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三学院の龍

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○金亀山極楽寺三学院
 蕨市北町3-2

について

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☆三学院
 仁王門天井には二頭の竜、住職は運慶。 室町時代末、この運慶が京都智積院にて修行中、月夜の晩に夢枕に竜が現れ「三学院が危ない、境内に水を汲んでおけ」。 これを聞いた運慶、あらゆる入れ物に水を汲み・境内に並べると、一心不乱に祈り続けた。
 そのとき三学院では、野武士の一団が寺を襲い火を放った。 火が仁王門に移ると、竜の眼が光り・雷鳴がどどろき・口から滝のような水が噴き出し、寺は全焼を逃れ、野武士達は逃..

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東福寺

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○松寿山不動院東福寺
 草加市神明1-3-43、048-922-3051

 草加宿の祖・大川図書により慶長十一年に創建され、僧・賢宥が開山したといわれています。 旧道に面して石碑が建っており、そこから西へ参道を進み・山門をくぐります。 本堂の内陣と外陣との境には、島村園哲による見事な彫刻欄間があります。 欄間は三枚で、真ん中は龍、左右が中国で古来有名な二十四考です。

山門 について

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○東福寺山門
 この山門は、正面の柱間3.03m・妻は2.57mの棧瓦葺四脚門です。 四脚..

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お化け燈籠

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○お化け燈籠

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お化け灯籠(おばけどうろう)
 佐久間大膳亮勝之が東照宮に寄進した石造の燈籠で、
 奉寄進佐久間大膳亮平朝臣勝之
 東照大権現御宝前石燈籠
 寛永八年辛未孟冬十七日
と刻字し、寄進者・寄進年月を知ることができる。 寛永八年当時、東照宮は創建して間もなく、社頭には、現存の大鳥居・銅燈籠・石燈龍などは、まだわずかしか奉納されていなかった。 勝之は他にさきがけて、この燈籠を寄進したのである。
 勝之は、織田信長の武将佐久間盛次の四男・母は猛将柴..

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浅間社古墳

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○浅間社古墳跡(仙元祠古墳)
 川口市鳩ヶ谷本町3-20

 古くは前方後円墳があったといわれるが、現在消滅。

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 浅間社、古くは千手院が管理、明治四十年氷川神社と合祀し廃社、1978年千手院に再興。

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○曹洞宗鳩井山千手院
 川口市坂下町2-15-5  
 古くは観音堂、慶安三年に曹洞宗玉龍山法性寺末寺、1970年移転。

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Hatogaya_sengen30正面の森が浅間社(明治三十年代)

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向山不動堂

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向山不動堂
 上尾市向山1-13-39

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☆向山不動堂彫刻
 向山不動堂は、明治十年前後に、向山村と近在近郷の人たちの寄付によって建立されました。堂は向拝付の入母屋造で、本尊は不動明王です。
 指定の彫刻はケヤキ材を透かし彫りしたもので、堂の周囲三面に龍や鳳凰・十六羅漢と思われる図柄などがあります。
 堂の裏、欄間に明治10年2月10日から着手の彫りもあり、作者は明治中期ごろの名工(宮大工)山田弥吉こと山田右衛門(大谷本郷住、後東京へ出る)の壮年期の作です。
 堂の一面にだけ彫刻は..

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三日月井戸

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三日月井戸
 常泉院・海老名市

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☆常泉院の三日月井戸
 秋葉山古墳群の近く、豊かな樹木に囲まれた一角に金龍山常泉院がある。  寺の住職の話では、天文年間(1531~1554)に勇安賢存大和尚が以前からあった荒寺を改めて宗派も曹洞宗として始め、現在に至っているそうである。
 相模風土記には「金龍山と号し、曹洞宗、愛甲郡玉川村七沢広沢寺の末寺」と記されている。その前は今泉山福泉寺と称していたのである。  この寺に今なお清水がわき出している”三日月井戸”と呼ばれる泉がある。常泉院の..

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国昌寺

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○国昌寺
 さいたま市緑区大崎2378、048-878-0413

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 曹洞宗の古刹であり、開山は心厳宗智。中興開山は桃山期に能筆家で知られた大雲文龍。文龍は諸国を遊歴し名僧としての名を高め、後陽成・後水尾の両天皇に歌書を指導した。国昌寺に戻ってから関東地方のいくつかの寺院の開山、または中興開山となった。3代将軍家光から寺領10石を寄進される。   国昌寺の山門は「開かずの門」として有名。江戸中期に建立された。欄間の龍は左甚五郎作と伝えられ、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉とい..

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不動の滝

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○不動の滝
 神瀧山清龍寺不動院@和光市白子2-15-47、048-461-2116
 平安時代初期、天台宗高僧慈覚大師円仁の創建といわれる。

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 江戸時代に自然の滝(湧水)を利用して修行場がつくらた。 宝暦六年滝壺に石段がとりつけられ、文政八年石垣がつくられた。

について

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☆熊野様の池
 古くこの地に竜夫婦が住んでいた。 ある時夫婦げんかをし、一方の竜が 石神井三宝池に逃げてしまったともいわれる。  神聖な滝としてあがめられ、雨乞い・修行の場となった。..

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金龍寺

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金龍寺@太田市金山町40-1

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金龍寺 について

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越生梅林・梅まつり

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越生梅林・梅まつり  2月21日~3月22日

越生 について

について

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☆龍穏寺・歌合せ
 江戸から太田道灌が歌の會に来ると、その歌詠の行列が七町も続いたといわれる。

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草加市立歴史民俗資料館

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草加市立歴史民俗資料館(旧草加小学校西校舎)
 月休・草加市住吉1-11-29・048-922-0402

1926年建築・1982年改修、鉄筋コンクリート造2階建・建築面積333㎡。

民俗 について

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○そうか昔話
 茶屋通り・女体神社・中川の渡し・ムジナの恩返し・雷神様・火あぶり地蔵・素人相撲・狐の嫁入り・道陸神・うなぎ塚・夜泣き地蔵・十王堂・お日待・松並木の狐・毛長沼・江戸沼・魚屋河岸・いぼ地蔵・青柳姫・みそか市・雨になった龍・..

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迦葉山龍華院弥勒寺

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迦葉山龍華院弥勒護国寺縁起
 (迦葉山龍華院 @沼田市上発知町445番)

天地狗の霊峰、10年に一度の迦葉山大開帳。

沼田市 について

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白雪糕

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○売薬一覧(江戸時代)
 白龍膏・白雪・西大寺豊心丹・東山小粒・萬金丹・神教丸・孫太郎虫・反魂丹・奇應丸・無名圓・龍王湯・紫金錠・烏丸枇杷葉湯・岩見銀山・牛肉丸・藤の丸膏薬・定斎・薄荷圓・五種香・ズボウトウ・ウニコオル・正氣散・和中散・王子五香湯・一粒金丹・實母散・錦袋圓・讀書丸・清明丹・堀越固本丹・婦王散・茄子薬・年玉薬・小児丸・大木五臓圓・達摩薬・三つ星薬・てれめんていこ・角力膏薬・芭蕉膏・熊の傳三膏薬・徳平膏薬・かぶと膏・梅花膏・万能膏・あんま膏・玉水疥癬薬・即功紙・..

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和田城

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○和田城
 和田義信(義言)創始、その後拡張・増改修・廃城、井伊直政が箕輪城を移城再築、当初の形は消えた。

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○和田城址(二〇三高地)

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○和田城址


☆高崎
 古くは、和田。 井伊直政が「松ヶ崎」と改めようとするも、龍門寺住職白庵の提言で「成功高大」→「高崎」。
※台地が先に延びている地形なので、高崎との説もある。

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雲龍寺

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○雲龍寺(群馬県館林市下早川田1896、0276-73-4163)

 田中正造の密葬が行われた寺、鉱毒対策事務所が置かれていた寺でもある。

田中正造 について

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田中正造記念館

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○田中正造記念館(館林市大手町6-50)

開館:火・木・土・日の10:00~16:00

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田中正造関連

○佐野市郷土博物館(栃木県佐野市大橋町2047、0283-22-5111)

○藤岡歴史民俗資料館(栃木県栃木市藤岡町藤岡812、0282-62-4569)

○田中正造記念館(群馬県館林市大手町6-50、0276-75-8000)

○田中正造生家(栃木県佐野市小中町975、「田中正造旧宅」事務所、0283-24-5130)

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○佐野町:春日岡山惣宗寺・..

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田中正造・ゆかりの地

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○田中正造
 明治23年第1回総選挙で衆議院議員に当選、農作物や魚に大きな被害を与えていた足尾銅山鉱毒問題を繰り返し国会でとりあげ、渡良瀬川沿いの人々を救うため努力した。  しかし国の政策に改善が見られず、ついに明治34年12月10日天皇に直訴した。

田中正造 について

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○佐野市郷土博物館(栃木県佐野市大橋町2047、0283-22-5111)

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○田中正造生家(栃木県佐野市小中町975、「田中正造旧宅」事務所、0283-24-5130)

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○浄蓮寺(栃木県佐..

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玉村八幡宮

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○玉村伝説(玉村町)
 今から約1100年前のできごと、天災や不吉なことが続いていたので、国の役人は火雷神社にてお祓いをすることにしました。 そのとき、この地を治めていた「那波八郎廣純」という武士も連れて行きました。 祈りを続けて7日目、突然怪物が姿を現し、神鏡を奪おうとしましたが、廣純は刀を振ってその首を切り落としました。 このとき、怪物の折れた角を川に投げ、後に淵になったところが、玉村町の「角渕」、切った手を捨てたところが玉村町の「上之手」(神の手)であるといわれています..

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群馬での暮らし:群馬の地名

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○どこまで知ってる群馬の地名
 鮎川(あいがわ)、 間の島(あいのしま)、 赤岩(あかいわ)、 秋畑(あきはた)、 秋間(あきま)、 足次(あしつぐ)、 四阿山(あずまやさん)、 穴原(あなばら)、 雨沼(あめぬま)、 新井町(あらいちょう)、 荒牧(あらまき)、 新巻(あらまき)、 新町(あらまち)、 有馬(ありま)、 安堀(あんぼり)、 安養寺(あんようじ)、

 伊香保(いかほ)、 石上(いしがみ)、 石田川(いしだがわ)、 伊勢町(いせまち)、 市(いち)、 稲荷(いなり..

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大泉伝説(現大泉町)

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○天狗を祭ったのが宇原大明神、「喜之松」なる男が天狗になったといわれる。
○きつね塚・たぬき塚
 宿に泊まった身重の女が女の子を産み、恩返しに宿で働くことになった。 母娘とも美人で、ある時若い武士をめぐり三角関係となり・激しい争いとなり、すすきが原へと戦いの場は移った。 翌朝村人が見たものは、傷だらけで死んだ大狐と若狸であった。

○家に入った盗人を斬ったら、どこかで見たことのある顔だったので、万願寺「夜盗の墓」をたてた。 
※子供の夜泣きに効くといわれた。

○龍泉院にあるのが「雨..

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勢多の伝説(勢多郡、現前橋市・渋川市・桐生市・みどり市の一部)

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○かつて相輪塔は沢入にあったが、天狗が女人が上がるのを嫌がり、奥の塔の沢に一晩で移した。 このとき、石を一個ずつ移したので上下逆になった。 それでも倒れないのは、中に白蛇を封じ込めているからである。  さらには、勝道上人が作ったとされる寝釈迦がある。(ただし、4月8日より前は白蛇がでる)  「白蛇の塔(層輪塔or沢入塔)」というのもある。

○旅人となり伊勢参りをしたのが「板東太郎の大岩」、宿銭を借りたがちゃんと返した。

○沢入春場見・渡良瀬川にあるのが「夫婦岩(雄岩と雌岩)」..

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大間々伝説(大間々町、現みどり市)

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○高津戸城の戦い
 父里見上総入道勝広の敵討ち(山越出羽と石原石見)を企てた里見勝政・勝安兄弟が居館としたのが、1100年頃に築城された高津戸城(1351年桐生国綱により廃城)。 しかしながら、本望を遂げられなかった。(里見十二騎の墓)

○新田芳重の隠し館
 新田芳重が一族の隠れ場所としたのが上州桐原牧新田金塚隠し館、農具・武具などを作った。 金塚は鉱石貯蔵所、ジャンジャン屋敷は溶解所。

○自然のままに暮らしていた念仏行者「行仙房」、村人達に尊敬され・見守られながら1278年..

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グンマの昔:錦野の里(現玉村町)

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 天慶年間、沼田の庄を治めていた地頭に美しい娘がおり、錦野の里の若者と恋に落ちた。 一方、土豪の中には地頭の娘を平将門に差し出そうという動きがあった。  そこで地頭は娘を若者のもとへ逃がした。 土豪の追手に追いつめられた娘は矢川に身を投げ・若者も続いた。  その後、夜な夜な矢川に二つの光玉が現れたので、村人たちは玉を拾い上げ「龍神」として祀った。(これが近戸大明神)
 そしてある年、利根川が大洪水となり、濁流に竜神が現れ、玉の一つを持ち去った。(1360年頃) 残った玉は、玉竜..

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高崎伝説(1/3)

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○倉賀野
 倉賀野は舟運で栄えた町であり、米や穀物も多いのでネズミもおおかった。 しかしネズミを殺すのは忍びないと、安楽寺に「鼠供養塔」を建てた。

○目青竹(鼻高)
 小林爺婆が仲良く香煎を食べているところに来た老翁(一沙門とも)が、森に向かって竹の杖を飛ばして根付いたのが「逆さ竹」、「目青竹(金明竹)」ともいう。 この地に創建したのが上野国一社八幡宮、857年鎮座とされる。

○少将桜(慈眼寺)
 前橋城主酒井阿波守親本が「しだれ桜」を城内に植えたところ、咲くことなく、夜には..

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太田伝説(2)

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○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

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太田伝説(1)

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○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○植木野村にみすぼらしい修行僧がきて、芋を洗っていたお婆さんにお布施を求めたが、断られた。 そこで隣家へ行くと、快く泊めできる限りのもてなしを受けた。  お婆さんの芋は石に変わった。 隣家のまな板裏には「阿弥陀如来像が描かれ・南無阿弥陀物と書いてあった」その脇には「空海」と。 これが、宗金寺の弘法大師が爪で掘った「まな板の名号」である。

○八重傘沼には大蛇が住んでいたが、竜舞の修験者・松本院清安が切..

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新里村伝説(勢多郡新里村、現前橋市)

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○弘法大師が杖で掘ったら清水が湧いたのが「弘法の井戸」。
○藤原秀郷が植えたのが、板橋・秀郷の末並木。
○藤原秀郷が橋を渡る途中で足下を見たら大ムカデだった。 そこでムカデを象って鳥居にしたのが「板橋・百足鳥居」。
○藤原秀郷が戦勝祈願に杉を植えたのが「藤太杉」。
○赤堀道元の娘のお供が責任を感じて腹を切ったのが「地蔵坂(腹切り坂)」

○上板橋に小豆洗い(アズキゴシゴシ)がでた。 見た人もいた。
○機織りを眺めていた六部に少し切ってあげたら、その機はいくら切っても次々に織れるようになっ..

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前橋伝説(2)

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○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

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前橋伝説(1)

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○法燈寺は堂塔伽藍が建つ度に焼けたので、杉の坊の天狗により再建されたがやはり焼けて護摩堂だけ残った。(法は水が去る・燈は火が登る、と書くので凶)

○青梨子・井戸八幡宮は竜巻によってでき、眼病に効くといわれた。 井戸には白蛇が住むと言われるが、覗くと目がつぶれるらしい。

○朝に前橋を出ると、暗くなるころ到着するので「あさくら(朝倉)」。

○蹄石は、八幡太郎義家が八幡山へと馬で飛んだ時の足跡。

○旦那坂には、追いはぎがでた。 そして言った「旦那・旦那」と。

○おこり仏、大きい方をさわると腹..

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グンマの昔:金龍寺

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○金龍寺・太田市昭和初期
 大田山義貞院金龍寺、応永年間に建立された。 新田義貞の霊殿があるらしい。

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Nitta59○新田神社

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グンマの昔:上三原田舞台

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○上三原田の回り舞台
 赤城山西麓では歌舞伎が盛んであった。  なかでも、地元の大工永井長治郎が1819年頃造った「上三原田の回り舞台」は世界最古の回り舞台といわれている。

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※水車大工の永井長治郎、上三原田の回り舞台を作った。 そしては人力飛行機を作ったが、あえなく失敗。

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(1961年)

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○永井長治郎
 寛政年間上三原田北谷戸に生まれ、家業の水車大工として「突出水車・長治水車・船車」など独自の水車を造り、文政二年赤城天龍寺歌舞伎舞台..

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妙全の逆さ杉

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○妙全の逆さ杉(龍澤寺)
 六合村・日影竜沢寺門前に「竜沢寺の大杉・妙全の逆さ杉」がある。 樹齢八百年余、尼僧妙全の杉の杖が逆さのまま根付いたといわれている。

☆グンマでは木が逆さに生える。 たとえば、逆さ杉 ・逆さ桜 ・逆さ梅 ・逆さ柳 ・逆さウツギ、などある。






○逆さ杉(嬬恋村門貝熊野神社)
 弘法大師巡錫のとき、過ぎの枝を逆さにして杖としたものが根付いた。

○逆さ桜(新治村赤谷湖畔)
 上杉謙信が出陣しこの地を通ったとき、馬の鞭に使ったサクラを地にさして、軍勢を占った。 ..





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グンマの昔:大光院

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○大光院
 1612年徳川家康の命により建設され、住職に呑龍上人が命ぜられた。 大光院は「義重山新田寺大光院」といい、徳川氏始祖の新田義重を祀る寺である。(徳川家の先祖は新田氏であるといわれている) 

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Ohta32新田義重墓


《グンマを話そう》
○呑竜上人となかずの池
 ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が..

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郷土玩具:沼田天狗面

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○沼田天狗面
 沼田市北部の迦葉山龍華院弥勤寺は853年、天台宗比叡山座主の慈覚大師を招き、創建したと伝わる。 その後、室町時代に曹洞宗に改宗された。 さらには1451年、禅問答で天巽禅師を破り曹洞宗を確立した。 寺には日本一の天狗面が安置され、古くから天狗の寺として有名だ。 同寺に入山した僧侶が天狗になって昇天したとの伝説があり、参詣者は最初の年に天狗面を寺から借り受け、願いが叶うと門前の店で新しい天狗面を買い求めて二つを奉納し、さらに別の天狗面を借りるという風習が今も続い..

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群馬での暮らし:分福茶釜

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曹洞宗 青龍山 茂林寺(群馬県館林市堀工町1570)

○ぶんぶく茶釜
 元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。

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 その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功..

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柿大福

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柿大福
 (くちば物産株式会社 京嵯峨野竹路庵@摂津市鳥飼上3-3-29/京嵯峨野竹路庵@京都市右京区嵯峨天龍寺北造路町45-4)

○生菓子

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栗大福

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栗大福
 (くちば物産株式会社 京嵯峨野竹路庵@摂津市鳥飼上3-3-29/京嵯峨野竹路庵@京都市右京区嵯峨天龍寺北造路町45-4)

○生菓子

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群馬での暮らし:鏜々が淵

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《グンマを話そう》

○鏜々が淵(堂々が淵)
 高山村尻高の龍海寺跡・名久田川近くに鏜々が淵があった。 858年春、与五右衛門が藤の花を採ろうと「どうどうが淵」へやってきたが、ふとした拍子に鉈を淵に落としてしまった。 鉈を拾おうと淵に入った与五右衛門は水底深く吸い込まれてしまった。

 気がつくと機織り娘が、酒・さかなを運びご馳走してくれた。 三日三晩を過ごした与五右衛門が村に帰ると、村人はいなくなった与五右衛門のお弔いをしていた。  このことがあってから、与五右衛門はす..

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群馬での暮らし:錦野伝説(玉村伝説)

Manpukuji

《グンマを話そう》
○錦野伝説(玉村伝説)
 千年ほど前上野の土豪たちは、平将門の攻めから逃れようと、沼田の庄(現玉村町芝根)の地頭の娘を差し出すことにしました。 しかしながらこの娘には、許婚がいました。 親子ともども悩んだあげく、娘は錦野(現玉村)にいる許婚のもとへと走りました。 ところが、矢川まで逃げた所で追い詰められ川に身を投げてしまいました。 このことを知った許婚はたいへん嘆き悲しみ、後を追ってこの矢川に身を投げてしまいました。 その後この二人は竜となり、それぞれに玉を抱..

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群馬での暮らし:龍の鱗

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《グンマを話そう》

○龍の鱗
 吾妻町・善導寺の円光上人(道阿上人の説もある)の母(娘の説もある)が榛名湖に身を投げ龍(大蛇の説もある)になった伝説があり、その「龍の鱗」が残されている。

○大蛇になった寺のばあさん
 ある昔、寺の婆さんがあまりにも「榛名湖へ連れて行け」というので、家の者が榛名湖の畔へと連れて行った。 すると榛名湖の中から大蛇が現れ、おばあさんが湖に飛び込むと大蛇と一体になり湖底へと消えてしまった。  それからというもの、毎年5月25日の命日には、赤飯を重箱に入れ..

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