福良姫と福良雀、雀宮の姫様に助けられた雀の恩返しが元話。

☆浦和
 縄文時代は、海辺だった。

☆浦和市地名
 前地(まえじ)・本..

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狭山市立博物館

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狭山市立博物館
 月休 ・狭山市稲荷山1丁目23番地1・04-2955-3804

狭山 について

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鉄道馬車

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羽根倉富士嶽

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羽根倉富士嶽(富士塚)・羽根倉浅間神社
 志木市上宗岡4-700

 明治時代・高さ約5m・直径約17m・移築2回・平成24年修繕改修

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 建久四年源頼朝が富士裾野で巻狩りをした際、宗岡里人が多数勢子として招集されたのを記として、大野の地に祠を建て・富士浅間社を祀った。 長禄年間荒川洪水で祠が羽根倉に流され、その地に社殿を建てた。 明治五年~十三年、境内に富士塚を築いたが、昭和初期荒川改修のため蓮田に遷座、1973年県道開通により現在の地に移転、富士塚も移築された。

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..

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志木郷土資料館

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志木市役所 郷土資料館

月休・志木市中宗岡3丁目1−2 ・048-471-0573


☆志木
 古くは、新座郡志木郷。 もっと古くは、新羅郡。

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☆志木駅
 新座市東北2-38
 最初は志木市にあったが、2000年志木駅周辺再開発・東武東上線複々線化・東京メトロ有楽町線相互乗り入れ…、気が付いたときは新座市に移動していた。


☆しきの伝説
 浪人坂・三ツ子稲荷・哀れな石屋のはなし・助右衛門と白狐・陣場・悪疫退散のお地蔵さま・休み塚・ほっぺたの黒いお地蔵さん・..

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江戸の稲荷鮨

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☆稲荷すし
 篠田ずし・信太ずし、ともいう。 古くは江戸では濃口醤油煮・俵型、上方では淡口醤油煮・三角・具入り、であったらしい。
※江戸では、当初わさび醤油でたべたともいわれる。

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☆稲荷鮨
 天保年間、簡単と低廉で庶民の間に急速に広まった。 弘化二年頃、油揚の中に雪花(きらず・おから)を詰めて売り歩いた。
※一時、狸鮨なるものがあったらしい。
※天保年間の飢饉でおからを使ったのが始まりともいわれる。


Edo_inari

稲荷寿司(近世商賈盡狂歌合)


☆稲荷ずし
 古くは細長く作り・..

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新郷貝塚

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新郷貝塚
 (川口市東貝塚47:新郷若宮公園)

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○新郷貝塚
 川口市大字東貝塚25他
縄文時代
 本県を代表する縄文時代後・晩期の貝塚遺跡です。 貝塚は概ね馬蹄形を呈し・南北150m・東西120mを測ります。 我国近代考古学の揺籃期である明治26年に東京帝国大学人類学研究室の鳥居龍蔵博士が最初の発掘調査を実施しました。 実測した遺跡は、現在は新郷若宮公園となっています。

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☆高稲荷古墳(川口市)
 全長75mの前方後円墳・四世紀甲板の築造といわれたが、消滅。..

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江戸三大美人

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○明和三美人
 谷中笠森稲荷鍵屋おせん・浅草観音堂裏柳屋お藤・浅草二十軒茶屋蔦屋およし。
※お藤・およし・おせん、たぶん…

柳屋見立三美人
鈴木春信
江戸時代

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○寛政三美人
 浅草寺随神門前難波屋おきた・薬研堀高島おひさ・芝神明町菊本おはん。
※おひさ・豊雛・おきた、おはんはランク落ち。

江戸三美人
喜多川歌麿
江戸時代


☆笠森おせん
 明和年間水茶屋のおせんが武士倉地政之助の妻となり、この話が芝居・錦絵となった。
※「飛んだ茶釜」ともいわれた

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戸田市立郷土博物館

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戸田市立郷土博物館(戸田市大字新曽1707)

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木曾街道六十九次 木曾街道・蕨之駅・戸田川渡

Toda06伊香保志・戸田橋

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○戸田橋
 明治六年東京の堀・天野両人が埼玉県庁に戸田橋架設を出願、同時に東京の市川代次郎も吊橋を出願。 明治七年堀・天野両人による木橋認可されるも、自己都合により長野士族正木誓・東京小池新兵衛らに権利譲渡。 
 明治八年五月二十日戸田橋完成するも、費用がかさみすぎたため通行賃を徴収することとなった。
 明治十七年上野~高崎間鉄道開通により徴収橋銭..

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両国の花火

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東都両国ばし夏風景(名所江戸百景)

花火 について

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東都両国夕涼之図(名所江戸百景)

☆両国の川開
 八代将軍徳川吉宗の時代、大飢饉・コレラ流行などにより死者多数、このため享保十七年五月二十八日水神祭を催す、その後盛大となり両国橋上流は玉屋・下流は鍵屋の花火大会となった。

☆花火屋
 慶安元年七月の禁令にて花火製造禁止。 その後、両国吉川町玉屋市郎兵衛と横山町鍵屋弥兵衛が認められた。

☆玉屋と鍵屋
 享保十八年隅田川・川開きで大がかりな花火が打ち上げられた。   万治元..

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王子稲荷

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王子稲荷初午(江戸自慢三十六興)

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王子狐火(江戸名所道戯尽)

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☆王子の狐火
 王子稲荷近くには「衣装榎」・「装束榎」などがあり、ここで狐達が衣装替えをして・王子稲荷へ向かったとされる。 その道中で火を発したのが「狐火」。
※後には、稲荷社では松明を灯したらしい

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箭弓神社

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箭弓稲荷神社(東松山市箭弓町2丁目5−14)

※現在は、野球絵馬など野球神社の面もある。

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ぼたん園


☆絵馬
 古く「雨乞い」では、大切な馬を神様に献上した。 その後、鎌倉時代になり絵馬に取って代わった。

☆東松山市
 1954年、比企郡松山町・大岡村・唐子村・高坂村・野本村が合併し「松山市」が誕生するハズだった。 自治省見解は「愛媛県松山市があるからダメ」、ならば東の松山で「東松山」とする。

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七福神

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○七福神・七福神の隠し芸
 歌川国芳、天保年間(1830~1844年)頃。

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○開運出世合躰七福神
 国芳・1844年頃


○七福神選考結果
 恵比寿・大黒天・弁才天・毘沙門天・布袋・福禄寿・寿老人、が当選。 稲荷神・虚空菩薩・吉祥天・猩々・地蔵・不動・福助・お多福、などは選外となった。
 恵比寿と大黒天はダントツの人気。 福助は現れるのが遅かった、稲荷神は動物神とみなされた。

○大黒天が手にしている「打ちでの小槌」、使ったことがないらしい…

○弁才天・弁財天は、智弁・芸能..

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鳩ヶ谷の藍染

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○紺屋呉服店(坂の紺屋)
 明治時代は、見沼代用水を利用し藍染をしていた。 古くは、上町に藍玉を売る商いがあり・近隣では藍染が盛んであったらしい。

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川村染工場跡

※古くは、まる初・紺喜・紺鉄・紺善(旧川村染工場)・坂の紺屋(紺屋呉服店)・紺孝・稲荷の紺屋・紺吉、の八軒あった。

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川村染工場(藍染)
 安政五年~

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藍瓶


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○とんぼ橋の橋石
 見沼代用水の主要分水路の一つ平柳用水に架けられていた橋石。 延宝5年(1677)の年号が橋名とともに刻まれている。 橋を渡る..

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名主の滝公園

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名主の滝公園
 (北区岸町1-15-25)

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Kitaku_ohjiinari1王子稲荷

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Nanushi_meiji○名主の滝・明治時代

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屋台

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○天麩羅・屋台
近世職人尽絵詞 下巻
画像番号: C0041946
作者: 鍬形蕙斎 時代:
江戸時代 文化3年(1806)

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○天麩羅・屋台
近世職人尽絵詞
画像番号: C0006666
作者: 鍬形蕙斎
時代: 江戸時代

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○蕎麦・屋台
近世職人尽絵詞 上巻
画像番号: C0041927
作者: 鍬形蕙斎
時代: 江戸時代 文化3年(1806)

C0041926b

近世職人尽絵詞 上巻
画像番号: C0041926
作者: 鍬形蕙斎 時代:
江戸時代 文化3年(1806)

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屋台(..

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調神社

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調神社・つきのみや神社

調神社 について

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Tsuki0331c


☆調神社
 延元二年足利尊氏が調神社復興、観応年間兵火で焼失、至徳二年将師佐々木持清神殿造営、天正十八年小田原兵乱で焼失し荒廃。 慶安二年徳川家光が朱印状(月読社)発する。 享保十八年本殿健立(現境内内稲荷社)、安政年間社殿健立。  調神社別名は月山寺、かつては玉蔵院住職が兼帯していた。
※元文四年、修復費に社地の立木を伐採しようとした岸村民と、反対した浦和宿民との間に紛争が起きた。

☆調神社の七不思議
 鳥居がな..

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白幡沼

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さいたま市南区白幡1丁目

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☆白幡
 天慶年間藤原秀郷が八幡神社を勧請し白幡(旗)を立てて勝利を祈願した説、新羅の秦氏かこの地を整備した説、がある。

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醫王寺(いおうじ)

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真福寺の大イチョウ(高さ18.5m・幹まわり5.85m

○別所遺跡・別所小学校
 真福寺の大いちょう、寺西側に別所真福寺貝塚。


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☆白幡古墳群
 白幡沼(拳ヶ池)上台地に六基の古墳を確認。

☆本宿遺跡(白幡・浦和商業~白幡中学付近)
 先土器時代~縄文時代~古墳時代~中世、の遺..

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入間基地カレー

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入間基地カレー
 (有限会社さくら興業@入間市東町1-10-27)

狭山茶の入ったカレー。

自衛隊 について

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☆「狭山茶」の半分以上は、狭山市ではなくて入間市でつくられる。
 江戸時代終わりごろから狭山丘陵で茶作りがはじまり、明治時代初めには「狭山会社」が日本茶を輸出するようになった。 そして、1954年狭山市ができ・1966年入間市ができ、その結果入間市側で「狭山茶」の半分以上がつくられることとなった。


☆航空自衛隊入間基地
 狭山市稲荷山2-3

 終戦後..

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歴史と民俗の博物館

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埼玉県立歴史と民俗の博物館
 (さいたま市大宮区高鼻町4-219)

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☆埼玉県立歴史と民俗の博物館  1971年開館。

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○大宮公園内遺跡
 1955年に行われた発掘調査で、弥生時代後期の竪穴住居跡一軒と弥生時代後期から古墳時代初頭と見られる方形周溝墓一基が確認されています。


☆埼玉県選定重要遺跡
大久保古墳群(さいたま市桜区)、側ヶ谷戸貝塚(さいたま市大宮区)、側ヶ谷戸古墳群(さいたま市大宮区)、五味貝戸貝塚(さいたま市西区)、大和田陣屋跡(さいたま市見沼区)、永田陣..

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すすきみみずく

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○すすきみみずく・暫狐
 すすきみみずくは雑司が谷・鬼子母神。 暫狐は王子稲荷神社、市川団十郎が暫を演ずるにあたり祈願したとされる。

☆鬼子母神
 祭神は鬼子母神、なのでここでは鬼という字には上部のノが無い。(つの・角のつかない鬼の字)

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○すすきみみずく
 病に倒れた母親を救おうと貧しい娘が鬼子母神にお参りすると、夢で「すすきでみみずくを作り売る」よう告げられ、売ったお金で薬を買うことができた。
※鬼子母神は500人もの我子供を育てるため、人間の子供をさらって食べていた。 これを知..

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いなり寿司

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いなり寿司・たまご太巻寿司
 (すしの川島屋@加須市上種足1005-2)

 油揚げ一枚を丸々つかった稲荷寿司

☆稲荷鮨
 天保年間、簡単と低廉で庶民の間に急速に広まった。 弘化二年頃、油揚の中に雪花(きらず・おから)を詰めて売り歩いた。
※一時、狸鮨なるものがあったらしい。

☆稲荷
 むかし村人が、鼠を捕る狐に感謝して・巣穴に農作物と一緒に油揚げを置いたところ油揚げだけ食べたので、「稲荷神社の守り神キツネ」に油揚げを供えるようになったともいわれる。(キツネは肉食)

☆かっぱ巻き
 水神..

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諏訪神社・石製鳥居

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 諏訪神社は新町の前身、笛木村の鎮守として本屋敷(駅周辺)に祀られていましたが、宝永5(1708)年、現在地に移されました。  一基は元禄15(1702)年の銘のある古い鳥居で、もう一基は享保16(1731)年に氏子の浄財五両で建造されました。 ともに明神鳥居の特色である笠木の曲線が美しく、現在は境内に保存されています。

☆鳥居
 天照大神が天の岩戸に隠れたさい、鶏を集めて鳴かせたところ天照大神が天の岩戸を少し開いた。 これにより、鶏は神聖な鳥となり、神前に鶏用の止まり木が作..

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飴の歴史

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○平安時代、胃腸薬として「地黄煎」があった。 その後、地黄を加えた飴が京都・菊一文字屋が発売し伏見稲荷の名物となった。 そしては、地黄が入らない水飴も「地黄煎」とよぶようになり、訛って「ギョウセン」となった。(ぎょうせん飴)

※「地黄煎」には他の説もある。 「ちゅうせん飴・地黄煎飴」が訛って「朝鮮飴」となったという説もある。
※食に台(喜ぶ)で飴。

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○古くは砂糖や蜂蜜は高貴な薬品だったが、江戸時代になると餅米から作られたいわゆる水飴が主であり、これから棒飴・切飴が作られた。(水飴..

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グンマの昔:尾曳稲荷・館林城

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○尾曳稲荷・館林城
 戦国時代、大袋城主赤井照光が子狐を助けたところ、その晩稲荷様の使いの親狐が夢枕に現れ、そしては狐が尾で築城図を地面に描いたのが「館林城・別名尾曳城」。 狐が尾を曳き始めたのが谷越町「宵稲荷神社(初曳神社)」、城の守り神が城内の「尾曳神社」、尾を曳き終えたのが加法師「夜明稲荷神社」。
※太田道灌が前橋城を築くさい、赤亀が現れ尾を曳いて築城図を描いたのが「赤亀稲荷(尾曳稲荷)」。

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館林伝説

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○城沼に住む竜が女に身を変え、七日間上人の説教を聴いた後飛び込んだのが善導寺「竜の井」。 それ以降、井戸使用禁止。

○須賀沼の南沼の主は大蛇・北沼の主は大亀、宝光寺・とみ坊主が魚取りをしたに怒り懲らしめてからは魚取りをする者はいなくなった。

○昔から洪水に見舞われた大沼を埋め立てたさい、沼の主夫婦の二匹のウナギを祀ったのが「須賀弁天祠」。

○赤岩にあった沼の主は大蛇、村の娘が次々と消えた。 そこで、藤原長良の御殿女中「おさよ殿」が弓で退治し、頭を瀬戸井・切り刻んだ胴体を舞木などに祀..

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藤岡伝説

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○弘法大師が杖を地に突き刺したところ水が湧きだしたのが「弘法井戸」。 高山・上の谷戸、根岸に三カ所、庚申山、三本木などにある。

○高山下組の「又平だいら」には酒が湧く泉があった。(樽湧き)

神流川は天正年間前は名もない狭い川であったが、ある年の大洪水で堤防でも防ぎきれず「火の神社・水の神社・木の神社・金の神社・土の神社」を祭った。

○平塚の沼は「大蛇の沼」とよばれた。 

○高山下組は「白塩」とよばれ、塩が湧いたとされる。

○十八町坂の途中の市衛門の洞穴には古狐が住んでい..

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白石稲荷山古墳

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○白石稲荷山古墳
 古墳時代中期(五世紀初め)の大型前方後円墳。 墳丘長140m・長さ175m・前方部幅75m・高さ4m・後円部直径71m・高さ10m。  礫槨(埋葬施設)・家形埴輪も出土した。

藤岡市白石1365ほか

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高崎の地名 (1)

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○高崎市町名一覧

 相生町(あいおいまち)、 赤坂町(あかさかまち)、 明石町(あかしちょう)、 阿久津町(あくつまち)、 旭町(あさひちょう)、 足門町(あしかどまち)、 東町(あずまちょう)、 新喜町(あらきまち)、 あら町(あらまち)、 飯玉町(いいだままち)、 飯塚町(いいづかまち)、 石原町(いしはらまち)、 井出町(いでまち)、 稲荷町(いなりちょう)、 井野町(いのまち)、 入野村(いりのむら)、 岩押町(いわおしまち)、 岩平村(いわだいらむら)、 岩鼻町(いわ..

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群馬の古墳

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○群馬の古墳
 三世紀中頃から古墳が造られ、四世紀~六世紀は古墳時代となった。 古墳は、その土地を治めた有力者の墓であり・階級社会のシンボルであった。
 群馬では肥沃な利根川水系を中心に水田耕作が広がり、近畿地方から多くの人々が入植し、やがて人口が増えると階級社会が確立し・各地に豪族の出現をみた。 これら豪族達は大和・中央政権とつながりを持ち続けたので、大和国に匹敵する古墳群が築造された。

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○金銅製飾履
 箕郷・谷ツ古墳から出土された、銅板細工に金メッキを施し・ガラス玉を銀輪留..

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群馬での暮らし:群馬の地名

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○どこまで知ってる群馬の地名
 鮎川(あいがわ)、 間の島(あいのしま)、 赤岩(あかいわ)、 秋畑(あきはた)、 秋間(あきま)、 足次(あしつぐ)、 四阿山(あずまやさん)、 穴原(あなばら)、 雨沼(あめぬま)、 新井町(あらいちょう)、 荒牧(あらまき)、 新巻(あらまき)、 新町(あらまち)、 有馬(ありま)、 安堀(あんぼり)、 安養寺(あんようじ)、

 伊香保(いかほ)、 石上(いしがみ)、 石田川(いしだがわ)、 伊勢町(いせまち)、 市(いち)、 稲荷(いなり..

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グンマの昔:新町宿

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○新町宿
 1691年笛木新宿と落合新宿ができ、1724年両方を合わせて新町宿とした。 ただし、宿内は二つに分かれたままで、笛木と落合で半月ごとの持ち回りで分担した。

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○於菊稲荷神社
 宝歴年間、新町宿大黒屋に於菊という売れっ子娼奴がいた。 あるとき病にかかり見捨てられた於菊を、町人達が神社裏に小屋を建て・看病した。 三年が経ち、ある夜半稲荷の霊が現れ於菊は全快した。 これに感動した於菊は社にこもり・一生涯を身明奉仕に捧げたとされる。

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助六寿司

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助六寿司
 (株式会社NRE大増@東京都荒川区西尾久7-48-1)

海苔巻と稲荷すし

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☆助六寿司 
 江戸の倹約令で広まったいなりずし、のり巻きとセットで「揚巻きずし」とよばれた。 当時の流行物「助六由縁江戸桜」、主人公助六の恋人が揚巻、ならばと人気便乗で「助六すし」。

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大泉伝説Ⅱ(現大泉町)

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汁かけ飯を食うと、外へ出てから恥をかく
○赤飯に汁(湯)をかけて食うと、嫁にいくとき雪(雨)が降る
○七草粥をふいて食うと、田植のときに風が吹く
○あったかい飯は、一番さきに仏様へあげろ
○箱膳は向かって左が飯、右に汁
○飯をこぼすと、食えない子になる

○家を出るとき針を使うもんじゃない
○子どもの火あそびは、寝小便のもと
○うそをいうと、鬼にべろをぬかれる
○爪を切って、その爪が火の中へほいると、きちがいになる
○便所の掃除をすると、それだけ長生きをする
○神様の前で小..

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日本の神々

Okamasama

☆日本最初の神様
 天地初発之時、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神が高天の原に誕生した。 続いて「別天の神々」が登場し、その後に地上の神「神世七代」が登場した。 一番最後が、伊邪那岐神と伊邪那美神、この二神の間に次々と神が生まれ・そしては神々の誕生ブームとなった。  時が流れると、亡くなると神様になる人々があらわれた。 早良親王・菅原道真・平将門・武田信玄・上杉謙信・徳川家康・吉田松陰・明治天皇・乃木希典、など多数。
※浦島太郎もその一人。


【日本神様御祈願担..

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グンマの神々(1)

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 グンマの主な山は、アカギサマ・ハルナサマ・コモッチャマ・ホタカサマ・シラネサマ、などみなタケ山的性格を持っている。  また、井戸などの水資源は共同利用だったので、清浄に保つため数多くの俗信があった。

カッパはグンマ各地でみられた。 嫌われることが多かったが、六合村湯本家にはカッパに教えられた秘伝薬がある。
○グンマの川・池・淵の底には多くの竜宮が存在し、そのほとんどが椀・膳の貸し出しをおこなっていた。
○メカゴ(メッパ)ができたら、井戸の上にふるい(ショウギ・スイノウ)を半..

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グンマの占法・呪法(太田史)

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○「イネゴ」をなはすには、鎌の柄をあぶって、その部分をなぜる。
○「コウデ」が起ったら、両親揃った末っ子の異性の人に、縫糸にて腕を縛って貰うとなほる。
○「シビレ」のきれた時は、ひたひにつばきで十の字を三つかく。
○トゲを抜きたるあと局部の化膿を防ぐには、抜きたるトゲを歯で十分にかみくだきて、それを局部につける。

○夏日「カクラン」にかかったときは、破れすげ笠をかむり、水をかけるとなほる。
○顔へはたけが出来たら、もぐらの手でなぜるとなほる。
○子供の口の周りに皮膚病の出来たとき、草でそ..

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渋川伝説(2)

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○千手姫(榛東村柳沢寺)
 千手姫は京の都に憧れ病となった。 京に上った夫田烈太夫信保が見たのは「散りもせず咲きおくれたる花もなし 今日をさかりりの庭桜かな」と詠み消えた千手姫似の女であった。 そのころ桃井の郷では、千手姫が他界していた。

○赤いお椀で鰻料理を出したら不幸が続いたのが地名「赤椀田」。

○雙林寺の七不思議
 ・開山堂の一本の拍子木、悪いことが起こりそうになると鳴る。
 ・月江和尚が持っていた数珠が大木となったのが「開山のつなぎカヤ」。 その実は針で通したような穴..

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渋川伝説(1)

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○小野上名石
 ・夫婦石:七社神社そばにあるのが女石、粗末に扱うと祟りがある。 男石は上流にいる。
 ・牛の屎石:牛の糞に似ている、でも高さ6m幅9m。
 ・むしば神:虫歯に見えないこともない、おがらの箸を供えると虫歯が治る。
 ・弘法の腰掛石:弘法大師が腰掛けた、足跡二つとお尻の跡がある。
 ・白丁石:弘法大師が「白丁」と書いたといわれる。
 ・蟹石:川辺の蟹に見えた。
 ・かえる石と硯石:雨乞い祈願用。

○有馬五石ほか
 ・子種石:石に手を触れて祈願すると子種が授かる。(若伊..

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勢多の伝説(勢多郡、現前橋市・渋川市・桐生市・みどり市の一部)

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○かつて相輪塔は沢入にあったが、天狗が女人が上がるのを嫌がり、奥の塔の沢に一晩で移した。 このとき、石を一個ずつ移したので上下逆になった。 それでも倒れないのは、中に白蛇を封じ込めているからである。  さらには、勝道上人が作ったとされる寝釈迦がある。(ただし、4月8日より前は白蛇がでる)  「白蛇の塔(層輪塔or沢入塔)」というのもある。

○旅人となり伊勢参りをしたのが「板東太郎の大岩」、宿銭を借りたがちゃんと返した。

○沢入春場見・渡良瀬川にあるのが「夫婦岩(雄岩と雌岩)」..

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桐生・金山城伝説

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○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

○桐生落城
 領主・桐生大炊介助綱は人望厚かったが子供が無く佐野家から養子(親綱)もらったが折り合い悪く、ついには由良成重らに攻め入られた。 そして親綱が奥方・姫達と桐生川の大滝を岩から岩へと飛び跳ねて逃げたので「跳滝」とよばれる。 
※このとき「宝の入った瓶」三..

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桐生伝説

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○徳川家康が、厩城主平岩親吉を介して、桐生領に絹旗二千四百十疋を発注した。 これが関ヶ原合戦で使われ、桐生は吉例の地となり、一切の賦役免除となった。

○永正十三年、桐生城主桐生重綱が愛馬浄土黒ともに死んだのが「浄土野」or「浄土谷戸」。

○行者が三宝荒神を背負って桐生新宿まで来ると、尊体は千貫の重さとなったので雷電原坊主山にお堂を建て祀った。 
※後の長福寺

○菱の領主細川内膳の愛馬小雀が、桐生領へ引き取られるのをいやがり自害したをで、小雀観世音としてまつった。

○正平二十五年..

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大間々伝説(大間々町、現みどり市)

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○高津戸城の戦い
 父里見上総入道勝広の敵討ち(山越出羽と石原石見)を企てた里見勝政・勝安兄弟が居館としたのが、1100年頃に築城された高津戸城(1351年桐生国綱により廃城)。 しかしながら、本望を遂げられなかった。(里見十二騎の墓)

○新田芳重の隠し館
 新田芳重が一族の隠れ場所としたのが上州桐原牧新田金塚隠し館、農具・武具などを作った。 金塚は鉱石貯蔵所、ジャンジャン屋敷は溶解所。

○自然のままに暮らしていた念仏行者「行仙房」、村人達に尊敬され・見守られながら1278年..

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館林・館林城(尾曳き城)伝説

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○赤井但馬守照康が助けた子狐の親白狐が城の地割りをして築いたのが「館林城・尾曳き城」。

○永禄六年の北条勢が攻め行ったとき、白狐が七千の軍馬に化けて援軍した。

(上州館林城図)

○天正十八年石田光成勢の攻撃には、堀に生えた葦が多数の城兵に姿を変え敵を後退させた。 そのときから、葦はみな方葉となった。

○正保年間の城主松平和泉守乗寿の元へ、江戸表から早馬が来た。 書状は「若君家綱公御疱瘡重体」。 城主は取るものも取りあえず・大慌てで江戸へ上ると、何事もなく平穏。 書状を老大臣に..

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新田伝説(新田郡、現太田市)

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○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○呑竜上人が、生まれつき弱い子を預かり七歳になるまでは大光院の弟子として面倒を見た、のが「七つ坊主」。

○呑竜上人となかずの池
 ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が続いた。
 やがて食べ物がなくなり病に倒れたおっかさんのために、女房が弓矢を持ち山へ出..

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群馬町伝説(現高崎市)

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○ある夜、天空の北斗七星が一塊となり群馬町冷水の小祝池に落ちた。 翌日、池を探ると金色の亀がでてきたので、妙見社本殿下に神井が掘られ・深く埋められ、本尊となった。 それっきり、本尊を見た人はいない。
※年号が、和銅から霊亀に変わったのはこのせいだといわれる。

○妙見様が火事となったとき、力持ちの力庄右衛門が仁王像を担ぎだし・境内の弁天池に放り投げた。 池では、田螺が降りかかる火の粉から仁王像を守ったので、田螺の尻は黒くなった。 それからは、この村では田螺を食べてはいけないことと..

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グンマの昔:厩橋

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○厩橋(前橋)
 太田道灌は赤亀が尾を引きながら歩くのを見て、城の守護神として祀 り・赤亀稲荷を建てた。(後に尾稲荷として移社) 赤亀が端気川から上がってきた所が赤亀橋。
 1567年、北条三万余+武田二万余の軍勢が厩橋を攻め立てた時、手に手に松明をを持った大軍勢が現れ上杉方は城を守った。 その軍勢こそ、城に住むタヌキ達であった。

(尾引稲荷)

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厩橋1988年

Shiro_umayabashi1○上州厩橋城


☆松明かし(まつあかし)
 古くは、松の木や根を細く割って燃やしあかしとした。 その一片を手にす..

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高崎伝説(3/3)

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○「恋しくば尋ね来て見よ上野の わが浜川の須苗子の森」と唄われたのが須苗子の森。

○1646年3月23日夜、倉賀野町城跡の三ノ廊の茂みに、地響きとともに井戸ができ清水があふれた。 そして、泉の中にあったご神体を祭ったのが「井戸八幡」。

○豊岡・金ヶ崎の渕の主は大亀。 豊岡のトは岬・山・土の意、ヨは土地・畑の意、オカは山・麓の意、カは跡の意、というアイヌ語説もある。

○723年、土の中から輝きとともに古鏡がでてきたので、石凝姥命を祭ったのが小八木。「鏡の宮」。 
※石凝姥命は国鏡..

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高崎伝説(2/3)

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○1793年、岩鼻陣屋創設、現日本化薬地。

○1616年、下小鳥にて高崎藩検見あるもその厳しさに村人が役人を殺害。 藩主松平丹波守が激怒・出兵し、部落皆殺しにしたのが「首塚」。

○高崎はたばこの産地、「館たばこ」で有名だった。

○田嶋元七が蛇場見の谷川で水に石油気が含まれているのを見て、乗附山に石炭があるのを確信した。(1874年) 後にこの亜炭がも富岡製糸場・新町紡績所でも使われた。

○京ヶ島にある井戸が「七つ井戸」or「いろは井戸」。 弘法大師が掘ったといわれている。 
※実..

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太田伝説(2)

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○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

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赤城村伝説(勢多郡赤城村、現渋川市赤城町)

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○湧玉には白蛇が住んでいる、汚したり・不浄物を洗うと祟りがある。 雨乞いだけはきいてもらえる。

○勝保沢の清水側に住んでいた「お哲」は超美人だったので、弁天様とよばれた。 その地では、女の子が産まれると「お哲」と名付けるのが流行った。

○おとうか久保には、オトウカが出た。

○上三原田・三島山の大松の木には天狗が住んでいた。 音を聞いた人も多い。

○戦の時、内出城内の松に登り情勢を眺めたので「物見の松」。

○二城主見立権太郎が仲井の田のくろを枕に切腹したので「枕田」となった。 田には..

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前橋伝説(2)

Maebashijyou2

○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

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前橋伝説(1)

Maebashijyou2

○法燈寺は堂塔伽藍が建つ度に焼けたので、杉の坊の天狗により再建されたがやはり焼けて護摩堂だけ残った。(法は水が去る・燈は火が登る、と書くので凶)

○青梨子・井戸八幡宮は竜巻によってでき、眼病に効くといわれた。 井戸には白蛇が住むと言われるが、覗くと目がつぶれるらしい。

○朝に前橋を出ると、暗くなるころ到着するので「あさくら(朝倉)」。

○蹄石は、八幡太郎義家が八幡山へと馬で飛んだ時の足跡。

○旦那坂には、追いはぎがでた。 そして言った「旦那・旦那」と。

○おこり仏、大きい方をさわると腹..

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グンマの昔:於菊稲荷神社

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○於菊稲荷神社
 宝歴年間、新町宿大黒屋に於菊という売れっ子娼奴がいた。 あるとき病にかかり見捨てられた於菊を、町人達が神社裏に小屋を建て・看病した。 三年が経ち、ある夜半稲荷の霊が現れ於菊は全快した。 これに感動した於菊は社にこもり・一生涯を身明奉仕に捧げたとされる。

※於菊稲荷濫觴記

Okikuinari61

於菊稲荷絵馬

☆多野郡新町の於菊稲荷、大黒屋の遊女お菊を併祀った。 霊験高く一円の信仰を集めた。 絵馬には「向い白狐」もあった。
※絵馬、古くは二枚一組だったらしい


Kuniyoshi_inari

○初牛祭
 歌川..

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東村伝説(佐波郡東村、現伊勢崎市)

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○豊城入彦命が腰を掛けた石が国定赤城神社の腰掛石。
○弘法大師が独鈷で地面を突いて水を湧き出した地が独鈷田。
○宝蔵院を開いた吉繁法印を忍んで刀と法螺貝を埋めたのが国定・法螺塚。
○夜な夜な現れた馬に乗った武士を切ったら石になったのが頼光塚。
○阿満が池で「あま」と呼ぶと清水が湧き上がる。
○十六歳の娘は赤城山に登ってはいけない。
○小泉稲荷神社は「ヤンダンジ様」とよばれていた。(耶無陀羅寺)

Amagaike2

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キマラ薬師

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○キマラ薬師(泉沢・現前橋)
 きんまら薬師がつまってキマラ薬師となった。 生マラ薬師との説もある。  泉沢の守護仏は虚空蔵菩薩であり、古くから犬を飼わず、四社稲荷を祀り鎮守とした。 この薬師を奉祀する際は物議を生じ、居場所が転々としたとされる。 これ以上のことは解らない。

☆粕川・べべ地蔵 、北群馬郡白郷村上白井小河原・観音堂・べべ観音 、勢多郡八崎・べべ観音 、箕輪町下芝・べべ観音 、勢多郡荒砥村大字中諏訪・きんまら薬師 、勢多郡荒砥村沢字窪・キマラ薬師

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黒塚

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黒塚・潮田出羽守城跡

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☆鬼婆 (さいたま市大宮区)
 大宮氷川神社東方は「足立ヶ原」、その中にあった黒塚稲荷。

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 ある昔、森の中に住む老婆は、旅人を泊まらしては生血を吸い・人肉を食べていた。 これを聞いた紀州熊本の東光坊阿闍梨祐慶、この地に庵室を造り・二十一日間呪文を修して折伏し、鬼女を石に化した。 この石を埋めたのが黒塚、庵室が東光坊(後に東光寺)。  

※黒塚稲荷は、浦和に移転したらしいが詳細不明。(北武蔵の巻・大宮市史第五巻)
※東光坊阿闍梨祐慶は、武蔵坊弁慶の師匠。..

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道祖神:藤岡

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○藤岡市金井大平

○おいわ渕・藤岡町部屋
 かつては、周りを水に囲まれた輪中の村であり、毎年の水害に、人柱をたて水の神様にお祈りする風習があった。   ある年、土手の工事も終わり人柱の話となったが決まるはずもなく、「明日一番早く普請場に来た娘」を人柱にすることにした。 翌朝、それは名主の娘「おいわ」だった。  村人は、おいわの霊を「おいわ稲荷」として祀った。
※人柱伝説は多地域にもある。 「おいわ渕」は河川改修で消え、「おいわ稲荷」は移設された。

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グンマの昔:操翁式三番

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○下長磯の操翁式三番・前橋長磯稲荷神社
 1780年にはすでに上演されていたらしいがその後途絶えた、1883年復興後一時途絶え・戦後復活した。
 翁・千歳・三番の人形三体が謡曲に合わせて舞う、黒と白の面が御神体といわれている。

Nagaiso29


☆差し金
 操り人形で、腕を動かすためについている長い棒。

☆芝居
 芝生に坐って見たのが芝居。

☆楽屋
 雅楽で楽人が演奏する場所が源。

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お菊伝説

Kunimine

《グンマを話そう》
○お菊伝説
 甘楽郡小幡国峯城・城主小幡上総介信貞に仕える侍女「お菊」は美人で働き者だったので、殿様から可愛がられた。 これをねたんだ侍女仲間が、ある日殿様の御膳に針を入れた。 針を見つけた殿様は、お菊が自分を殺そうとしたと思い、お菊を蛇や百足と一緒に桶に入れ宝積寺裏山の池に投げ込んだ。  お菊が息も絶え絶えとなった時、日野の小柏源六なる武士が通りかかりお菊を助けた。 この時助けられた蛇や百足も、恩返しとして「小柏家には害を加えない」と約束した。 こうして蛇除..

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妙全の逆さ杉

Gunma_myouzenji

○妙全の逆さ杉(龍澤寺)
 六合村・日影竜沢寺門前に「竜沢寺の大杉・妙全の逆さ杉」がある。 樹齢八百年余、尼僧妙全の杉の杖が逆さのまま根付いたといわれている。

☆グンマでは木が逆さに生える。 たとえば、逆さ杉 ・逆さ桜 ・逆さ梅 ・逆さ柳 ・逆さウツギ、などある。






○逆さ杉(嬬恋村門貝熊野神社)
 弘法大師巡錫のとき、過ぎの枝を逆さにして杖としたものが根付いた。

○逆さ桜(新治村赤谷湖畔)
 上杉謙信が出陣しこの地を通ったとき、馬の鞭に使ったサクラを地にさして、軍勢を占った。 ..





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グンマの昔:すみつかれ

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○スミツカレ(シモツカリ・オトカ・オトカツキ)
 大豆を炒って大根・人参のすりおろしと煮付けたもの、中に鮭の頭とか骨を入れることが多い。 節分後の初牛に食べる。  何軒もの家のものを食べるほど無病息災に暮らせるとされ、いっぱい作って近所に配る習慣がある。  

※洪水地帯では火事は恐ろしい事であり、初午の日にスミツカレを藁製のつとに入れ 稲荷にあげる。 この日は火事になるからと風呂を焚かない、銭湯も休む。
※地域によっては、ぬかみそに塩引きの頭を入れた。

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○しもつかれ・しもつかり・すみ..

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グンマの昔:おにおろし

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○初午
 東毛では初午にスミツカリ(スミツカレ・シモツカリ)を食べた。 節分のときに炒った田瀬伊豆をやわらかく煮、大根おろし・酒粕・油揚げ・里芋・人参などを醤油味で煮込む。 大根おろしは、オニオロシで荒くおろす。 鮭の頭や骨を入れることもある。  これを藁でつくったツトッコに入れて稲荷様に供える地域もある。

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鬼おろし

しもつかれ について

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大根をおろすのがオニオロシ(左)
いもをおろすのがセンオロシ(右)

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春駒まつり

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開催日 2月11日(祝)
場所  川場村門前地区

 金甲稲荷神社の祭日に奉納されるまつりで、2月11日に行われます。 女装した若者が唄と踊りを 披露しながら門前地区内の家々を廻り、家内安全と養蚕豊作を祈願する、全国的にも知られたお 祭りです。

お問い合わせ【川場村役場むらづくり振興課TEL.0278-52-2111】





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 春駒はグンマ各地にみられ、女一人(高山村)・母と娘(川場村)・爺さんと婆さん(上野村)、などがやって来た。 しかし、養蚕業の衰退・芸人の高年齢化などにより消えた..




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グンマの昔:わらじ

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○フセギ(塞ぎ
 村境は、疫神が入ってきたり、厄災・悪霊を追い出す所であった。 そのため、村境に大きな草履をつるし「この村にはこんな大きな草履を履く大男がいる」と脅す習俗があった。(八丁じめ・辻切り・フセギ等ともよばれた)

※大わらじには、「旅の具として遠くから来る神をもてなす」との説もある。

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※「天照大神の使者アマノウズメノミコトが大国主命の国へ入ろうとしたところ、臣の猿田彦が大きなワラジを片方だけぶら下げて入国を阻止した」のが始まりとされている。 なぜ片方だけだったのかは解..

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木鼻(象の鼻)

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☆高崎神社境内・市神さまの木鼻(象の鼻)

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☆歓喜天 ・歓喜佛
 頭は象・体は人間二人

※象は佛教と深い関係がある。 室町時代初期に日本へ渡来した。

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☆高崎市佐野・西光寺の夜明かし不動 (確認できず)

☆高崎神社と笠森稲荷の間にある市神・「おかめと天狗」が彫られているらしい。。

☆高崎和田中・琴平神社の子持ち男根

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どんど焼き伝説

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○ドンドン焼きの火にあたると風邪をひかない。
○道祖神焼きの灰をこたつに入れると風邪をひかない。
○道祖神焼きの灰を家の周囲に撒くと、百足・蛇・虫が入らない、盗難除けになる。

○ワキザシを短かく切って鎌の柄にするとマムシ除けになる。
○カタナにつけた火で煙草を吸うと無病、長生きする。
○家の中に蛇が入ったときキッポで追うと入らない。
○ドンドン焼きの火で餅・マユダマを焼いてたべると風邪をひかない、長生きする、できものができない、虫歯にならない。
○女はこの火で頭髪の抜毛を燃す..

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玉村町

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○玉村町は例幣使街道の宿場町として発達した町である。 かつては、西側の上新田(稲荷神社系)と東側の下新田(八幡宮系)にはっきりと別れていた。 その源は、藩政時代の那波群と群馬郡との群境に由来するらしい。

※玉村宿は、毎年下向になる京都公家衆が泊まるため大いに栄えた宿場であり、多くの旅籠屋と大勢の遊女とで不夜城の世界だったそうだ。

☆平旅籠:飯盛りのいない旅館。

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群馬での暮らし:水沢観音

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○五徳山水澤観世音・水澤寺にある六角堂は、宮大工田村八兵衛の最後の作といわれている。  田村八兵衛は、他に大徳寺総門(前橋)・稲荷神社本宮(前箱田町と後家町)・地蔵神輿(箱田町)など作った。
 江戸で作られた仏像を水沢に運ぶ途中、道々で多数の寄進があり、その寄進で次々に仏像が作られかくて六体の仏像に増えたという。 その六体を回転できるように祀ってあるので、左に三度回して願をかけると運が開けるといわれている。
 

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○水沢寺再建
 水沢寺炎上に関して、柏階知隆が帝から処罰さ..

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群馬での暮らし:縁切・縁結厠

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○満徳寺・縁切寺(群馬県太田市徳川町385-1)
 白が縁切り用・黒が縁結び用である。 縁切札・縁結札に願いをこめて、それぞれに流していただき、白黒をはっきりさせて、自分の人生を一歩前進させていただきたいとの意味がこめられている。

☆グンマが世界に誇るのが縁切寺。 縁切寺は世界に二つ、東慶寺(鎌倉)と満徳寺。

○満徳寺
 満徳寺が幕府公認の駆け込み寺となった理由は、
①もともと新田氏と関わりが深かった。(新田義季開基、義季の娘浄念尼開山、住職は新田氏系)
②徳川家康が、徳川発祥の..

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群馬での暮らし:館林城

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《グンマを話そう》
○館林城
 五百年程前、大袋城に赤井山城守照光なる殿様が住んでいました。 ある日、照光一行が千代田村にさしかかると、子供達が子狐を捕まえていじめていました。 照光は家来の鉢形惣五郎に言い、子狐を放してやりました。  ある夜、庭の茂みの中に男が現れ、「この前は子供を助けていただいてありがとうございました。 お礼に良い土地を照会するので新しい城を建ててはいかがてすか。」と言うと、沢山のキツネがたいまつを照らして道案内し、親キツネの指示の下新しい城の設計図を描き..

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1000円焼肉食べ放題

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんキャンペーン》

○フジタ精肉店
 豚肉・鶏肉食べ放題、牛肉は別料金。 [カレーライス・チャーハン・炊き込みご飯・稲荷・そば]などある、プリンも美味しい。

Fujita1000b

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駄玩具 (085)

山田君の世界

ONE PEECE ENSKY
ソフトグライダー
 (株式会社エンスイ@草加市稲荷1-11-1)

○昔で言う「紙飛行機」。

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駄菓子 (1664)

山田君の世界

あついぞ! がってん名物
熊谷いなり
 (@がってん寿司)

○細長い稲荷寿司。 
 本当に熊谷名物かどうかは、わからん…


☆稲荷すし
 篠田ずし・信太ずし、ともいう。 古くは江戸では濃口醤油煮・俵型、上方では淡口醤油煮・三角・具入り、であったらしい。
※江戸では、当初わさび醤油でたべたともいわれる。

☆信田ずし・篠田ずし
 狐が油揚げ好きだというので、「信田の森の狐」に例えたともいわれる。

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