So-net無料ブログ作成

守光院

Urawa_syukoin1

○守光院
 さいたま市南区太田窪5-11-9、048-885-5861

Urawa_syukoin2

Urawa_syukoin3

Urawa_syukoin8

Urawa_syukoin9


☆護国山守光院
 当時の開基は冶承四年源頼朝が伊豆に挙兵したとき、その軍勢を集めるため当地木崎庄太田窪に要害を構えた佐々木三郎守綱です。 佐々木三郎守綱は宇治川合戦のとき先陣争いで有名な佐々木四郎高綱の兄に当たります。
 守綱は当地に留まること五ヶ月、引揚げるに当たり小堂宇を建立し、持仏の薬師瑠璃光如来と家臣の阿弥陀如来を安置し、寺号を護国山守綱院と号しました。

 開闢後四世紀..

YAMADA

法界寺

Noda_houkai2

○法界寺
 さいたま市緑区寺山1002

※阿弥陀如来座像は室町時代の造像ともいわれる。

阿弥陀如来 について

Noda_houkai1

Noda_houkai3

YAMADA

与野伝説

Yono_enjoji1

さいたま市中央区(旧与野市)

○安養山円乗院(円乗院・安養山西念寺)
 さいたま市中央区本町西1-13-10
 古く浦和道場から移転。 賢明法印が中興開山、江戸時代は幕府から寺量十五石の御朱印地をもらっていた。

伝説 について

○円乗院・あみだ様とヘビ
 喉の痛みに悩まされた歴代の住職、ある時夢の中に白衣の老人が現れ・物置の長持を見るように告げた。 物置に放置された長持、その中には阿弥陀様・その首には白蛇が巻きついて死んでいた。 そしては、阿弥陀様を本堂に奉り・白蛇は木箱に納められ..

YAMADA

如意輪観音堂

Kawaguchi_maria1

○如意輪観音堂・マリア観音
 川口市芝西1-19-7

 三体の仏像の内、阿弥陀如来座像胎内から「十字架とマリア像」見つかった。
※徳川家光によるキリシタン弾圧から逃れたレオ竹子屋権七郎の妻ルヒイナを匿ったといわれる。

如意輪観音 について

0154

☆木造阿弥陀如来坐像 付胎内仏十字架
 江戸時代
 芝西(複製)・埼玉県立歴史と民俗の博物館
 この阿弥陀如来坐像は、埼玉県下でも、数少ない隠れキリシタンに関する貴重な遺物です。 寄木造りの漆箔着色で、造高29.3㎝・胸張22.2㎝で..

YAMADA

阿弥陀堂

Kawaguchi_amida1

○阿弥陀堂
 川口市木曽呂

 六地蔵と猿田彦を奉る。 古くは、赤山源長寺僧侶の隠居堂だったといわれる。

阿弥陀 について

Kawaguchi_amida2

YAMADA

西福寺

Kitaku_saifukuji1

○西福寺
 東京都北区豊島2-14-1、03-3911-2266

東京都北区 について

Kitaku_saifukuji2

○西福寺
 今から約1200年前の四十五代聖武天皇の時代に創建(行基の開山との説もある)されたと伝えられている。 本尊の阿弥陀如来は行基の作(大戦での焼失後、同じ姿・同じ高さの丈六(5m)・極彩色金箔塗の露天大仏として建立)で豊島清光(清元)との間に伝わる江戸六阿弥陀第一番の札所として広く信仰を集め、関東一円から年 十方人もの参旨者がお参りしたと伝えられている。
 身代わり地蔵のお話・..

YAMADA

豊島清光メモ

Kitaku_toshima01

○豊島清光座像
 オリジナルは清光寺(東京都北区豊島7-31-7、03-3914-7794)

 豊島清元(清光)は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。 武蔵国豊島郡を領有した豊島氏。 代々、源氏の家人になり、前九年の役や後三年の役で源義家に保元の乱で源義朝の配下で参陣。 父は豊島康家。


 清光寺は、平安時代末期から鎌倉時代初期、豊島郡を中心に活躍した豪族豊島康家・清光が開基した寺院と伝えられ、ここには、清光の坐像が安置されています。 治承4年4月、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ..

YAMADA

廣徳寺 (1)

Kawashima_koutokuji02

○廣徳寺
 比企郡川島町表76

Kawashima_koutokuji01

☆広徳寺大御堂
室町後期/1467-1572
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺

Kawashima_koutokuji03

Kawashima_koutokuji06

Kawashima_koutokuji07

Kawazima_koutokuji9

☆廣徳寺
 平成天皇御代大同年間創立、鎌倉時代に衰退するも北条政子が大御堂・本堂 ・坊舎など再建し廣徳寺と改称。

※平家物語巻第十一「弓流」に、三尾屋十郎が平家の家人上総悪七兵衛是清の 引き立て役として登場する。


☆養竹院(西約400m)
 太田道灌の陣屋跡と伝えられる。

Kawashima_koutoku82

Kawashima_koutoku83

Kawashima_koutoku84

Kawashima_koutoku85

Kawashima_koutoku81


☆広徳寺・大御堂
 北条政..

YAMADA

善光寺

Kawaguchi_zenkouji1

○善光寺
 川口市舟戸1-29

Kawaguchi_zenkouji7かつての善光寺

Kawaguchi_zenkouji8

Kawaguchi_zenkouji9

Zenkouji08

☆善光寺
 定尊法師が信州善光寺参りのおり、「我像を造り・三尊像を笈に入れ・旅に出よ」と阿弥陀さまのお告げがあった。 そしては定尊法師は旅に出、荒川の川辺で笈を背から下ろして一休み。 再び出発しようと、笈を背負おうとしたが重くてびくともしない、そこでこの地にお堂を建て奉ることにした。

Zenkouji81

YAMADA

八潮市立資料館 (1)

Yashio01

八潮市立資料館
 (八潮市南後谷763-50、月休、048-997-6666)

Yashio02

八潮市 について

Yashio03


☆八潮市垳
 他には無い地名。 八潮は、八幡村・潮止村・八條村が合併してできた。



八潮のむかしばなし

○月夜に光る丸木舟(西袋・柳之宮)
 西袋の蓮華寺のわきの田んぼは、まん月の晩にかぎって、ピカッ、ピカッと光ったそうな。 何でも、そのように光るところには、丸木舟がうまっているそうな。 


○たから船のちんぼつ(大原・浮塚・南川崎)
 むかし、八潮は海だった。 この海をば、..

YAMADA

日本語源

Agemaki1

[日本語源]メモ



○アイガモ
 カモ×アヒルでアイガモ、鴨のいない季節の意。

○あこう鯛
 カサゴの一種、赤魚鯛。

○あこぎ・阿漕
 三重阿漕浦のこと、伊勢神宮献上用の神聖な海で、平治(平次)が病気の母親に食べさせようと密漁を繰り返した。

○あべかわ餅
 徳川家康が「安倍川餅」と命名したとも。
※慶長年間徳川家康が笹山金山を訪れたおり出された「安倍川の金な粉もち」が気に入り、安倍川地方の名物となった。

○あみだくじ
 阿弥陀くじ、古くは後光のごとく放射状の線だった。
※平等な..

YAMADA

神田明神

Kandamyoujin11

神田明神(千代田区外神田2-16-2)

明神 について

Kandamyoujin12

○神田明神
 天平二年武蔵国豊島郡江戸柴崎に大己貴命を祀った。  平安時代、京で晒されていた平将門の首が柴崎に飛んできたので塚を築いて祀った。 その後、将門の怨霊が祟り人々を苦しめたのを、時宗二世真教が「蓮阿弥陀仏」の法号を板碑に刻み供養し・荒れ果てた神田の宮を再興したといわれる。
 その後、江戸城拡張造成に伴い駿河台に移転、更には湯島台に移転し江戸城東北の鬼門鎮護の江戸惣鎮守として幕府により壮麗な社殿が造営された..

YAMADA

Kawaguchi_51

○だるま鞴(踏たたら)
 明治10年代まで使用されていた「タタラ」に代わり甑銑鉄溶解用の送風に用いられていた足踏み送風機。  この頃から次第に銑鉄の溶解は従来の木炭に変わりコークスが用いられるようになり、10人一組のうち8人が片側4人ずつに分かれ・脚を合わせて踏み板を踏み・主軸を往復させて送風した。
 この時踏み子たちによって歌われた作業歌が「たたら節」の原型と言われている。

Kawaguchi_54

Kawaguchi_53


☆地団駄・地団太
 地蹈鞴を踏む動作が、くやしがって足踏みするさまに似ていた。 さらに転訛..

YAMADA

見世物 (1)

Edo_misemono55

Edo_misemono56

○見世物
 大灯籠の絵→裏は大道路、目が三つに歯が二本→下駄、大いたち→大板に血、ベナ→鍋がさかさま、大あなご→大きな穴のな中に子供、大山さる→大山製の笊、取り立てのカッパ→雨合羽、亀の背に作り物の大蛇、など。


Misemono22

○見世物  
名号牛→子牛の背中に「南無阿弥陀仏」の文字、後には子供の背中にも。  
河童→子供の頭を河童頭に剃った。  
大蛇→亀の背中に作り物の蛇。  
むしゃりむしゃり娘→動物の内蔵を喰っているように見せる。  
一丈二尺の大いたち→大板に血。  
べな→さかさ鍋。  ..

YAMADA

館林伝説

Tatebayashi99

○城沼に住む竜が女に身を変え、七日間上人の説教を聴いた後飛び込んだのが善導寺「竜の井」。 それ以降、井戸使用禁止。

○須賀沼の南沼の主は大蛇・北沼の主は大亀、宝光寺・とみ坊主が魚取りをしたに怒り懲らしめてからは魚取りをする者はいなくなった。

○昔から洪水に見舞われた大沼を埋め立てたさい、沼の主夫婦の二匹のウナギを祀ったのが「須賀弁天祠」。

○赤岩にあった沼の主は大蛇、村の娘が次々と消えた。 そこで、藤原長良の御殿女中「おさよ殿」が弓で退治し、頭を瀬戸井・切り刻んだ胴体を舞木などに祀..

YAMADA

日本の神々

Okamasama

☆日本最初の神様
 天地初発之時、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神が高天の原に誕生した。 続いて「別天の神々」が登場し、その後に地上の神「神世七代」が登場した。 一番最後が、伊邪那岐神と伊邪那美神、この二神の間に次々と神が生まれ・そしては神々の誕生ブームとなった。  時が流れると、亡くなると神様になる人々があらわれた。 早良親王・菅原道真・平将門・武田信玄・上杉謙信・徳川家康・吉田松陰・明治天皇・乃木希典、など多数。
※浦島太郎もその一人。


【日本神様御祈願担..

YAMADA

渋川伝説(2)

Sourinji11

○千手姫(榛東村柳沢寺)
 千手姫は京の都に憧れ病となった。 京に上った夫田烈太夫信保が見たのは「散りもせず咲きおくれたる花もなし 今日をさかりりの庭桜かな」と詠み消えた千手姫似の女であった。 そのころ桃井の郷では、千手姫が他界していた。

○赤いお椀で鰻料理を出したら不幸が続いたのが地名「赤椀田」。

○雙林寺の七不思議
 ・開山堂の一本の拍子木、悪いことが起こりそうになると鳴る。
 ・月江和尚が持っていた数珠が大木となったのが「開山のつなぎカヤ」。 その実は針で通したような穴..

YAMADA

桐生・金山城伝説

Kanayamashiro

○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

○桐生落城
 領主・桐生大炊介助綱は人望厚かったが子供が無く佐野家から養子(親綱)もらったが折り合い悪く、ついには由良成重らに攻め入られた。 そして親綱が奥方・姫達と桐生川の大滝を岩から岩へと飛び跳ねて逃げたので「跳滝」とよばれる。 
※このとき「宝の入った瓶」三..

YAMADA

大間々伝説(大間々町、現みどり市)

Ohmama1

○高津戸城の戦い
 父里見上総入道勝広の敵討ち(山越出羽と石原石見)を企てた里見勝政・勝安兄弟が居館としたのが、1100年頃に築城された高津戸城(1351年桐生国綱により廃城)。 しかしながら、本望を遂げられなかった。(里見十二騎の墓)

○新田芳重の隠し館
 新田芳重が一族の隠れ場所としたのが上州桐原牧新田金塚隠し館、農具・武具などを作った。 金塚は鉱石貯蔵所、ジャンジャン屋敷は溶解所。

○自然のままに暮らしていた念仏行者「行仙房」、村人達に尊敬され・見守られながら1278年..

YAMADA

新田伝説(新田郡、現太田市)

Ohta_22

○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○呑竜上人が、生まれつき弱い子を預かり七歳になるまでは大光院の弟子として面倒を見た、のが「七つ坊主」。

○呑竜上人となかずの池
 ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が続いた。
 やがて食べ物がなくなり病に倒れたおっかさんのために、女房が弓矢を持ち山へ出..

YAMADA

高崎伝説(3/3)

Takasaki_09

○「恋しくば尋ね来て見よ上野の わが浜川の須苗子の森」と唄われたのが須苗子の森。

○1646年3月23日夜、倉賀野町城跡の三ノ廊の茂みに、地響きとともに井戸ができ清水があふれた。 そして、泉の中にあったご神体を祭ったのが「井戸八幡」。

○豊岡・金ヶ崎の渕の主は大亀。 豊岡のトは岬・山・土の意、ヨは土地・畑の意、オカは山・麓の意、カは跡の意、というアイヌ語説もある。

○723年、土の中から輝きとともに古鏡がでてきたので、石凝姥命を祭ったのが小八木。「鏡の宮」。 
※石凝姥命は国鏡..

YAMADA

太田伝説(1)

Mantokuji

○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○植木野村にみすぼらしい修行僧がきて、芋を洗っていたお婆さんにお布施を求めたが、断られた。 そこで隣家へ行くと、快く泊めできる限りのもてなしを受けた。  お婆さんの芋は石に変わった。 隣家のまな板裏には「阿弥陀如来像が描かれ・南無阿弥陀物と書いてあった」その脇には「空海」と。 これが、宗金寺の弘法大師が爪で掘った「まな板の名号」である。

○八重傘沼には大蛇が住んでいたが、竜舞の修験者・松本院清安が切..

YAMADA

北橘伝説(勢多郡北橘:きたたちばな、現渋川市北橘町:ほっきまち)

Shiroi31

○親鸞一行が「波阿弥陀物」と唱えながら布教の途中、上箱田の硯石で利根川の白波を見て、「この自然の激しい地の人々はその気質も激しく、私の教えも容易には理解されないであろう」。 布教をあきらめ常陸国へ向かった。 このとき、硯石で墨をすり和歌を詠んだ。

○火事の時に助けられたお坊さんに、お茶がなかったので甘酒を出したら喜んで飲んだ。 翌朝、石井・珊瑚寺のお地蔵さんの手が焼けていた。 それ以来、甘酒を供えるようになり「甘酒地蔵」とよばれる。 萩原右近・左近兄弟が祭った地蔵ともいわれる。..

YAMADA

前橋伝説(2)

Maebashijyou2

○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

YAMADA

例弊使街道・中仙道

Nakasendou31

○分け去りの辻
 左:例弊使街道、右:中仙道

Nakasendou32

Shinmachi38

○見通し灯籠(常夜灯)
 1815年頃旅人の目印としてたてられた。 その後1978年復元された。

  「燈の光にさすか行きかえの ひとよ夜な夜な迷はすもがな」・「燈にそむかざりせぱ闇路にも まよいはせまじ行くも帰るも」とうたわれた。

○常夜灯(倉賀野)
 五料の里・高橋光賢が私財を投げうち・寄進をあおいで建立したとされる。

Kutagano39

Takasaki_kuragano3

○倉賀野常夜灯
 高崎市倉賀野町


☆例幣使街道の常夜灯及び道しるべ
 例幣使街道とは..

YAMADA

群馬での暮らし:グンマまじない

Gunma_ai6

○魔境の邦グンマ 【グンマのまじない】
 グンマで生きるにカナラズ役立つ【まじない術】。 これを覚えねば命の保証はない。

--------------------
足が痛い→子の権現に草鞋をつくってあげる。
いぼ→米粒でなぜる。
いぼ・あざ→神社の小石を貰ってなでる、治ったら倍にして返す。
漆にかせたとき→おわんに孔をあけてさげる。
えぼ→米粒を雨だれおちにうめると、腐るころには治る。
男四十二才になると、村の辻に酒を供え・褌を落として厄おとしとする、女は蜜柑と櫛・手拭い。
かぜ→うるしの木に..

YAMADA

グンマの昔:ナイダー

Naida

○ナイダー・下子塙(しもこばな)
 七月二十三日、円性寺で百万遍の数珠送りが行われ、「南無阿弥陀物」を唱えながら数珠を操る。 これが終わると。「ボンデン」を先頭に「ナイドー」の歓声と共に子供たちが駆け出し、家々を飛び回り厄はらいをする。 この歓声で家の中にとりついた疫病神が逃げ出すとされた。 走りながら「ナムアミダブツ」・「ナンマイダ」と唱えるので「ナイダー」・「ナイドー」となった。 元々は大人の念仏講行事だったが、悪ふざけが過ぎて子供主体の祭りに変わった。ただし、1957年..

YAMADA

十王飯

Syouyumeshi2_2

○十王飯
 醤油と鰹節を混ぜ白飯に入れてひと燃したご飯。 十王様の日につくるが、ふだんのに日にもしけり飯でつくることもあった。
 白飯は事日だけであり、毎日のご飯(まんま)は「しけり飯(割飯)といい、大麦の挽き割り7割と七部搗き米3割の麦飯であった。 そのためボロボロして食べにくく、醤油飯・五目飯(かんましごはん)などにして食べた。 (白飯は白まんまとも呼ばれた)

 

Jyuoumeshi

○かんましごはん
 ごぼう・にんじん・油揚げ・ねぎ塔を細かく切り油で炒ったものを砂糖・醤油で味付けし、しけり飯にの..

YAMADA