So-net無料ブログ作成

四萬部寺

Tochiya_shimabu0

○誦経山四萬部寺 札所第一番
 秩父市栃谷418、0494-22-4525

 本堂(観音堂)は元禄十年建立、本堂正面欄間には地獄極楽の彫刻、寺名は性空上人の弟子幻通が四万部の仏典を読経して経塚を築いたことに由来。

Tochiya_shimabu1

☆かつて、四万部寺では施餓鬼のときに大賭場が催された。 そこには、外見二階建て・内部は三階建ての蔵があったといわれる。

Tochiya_shimabu2

Tochiya_shimabu6

Tochiya_shimabu9

Chichibu_jyun1


札所番号:長享番付→現行番付
1:定林寺→妙音寺
2:蔵福寺→真福寺
3:今宮坊→常泉寺
4:慈眼寺→金昌寺
5:野坂寺→..

YAMADA

三学院の龍

Warabi_sangaku69

○金亀山極楽寺三学院
 蕨市北町3-2

について

Warabi_sangaku68

☆三学院
 仁王門天井には二頭の竜、住職は運慶。 室町時代末、この運慶が京都智積院にて修行中、月夜の晩に夢枕に竜が現れ「三学院が危ない、境内に水を汲んでおけ」。 これを聞いた運慶、あらゆる入れ物に水を汲み・境内に並べると、一心不乱に祈り続けた。
 そのとき三学院では、野武士の一団が寺を襲い火を放った。 火が仁王門に移ると、竜の眼が光り・雷鳴がどどろき・口から滝のような水が噴き出し、寺は全焼を逃れ、野武士達は逃..

YAMADA

守光院

Urawa_syukoin1

○守光院
 さいたま市南区太田窪5-11-9、048-885-5861

Urawa_syukoin2

Urawa_syukoin3

Urawa_syukoin8

Urawa_syukoin9


☆護国山守光院
 当時の開基は冶承四年源頼朝が伊豆に挙兵したとき、その軍勢を集めるため当地木崎庄太田窪に要害を構えた佐々木三郎守綱です。 佐々木三郎守綱は宇治川合戦のとき先陣争いで有名な佐々木四郎高綱の兄に当たります。
 守綱は当地に留まること五ヶ月、引揚げるに当たり小堂宇を建立し、持仏の薬師瑠璃光如来と家臣の阿弥陀如来を安置し、寺号を護国山守綱院と号しました。

 開闢後四世紀..

YAMADA

武州鉄道 メモ

Bushu_jyuden1

武州鉄道 メモ


○停車場道路工事記念碑(武州野田駅)

停車場 について
軌道 について

Busyutetsudo3

Busyutetsudo2b

Byushu_gyoei

Busyutetsudo1

Busyutetsudo1b

Bushyu_ticket

Bushyu_daimon武州大門駅


○武州鉄道
 明治四十三年中央軽便電気鉄道株式会社設立(川口町~春岡村宮ヶ谷塔、最終的には東京~日光を目指した)、明治四十四年中央鉄道株式会社に社名変更(川口町~岩槻町林道枡形とし、電車をあきらめ汽車とした)、大正八年武州鉄道株式会社に改称。 営業時は、蓮田・馬込・河合・岩槻北口・岩槻本通・岩槻・真福寺・浮谷・笹久保・武州..

YAMADA

与野伝説

Yono_enjoji1

さいたま市中央区(旧与野市)

○安養山円乗院(円乗院・安養山西念寺)
 さいたま市中央区本町西1-13-10
 古く浦和道場から移転。 賢明法印が中興開山、江戸時代は幕府から寺量十五石の御朱印地をもらっていた。

伝説 について

○円乗院・あみだ様とヘビ
 喉の痛みに悩まされた歴代の住職、ある時夢の中に白衣の老人が現れ・物置の長持を見るように告げた。 物置に放置された長持、その中には阿弥陀様・その首には白蛇が巻きついて死んでいた。 そしては、阿弥陀様を本堂に奉り・白蛇は木箱に納められ..

YAMADA

竜神社

Urawa_ryujin1

○竜神社
 さいたま市緑区宮本2-17-1

竜神 について

Urawa_ryujin2

Urawa_ryujin8

Urawa_ryujin9

☆見沼の竜
 見沼の竜・見沼のいもり・美女と馬子・竜神祭り・竜灯、など伝説が多数ある。


☆見沼の竜神様
 見沼の夕暮れ、そこには毎夕笛を吹き・辺りをさまよう美女が現れた。 村人達は「見沼の竜神様」と恐れ、ある時武士が切りつけると・暴風が吹き・稲妻が走り・雷が轟き・美女は消え、竹笛だけが残った。 そしては、この竹笛を神社に納めた。
 何年も経ったある日、神社にやってきた年老いた女が、「竹笛を吹か..

YAMADA

目赤不動尊

Komagome_akame1

目赤不動・南谷寺
 文京区本駒込1-20-20、03-3942-0706

不動尊 について

Komagome_akame2

Komagome_akame3

Komagome_meaka6

Komagome_akame7

Komagome_akame9

☆天台宗大聖山南谷寺 
 元和年間万行和尚が伊勢国赤目山で、不動明王像を授けられた。 その後、尊像を護持して諸国をめぐり、駒込村の動坂に庵を開き赤目不動と号した。 寛永年間三代将軍家光が鷹狩の途中に動坂の庵に寄り、目黒・目白不動に対し目赤と呼ぶべしと命じ、現在地を与えた。 江戸の五色不動の一。

☆江戸五色不動
 寛永年間三代将軍家光が、天海僧正の進言により江戸鎮護..

YAMADA

鉢形城歴史館・鉢形城跡

Yorii_hachigata12

○鉢形城歴史館・鉢形城公園
 大里郡寄居町大字鉢形2496-2、月休、048-586-0315

城跡 について

Yorii_hachigata13

Yorii_hachigata14

Yorii_hachigata15

Yorii_hachigata16

Yorii_hachigata17

Yorii_hachigata18

Shiro_hachigata1○武州鉢方古城

Hachigata83

Hachigata82

Hachigata71


☆万年山少林寺
 少林寺に長く飼われた猫一匹、数珠を置いて寺を去った。 数日後、鉢形城主が亡くなり、葬式の最中棺が天高く舞い上がった。 このとき、少林寺僧侶「万年山少林寺住職ここにあり」と唱え・数珠を天に投げ上げると、棺は元の場所に収まった。
※江戸時代、少林寺は幕府から十五石の朱印を受けた..

YAMADA

寛永寺

Taitouku_kaneiji01

○寛永寺・旧根本中堂
 台東区上野桜木1

Taitouku_kaneiji02

Taitouku_kaneiji03

Taitouku_kaneiji04

Taitouku_kaneiji06虫塚碑

Kaneiji_map

Taitoku_kaneiji71

Taitoku_kaneiji72

Taitoku_kaneiji70


☆東叡山寛永寺
 徳川三代将軍家光が、川越喜多院天海僧正に命じて建立(寛永二年)。 最盛期は寺域30万坪、明治維新上野戦争で堂宇のほとんどを焼失、明治十二年川越喜多院から本寺堂を移設し根本中堂とした。
 四代家綱と五代綱吉が上野寛永寺に葬られたが、六大将軍以降は徳川家菩提寺の増上寺と調整するようになった。
※寛永寺には、八代吉宗・十代家治・十一代家斉・十三代家定の霊廟があっ..

YAMADA

向山不動堂

Ageo_mukouyama1

向山不動堂
 上尾市向山1-13-39

Ageo_mukouyama3

☆向山不動堂彫刻
 向山不動堂は、明治十年前後に、向山村と近在近郷の人たちの寄付によって建立されました。堂は向拝付の入母屋造で、本尊は不動明王です。
 指定の彫刻はケヤキ材を透かし彫りしたもので、堂の周囲三面に龍や鳳凰・十六羅漢と思われる図柄などがあります。
 堂の裏、欄間に明治10年2月10日から着手の彫りもあり、作者は明治中期ごろの名工(宮大工)山田弥吉こと山田右衛門(大谷本郷住、後東京へ出る)の壮年期の作です。
 堂の一面にだけ彫刻は..

YAMADA

国昌寺

Urawa_kokusho00

○国昌寺
 さいたま市緑区大崎2378、048-878-0413

Urawa_kokusho01

 曹洞宗の古刹であり、開山は心厳宗智。中興開山は桃山期に能筆家で知られた大雲文龍。文龍は諸国を遊歴し名僧としての名を高め、後陽成・後水尾の両天皇に歌書を指導した。国昌寺に戻ってから関東地方のいくつかの寺院の開山、または中興開山となった。3代将軍家光から寺領10石を寄進される。   国昌寺の山門は「開かずの門」として有名。江戸中期に建立された。欄間の龍は左甚五郎作と伝えられ、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉とい..

YAMADA

荒川

Kawaguchi_zenkouji4

川口市舟戸

Kawaguchi_zenkouji5

Kawaguchi_zenkouji9b舟戸の渡し・善光寺

Kawaguchi_zenkouji☆東京真画名所図解 川口善光寺
井上安治 明治14


Kawaguchi_arakawa11

Kawaguchi_arakawa12

Seishin_zenkoji

Arakawa_suigen○荒川水源

 秩父の大林山広見寺、南北朝末明徳二年に天光良産禅師が開闢した。 この良産禅師が秩父下宮の地が気に入り・庵を造り修行に入った。 近くの音窪の池の主大蒼竜、禅師に諭され、その身を谷に横たえ・荒川となった。
※みこし洗い、災いを竜の化身の荒川で洗うといわれる。

YAMADA

不動の滝

Wakou_seiryu1

○不動の滝
 神瀧山清龍寺不動院@和光市白子2-15-47、048-461-2116
 平安時代初期、天台宗高僧慈覚大師円仁の創建といわれる。

Wakou_seiryu2

 江戸時代に自然の滝(湧水)を利用して修行場がつくらた。 宝暦六年滝壺に石段がとりつけられ、文政八年石垣がつくられた。

について

Wakou_seiryu3

Wakou_seiryu45

Wakou_seiryu5

Wakou_seiryu9

☆熊野様の池
 古くこの地に竜夫婦が住んでいた。 ある時夫婦げんかをし、一方の竜が 石神井三宝池に逃げてしまったともいわれる。  神聖な滝としてあがめられ、雨乞い・修行の場となった。..

YAMADA

蕨城跡

Warabi_shiro01

○蕨城跡
 蕨市中央5-20

Warabi_shiro02

☆蕨城は、南北朝時代に渋Jll氏が館を構えたのに始まり、戦国時代の永禄十年、上総の国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。 江戸時代の始めには、鷹狩り用の休憩地の「御殿」として蕨城の跡地が利用されました。

城跡 について

Warabi_shiro09


Warabe_shiro

○蕨城
 和樂備神社南方に渋川氏居館の跡とも伝えられる。

☆蕨
 古くは「藁火の里」ともいわれたらしい。 ただ城を造るに際して「火」は良くないので「蕨」としたともいわれる。

☆蕨
 古く、薪の代..

YAMADA

高崎城址

Takasaki_shiro01

高崎城址公園@高崎市高松町
 三の丸堀・土塁・乾櫓・東門(御殿表御門)

Takasaki_shiro02

☆グンマには、大きな天守閣のある城(修復・再建含む)は現存しない。 これは、政治(大きな力を持った大名がいなかった)・自然(災害や気候)・産業(食糧難や交通)、などによるものと思われる。 
 数少ないが、前橋城・高崎城・館林城・沼田城などあったのだが、流失・焼失・行政破却などにより消えた。(この辺はグンマ人気質)

城址 について

Takasaki_shiro03

Takasaki_shiro04

Shiro_takasaki1○上州高崎城図

Shiro_takasaki2○上野国高崎城図


☆高崎城址・..

YAMADA

八潮市立資料館 (1)

Yashio01

八潮市立資料館
 (八潮市南後谷763-50、月休、048-997-6666)

Yashio02

八潮市 について

Yashio03


☆八潮市垳
 他には無い地名。 八潮は、八幡村・潮止村・八條村が合併してできた。



八潮のむかしばなし

○月夜に光る丸木舟(西袋・柳之宮)
 西袋の蓮華寺のわきの田んぼは、まん月の晩にかぎって、ピカッ、ピカッと光ったそうな。 何でも、そのように光るところには、丸木舟がうまっているそうな。 


○たから船のちんぼつ(大原・浮塚・南川崎)
 むかし、八潮は海だった。 この海をば、..

YAMADA

どうでもいいこと

Edo_yaoya1

[どうでもいいこと]メモ



○あっけらかん
 江戸時代「あけらかん」は、口を開いてぽかんとしている様子だった。

○アリジゴク・ウスバカゲロウ
 アリジゴクが成長してウスバカゲロウになるまでの数年間、排泄しない。 獲物の体液だけを吸い取り、死骸は穴の外へ投げ捨てるらしい。

○イタチごっこ
 天保年間には「鼠ごっこ、鼬ごっこ」なる終わりなき遊びがあった。
※嬉遊笑覧

○ウクレレ
 ハワイ語で、ウクは蚤・レレは飛び跳ねること。 ノミが跳ねるがごとく、おどけながら弾いたらしい。

○おあ..

YAMADA

岩殿観音

Iwadono04

巖殿観音 正法寺
 (東松山市岩殿1229)

Iwadono01

Iwadono03

Iwadono05

Iwadono06

Iwadono07

Iwadono08

Iwadono09

Iwadono1

☆岩殿観音
 養老二年に沙門逸海が山腹岩穴に先手観音を安置、傍らに草庵を建て正法庵とした。(後に正法寺)
※大昔岩殿山中に住む竜の悪事に困った村人が、坂上田村麻呂に竜退治を頼み、お礼に饅頭を供えた、との伝説がある。


☆岩殿山
 岩殿観音をとりまく四十八峰九十九谷には悪竜が住んでいた。 悪竜退治に名乗り出た坂上田村麻呂、岩殿山中へ入ると真夏なのに大雪、その中で一カ所雪のない沢(雪解沢)があり狙いをつ..

YAMADA

三学院

Sangakuin2

金亀山極楽寺三学院(蕨市北町3-2 )

Sangakuin1

☆三学院
 仁王門天井には二頭の竜、住職は運慶。 室町時代末、この運慶が京都智積院にて修行中、月夜の晩に夢枕に竜が現れ「三学院が危ない、境内に水を汲んでおけ」。 これを聞いた運慶、あらゆる入れ物に水を汲み・境内に並べると、一心不乱に祈り続けた。
 そのとき三学院では、野武士の一団が寺を襲い火を放った。 火が仁王門に移ると、竜の眼が光り・雷鳴がどどろき・口から滝のような水が噴き出し、寺は全焼を逃れ、野武士達は逃げ去った。 京都に汲んだ水は、..

YAMADA

いくよ餅

Edo_ikuyomochi95

○いくよ餅(幾世餅)
 江戸名物菓子、 鈴木越後のようかん、鳥飼和泉のまんぢう、塩瀬のまんぢう、越後屋播磨の菓子、翁屋の翁せんべい、両国若松屋のいくよもち、浅草金竜山もち、吉原竹村の最中月、麹町たちばなやの助惣やき、麹町鈴木兵庫の菊一せんべい、麹町おてつぼたもち、深川船橋屋のねりようかん、向島長命寺の桜もち、の一つ。

名物菓子 について

Edo_ikuyomochi96

○幾世餅・幾代餅
 元禄時代、車力頭・吉兵衛に身請けされた幾世(源氏名)が、餅屋を始めたのが評判となった。 やがて「幾世餅」を名乗..

YAMADA

歴史と民俗の博物館

Ohmiya_rekishi1

埼玉県立歴史と民俗の博物館
 (さいたま市大宮区高鼻町4-219)

Ohmiya_rekishi2

☆埼玉県立歴史と民俗の博物館  1971年開館。

Ohmiya_rekishi3

○大宮公園内遺跡
 1955年に行われた発掘調査で、弥生時代後期の竪穴住居跡一軒と弥生時代後期から古墳時代初頭と見られる方形周溝墓一基が確認されています。


☆埼玉県選定重要遺跡
大久保古墳群(さいたま市桜区)、側ヶ谷戸貝塚(さいたま市大宮区)、側ヶ谷戸古墳群(さいたま市大宮区)、五味貝戸貝塚(さいたま市西区)、大和田陣屋跡(さいたま市見沼区)、永田陣..

YAMADA

江戸名物菓子

Funabashiya22

○江戸名物菓子
 鈴木越後のようかん、鳥飼和泉のまんぢう、塩瀬のまんぢう、越後屋播磨の菓子、翁屋の翁せんべい、両国若松屋のいくよもち、浅草金竜山もち、吉原竹村の最中月、麹町たちばなやの助惣やき、麹町鈴木兵庫の菊一せんべい、麹町おてつぼたもち、深川船橋屋のねりようかん、向島長命寺の桜もち。

Manjyu69


Satougashi22

南蛮菓子
 室町時代ポルトガル船により南蛮菓子がもたらされた。 それらが、長崎カステラ・佐賀ボーロ・ビスカウト・鶏卵ソウメン(鶏卵素麺)・アルヘイ(有平糖)、などである。

○鶏卵素麺
 安..

YAMADA

館林伝説

Tatebayashi99

○城沼に住む竜が女に身を変え、七日間上人の説教を聴いた後飛び込んだのが善導寺「竜の井」。 それ以降、井戸使用禁止。

○須賀沼の南沼の主は大蛇・北沼の主は大亀、宝光寺・とみ坊主が魚取りをしたに怒り懲らしめてからは魚取りをする者はいなくなった。

○昔から洪水に見舞われた大沼を埋め立てたさい、沼の主夫婦の二匹のウナギを祀ったのが「須賀弁天祠」。

○赤岩にあった沼の主は大蛇、村の娘が次々と消えた。 そこで、藤原長良の御殿女中「おさよ殿」が弓で退治し、頭を瀬戸井・切り刻んだ胴体を舞木などに祀..

YAMADA

松井田伝説

Gunma_nakasendou5

○碓氷貞光
 碓氷の荒太郎・荒童子ともよばれ、怪力だった。 これを土産としたのが、碓氷峠の「力餅」。 貞光梨というのもあった。

○十九夜様・十九夜念仏
 お産の神様、三月十九日が祭日だが、農繁期を避け二月十九日に行うことが多い。

○天狗
 目撃情報多数。 谷急山ケゲンが穴・角内山・オヤン沢、など。

○狐
 狐に化かされた人も多数。

○丸目蔵人
 剣客丸目蔵人が、坂本町城山頂上に道場を建てたとされる。

○山賊
 灘の佐太夫なる山賊がいたといわれる。 怪力で殿様の駕籠を一人で担ぎ峠を越えたといわれる..

YAMADA

グンマの地名

Gunma_map23

○グンマの地名 上級編

○芦生田(あしょうだ)
○安楽土町(あらとちょう)
○尉渡野(しゃうとの)
○磯部(いそべ):石上部の居住地。
○印字(いんじ)
○宇貫(うぬき)
○羽根(はね):赤土などの意。
○羽根尾(はねお):「埴」が源、粘土質土壌の意。
○姥が懐(うばがふところ)
○姥懐(うばどころ):深く狭い谷間の意。
○瓜山(うりやま):ウルイが源。
○瓜生(うりゅう)
○乙鳥・燕鳥(つばくら)
○乙父(おっち)
○乙母(おとも)
○下賛郷(しもさぬ)
○下仁田(し..

YAMADA

グンマ地名伝説

Gunma_map23

○地名伝説、あくまで伝説

○明戸坂(あけとさか)
 小倉季氏がこの坂を通ると日輪が輝いたとか、鹿島・香取の神がこの坂を通ると夜が明け始めた、ともいわれる。 ※アクト・アクツが源らしい。

○稲含山
 神が唐から種籾を口の中に隠して持ち込んだとされる。

○入の湯
 猟師が山中深く犬が傷を癒している湯をみつけたので「犬の湯」が源。

○歌川町
 藤原定家と藤原家隆が、烏川を渡れず歌を詠み合ったとされる。

○姥が懐(うばがふところ)
 平井落城で上杉憲政の嫡男竜芳君が姥もろとも自害した。

○海老瀬(えびせ)..

YAMADA

高崎の地名 (1)

Takasaki58

○高崎市町名一覧

 相生町(あいおいまち)、 赤坂町(あかさかまち)、 明石町(あかしちょう)、 阿久津町(あくつまち)、 旭町(あさひちょう)、 足門町(あしかどまち)、 東町(あずまちょう)、 新喜町(あらきまち)、 あら町(あらまち)、 飯玉町(いいだままち)、 飯塚町(いいづかまち)、 石原町(いしはらまち)、 井出町(いでまち)、 稲荷町(いなりちょう)、 井野町(いのまち)、 入野村(いりのむら)、 岩押町(いわおしまち)、 岩平村(いわだいらむら)、 岩鼻町(いわ..

YAMADA

玉村八幡宮

Tamamura

○玉村伝説(玉村町)
 今から約1100年前のできごと、天災や不吉なことが続いていたので、国の役人は火雷神社にてお祓いをすることにしました。 そのとき、この地を治めていた「那波八郎廣純」という武士も連れて行きました。 祈りを続けて7日目、突然怪物が姿を現し、神鏡を奪おうとしましたが、廣純は刀を振ってその首を切り落としました。 このとき、怪物の折れた角を川に投げ、後に淵になったところが、玉村町の「角渕」、切った手を捨てたところが玉村町の「上之手」(神の手)であるといわれています..

YAMADA

大泉伝説(現大泉町)

Ohizumi21

○天狗を祭ったのが宇原大明神、「喜之松」なる男が天狗になったといわれる。
○きつね塚・たぬき塚
 宿に泊まった身重の女が女の子を産み、恩返しに宿で働くことになった。 母娘とも美人で、ある時若い武士をめぐり三角関係となり・激しい争いとなり、すすきが原へと戦いの場は移った。 翌朝村人が見たものは、傷だらけで死んだ大狐と若狸であった。

○家に入った盗人を斬ったら、どこかで見たことのある顔だったので、万願寺「夜盗の墓」をたてた。 
※子供の夜泣きに効くといわれた。

○龍泉院にあるのが「雨..

YAMADA

渋川伝説(2)

Sourinji11

○千手姫(榛東村柳沢寺)
 千手姫は京の都に憧れ病となった。 京に上った夫田烈太夫信保が見たのは「散りもせず咲きおくれたる花もなし 今日をさかりりの庭桜かな」と詠み消えた千手姫似の女であった。 そのころ桃井の郷では、千手姫が他界していた。

○赤いお椀で鰻料理を出したら不幸が続いたのが地名「赤椀田」。

○雙林寺の七不思議
 ・開山堂の一本の拍子木、悪いことが起こりそうになると鳴る。
 ・月江和尚が持っていた数珠が大木となったのが「開山のつなぎカヤ」。 その実は針で通したような穴..

YAMADA

渋川伝説(1)

Onogami11

○小野上名石
 ・夫婦石:七社神社そばにあるのが女石、粗末に扱うと祟りがある。 男石は上流にいる。
 ・牛の屎石:牛の糞に似ている、でも高さ6m幅9m。
 ・むしば神:虫歯に見えないこともない、おがらの箸を供えると虫歯が治る。
 ・弘法の腰掛石:弘法大師が腰掛けた、足跡二つとお尻の跡がある。
 ・白丁石:弘法大師が「白丁」と書いたといわれる。
 ・蟹石:川辺の蟹に見えた。
 ・かえる石と硯石:雨乞い祈願用。

○有馬五石ほか
 ・子種石:石に手を触れて祈願すると子種が授かる。(若伊..

YAMADA

邑楽伝説(邑楽郡、現板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町)

Oura91

○玉取姫
 秋妻村の長者の娘は、どうしても「竜宮の玉」が欲しくてたまらなかった。 意を決し・命と引き換える覚悟で竜宮に行くと、玉を手にし帰ろうとした時、竜神に追いかけられ・門の敷居につまづき、やっとのことで玉を自分の乳房の中に隠して逃げ帰った。  しかしながら、この傷がもとで死んでしまった。 こうして、秋妻では門を立てないとした。

○万寿二年、宝日向なる者が来て、沼の辺に居を構え・釜の鋳造(鋳物)を始めた。 なので地名「日向」、鋳物につかうフイゴ(タタラ)から「多々良沼」とよ..

YAMADA

グンマの昔:竜源寺(前橋)

Gunma_ryugenji

○竜源寺
 竜仙和尚が、悪さをするムジナを戒めた伝説がある。  また赤城小沼の竜が夫婦で座禅に来て、「春竜上座」・「春香大姉」なる法名を与えられたともいわれる。

YAMADA

桐生・金山城伝説

Kanayamashiro

○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

○桐生落城
 領主・桐生大炊介助綱は人望厚かったが子供が無く佐野家から養子(親綱)もらったが折り合い悪く、ついには由良成重らに攻め入られた。 そして親綱が奥方・姫達と桐生川の大滝を岩から岩へと飛び跳ねて逃げたので「跳滝」とよばれる。 
※このとき「宝の入った瓶」三..

YAMADA

大間々伝説(大間々町、現みどり市)

Ohmama1

○高津戸城の戦い
 父里見上総入道勝広の敵討ち(山越出羽と石原石見)を企てた里見勝政・勝安兄弟が居館としたのが、1100年頃に築城された高津戸城(1351年桐生国綱により廃城)。 しかしながら、本望を遂げられなかった。(里見十二騎の墓)

○新田芳重の隠し館
 新田芳重が一族の隠れ場所としたのが上州桐原牧新田金塚隠し館、農具・武具などを作った。 金塚は鉱石貯蔵所、ジャンジャン屋敷は溶解所。

○自然のままに暮らしていた念仏行者「行仙房」、村人達に尊敬され・見守られながら1278年..

YAMADA

館林・館林城(尾曳き城)伝説

Tatebayashi31

○赤井但馬守照康が助けた子狐の親白狐が城の地割りをして築いたのが「館林城・尾曳き城」。

○永禄六年の北条勢が攻め行ったとき、白狐が七千の軍馬に化けて援軍した。

(上州館林城図)

○天正十八年石田光成勢の攻撃には、堀に生えた葦が多数の城兵に姿を変え敵を後退させた。 そのときから、葦はみな方葉となった。

○正保年間の城主松平和泉守乗寿の元へ、江戸表から早馬が来た。 書状は「若君家綱公御疱瘡重体」。 城主は取るものも取りあえず・大慌てで江戸へ上ると、何事もなく平穏。 書状を老大臣に..

YAMADA

グンマの昔:錦野の里(現玉村町)

Tamamura_nishikino

 天慶年間、沼田の庄を治めていた地頭に美しい娘がおり、錦野の里の若者と恋に落ちた。 一方、土豪の中には地頭の娘を平将門に差し出そうという動きがあった。  そこで地頭は娘を若者のもとへ逃がした。 土豪の追手に追いつめられた娘は矢川に身を投げ・若者も続いた。  その後、夜な夜な矢川に二つの光玉が現れたので、村人たちは玉を拾い上げ「龍神」として祀った。(これが近戸大明神)
 そしてある年、利根川が大洪水となり、濁流に竜神が現れ、玉の一つを持ち去った。(1360年頃) 残った玉は、玉竜..

YAMADA

新田伝説(新田郡、現太田市)

Ohta_22

○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○呑竜上人が、生まれつき弱い子を預かり七歳になるまでは大光院の弟子として面倒を見た、のが「七つ坊主」。

○呑竜上人となかずの池
 ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が続いた。
 やがて食べ物がなくなり病に倒れたおっかさんのために、女房が弓矢を持ち山へ出..

YAMADA

高崎伝説(3/3)

Takasaki_09

○「恋しくば尋ね来て見よ上野の わが浜川の須苗子の森」と唄われたのが須苗子の森。

○1646年3月23日夜、倉賀野町城跡の三ノ廊の茂みに、地響きとともに井戸ができ清水があふれた。 そして、泉の中にあったご神体を祭ったのが「井戸八幡」。

○豊岡・金ヶ崎の渕の主は大亀。 豊岡のトは岬・山・土の意、ヨは土地・畑の意、オカは山・麓の意、カは跡の意、というアイヌ語説もある。

○723年、土の中から輝きとともに古鏡がでてきたので、石凝姥命を祭ったのが小八木。「鏡の宮」。 
※石凝姥命は国鏡..

YAMADA

水上伝説(現みなかみ町)

Tenjin3

○寺間開墾の浪人屋敷には落人が住み着き、大峰山に金を埋めたらしい。

○上杉憲政が越後に落ち延のびるさい、馬をつないだのが「馬つなぎ石(タテ石)」。

○蛇淵の主は大蛇だった。

○ヨエモンがスマキにされて投げ込まれたのがヨエモン淵。

○間男をつくった妻が夫ムトウ坊を殺したので、祟りをおそれた村人が無縫塔を建てたのが無縫塔。

○アクトには八束脛の足跡があった。

○オオユウ(大洞窟)にはヤツカハギが出た。 またオオユウは越後に通じていた。

○昔話のおわりは、「イッチガサヶカッタトサ」。

○仏岩をは..

YAMADA

太田伝説(2)

Nittayoshisada

○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

YAMADA

太田伝説(1)

Mantokuji

○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○植木野村にみすぼらしい修行僧がきて、芋を洗っていたお婆さんにお布施を求めたが、断られた。 そこで隣家へ行くと、快く泊めできる限りのもてなしを受けた。  お婆さんの芋は石に変わった。 隣家のまな板裏には「阿弥陀如来像が描かれ・南無阿弥陀物と書いてあった」その脇には「空海」と。 これが、宗金寺の弘法大師が爪で掘った「まな板の名号」である。

○八重傘沼には大蛇が住んでいたが、竜舞の修験者・松本院清安が切..

YAMADA

境町伝説(佐波郡境町、現伊勢崎市)

Itakura

○東新井村と花香塚村の境界争いで死んだ村人二人を葬ったのが二つ塚。

○十日夜には、カエルにあげる餅を供える。(蛙が鳴くのは稲を守っているのだ、ごくろうさま)

○七母女天には子供が七人おりその一人はスサリオノ命、お願いは一言「おばあさんたのむよ」。

○アンナシヅカは「あんな静かな所は無い」から始まった。

○淵名神社には、皮を煎じると乳が出るようになるイチョウの木があった、その地は銀杏と呼ばれた。

○境町木島には、皮を煎じると乳が出るようになる松木があつり「乳松」とよばれた。

○下淵名には..

YAMADA

新里村伝説(勢多郡新里村、現前橋市)

Ryumon

○弘法大師が杖で掘ったら清水が湧いたのが「弘法の井戸」。
○藤原秀郷が植えたのが、板橋・秀郷の末並木。
○藤原秀郷が橋を渡る途中で足下を見たら大ムカデだった。 そこでムカデを象って鳥居にしたのが「板橋・百足鳥居」。
○藤原秀郷が戦勝祈願に杉を植えたのが「藤太杉」。
○赤堀道元の娘のお供が責任を感じて腹を切ったのが「地蔵坂(腹切り坂)」

○上板橋に小豆洗い(アズキゴシゴシ)がでた。 見た人もいた。
○機織りを眺めていた六部に少し切ってあげたら、その機はいくら切っても次々に織れるようになっ..

YAMADA

大胡伝説(勢多郡大胡、現前橋市)

Daigo_keyaki

○河原町の観音様が、赤城の大水で流され行方不明となった。 ある朝、隅田川岸辺で草刈りをしていると金の観音様を見つけた。 朝の草刈り→アサクサ→浅草、これが浅草の観音様になった、とか。
○子供の夜泣きは、夜泣き岩に願掛けする。 願生果たしは二本の竹筒にいれた御神酒。
○蚕種石の苔は蚕のはきたての時期に青くなる。

○応昌寺周辺には、水引女の幽霊が出た。
○聖念塚は、五十山の聖念和尚が生き埋めにされた所、風邪・発熱などのとき願掛けする。
○上人塚は、伝燈大阿亜闍梨翌春上人が入定(入滅)した所..

YAMADA

赤城村伝説(勢多郡赤城村、現渋川市赤城町)

Akagi57

○湧玉には白蛇が住んでいる、汚したり・不浄物を洗うと祟りがある。 雨乞いだけはきいてもらえる。

○勝保沢の清水側に住んでいた「お哲」は超美人だったので、弁天様とよばれた。 その地では、女の子が産まれると「お哲」と名付けるのが流行った。

○おとうか久保には、オトウカが出た。

○上三原田・三島山の大松の木には天狗が住んでいた。 音を聞いた人も多い。

○戦の時、内出城内の松に登り情勢を眺めたので「物見の松」。

○二城主見立権太郎が仲井の田のくろを枕に切腹したので「枕田」となった。 田には..

YAMADA

前橋伝説(2)

Maebashijyou2

○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

YAMADA

前橋伝説(1)

Maebashijyou2

○法燈寺は堂塔伽藍が建つ度に焼けたので、杉の坊の天狗により再建されたがやはり焼けて護摩堂だけ残った。(法は水が去る・燈は火が登る、と書くので凶)

○青梨子・井戸八幡宮は竜巻によってでき、眼病に効くといわれた。 井戸には白蛇が住むと言われるが、覗くと目がつぶれるらしい。

○朝に前橋を出ると、暗くなるころ到着するので「あさくら(朝倉)」。

○蹄石は、八幡太郎義家が八幡山へと馬で飛んだ時の足跡。

○旦那坂には、追いはぎがでた。 そして言った「旦那・旦那」と。

○おこり仏、大きい方をさわると腹..

YAMADA

グンマの昔:藪塚石材軌道

Yabuzuka51

○藪塚石材軌道
 1909年藪塚石材鉄道設立(東武鉄道太田停車場~両毛線大間々停車場を藪塚石運送計画)、1911年太田~藪塚工事開始、当初は馬車鉄道を計画したが「軽便鉄道法」による敷設に変更し人車鉄道で旅客も運んだ。 同年、太田軽便鉄道に改称、設立当初から東武鉄道資本であったため1912年東武鉄道に線路敷設権を譲渡し太田~藪塚本町で蒸気化・軌間変更、1913年東武鉄道として蒸気鉄道線(太田~相老)となった。

Yabuzuka11○藪塚石材鉄道
 1903年藪塚石材株式会社設立、1908年藪塚石材軌道..

YAMADA

妙全の逆さ杉

Gunma_myouzenji

○妙全の逆さ杉(龍澤寺)
 六合村・日影竜沢寺門前に「竜沢寺の大杉・妙全の逆さ杉」がある。 樹齢八百年余、尼僧妙全の杉の杖が逆さのまま根付いたといわれている。

☆グンマでは木が逆さに生える。 たとえば、逆さ杉 ・逆さ桜 ・逆さ梅 ・逆さ柳 ・逆さウツギ、などある。






○逆さ杉(嬬恋村門貝熊野神社)
 弘法大師巡錫のとき、過ぎの枝を逆さにして杖としたものが根付いた。

○逆さ桜(新治村赤谷湖畔)
 上杉謙信が出陣しこの地を通ったとき、馬の鞭に使ったサクラを地にさして、軍勢を占った。 ..





YAMADA

グンマの昔:大光院

Ohta13

○大光院
 1612年徳川家康の命により建設され、住職に呑龍上人が命ぜられた。 大光院は「義重山新田寺大光院」といい、徳川氏始祖の新田義重を祀る寺である。(徳川家の先祖は新田氏であるといわれている) 

Ohta12

Daikouinn26

Donryu26

Nittayoshishige

Ohta32新田義重墓


《グンマを話そう》
○呑竜上人となかずの池
 ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が..

YAMADA

群馬での暮らし:天に昇りそこねたカッパ

Tenkappa

《グンマを話そう》
○天に昇りそこねたカッパ
 ある昔、大間々町下神梅・観音寺辺りの渡良瀬川には高い崖があり淵にはカッパと竜が住みついていた。 水辺から天に昇る竜を見て、カエルは羨ましくて仕方がなかった。 そこで竜をおだて・ご馳走して、ついに一緒に天に連れて行ってもらうことになった。 
 カッパは竜のしっぽをしっかりとくわえた。 竜は、霧の中を・黒雲を突り・口から火を噴き・稲妻の中を・天を目ざした。 怖くなり下を見たカッパはその高さに驚き・恐れ、思わず「アッ~!」と叫んだ。 
..

YAMADA

群馬での暮らし:竜宮城

Tsukiyono

《グンマを話そう》

○竜宮と人魚
 ある昔、桃野村小川に清冶という男がいました。 五人の仲間が集まって「庚申待」をすることになり、さらに仲間を探していたところ、見知らぬ若者が加わりました。 やがてその若者が世話役になり、その若者の家に招かれました。

みんなが利根川の深い淵に着くと、若者が言いました。「これから竜宮城へ招待します」  そして、まばゆい竜宮城でご馳走をいっぱい食べましたが、一皿だけ見たことが無い肉塊があり誰も箸をつけませんでした。 清冶はそっとたもとにしまいました。
 ..

YAMADA

群馬での暮らし:分福茶釜

Karuta_morinji

曹洞宗 青龍山 茂林寺(群馬県館林市堀工町1570)

○ぶんぶく茶釜
 元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。

Chagama

 その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功..

YAMADA

群馬での暮らし:雙林寺

Sourinji

《グンマを話そう》

双林寺の七不思議(北群馬郡子持村:現渋川市)
  白井城の殿様長尾昌賢が、月江禅師や牽牛(琵琶法師)をむかえてこの寺を建てたと言われている。 また、「白井の双林寺」とよばれるこの寺には七つの話が伝わっています。

○開山の一つ拍子木
 何か悪いことがおこりそうになると、夜中に大きな音で鳴る。

○開山のつなぎカヤ
 月江禅師がカヤの実で作った数珠の一粒を蒔いたので、カヤの木の実は糸が通る穴が開いている。

○竜神水(蛇頭水)
 本堂北の湧水は「人増せば水..

YAMADA

群馬での暮らし:竜宮の椀

Karuta_fukiwari

《グンマを話そう》
○利根村:竜宮の椀
 吹割の滝の底は竜宮に続いていると言われていました。 ある昔、利根村追貝の若者が嫁をもらうことになりましたが、貧しくて客用の膳と椀がありません。 そこで竜宮にお願いしようと、滝の上手から手紙を流しました。 翌日滝へ行くと、お願いした膳と椀が岩の上に置いてありました。 嫁迎えを無事すませた若者は、膳と椀をきれいに洗って返しました。 やがてこの話が広がり、多くの村人が膳や椀を借りることが出来ました。
 ただ、ある村人が返し忘れたことがありました..

YAMADA

群馬での暮らし:三峰山

Mitsumine

《グンマを話そう》
月夜野町(現みなかみ町月夜野)には伝説がいっぱいあります。

○雨ごい石
 河内神社近くに三つの石があり、火を燃やして竜神に雨乞いすると雨が降ると言われています。

○石神峠の泣き石
 峠の「泣きい」が濡れると雨が降ると言われていました。

○からしな姫の石
 後閑佑房の側室「からしな姫」が奥方毒殺を図ったが見つかり生き埋めにされ、その上に置かれた石が日に日に大きくなり「毒石」と呼ばれるようになり、「加良志奈神」として祭り納めたと言われています。(寛政中頃)

○げえろ石と..

YAMADA

群馬での暮らし:錦野伝説(玉村伝説)

Manpukuji

《グンマを話そう》
○錦野伝説(玉村伝説)
 千年ほど前上野の土豪たちは、平将門の攻めから逃れようと、沼田の庄(現玉村町芝根)の地頭の娘を差し出すことにしました。 しかしながらこの娘には、許婚がいました。 親子ともども悩んだあげく、娘は錦野(現玉村)にいる許婚のもとへと走りました。 ところが、矢川まで逃げた所で追い詰められ川に身を投げてしまいました。 このことを知った許婚はたいへん嘆き悲しみ、後を追ってこの矢川に身を投げてしまいました。 その後この二人は竜となり、それぞれに玉を抱..

YAMADA

群馬での暮らし:龍の鱗

Zendouji

《グンマを話そう》

○龍の鱗
 吾妻町・善導寺の円光上人(道阿上人の説もある)の母(娘の説もある)が榛名湖に身を投げ龍(大蛇の説もある)になった伝説があり、その「龍の鱗」が残されている。

○大蛇になった寺のばあさん
 ある昔、寺の婆さんがあまりにも「榛名湖へ連れて行け」というので、家の者が榛名湖の畔へと連れて行った。 すると榛名湖の中から大蛇が現れ、おばあさんが湖に飛び込むと大蛇と一体になり湖底へと消えてしまった。  それからというもの、毎年5月25日の命日には、赤飯を重箱に入れ..

YAMADA

駄菓子 (1437)

山田君の世界

五色バナナ
 (有限会社ふうりん堂@千葉県印旛郡栄町竜角寺台6-1-2)

○五色バナナ
 詰め替え製品だと思われる。

Dagashi1437b

YAMADA

参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

YAMADA