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錫杖寺

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錫杖寺
 川口市本町2-4-37

○宝珠山地蔵院錫杖寺
 鎌倉時代に願行憲静法印が錫杖寺開山、弘安年間布教のため川口に錫杖寺開山。 そのご衰徴するも願行憲静法嗣有鎮が中興開山。  江戸時代は、日光御成街道に面しているので歴代将軍の御膳所だった。
※本尊延命地蔵菩薩像(寄木造り)は、右手に錫杖・左手に宝珠を持ち蓮華座に坐る。

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○本堂
 嘉永五年本堂焼失、徳川家光が品川御殿館を下賜し錫杖寺再建。 1975年コンクリート造りとなった。

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○御成門・あかずの門
 寛永三年、三代将軍家光..

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薬王寺

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○薬王寺
 川口市木曽呂934

 平安時代開山、室町時代に海善和尚により再建、その後焼失し寛文年間に復興。 新義真言宗西新井宿宝蔵寺末・醫王山薬王寺。

について

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☆鐘楼
 明和九年十月銘、明治十六年赤山源長寺より譲渡。 その後供出、1949年鋳造、撞座が四個ある。 

※赤山源長寺
 浄土宗京都知恩院末寺・周光山源長寺。 元和四年関東郡代伊那忠治が荒寺を再興し伊那氏の菩提寺とした。 明治になり荒廃したといわれる。

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喜多院 (2)

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川越大師 喜多院
 川越市小仙波町1-20-1、049-222-0859

山門

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Kitain_jigen1慈眼堂

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Kitain_shourou1鐘楼門

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☆喜多院 山門
江戸前期/1632
四脚門、切妻造、本瓦葺

☆喜多院 鐘楼門
江戸中期/1702
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺

☆喜多院 慈眼堂
江戸前期/1645
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、背面一間通庇付、本瓦葺

☆喜多院 庫裏
江戸前期/1638
母屋 桁行十間、梁間四間、..

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おしゃみの鐘

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○おしゃみの鐘・長泉院梵鐘
 蕨市5-13

 宝暦八年江戸神田鍛冶町小幡内勝行作、高さ144.7cm・口径79.5cm。  乳をつくらず楚字を鋳出、撞座が四個あり、名鐘とされる。

※円実という沙弥が創建したのが長泉院

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について

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☆長泉院にあるこの鐘は、宝暦八年に円満を中心とする万人講の人々により造立されたものです。 乳のかわりに梵字が鋳出され・撞座が4つあるなどの特色があり、古色の良さから「おしゃみの鐘」として人々に親しまれています。

☆おしゃみの鐘
 江戸時代、赤..

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東京陸軍造兵廠電気軌道

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○ちんちん山児童公園
 東京都北区岸町2-1-11先

☆ちんちん山児童公園
 戦時中ここを東京陸軍造兵廠電気軌道が通っており、その電車が「チンチン」と鐘を鳴らしていたことが、名前の由来となっています。
 かつて公園正面の道は、鉄道のための土手に掘られたトンネルを通っていました。 公園内の石のアーチは、そのトンネルの出入り口に使われていた石を、記念に残したものです。

Kitaku_saikyou1○東京陸軍造兵廠電気軌道コンクリート橋台
 十条~板橋間

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○東京第二陸軍造兵廠
 引込み線の先は東京第二陸軍造兵..

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深谷・まちあるき

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深谷市・まちあるき

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○大谷家住宅

深谷 について

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Fukaya_machi7b

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○旧東京第二陸軍造兵廠深谷製造所給水塔

陸軍 について

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Fukaya_44○煉瓦煙突


☆深谷市町名一覧
 秋元町(あきもとちょう)・明戸(あけと)・新井(あらい)・石塚(いしづ か)・伊勢方(いせがた)・稲荷町(いなりちょう)・内ケ島(うちがしま)・ 上野台(うわのだい)・江原(えばら)・大塚(おおづか)・大塚島(おおつか じま)・大谷(おおや)・起会(おきあい)・折之口(お..

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和時計 (2)

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○二挺天符目覚付袴腰櫓時計

☆櫓時計
 鐘楼・火の見櫓の形をした和時計。 目覚機能を持つものもあるが、その音は激しいらしい。

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○一挺天符目覚付袴腰櫓時計

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○二挺天符目覚付暦付台時計

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○二挺天符目覚付暦付和洋文字盤台時計

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○大型掛算時計

☆卦算時計
 文鎮として使用できる時計、文人墨客向け。

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○掛算時計

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○一挺天符枕時計

☆枕時計
 ゼンマイ式置時計、年代とともに豪華装飾となった。 

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○振子特殊脱進機枕時計

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○円天符割駒式文字板時打尺時計
○振子割駒式文字板上部..

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万年時計

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万年自鳴鐘@国立科学博物館

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○万年自鳴鐘〈田中久重作)
江戸/1851
 幕末・明治前期における先駆的な機械工作技術者田中久重【ひさしげ】(一七九九~一八八一)が嘉永四年に製作した天文や暦の表示を含む多機能時計である。
 田中久重は久留米藩の鼈甲師の家に生まれた。幼少時から発明の才にたけ、久留米絣の改良に貢献したり、からくり人形の興業を行い、「からくり儀【ぎ】右衛門【えもん】」の名を博した。技術修練の旅に出た後大坂に居を構え、懐中燭台【しょくだい】や無尽灯【むじんとう】の製作販..

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うらわ

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浦和うなこちゃん・さいたま市浦和区
(まちあるき)

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稲荷湯・銭湯

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浦和市役所
 トルーカの鐘(メキシコ・トルーカ市)

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埼玉サッカー発祥の地

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○浦和市紋章
 大正十一年募集、昭和九年市制施行により正式に認定された。 「ウラワ」文字三組を福良雀型に配置。
※福良姫と福良雀、雀宮の姫様に助けられた雀の恩返しが元話。

☆浦和
 縄文時代は、海辺だった。

☆浦和市地名
 前地(まえじ)・本太(もとぶと)・太田窪(だいたくぼ)・大谷口(お..

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朝霞大仏

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○朝霞大仏(朝霞市膝折・現朝霞駐屯地内)
 1933年、遊園地・庭園・大仏・梵鐘などを含む根津公園(根津は計画者の東武鉄道社長名)建設計画あり。 1935年梵鐘完成(高さ約3.9m・重さ約6750kg)、1935年大仏原型完成(高さ約14m)するも、1937年計画中断・金属供出により熔解された。  そして、公園敷地には陸軍予科士官学校がつくられ、戦後アメリカ軍の根津パークとなった。

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 1933年、根津嘉一郎が膝折の地五万坪を購入し・根津公園建設を計画。 1935年公園内の鋳造工場..

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河口鍋匠

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○河口鍋匠・川口の鋳物
 歴応年間河内国丹南郡より移り住んだといわれる。

※戦国時代岩槻城主太田氏の御用鋳物師渋江が江戸幕開府に際して川口に移住して広めた、との説もある。

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○川口市の鋳物
 室町時代末には、すでに鋳物工場があった。 江戸時代になると、鍋・釜・鉄瓶など日用品銑鉄鋳物中心となった。 天保年間には鍋屋平五郎など鍋商人が活躍した。
 明治時代になると株組織体制が崩れ、鋳物工場が一気に増えた。 薬研屋・永瀬庄吉が主導をとったといわれる。
 1961年には636工場・従業員170..

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上野大仏

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○上野大仏

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○上野大仏
 鐘つき堂と大仏堂、寛永二年寛永寺創建後に寄進、慶安の大地震で崩壊、その後再建、明治六年覆屋取り払い、大震災で頭部脱落、1967年顔のみのレリーフとなる。

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Uenodaibutsu1880○上野大仏・1880年

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 頭の落ちた上野大仏。 その後「これ以上落ちない」として「合格大仏」ともいわれた。

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木曾街道六十九次

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○歌川国芳木曾街道六十九次 京都 鵺/大尾
   『平家物語』の巻四「鵺」が出典。 近衛天皇時代、毎夜黒雲が御殿の上にあらわれ、天皇をおびえさせた。 このため、源頼政が召され、家来の井早太と黒雲を退治することになった。 頼政が黒雲に矢を放つと、射られた怪物が落ちてきたが、頭が猿・胴は狸・尾は蛇・手足は虎の姿で、鳴く声は鵺に似ていたという。 この鵺を大きく描いたものが本図。

※「大尾」とはおしまいのこと。

について


☆平家物語
 「祇園精舎の鐘の声…」ではじまる..

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小江戸時の鐘

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小江戸時の鐘
 (株式会社亀屋@川越市仲町4-3)

○焼菓子

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旧館林二業見番組合事務所

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○旧館林二業見番組合事務所(館林市
 1938年建築。

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○千本木家(桐生市
 1935年建築。

Katayamake

○片山家住宅(太田市
 1873年建築。

Morimurake

○森村家住宅(伊勢崎市
 1876年建築。


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時報鐘楼・伊勢崎(大正四年)

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川越

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○川越の蔵造り (まちあるき)
 明治二十六年三月十七日の大火で焼け跡に残ったのが蔵造りであった。 これを見た川越商人は、競って蔵造りを建てた。 
※「二階で餅つきができる」といわれるほど丈夫でもあった。

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☆埼玉りそな銀行川越支店
 大正七年建設、旧第八十五銀行本店。

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☆旧山吉デパート
 1936年、川越初のデパート。

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Saitama_kawagoe○川越


☆時の鐘
 寛永三年、辻源七が日本橋本石町に「時の鐘」設置。 鐘の音が聞こえる家は、鐘代として月四文支払うべし。 ..

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岩槻郷土資料館

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岩槻郷土資料館
 
(さいたま市岩槻区本町2-2-34 、048‐757‐0271)

☆旧岩槻警察所
 1930年建設。

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岩槻藩遷喬館
 (さいたま市岩槻区本町4-8-9、048-757-5110 )

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時の鐘

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鈴木酒造

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取替えべい飴売り

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○取替えべい飴売り
 古金や古煙管を飴と取り替えた。 

※正徳時代、浅草俵町紀ノ国屋善右衛門が生まれ故郷の紀州道成寺に鐘を建立しようと始めた、と伝えられる。

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飴売り

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○飴売り
 唐人飴売り・朝鮮飴売り・あまいだ飴・飴売り紅勘・あめこかいな飴・お駒飴・おじいが飴売り・お万が飴売り・狐の飴売り・土平飴売り・ほにほろ飴売り・陳三官飴売り・安南こんなん唐人飴売り・拳骨飴売り(辻占付き飴)、など多数。

○とっけえべい
 浅草田原町紀伊国屋善右衛門が道成寺の鐘を造ろうと、金物を飴と交換して集めたのが始まりといわれる。

○土平飴売
 明和頃より虎斑模様の袖なし羽織に・浅黄色の頭巾で、「どへい、どへい」と唄い飴を売り歩いた。
※仇討ちのため飴売りに身を隠..

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正幸寺の三碑

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○正幸寺(前橋)

三日月の碑 「三日月や広い空にも曲げて置く」
十夜の碑 「祖父祖母の孫にもあまき十夜かな」
猫の碑 「麦飯にやつつる恋や里の猫」

 昔前橋城主坂井氏家老の娘が猫を可愛がり一時も側から離さなかった。 娘は年頃になり・猫は年老い魔物の性がが現れた。 かくして家臣は猫を斬り殺し、娘は嘆き悲しんで病となり死んでしまった。 その娘の追善のために建てたといわれる。

※正幸寺は朝7時と夕方6時に「時を知らせる鐘」として鐘を鳴らしている。 グンマでは、この時間に鐘を鳴らす寺が多い..

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いぶり笹

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薫製 笹かまぼこ いぶり笹
 (株式会社鐘崎@仙台市若林区鶴代町6-65)

チーズ・サラミ・わさびチーズ、がある。

薫製 について

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グンマの昔:天狗の宿り木

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 吉井・仁叟寺境内のカヤの木「天狗の宿り木」、榛名山の天狗達もよく集まった。 寺の上空は、白倉金光寺の天狗が日光山に行く時の飛行路となっているので、天狗との取り決めで「火伏せのお札」の発行が認めらた。

○小幡・宝積寺にあるのが「天狗の腹切岩」。 箕輪城主長野業政の婿小幡彦三郎が宝積寺に逃げ、奥方の兄小幡図書が攻め入ったさい、止宿していた天狗が一丈の棍棒でなぎ倒したが衆寡敵せずこの岩の上で切腹した。  かくまった魯岳和尚は責任をとり、鐘とともに寺東の谷川に身を沈めたのが「鐘が淵」..

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藤岡伝説

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○弘法大師が杖を地に突き刺したところ水が湧きだしたのが「弘法井戸」。 高山・上の谷戸、根岸に三カ所、庚申山、三本木などにある。

○高山下組の「又平だいら」には酒が湧く泉があった。(樽湧き)

神流川は天正年間前は名もない狭い川であったが、ある年の大洪水で堤防でも防ぎきれず「火の神社・水の神社・木の神社・金の神社・土の神社」を祭った。

○平塚の沼は「大蛇の沼」とよばれた。 

○高山下組は「白塩」とよばれ、塩が湧いたとされる。

○十八町坂の途中の市衛門の洞穴には古狐が住んでい..

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白沢村伝説(現沼田市白沢町付近)

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ツモノガシ→女の人がゆっくり・楽しく・遊ぶこと
セッチュウラク→自分に都合の良いことをしゃべる
ズッケ→等価交換
コクゾッコ→微量
ヘンゲール→話がわかる
ヤレテ→布などが古くうすくなる
チャンガラチャンガラ→うまく歩けない

○文治年間九郎判官義経が頼朝に追われ奥州に向かう途中、主従三人が谷間に逃れたのが「三騎石」。 道行く人は、石を拾ってその上に積み重ねて之を隠すことが義務づけられている。

○田植えで忙しいときに、手伝いにかり出されたのが「田植地蔵尊」。

○狐の嫁入行列が通ったと..

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地名伝説(赤城山西麓)

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○北橘(ほっきつ)
 日本武尊命が山頂で、弟橘姫を偲んで「あづまはや」と入ったので、この山を「橘山」。 が、植物の橘が由来との説、急崖が立っているので「立ちバナ」との説もある。 

○岩鼻
 烏川に臨んだ所が岩石になっている。

○板鼻
 碓氷川に平板が臨んだ大地。

○十二様
 十二人の神々・十二人の子供を持つ神・一年を守護する神、など言われるが本当のところは判っていない。 女の山の神様である。
※女房を「山の神」というのは、十二様が源。

○溝呂木
 オオミ堂のミゾロガ池の主大蛇が大きくなり池が小さ..

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グンマの20世紀:火災

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○群馬県、2015年出火率全国7位。


○火災一覧
 両毛線汽車沿線火災多数(1906)、 高崎大火2000戸焼失(1906.3.23)、 安中町大火84戸焼失(1907.12.25)、 草津大火37戸焼失(1908.5.13)、 町井田大火35戸焼失(1908.3.21)、 高崎大火碓氷社分工場等24棟焼失(1909.12.7)、 神川村万場町大火(1912.1.22)、 高崎大火32戸焼失(1913.3.2)、 鬼石町全焼大火177戸(1916.2.20)、 下仁田町大..

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伝説の中島飛行機

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○剣3号
 赤羽飛行機製作所(1917年~1921年)、赤羽飛行機閉鎖後中島飛行機の独占場となる。

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○中島四型6号機
 安定して飛ぶようになった。(1919年)

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○中島五型
 民間国産機として初めて形式化された。

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○DC-2
 1934年購入、後5機組立制作された。

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○鐘馗

○疾風
 1944年~

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○連山
 1943年試作~1945年中止

○橘花
 ジエットエンジン搭載も試験飛行で終了

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○富御獄
 1943年開発開始も中止

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桐生・金山城伝説

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○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

○桐生落城
 領主・桐生大炊介助綱は人望厚かったが子供が無く佐野家から養子(親綱)もらったが折り合い悪く、ついには由良成重らに攻め入られた。 そして親綱が奥方・姫達と桐生川の大滝を岩から岩へと飛び跳ねて逃げたので「跳滝」とよばれる。 
※このとき「宝の入った瓶」三..

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榛名伝説

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○榛名湖女人入水
 榛名湖に入水した木部姫については伝説上、その正体は木部宮内輔弾正室・同室竜田の前・同実一室・貞朝室・木部駿河守範虎・長野業政室などいろいろ、その時期は箕輪落城の1563年・神流川合戦の1582年・山名対木部の1585年などいろいろ。 人身御供との見方もある。

○木部井戸(木部の神井・長年寺)は榛名湖に通じている、ともいわれた。

○右京のむだ堀(右京の馬鹿堀・泣き穴)
 宝永六年左京太夫輝貞が、溜堤から取水・榛名北を通り・スルス岩の下にトンネルを堀り・白川へ..

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新田伝説(新田郡、現太田市・みどり市・伊勢崎市)

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○笠懸桜塚・園田屋敷の地蔵様は、賭事の地蔵様だった。 そのため賭博人が「かけら」を求めたため、頭・手が無くなってしまった。 その後、復元されたらしい。

○岩宿の天王様は、疫病が流行った時に担ぎ出されて、疫病を追い払った。(1962年)

○平安時代、新田荘では鹿に田畑を荒らされたので、領主園田太郎家茂が「鹿専用畑」を作らせ・通常の畑と分離したので、この地を「鹿田」とよんだ。 
※山田郡小倉村の鹿田との説もある。

○葬式が家から出る時坊さんが鐘を「ジャラン・ボーン」と鳴らしたので、葬式を..

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赤城村伝説(勢多郡赤城村、現渋川市赤城町)

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○湧玉には白蛇が住んでいる、汚したり・不浄物を洗うと祟りがある。 雨乞いだけはきいてもらえる。

○勝保沢の清水側に住んでいた「お哲」は超美人だったので、弁天様とよばれた。 その地では、女の子が産まれると「お哲」と名付けるのが流行った。

○おとうか久保には、オトウカが出た。

○上三原田・三島山の大松の木には天狗が住んでいた。 音を聞いた人も多い。

○戦の時、内出城内の松に登り情勢を眺めたので「物見の松」。

○二城主見立権太郎が仲井の田のくろを枕に切腹したので「枕田」となった。 田には..

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新町屑糸紡績所 メモ

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新町屑糸紡績所 メモ
 高崎市新町2330

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☆旧新町紡績所
 明治~昭和

 明治十年群馬県新町に操業開始した我が国最初の絹糸紡績工場。 佐々木長淳のヨーロッパでの紡績業などの視察報告に基づき、内務省が官営工場として設立した。 創業時の動力は、工場付近を流れる温井川を利用した水力と蒸気で、原料はそれまで安価で輸出されていた屑繭・屑糸を使用し、紡績絹糸を製造した。 明治二十年三越呉服店に払い下げられ、明治三十五年には企業合同により絹糸紡績株式会社新町工場となり、さらに明治四十四年の..

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ぐんまわらべうた:こんにゃく毬

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 ゴム毬ができる前は、ゼンマイ(の綿をほしたもの)・綿・岩ゴケ・八頭芋の茎 などを芯にして、布を巻き・色々な糸を撒いて手毬を作った。 下仁田では、コンニャク毬を作ったという。 ゴム毬は貴重品でフツーの家の子には手に入らなかった。

わらべうた について

Konnyakumari

○上州の糸毬とコンニャク毬
 明治末にゴム毬ができるまでは、ゼンマイのや岩ゴケなどを芯にし、綿や八頭芋皮をまるめて手毬を作った。   下仁田では、蒟蒻をすり下ろして丸めてコンニャク毬を作った。 こうして作った糸..

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釣鐘を傘にした庄衛門

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《グンマを話そう》
○釣鐘を傘にした庄衛門(前橋)
 むかし引間村に庄衛門という力持ちがいた。 庄衛門は仕事嫌いで、ぶらぶら遊んでばかりいた。  ある日、庄衛門が赤ん坊を背負い田の草取りをしているのをみた村人が誉めると、「赤ん坊じゃねえ、おれの隠所は特別でっけえんで腹に二まわりしてその先を背負っているんだ」と答えた。
 またある日、雷で大夕立に出会うと、近くの寺に飛び込み傘を借りようとした。 しかし住職は「遊び人に貸す傘はねえ、そこにぶらさがっている釣鐘でもかぶっていげ」と突き..

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グンマの昔:えんが・てんが・まんが

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○エンガ(柄鍬)・テンガ(手鍬)
 エンガで畝を作り、テンガで畦きりをし、マンガ(馬鍬:牛や馬が引く)で土をかき混ぜ、田植えとなる。

Gunma_manga

○マンガ(馬鍬)











○田植え歌
朝露に 髪結いあげて
ヤーハノー 花摘めば
花摘めば ああ 男が招く
ヤーアー 菜の花は たまらぬ

今日の 日の時うつ鐘は
ヤーハノー 幾ッ五ッ
幾ッうつ なら 七ッも八ッも
ヤーア一 九ッーも

夕暮に 浜辺をゆけば
ヤーナァノー 千鳥鳴く
千鳥鳴-ク まぁーた千鳥鳴け
ヤーアー 声くらべ

※浜辺がどこかは不明 

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グンマの昔:沼田城・鐘楼

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鐘楼(昭和初期)

 1634年に真田信吉が鋳造させ沼田城にあった「城鐘」(群馬県指定重要文化財)は、廃城ののち寺社で保存されていたが、旧沼田町役場敷地内の「時鐘(ときのかね)」に流用され、その後本丸内に鐘櫓として復元された。

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《グンマを話そう》

○権現荒

 1681年8月31日、沼田城主真田伊賀守は江戸両国橋の掛替御用木を請負い、中山村三嶋権現の神木を伐った。 すると七日七晩、大暴風雨で93ヶ所崩壊・家屋倒状多数の大惨事となった。

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グンマの昔:東毛

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○伊勢崎小学校(1920年)

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○館林消防本部・箱火の見(1916年)

※かつては上州の三大織物の一つだった「館林織物」、鎌倉時代に始まり江戸時代を経て明治時代は全盛だったが、現在は絶滅状態にある。

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○三楽座・境町

Isesaki21○時報鐘楼・伊勢崎市

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群馬での暮らし:津久田村の人形芝居

Tsukuda

《グンマを話そう》

○津久田村の人形芝居
 津久田村は人形を大切にする伝統の村として平和な日々を過ごしてきました。

こんな伝説があります。
 上杉・竹田の争覇時代、上杉勢が密かに津久田の要塞を陥れ、大胡城を攻めようと企てました。 そして津久田村に近づくと、山頂には沢山の旗が立ち・鐘や太鼓が勇ましく鳴り響いていました。 これを見た上杉勢は、計画が漏れたようだ・不利な戦いは避けようと、兵を引きました。 それは、八幡様の例祭で人形芝居の日だったのです。



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○津久田人形
 上ノ杜・桜..


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群馬での暮らし:ホイト

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○ホイト(ノラボウ)
 禅宗の陪食(陪堂)の語が変化して、物乞い・乞食のことを「ホイト」と呼ぶようになったらしい。  ただし、ただの物乞いではなく、「鐘を叩きお経を唱えた」とも言われている。

※ホカイ(行器)からきているという説もある。
※北海道では「ホエド」と言う。

○のらぼう柱
 柱にぶら下げた箱に、毎朝米一升と挽割を入れておき、その日に来た乞食に分け与えた。
※ナポレオンという乞食が来た、彼は日本各地で見かけたそうだ。

※藁細工中に地震があると、そのとき作っている物は捨てなければ..

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群馬での暮らし:グンマでクマ

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《ぐんまぐんぐん キャンペーン:くまくま群馬》

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熊よけの鐘。

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クマ除けにはコレがよいらしい…

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年取

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 十二月三十一日は、大根・にんじん・ごんぼ・じゃがいも・こんぶ・しいたけ・豆腐など七色のものを入れて味噌味でおつゆ(おせい)をつくる。  これに白いご飯と・塩引き鮭の粕煮と・酒を箱膳にして年取りをする。

※お歳暮には「塩引き鮭」を贈るのが常だったらしい。

☆荒巻き鮭
 「わら巻き」が転訛したといわれる。

☆年取り
 古代、一日の始まりは夕刻(日没)であったらしい。 このため、大晦日の夕食を「年越し」・「年取り」とよんだという説がある。 この方式では、大晦日の晩はすでに正月に入っている..

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