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武州鉄道 メモ

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武州鉄道 メモ


○停車場道路工事記念碑

停車場 について
軌道 について

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○武州鉄道
 明治四十三年中央軽便電気鉄道株式会社設立(川口町~春岡村宮ヶ谷塔、最終的には東京~日光を目指した)、明治四十四年中央鉄道株式会社に社名変更(川口町~岩槻町林道枡形とし、電車をあきらめ汽車とした)、大正八年武州鉄道株式会社に改称。 営業時は、蓮田・馬込・河合・岩槻北口・岩槻本通・岩槻・真福寺・浮谷・笹久保・武州野田・武州大門・下大門・行衛・神..

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二子山古墳

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さきたま古墳公園・埼玉古墳群
 行田市埼玉

○二子山古墳
 武蔵国最大の前方後円墳

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☆二子山古墳は、稲荷山古墳の南側、埼玉古墳群のほぼ中央にあたります。長さ138m、埼玉古墳群の中で、そしてかつての武蔵国の中でも最大の前方後円墳です。名前は、前方部と後円部という二つの山が連結したような形からついたもので、「観音寺山」とも呼ばれていました。 「二(双)子山」という名の古墳は全国各地にみられます。墳丘は二重の堀に囲まれており、それを含めた長さは南北240m以上になります。 ..

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海運丸 メモ

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○海運丸・蒸気船
 明治九年十月平野冨二が石川島平野造船所創立、明治十年二月蒸気船建造。  内国通運会社が隅田川・江戸川・利根川を経て銚子まで就航、1937年日本通運に統合。

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○海運丸(明治十年頃)

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○海運丸(1927年)

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○東京通船・高橋発着所

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○東京通船・両国発着所(大正八年)

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○両国橋(明治十年頃)

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隅田川 メモ

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○海運丸・蒸気船
 明治九年十月平野冨二が石川島平野造船所創立、明治十年二月蒸気船建造。  内国通運会社が隅田川・江戸川・利根川を経て銚子まで就航、1937年日本通運に統合。

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○川蒸気船・一銭蒸気
 明治十八年隅田川汽船株式会社が、千住大橋~八丁堀中の橋間開航。

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帆船日本丸 (1)

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○帆船日本丸
 神奈川県横浜市西区みなとみらい2-1-1、月休

 横浜船渠株式会社第一号ドック・明治三十一年竣工

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船舶 について

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☆帆船日本丸
建造主:文部省航海訓練所
昭和/1930
2,278総トン、全長97m
 文部省航海訓練所の練習帆船として1930(昭和5)年に建造。戦中戦後の徴用の時期を除き、引退する1984(昭和59)年までに地球45.4周分の距離を航海し約11,500名の船員を養成した。1984(昭和59)年に横浜..

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帆船日本丸 (2)

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○帆船日本丸
 神奈川県横浜市西区みなとみらい2-1-1、月休

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帆船日本丸 (3)

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○帆船日本丸
 神奈川県横浜市西区みなとみらい2-1-1、月休

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エアーコンプレッサー

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○エアーコンプレッサー・ニューマチックツール社・1918年(機械遺産)
 横浜市西区みなとみらい・日本丸先道路付近に2ヶ所

 明治二十四年有限会社横浜船渠設立、1935年三菱重工業株式会社と合併し横浜船渠、1952年三菱日本重工業株式会社横浜造船所、1964年三菱重工業株式会社、1966年本牧工場新設、1982年本牧・金沢工場へ移転。

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Yokohama_08汽車道

汽車 について

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雲鷹丸

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東京海洋大学
 東京海洋大学・東京都港区港南4-5-7

○雲鷹丸
 快鷹丸遭難により急遽建造された。 明治四十二年二月二十一日進水、カムチャッカ漁場開拓・カニ工船事業に使われ、1929年8月廃船。
※蟹は海水で煮熱後・海水に浸して冷やしたといわれる

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東京海洋大学 について

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雲鷹丸 メモ

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☆東京水産大学・雲鷹丸
明治/1909
鋼製帆船,長さ41.2m,最大幅8.7m
 東京水産大学の前身である農商務省水産講習所の練習船として大阪鉄工所桜島工場で建造された。3本マストのバーク型「鋼製補助機関付」帆船で,国産鋼製船舶としては現存最古のものになる。昭和37年,大学のシンボルとして喫水線上部が現位置に移設された。

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氷川丸 (1)

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○日本郵船氷川丸
 神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先、月休、045-641-4362

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日本郵船 について

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氷川丸 (2)

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○日本郵船氷川丸
 神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先、月休、045-641-4362

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氷川丸 (3)

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○日本郵船氷川丸
 神奈川県横浜市中区山下町山下公園地先、月休、045-641-4362

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丸の内 メモ

Marunouchi_01(丸ノ内年鑑・昭和6年版・丸ノ内クラブ社)

丸ノ内ビルヂング

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東京商工會議所

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帝國劇場

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有樂館

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昭和ビルヂング

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三菱銀行

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帝國ホテル

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東京銀行集會所

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丸ノ内警察署

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市政會館

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郵船ビルヂング

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永樂ビルヂング

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三信ビルヂング

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電氣倶楽部

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三菱本館

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東京海上ビルヂング南館

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東京海上ビルヂング新館

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日本工業倶樂部

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生命保険會社協會

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東京會舘

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明治丸 (1)

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○明治丸
 東京海洋大学
 東京都江東区越中島2-1-6、火木開、03-5245-7300

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江東区 について

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☆明治丸の概要
 明治丸は、明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡廻業務用に発注し、明治7年に竣工した鉄船(現在の船はすべて鋼船)で、翌8年横浜に回航されました。
 一等飛脚船同様の出来と言われたこの船は、特別室やサロンを備えた豪華な仕様の新鋭船で、単に燈台業務ばかりでなく、ロイヤルシップの役目も兼ねていま..

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八潮市立資料館 (1)

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八潮市立資料館
 (八潮市南後谷763-50、月休、048-997-6666)

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八潮市 について

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☆八潮市垳
 他には無い地名。 八潮は、八幡村・潮止村・八條村が合併してできた。



八潮のむかしばなし

○月夜に光る丸木舟(西袋・柳之宮)
 西袋の蓮華寺のわきの田んぼは、まん月の晩にかぎって、ピカッ、ピカッと光ったそうな。 何でも、そのように光るところには、丸木舟がうまっているそうな。 


○たから船のちんぼつ(大原・浮塚・南川崎)
 むかし、八潮は海だった。 この海をば、..

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与野本町・メモ

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○松本家住宅・与野市
 明治時代初期、肥料問屋。

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○柏家住宅・与野市
 江戸時代末、足袋商後に醤油商。
※柏計助家:四代目足袋製造、後に醤油醸造販売。

☆柏家は、二階部分が一階よりも張り出した「せがい造り(船枻)」。 出張りにより軒先を持ち出し・軒先下を板張りにしてある。 大門宿本陣(元禄七年)が、県内で一番古いせがい造り。

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○中村家住宅・与野市
 明治時代、酒醸造業後に織布工場。

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○中村家土蔵・与野市
 明治三十年、材木商。

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○望月家住宅・与野市

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○福田家住宅・与野市  改築

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会社名源

Dagashi1838a[会社名源]メモ



○UHA味覚糖
 遊波。

○アツギ
 1947年堀禄助が海老名市に「厚木編織」創業、捕鯨ロープ生産。 海老名より厚木の方が有名だろうと。 
※パンテイストッキングもアツギ

○アロンアルファ・東亞合成
 旧社名矢作工業の矢(arrow)が源。 アルファはアルファシアノアクリレート(薬品名)。

○アンメルツ・小林製薬
 按摩+メルツ(薬品化学用語)=アンメルツ。

○イカリソース
 明治二十八年創業者木村幸次郎が乗った船が、中国沖で火事になり・海に飛び込んださい、救..

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日本語源

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[日本語源]メモ



○アイガモ
 カモ×アヒルでアイガモ、鴨のいない季節の意。

○あこう鯛
 カサゴの一種、赤魚鯛。

○あこぎ・阿漕
 三重阿漕浦のこと、伊勢神宮献上用の神聖な海で、平治(平次)が病気の母親に食べさせようと密漁を繰り返した。

○あべかわ餅
 徳川家康が「安倍川餅」と命名したとも。
※慶長年間徳川家康が笹山金山を訪れたおり出された「安倍川の金な粉もち」が気に入り、安倍川地方の名物となった。

○あみだくじ
 阿弥陀くじ、古くは後光のごとく放射状の線だった。
※平等な..

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青函連絡船

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羊蹄丸一等ロビー

青函連絡船 について

Seikan_towada1十和田丸食堂

Seikan_towada2十和田丸二等ロビー

Seikan_towada3十和田丸二等座席

Seikan_towada4十和田丸三等座席

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Seikan02_1964一等指定席(後のグリーン自由席)

Seikan03_1964二等座席

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日光御成街道

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[鳩ヶ谷散歩・まちあるき]

○昭和橋
 かつては、岩槻街道に沿った平柳領用水を渡る幅一間ほどの橋があった。 1929年県道浦和草加線が開通し、岩槻街道との交差点・菅岩桶屋跡に昭和橋交差点ができた。 昭和橋角・鳥初商店前には「せうわばし」の石標があったが、今は無い。

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○星野食品
 豆腐屋、おでんも美味しい。 おからドーナツもある。

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○川村水産
 お寿司が美味しい、一軒隣の総菜屋も安くて美味しい。

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○藤屋木暮
 手焼き煎餅、海苔煎餅が美味しい。

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○オルフロードミカド
 パンならこ..

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記念艦みかさ

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記念艦みかさ(戦艦三笠)
 (三笠保存会@横須賀市稲岡町82-19)
 明治三十五年三月竣工、大正十二年九月廃船、関東大地震で浸水したため大正十五年横須賀に保存、1958年三笠保存会が修理・復元、1961年公開。

三笠丸

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戦艦三笠

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戦艦三笠
 明治三十五年三月竣工

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☆戦艦三笠
 明治三十八年九月十二日、佐世保港で火薬庫が爆発し沈没した。 その後、引き上げ・修理し第一次世界大戦で使われた。

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Mikasa_meiji三笠・明治時代

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○明治丸(明治六年建造)

☆船名の丸
 大切なものに「麿呂」とつけたともいわれる。 また、「船舶法取扱手続」でも推奨していた。(後に廃止された)

☆テイッシュペーパー
 1914年ヨーロッパ第一次世界大戦で使われた防毒マスクのフィルター、戦争が終わり余っ..

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山縣商店

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株式会社 山縣商店
 (東京都台東区蔵前2-2-2)

 昔は花火問屋、今はブリキ玩具も。

ブリキ について

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蔵前界隈


☆蔵前
 幕府の米蔵があった。

☆問屋
 鎌倉室町時代、領主の命により年貢米の保管・輸送の任務に当たったのが「問職」、船輸送の仲立ちをしたのが「問丸」、陸上輸送をするようになり「問屋」とよんだ。

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見沼通船堀

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見沼通船堀

 さいたま市緑区大間木・山口新田
 川口市東内野

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Omagitsusen

尾間木通船堀


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○木曽呂の富士塚
川口市大字東内野594-6ほか
 この富士塚は、寛政12年(1800)に富士講の一派、丸参講の信者の発願により築造されたものである。高さは5.4m、直径約20mで、塚全体が盛土で築かれている。頂上には火口が掘ってあり、かつては胎内くぐりの穴も設けられていた。また、富士塚ならびに周囲には、丸参講により造立された石造物が多く..

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江戸名物菓子

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○江戸名物菓子
 鈴木越後のようかん、鳥飼和泉のまんぢう、塩瀬のまんぢう、越後屋播磨の菓子、翁屋の翁せんべい、両国若松屋のいくよもち、浅草金竜山もち、吉原竹村の最中月、麹町たちばなやの助惣やき、麹町鈴木兵庫の菊一せんべい、麹町おてつぼたもち、深川船橋屋のねりようかん、向島長命寺の桜もち。

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南蛮菓子
 室町時代ポルトガル船により南蛮菓子がもたらされた。 それらが、長崎カステラ・佐賀ボーロ・ビスカウト・鶏卵ソウメン(鶏卵素麺)・アルヘイ(有平糖)、などである。

○鶏卵素麺
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青函連絡船:摩周丸

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摩周丸

摩周丸:1948年8月就航、1964年10月終航。

摩周丸(2代目):1965年6月30日就航、1988年3月13日下り5便として運航終了。 現在、函館駅近くの「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として見学可。 八甲田丸と同様、係留船である。

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青函連絡船:大雪丸

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大雪丸

大雪丸:1948年11月就航、1964年8月終航。 1964年に三洋商事を通じてギリシャに売却されカーフェリーに改造、1991年12月6日アドリア海で沈没。

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大雪丸(2代目):1965年5月16日就航、1988年1月6日検査期限により航路廃止よりやや早く終航した(下り171便函館着6時25分)。 札幌五輪の聖火輸送船。 売却後長崎港でホテルシップ「VICTORIA」として使用されたが、2005年12月20日営業終了。 2008年5月2日中国の船舶会社が買収し、福建省に回..

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青函連絡船:八甲田丸

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八甲田丸

八甲田丸:1964年8月12日就航、1988年3月13日下り7便、青森側最終便として運航終了。 現在、青森駅北側の旧桟橋に係留され、「メモリアルシップ八甲田丸」として見学可能。 自力航行は不可能な「係留船」である。 

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青函連絡船:津軽丸

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津軽丸
津軽丸:1924年10月就航、1945年7月14日、空襲沈没。

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津軽丸(2代目)・浦賀:1964年5月10日就航。 青函航路初の自動化第1船。 客船ながら、これまでの貨車航送船よりも多い48両の貨車を積載する大型船。 運航時間も在来船の4時間30分から3時間50分に短縮され「海の新幹線」といわれた。 以後建造された客貨船はすべて津軽丸型。 1982年3月4日下り5便で運航終了。 1983年3月に北朝鮮に売却。 その後再び転売されメッカ巡礼船となったが、エジプト政府に差..

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青函連絡船:十和田丸

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十和田丸

十和田丸(車載客船→貨車航送船)・新三菱重工業神戸:1957年10月就航、1966年10月終航。 洞爺丸の代船として活躍後、貨車航送船に改造。 石狩丸(2代目)として1967年5月就航、1977年3月終航。 

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十和田丸(2代目):1966年11月1日就航。 1988年3月13日上り20便として運航終了(青森到着後、夜半に函館に回航)。 同年の復活運航でも使用された。 「津軽丸」型では最も新しく、1981年に、横揺れを軽減するフィンスタビライザーが装着された。 羊蹄丸な..

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青函連絡船:空知丸

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○空知丸

空知丸(貨車航送船):1955年9月就航、1976年2月終航。 洞爺丸台風で失った船の代船。

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空知丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1976年4月就航。 空知丸以降に建造された3隻は、渡島丸とは各部の仕様が異なる。 1988年3月12日終航。 売却後1991年に石狩丸(3代目)と同じギリシャの海運会社「ポセイドンライン」に転売された。 そこで客室新設改造をされ、地中海航路で活躍したが、その後航路休止にともない2004年以降係船され、韓国の会社へ転売、さらに20..

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青函連絡船:檜山丸

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○檜山丸

檜山丸(貨車航送船):1955年9月就航、1976年7月終航。 1954年の洞爺丸台風で失った船の代船として建造された第1船。 青函航路初のディーゼル機関。 以後建造船はすべてディーゼル機関。 

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檜山丸(2代目)(貨車航送船→車載客船)(貨車55両):1976年8月就航、1982年に「津軽丸」型で、老朽化が進み、かつ他船との仕様の差異が大きかった「津軽丸」と「松前丸」2隻を廃船とし、その代替として石狩丸とともに客貨船に改造。 1988年3月13日終航。 売却後改造工事を..

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青函連絡船:羊蹄丸

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羊蹄丸

羊蹄丸:1948年5月就航、1965年6月終航。 

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羊蹄丸(2代目):1965年8月就航、1988年3月13日上り22便、函館側最終便として運航終了(青森到着後、夜半に函館に回航)。 同年の暫定運航でも使用された。 終航後は日本海事科学振興財団が取得。 1992年にジェノヴァ国際博覧会日本館パビリオンとして使用後、1996年3月から2011年9月まで東京港に係留されて船の科学館別館「フローティングパビリオン羊蹄丸」として展示公開された。 2012年3月に新居浜東港へ回航..

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青函連絡船:洞爺丸

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洞爺丸

洞爺丸:1947年11月就航、1954年9月26日、台風沈没。 

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青函連絡船:日高丸

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○日高丸

日高丸(貨車航送船):1948年10月就航、1954年9月26日、台風沈没。 1956年浮揚復航、1969年9月終航。

日高丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1970年4月就航、1984年1月終航。 1987年売却され、後に韓国で解体。 1980年10月から1982年3月まで係船。   

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青函連絡船:北見丸

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○北見丸

北見丸(貨車航送船):1948年2月就航、1954年9月26日、台風沈没。 

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青函連絡船:渡島丸

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○渡島丸

渡島丸(貨車航送船):1948年7月就航、1965年8月終航。 1950年10月洞爺丸と同時に日本の商船初のレーダーを取り付け。 

渡島丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1969年10月就航、1978年10月終航。 1984年函館どっくで解体。 在籍したうちの6年半は使用されずに係船されていた。 なお解体直前に摩周丸火災事故の現場検証で船橋部分の燃焼実験が行われた。 

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青函連絡船:十勝丸

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○十勝丸

十勝丸(貨車航送船):1948年4月就航、1954年9月26日、台風沈没。 1956年浮揚復航、1970年3月終航。 青函航路に最後まで残ったタービン船だった。 

十勝丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1970年7月就航、1984年1月終航。 1987年売却、台湾にて解体。 

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青函連絡船:石狩丸

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○石狩丸

石狩丸(車載客船→貨車航送船):1946年7月就航。 デッキハウスを設置して竣工したが、1958年7月に撤去。 1965年9月終航。

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石狩丸(3代目)(貨車航送船→車載客船)(貨車55両):1977年5月就航、1982年に「檜山丸」とともに客貨船に改造され同年3月31日から就航。 「石狩丸」「檜山丸」はグリーン船室・寝台・食堂がなく、運用が甲便に限定されていた。 香港、キプロスを経てギリシャへ転売され、空知丸と同じ地中海航路で活躍した。 その後も2005年まで現役で活..

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青函連絡船:昌慶丸

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○昌慶丸

昌慶丸(客船):元・関釜連絡船。 1947-1948年青函航路就航。 洞爺丸事故後、乗組員訓練船として函館港に繋留。 

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青函連絡船:宗谷丸

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○宗谷丸

宗谷丸(貨客船):元・稚泊連絡船。 1945年10月-1950年10月、1954年10月-1954年12月青函航路就航。 

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青函連絡船:新羅丸

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○新羅丸

新羅丸(貨物船):元・関釜連絡船1942-1945年就航、1945年5月、触雷沈没

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青函連絡船:第十二青函丸

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○第十二青函丸

第十二青函丸(車載客船→貨車航送船):1946年5月就航。 建造中にデッキハウスを造設したが、1957年6月に撤去。 1965年7月終航。 

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青函連絡船:第十一青函丸

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○第十一青函丸

第十一青函丸(貨車航送船→車載客船):1945年10月就航、1946年9月に客室造設。 1954年9月26日、台風沈没。 

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YAMADA

青函連絡船:第九青函丸

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○第九青函丸

第九青函丸(貨車航送船):1945年2月15日竣工、2月27日函館へ回航中勝浦沖で米潜水艦を警戒して座礁、沈没。 一度も営業就航することなく沈没した。 

YAMADA

青函連絡船:第八青函丸

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○第八青函丸

第八青函丸(貨車航送船→車載客船):1944年11月就航、1946年4月にデッキハウスを造設し車載客船となる。 1964年11月終航。 

YAMADA

青函連絡船:徳寿丸

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○徳寿丸

徳寿丸(客船):元・関釜連絡船。 1954-1957年、洞爺丸の代船として旅客便に限定就航。 青函航路撤退後下関に係留。 1961年解体。 

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青函連絡船:第七青函丸

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○第七青函丸

第七青函丸(貨車航送船→車載客船):1944年7月就航、1947年9月にデッキハウスを造設し車載客船となる。 1964年12月終航。 

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青函連絡船:第六青函丸

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○第六青函丸

第六青函丸(貨車航送船→車載客船):1944年3月竣工、1945年7月14日、空襲沈没。 浮揚復航後1964年5月終航。

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青函連絡船:第四青函丸

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第四青函丸

第四青函丸(貨車航送船):1943年3月就航、W型戦時標準船の原型、1945年7月14日、空襲沈没。 

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青函連絡船:第三青函丸

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○第三青函丸

第三青函丸(貨車航送船):1939年11月就航、1945年7月14日、空襲沈没。

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青函連絡船:第二青函丸

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○第二青函丸

第二青函丸(貨車航送船):1930年9月就航、1945年7月14日、空襲沈没。

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青函連絡船:第一青函丸

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○第一青函丸

第一青函丸(貨車航送船第一船):1926年12月就航、1945年7月15日、空襲沈没。

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Seikan62

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青函連絡船:飛鸞丸

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○飛鸞丸

飛鸞丸:1924年12月就航、1945年7月14日、空襲沈没。

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Seikan63

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青函連絡船:松前丸

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松前丸

松前丸:1924年11月就航、1945年7月14日、空襲炎上座礁。 

松前丸(2代目):1964年12月1日就航。 津軽丸と本船は他船と甲板補機などの機器の違いが多かったことが早期に廃船となった理由とされる。 1982年11月12日下り21便で運航終了。 1983年に落札され、翌年北朝鮮に転売。 数年間元山港に係留されていたが解体された。 

Matsumae82

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青函連絡船:翔鳳丸

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○翔鳳丸

翔鳳丸:1924年5月就航、1945年7月14日、空襲沈没。 青函航路初の車両渡船。 

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Seikan54

Seikan53

Seikan41甲板

Seikan43二等船室

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青函連絡船:壱岐丸

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○壱岐丸
壱岐丸(貨客船):元関釜・稚泊連絡船。 1922-1924年青函航路就航。 1932年大阪商船に売却(樺太丸)。 1945-47年青函航路復帰。 

壱岐丸(第2代目)(貨物船):元関釜連絡船。 1945-1948年青函航路就航。 国家賠償として1950年に朝鮮郵船へ譲渡。 

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青函連絡船:第二快運丸

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○第二快運丸

第二快運丸(経理局保有の石炭輸送船):1919年4月就航。 1925年9月係船。 

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青函連絡船:第一快運丸

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○第一快運丸

第一快運丸(経理局保有の石炭輸送船):1919年4月就航。 1925年9月係船。 

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青函連絡船:白神丸

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○白神丸

白神丸(木造貨物船):1918年6月就航。 1925年9月係船。 

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青函連絡船:田村丸

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○田村丸

田村丸(貨客船):1908年4月就航、1924年12月終航。 一時復航後、1929年大阪商船に売却。 

Tamura92

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Aomori41青森桟橋

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青函連絡船:比羅夫丸

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○比羅夫丸

比羅夫丸(貨客船):1908年3月就航、1924年10月終航。 大阪商船に賃貸後、1929年大阪商船に売却。 

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青函連絡船メモ

Touyamaru8

<青函連絡船メモ>

亜庭丸(貨客船):元・稚泊連絡船。 1945年7月転属就航、1945年8月10日、空襲沈没。 

壱岐丸(貨客船):元関釜・稚泊連絡船。 1922-1924年青函航路就航。 1932年大阪商船に売却(樺太丸)。 1945-47年青函航路復帰。 

壱岐丸(第2代目)(貨物船):元関釜連絡船。 1945-1948年青函航路就航。 国家賠償として1950年に朝鮮郵船へ譲渡。 

空知丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1976年4月就航。 空知丸以降に建造された3隻は..

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上野国鉱泉一覧

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☆現在、グンマには約461の源泉(温泉地数は203ヶ所)がある。
 カルシウム鉱泉(黒保根)、 伊香保温泉、 磯部鉱泉、 猿ケ京温泉、 塩川鉱泉、 塩之沢温泉(上野村)、 塩平林鉱泉(多野郡日野)、 奥平温泉、 応徳温泉、 温泉沢鉱泉(碓氷坂本)、 下仁田鉱泉、 花敷温泉、 我楽目嬉鉱泉(がら)、 蟹沢鉱泉(原市)、 開場温泉(利根郡東村老神)、 勧能鉱泉(南牧村・勧能)、 丸沼温泉、 亀沢鉱泉(碓氷川浦)、 吉ケ谷鉱泉、 錦山荘鉱泉(清水鉱泉)、 穴原温泉(利根郡東村老神)、..

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群馬での暮らし:群馬の地名

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○どこまで知ってる群馬の地名
 鮎川(あいがわ)、 間の島(あいのしま)、 赤岩(あかいわ)、 秋畑(あきはた)、 秋間(あきま)、 足次(あしつぐ)、 四阿山(あずまやさん)、 穴原(あなばら)、 雨沼(あめぬま)、 新井町(あらいちょう)、 荒牧(あらまき)、 新巻(あらまき)、 新町(あらまち)、 有馬(ありま)、 安堀(あんぼり)、 安養寺(あんようじ)、

 伊香保(いかほ)、 石上(いしがみ)、 石田川(いしだがわ)、 伊勢町(いせまち)、 市(いち)、 稲荷(いなり..

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邑楽伝説(邑楽郡、現板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町)

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○玉取姫
 秋妻村の長者の娘は、どうしても「竜宮の玉」が欲しくてたまらなかった。 意を決し・命と引き換える覚悟で竜宮に行くと、玉を手にし帰ろうとした時、竜神に追いかけられ・門の敷居につまづき、やっとのことで玉を自分の乳房の中に隠して逃げ帰った。  しかしながら、この傷がもとで死んでしまった。 こうして、秋妻では門を立てないとした。

○万寿二年、宝日向なる者が来て、沼の辺に居を構え・釜の鋳造(鋳物)を始めた。 なので地名「日向」、鋳物につかうフイゴ(タタラ)から「多々良沼」とよ..

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太田伝説(2)

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○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

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前橋伝説(1)

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○法燈寺は堂塔伽藍が建つ度に焼けたので、杉の坊の天狗により再建されたがやはり焼けて護摩堂だけ残った。(法は水が去る・燈は火が登る、と書くので凶)

○青梨子・井戸八幡宮は竜巻によってでき、眼病に効くといわれた。 井戸には白蛇が住むと言われるが、覗くと目がつぶれるらしい。

○朝に前橋を出ると、暗くなるころ到着するので「あさくら(朝倉)」。

○蹄石は、八幡太郎義家が八幡山へと馬で飛んだ時の足跡。

○旦那坂には、追いはぎがでた。 そして言った「旦那・旦那」と。

○おこり仏、大きい方をさわると腹..

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グンマの温泉

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どこまで解るグンマの温泉。(温泉一覧)

 グンマには約461の源泉(温泉地数は203ヶ所)があり、約1/3が自然湧出泉で北部に多く・南部には掘削泉が多くある。  近年東部平野部で1000m以上掘る「大深度掘削泉」が広まった。(グンマ何処でも1000m掘れば,60℃程の温泉が湧くともいわれる) ただし、この大深度温泉水は地下停滞水と考えられ限りあるといわれている。
※泉温25℃未満は冷鉱泉。
※老神温泉や猿ヶ京温泉はダム建設で移転した掘削泉。

 カルシウム鉱泉(黒保根)、 伊香保温..

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グンマの昔:大木丸と木の葉姫

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《グンマを話そう》

○大木丸と木の葉姫・吾妻郡
 ある昔、おじいさんおばあさんとあった。 ある日、おじいさんが山へしばきりに行き「男の子」をひろい、おばあさんが川へあらいものに行き木の葉の船にのった「女の子」をひろってきた。 そしては、大木丸と木の葉姫と名付けた。
 ある日遊びに行った二人は道に迷い鬼婆に捕まりそうになるも、一人の女の人に助けられ「弓矢と包丁」をもらい家へと戻ることができた。
 やがて、大木丸は狩の名人・木の葉姫は料理の名人となった。 あの時の女の人こそ、本当..

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おはぎ

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創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗
おはぎ
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637)

 ○[つぶ・こし・きなこ・ごま]、がある。 福嶋屋の「つぶ餡」と「こし餡」は全くの別物、両方食べてみるべし。

 

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※「ぼたもち(牡丹餅)」と「おはぎ(御萩)」については諸説ある。


《グンマ語を話そう》
○「はんごろし」とは餅をつぶしきらない状態を言います、半煮えのご飯もこう言います。  餅を完全につぶしきった状態は、「みなごろし」・「まるごろし」です。(手打ち=うどん、半殺し=お..

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青函連絡船 八甲田丸(6)

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青函連絡船 十和田丸(5)

山田君の世界

十和田丸
 (天賞堂、縮尺1/500、2009年中国製)

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青函連絡船 羊蹄丸(5)

山田君の世界

羊蹄丸
 (天賞堂、縮尺1/500、2009年中国製)

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青函連絡船 摩周丸(6)

山田君の世界

摩周丸
 (天賞堂、縮尺1/500、2009年中国製)

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青函連絡船 大雪丸(5)

山田君の世界

大雪丸
 (天賞堂、縮尺1/500、2009年中国製)

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Taisetsu_5b

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青函連絡船 松前丸(4)

山田君の世界

松前丸
 (天賞堂、縮尺1/500、2009年中国製)

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Matsumae_9d

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青函連絡船 八甲田丸(5)

山田君の世界

八甲田丸
 (天賞堂、縮尺1/500、2009年中国製)

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Hakkouda_11b

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青函連絡船 津軽丸(5)

山田君の世界

津軽丸
 (天賞堂、縮尺1/500、2009年中国製)

Tsugal_1c

[わーい(嬉しい顔)] 買おうかどうか迷っていたが、やはり買ってしまった…

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Tsugal_1e

Tsugal_1b

【青函連絡船・津軽丸】
1964年、浦賀重工
旅客   1200名
車両   48両
全長   約130m
幅    17.9m
きっ水  5.2m
総トン数 約7800t
速力   18.2ノット
馬力   1600ps×8基

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プラモデル (04)

山田君の世界

バンモデリング 1/700 マルチマテリアルキット
I日本国有鉄道青函連絡船 洞爺丸

○BAN MODELING(バンモデリング:[あいの里ホビー2]扱い), No.BM-SK08, 縮尺1/700。


[船] 作るのはいつの事になるやら…

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写真集 青函連絡船

山田君の世界

[ 写真集 青函連絡船 ]
 金丸大作著
 朝日イブニングニュース社発行

が出てきたので、右記のアルバムに写真を追加しました。

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こちらは、

[ 青函連絡船の記録 ]
 金丸大作著
 生活情報センター発行

同じ写真も多い。

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氷川丸

山田君の世界 日本郵船株式会社 氷川丸




氷川丸→氷川神社→大宮市(さいたま市)→埼玉県→埼玉丸?

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日本郵船歴史博物館


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氷川丸食堂

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埼玉丸

山田君の世界 日本郵船株式会社 埼玉丸


1959年4月11日
三菱日本重工業株式会社横浜造船所

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○日本郵船・秩父丸
 秩父丸の船内売店は三越の出店であった。

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Chichibumaru2

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Usei_chichibumaru1☆秩父丸

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Usei_chichibumaru3

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摩周丸

山田君の世界

[4本煙突の時代]

青森~函館間:4時間半。 後に、緑色に塗り替えられた。

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この大きさでも、海が荒れると、船体がミシミシ 音を立てた。(内装に木材が使われていたのかもしれない)

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2等椅子席(指定席)、現在のグリーン。

この当時の接続列車は蒸気機関車だったので、連絡船内の風呂(今思えば、船員用風呂だろう)を使わせてもらう乗客も結構いた。

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3等椅子席、現在の普通。

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3等座席。 この当時の3等席は、車両甲板の下(積み込んだ貨車の下)にあり..

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羊蹄丸

山田君の世界

羊蹄丸を観に、船の科学館(お台場)へ。

 本当は、摩周丸or八甲田丸を観に行くつもりだった…

操舵室と一等船室デッキ(左舷)。 デッキ左側は一等(後にグリーン)指定席(椅子98席)、その先は座席(桟敷枡席)、一番手前のドアはシャワー室であった。 指定席の船首寄りは寝台室(5室)があった、でも寝台室には窓が無かった。

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青函連絡船 摩周丸(5)

摩周丸

摩周丸、1/1250 (小西製作所)。

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青函連絡船 石狩丸(4)


本来の青函連絡船ではないが。

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青函連絡船 十和田丸(4)

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青函連絡船 津軽丸(4)

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青函連絡船 八甲田丸(4)

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青函連絡船 羊蹄丸(4)

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青函連絡船 大雪丸(4)

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青函連絡船 摩周丸(4)

しばらくは、引退間近の船景となります。 

(摩周丸の乗組員は、ほとんどが函館に住んでいた。)

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青函連絡船 羊蹄丸(3)


新造船シリーズ3は、ひとまず終了。 次回は、引退間近の写真を掲載します。

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青函連絡船 摩周丸(3)

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青函連絡船 十和田丸(3)

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青函連絡船 大雪丸(3)

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青函連絡船 松前丸(3)

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青函連絡船 八甲田丸(3)

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青函連絡船 津軽丸(3)

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青函連絡船 甲板(3)

しばらくは、新造船シリーズ(十和田丸を除く)が続きます。 
塗り替える前の写真なので、外観上の区別はつけにくいです。

新造船当初の後部甲板は、こんなだった。 後に、乗用車を積むようになった。

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青函連絡船 摩周丸(2)

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青函連絡船 羊蹄丸(2)

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青函連絡船 大雪丸(2)

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青函連絡船 洞爺丸


洞爺丸の絵はがきは、数少ないだろう。

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切符 (6)

青函連絡船

昼間の寝台は空いていて、いつも一人で一部屋だった。
(グリーン指定席¥700に対して、寝台¥1000で一部屋占有できた)
就航中はいつでも利用できたが、昼間に寝台を使う人はいなかった・・・
「昼間の便の寝台券」を発券出来ない(発券の仕方が解らない)駅窓口も多かった。

昔の連絡船(4本煙突時代)の3等は、列車甲板の下(海面下)だった。
そのため、洞爺丸以降、列車は3等(今の普通)でも連絡船は2等(今のグリーン)という利用が増えた。

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青函連絡船(番外編) 壱岐丸・亜庭丸・津軽丸(初代)


いずれも戦前の写真。 そして、多くの船は、海底に眠った。

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青函連絡船(番外編) 伏木丸


これから載せる写真にコメントできる人は、もはや存在しないだろう。

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青函連絡船 空知丸

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青函連絡船 十和田丸


十和田丸以降、津軽丸から新造船になります。
昔この船に乗った時、「ジャイアント馬場」一行が乗っていた。 当時の「プロレス巡業」は三等船室(今の普通)であった。

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青函連絡船 羊蹄丸


洞爺丸も、この型だったと思うが。 以前は、黒色だったような気がする。

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青函連絡船 大雪丸


接岸時に船内に流れる曲は、なぜ何時も「キサス・キサス・キサス(Quizas,Quizas,Quizas)」だったんだろう?

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青函連絡船 摩周丸


この当時の船は、「船員用の風呂」を使わしてもらった記憶があります。
しばらくは、青函連絡船が続きます。

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切符 (1)

[切符] 集めています。
その中から、めずらしい物を。
左は、[ゆうずる] ではなくて、[ゆうづる]が正解。(東北では、訛るのです?)
右は、昭和25年羊蹄丸船内発行の[着席券]。(この当時の青函連絡船は4本煙突でした)

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参考文献

☆カテゴリ 《ぐんま》 は、下記文献などを参考にしています。
 「和菓子の贈りもの」展 歴史秘話20 虎屋文庫、 ビジュアル・ワイド江戸時代館、 「王朝の雅と和菓子」展 平安建都1200年記念 虎屋文庫、 「江戸おもしろお菓子」展 菓子と喧嘩は江戸の花 虎屋文庫、 「子どもとお菓子」展 虎屋文庫、 「上毛かるた」で見つける群馬のすがた、 「日本の神さま」おもしろ小事典、 「和菓子百珍」展 第六十八回虎屋文庫資料展 虎屋 虎屋文庫、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 IKA..

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