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鎌倉橋

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○鎌倉橋の碑・鎌倉橋記念緑地
 川口市本町1-8

 鎌倉街道中道が入間川を渡る岩淵郷、室町時代には橋があり、通行する人々から橋賃を徴収し・鎌倉大蔵稲荷社の修理に当てていた。 当初の橋は、川の形態からして浮橋(舟橋)だったと考えられる。

舟橋 について

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YAMADA

佐野の渡し

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○佐野のわたし・上信電鉄
 高崎市上佐野町

佐野の渡し について

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☆佐野の船橋歌碑
 むかし、烏川という川ををはさんで二つの村があり、それぞれに朝日の長者と夕日の長者が住んでいました。  村人たちは二つの村の間に船橋を作って行きを来していました。 朝日の長者にはナミという娘が・夕日の長者には小治朗という息子がいましたが、2人はいつしか舟橋を渡ってデートを重ねるようになりました。 しかしある夜デートの邪魔のために船橋の..

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高崎伝説(2/3)

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○1793年、岩鼻陣屋創設、現日本化薬地。

○1616年、下小鳥にて高崎藩検見あるもその厳しさに村人が役人を殺害。 藩主松平丹波守が激怒・出兵し、部落皆殺しにしたのが「首塚」。

○高崎はたばこの産地、「館たばこ」で有名だった。

○田嶋元七が蛇場見の谷川で水に石油気が含まれているのを見て、乗附山に石炭があるのを確信した。(1874年) 後にこの亜炭がも富岡製糸場・新町紡績所でも使われた。

○京ヶ島にある井戸が「七つ井戸」or「いろは井戸」。 弘法大師が掘ったといわれている。 
※実..

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グンマの昔:佐野の渡し場

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○佐野の渡し場・佐野窪橋
 渡し場があったりなかったりという時代を繰り返したとされる。


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○佐野の船橋

☆かみつけの佐野の舟橋とりはなし 親はさくれど吾はさかるがへ (万葉集東歌)

 ある昔、烏川を挟んで、佐野の里の飯野主馬の一人娘那美と片岡の片岡民部の一人息子小治郎が恋い慕い、夜になると船橋を渡ってあう瀬を楽しんでいた。 これを知った那美の乳母が仲をさこうと、密かに橋板を幾枚か取り外してしまった。 何も知らない二人は隙間から川に落ち暗い流れの中へと消えていった。 

Funahashi61

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