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木傘神社

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○木傘神社
 さいたま市大崎3065

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 祭神に日本武尊を祀る神社で尊の降雹伝説があります。 その昔、日本武尊がこの地を通ったところ、時ならぬ降雹に遭ったと言います。 尊は大木の下で雹を凌ぎましたが、ますます激しくなるばかりでした。 そこで木の下で雹除けの祈祷をしたところ、たちまち雹は止みました。 そこでここに神社を作り、降雹を凌いだ木にちなみ木傘明神と名付けたということです。
 日本武尊は、「古事記」「日本書紀」に所伝のある景行天皇の皇子..

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沼影観音堂

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○沼影観音堂・廣田寺(広田寺)
 さいたま市南区沼影1-6、048-829-1723

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沼影観音堂のイヌマキ
 高さ15m・幹まわり1.46m・根まわり2.5m・枝張りは東西6.1m、南北7.5m(指定時)。 地上2.6mのところで幹が2本に分かれますが、特に損傷もなく自然な発育を遂げた樹形で樹勢も良好、イヌマキとしてはかなりの古木に属します。

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☆沼影観音堂厨子江戸時代初め頃。
 一間厨子・禅宗様・入母屋造。
 桁行1.265m・梁間0...

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蕨と渋川公

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 ある昔、木部村の豪族だった木部氏の妻・木部姫(長野姫)が、夫君の活路を開かんと榛名湖に身を投げ、侍女達もそれに続き湖底のカニとなり姫を守ることとなった。  しかしながら木部氏は妻を忘れることができず、榛名湖に出向いて妻の名を呼んだ。 湖底から現れた妻は、「私はこの湖の主です。理由あってあなたの妻となりましたが、湖に戻るときがきたのです」と言うと大蛇となり再び湖底に姿を消した。

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○榛名神社
 榛名神社の祭神は火産霊神・埴山姫神で、五穀豊穣を祈願する講による参拝がさかんだった。 特..

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櫛引氷川神社

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○櫛引氷川神社・さいたま市大宮区櫛引町1-653

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☆何処かに素戔嗚尊腰掛松があったらしい…

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[大宮伝説 メモ]

☆カッパの妙薬、 さいたま市・大宮  片腕を切り落とされた見沼のカッパが伝えたのが「カッパの膏薬」。

☆日本武尊腰掛松、さいたま市・大宮浅間  氷川神社に詣でたおり腰掛けて休んだらしい。 他説もある。

☆小豆婆、    さいたま市・大宮  吉敷町安藤橋と、西光院西の道に、目撃情報。

☆徳川家康腰掛松、さいたま市・大宮飯田新田・西光院

☆首無し地蔵、 ..

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大黒院

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○大黒院・黒塚
 さいたま市大宮区堀の内町3-314、048-641-8788

☆黒塚の鬼婆
 足立ヶ原に棲む鬼婆を、東光坊祐慶阿闍梨が鎮めた。 祐慶上人が東国足立ヶ原にて黒塚の悪鬼を呪伏して東光坊と号した。 その後東光寺は移転、黒塚大黒院が残る。 足立ヶ原には女盗賊もいたといわれる。

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☆黒塚の大黒天
 大正時代道路建設のさい、地中より出土したものを祀った。 
※人皇七十代後冷泉天皇の御代永承六年、..

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人魚 メモ

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日本での人魚は美しいことなく(鳥山石燕絵)・食べられる運命にあった。

☆八百比丘伝説、食べたのは「フケツの貝(フクツ・不老の貝)」ともいわれる。

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☆八百比丘尼伝説(白比丘尼伝説)
 宴席で出された肉料理が人魚肉であることを知った村人は気味悪がって誰も食べようとしなかったが、ただ一人その肉を持ち帰った男がいた。 そしては、娘がその肉を食べてしまった。 ところが娘は、何年経っても十六・十七歳のままで年をとることなく、身内がいなくなった娘は尼となり福井県小浜の空印寺で八百歳の寿命を全..

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慈光寺

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○一乗法華院慈光寺
 ときがわ町西平386、0493-67-0040

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☆青石塔婆
 慈光寺山門跡に、立つ板碑群です。 2mを越す五基の大型板碑を含み九基の板碑が林立する風景は、武蔵型板碑の代表的な景観として著名です。 武蔵型板碑とは小川町下里や長瀞町で産出する緑泥石片岩により作成された鎌倉時代から戦国時代の供養塔で、板碑・青石塔婆・板石塔婆などと呼ばれています。 ここに立つ板碑には、慈光寺のかつての僧侶名などが記され文字資料としても極めて貴重な存在です。

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Jikoji_kaizan1☆開山..

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美女木八幡社

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○美女木八幡社
 戸田市美女木7-9-1

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 美女木八幡社は、鎌倉時代に建てられたと伝えられる古社です。 この神社に残る銅鐘は、聖釜(早瀬にあった池)の水中より掘り出され、鐘をつくと大水が出るという伝説があります。 美女木八幡社の拝殿の中に安置されていましたが、現在は戸田市立郷土博物館で展示しています。 銅鐘には銘文はありませんが、総高111cm・口径が59cmで全体的にすっきりとした姿をしており、撞座の蓮華文様や下帯の忍冬唐草文様に雄健で精巧な表現が見ら..

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渋川公墓

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○渋川公墓・宝樹院
 蕨市中央2-10

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 金峯山宝樹院は、渋川氏を開基とする臨済宗の寺院です。 川口市芝の長徳寺の末寺で、本尊は地蔵菩薩を祀っています。 創建年代は明らかではありませんが、観応三年には蕨郷が渋川氏の所領であったことから、それ以前の創建と考えられます。

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 宝樹院にあるこの石碑は、永禄十年に上総国三舟山合戦で敗死した渋川公と、その死を悲しみ群馬県の榛名湖に入水した夫人とを祀ったものです。 この石碑は、渋川公夫妻の250年忌にあたる、文化十三年に渋川氏家臣の..

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狸寺

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○新光寺・狸寺
 所沢市宮本町1-7-3、04-2922-3058

 「アチチの新光寺・二度と来まい新光寺」といって狸が逃げ出したらしい。

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 真言宗の寺。本尊は正観世音、奈良法隆寺の夢殿に似た八角堂で知られる。 源頼朝が狩りの際に、休息の場所として立ち寄ったという伝説がある。 武蔵野三十三観音第十番札所。

☆たぬき寺・新光寺
 新光寺近くに住むたぬき、毎晩お寺に遊びに来た。 だんだん図々しくなり、夜遅くなっても帰らずにたぬき寝入り、あきれた和尚が囲炉裏の炭火を押しつけた。 たぬ..

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霧吹きの井戸跡

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○霧吹きの井戸跡
 所沢市城

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☆霧吹きの井戸跡
 滝の城跡 西側の七曲坂を下りきった所に残る井戸跡です。 昔、井戸に竜が棲んでおり・たびたび悪さをしことから、村人たちは竜を退治するめ柳瀬川の対岸に舞台を作り・お祭騒ぎして竜びき出して弓で射いたという伝説があります。  弘化三年建立の大峯権現と刻まれた石造物があります。

※城が攻められた折この井戸から霧が吹き出して城を守った、という伝説もある。

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駒込妙義神社

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○駒込妙義神社
 豊島区駒込3-16-16

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 日本古代史における伝承上の英雄・日本武尊が、当時東国にいた民族である蝦夷を討つために東征した際、この妙義神社がある場所に陣営を構えたと伝えられています。 日本武尊が東征した後、この地に社が建てられ、日本武尊が白鳥に生まれ変わり飛び立ったという伝説から、白雉二年五月十二日、白鳥社と号しました。 豊島区内では最古の神社として伝えられています。

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茗荷谷

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○茗荷谷・文京区小日向

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○しばられ地蔵・林泉寺
 文京区小日向4-7-2、03-3943-0605

 林泉寺は、慶長年間伊藤半兵衛長光の開基、通山宗徹を開山として創立された。 四百年の伝統と数々の伝説を秘めた由諸ある曹洞宗のお寺である。 入り口の階段を上がった右手に、縄でしばられた石仏がある。

 願掛けは地蔵を縛り、願いがかなうと縄を解く。 縄が多いのは、地蔵様がまだ処理しきれていないらしい…  
誰の願掛けか解らなくなっているとの心配..

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埼玉伝説 メモ

Omiya_kurozuka9黒塚・潮田出羽守城跡

埼玉県伝説集成(主に県南版)

○馬蹄寺、上尾市平方・馬蹄寺
 吾妻左衛門是好の叔父三輪荘司が死んで馬に生まれ変わった、といわれる。

○片目の氏神、上尾市平方・
 氏子の目は片方が小さいとか…

○平方のお獅子、上尾市平方・
 伊草村の獅子頭が大水で上尾平方に流れ着いた。

○疱瘡石、朝霞市岡・東円寺
 疱瘡に罹ったら枕元にこの石を置くと治る。

○弘法大師掘抜の滝、朝霞市岡・東丹寺付近
 弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。

○片目の魚、朝霞市岡・広沢の池..

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さきたま伝説

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☆調神社の七不思議・さいたま市中央区
 神社に鳥居がない・境内に松の木がない(門松もたてない)・兎が神の使いである・日蓮上人が駒を繋いだ欅がある・池に片目の魚がいる・蝿がいない・蛟(みずち)がいない。
※神が降臨や出陣のさい、誤って転び・松葉や胡麻などで目を突いたので、神は片目だったという信仰がある。 このため、片目の生物は神の眷属として祀られた。 神に供える魚を池に放つさい目印とした、との説もある。
※蠅は、五月蠅い人・邪魔な人 あるいは侍。
※蛟は、水神あるい..

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とうきょう伝説

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東京伝説

☆スッテクリョウ、秋川市菅生・
 兄弟の太郎と二郎、太郎の白馬を二郎が代掻きに使い喧嘩となり・太郎は殺されてしまった。 太郎は埋葬のさい頭を剃ってなかったので今尚「剃ってくれ」…

☆足立姫と六阿弥陀、足立区扇2・性翁寺
 豊島氏に嫁いだ宮城宰相の娘足立姫、不縁となり川に身を投げた。 父は姫の霊を弔うため紀州熊野にて霊木を得、行基が六体の阿弥陀仏と木余如来を彫った。

☆猿仏塚、足立区栗原1・島根小学校前
 むかしむくれて農家には利口な猿、ある日家人の留守に赤ん坊を風呂に入れ..

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豊島七不思議

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東京都北区

○王子装束狐
 大晦日の夜、全国から集まった狐たちが榎木の元(装束榎)で衣冠束帯に着替え、狐火を灯し王子稲荷へに詣でた。

※晦日の王子稲荷では、狐の年越し宴会が開かれたらしい…
※狐火が多いと翌年は豊作といわれた。
※明治末に榎木を伐ろうとした人に祟りがあったため、供養のため榎町と町名変更したが・1939年その名前も消えた。

王子の狐 の画像を検索 )

○狐の嫁入り
 闇夜に火玉がゆらゆらと見えた… 狐の嫁入り…
※狐の婿入りはないらしい…


○人形流し
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おいてけ堀跡

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○おいてけ堀跡
 江東区亀戸1-12

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○おいてけ堀
 江戸本所七不思議の一つ。 日が暮れて魚釣りの帰り道、堀の中から「おいてけ~、おいてけ~」の声がする。 気がつくと魚籠の魚が消えている…
※「置いてきぼり」の語源

☆本所七不思議
  置行堀・送り提灯・送り拍子木・燈無蕎麦・足洗邸・片葉の葦・落葉なき椎・狸囃子・津軽の太鼓、など。

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Honjyowari

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Honjyom41明治41年

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宇津救命丸

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☆宇津救命丸・千代田区神田駿河台3-3

 下野国宇都宮家二十三代目国綱がとり潰しとなり、その家臣宇津御右衛門は慶長二年下野国高根沢西根郷に戻り帰農することになった。 五代目宇津御右衛門は江戸で医学を学び、宇津家秘薬「金匱救命丸」を改良し広めた。
 明治末、薬問屋福井商会(福井益吉)により、「宇津救命丸」として全国で発売されるようになった。

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☆宇津救命丸
 慶長二年宇都宮家二十三大当主国綱が豊臣秀吉により改易され、御殿医だった宇津権右衛門は下野国高根沢西根郷に帰農し・半農半医と..

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面影橋・おもかげ橋

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○俤の橋・姿見の橋
 新宿区西早稲田3

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 神田川のさまざまな名橋の中でも特に有名な橋で、曲名にもよく使われる江戸時代からの名所。 かつては「姿見の橋」と呼ばれていたという説もある。 橋の近くには、室町時代の武将・太田道灌の伝説に基づき、「山吹の里」の碑が立つ。

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Sugataminohashi

☆高田姿見のはし俤の橋砂利場
 面影橋と姿見橋があり、面影橋北側は砂利が採れたので砂利場村とよばれた。

☆面影橋
 明応年間武蔵国高田の里に都を追われた武士とおぼしき一家が住みついた。 その娘は於..

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身形神社

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○身形神社(みのかたじんじゃ)  
 さいたま市桜区神田56

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Migata_amagoi1c雨乞い絵馬

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Urawabunka_migata1○セイコノヨシ自生地・身形神社


☆セイコノヨシ自生地
 身形神社境内に自生しているイネ科の多年性草木で、草丈は2mから最大4mにも達します。 中国の西湖にちなんだ名前で、主に本州南部より西側の暖かい地域に自生し、関東では珍しい植物になります。 ヨシのようにも、細い竹のようにも見えるので、地元では「ヨシタケ」と呼んでいますが、セイコノヨシの別名は「セイタカヨシ」といいます..

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神話伝説 (10)

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○海幸・山幸
 コノハナサクヤ姫が生んだ、長男ホデリノ命は海幸ビコ(漁労の神)・三男ホオリノ命は山幸ビコ(狩猟の神)、とよばれた。 あるとき、山幸ビコと海幸ビコは互いに自分の道具である釣針と弓矢を交換したが、山幸ビコは釣りに慣れていないため魚に釣針を取られてしまった。 これを海幸ビコに厳しく責められ、海幸ビコは家を出た。 途中でその地の支配者シオズチノオジ(航路の神)に出会い・竹の目を堅くこまかく編んだ籠舟に乗せられ、ワダツミノ神(海の神)宮殿(イロコノ宮)へ向かい・その娘ト..

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神話伝説 (9)

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○コノハナサクヤ姫
 高千穂の峰に降臨したニニギノ命、カササの岬にやってきてコノハナサクヤ姫に求婚するも、父オオヤマツミノ神は大喜び・姉のイワナガ姫までも差し出した。 しかし、イワナガ姫は希にみる不細工だったので、ニニギノ命はすぐに里帰りさせてしまった。 いっぽうサクヤ姫は一夜で身ごもり、疑うニニギノ命の前で御殿にこもり・内から土を塗り・火をつけ、燃え上がる火の中でホデリノ命・ホスセリノ命・ホオリノ命(ヒコホホデミノ命)を生んだ。 

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※オオヤマツミノ神曰く「イワナガ姫は..

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神話伝説 (8)

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○天孫降臨
 オオクニヌシが出雲で繁栄しているのを見下ろしていた天上のアマテラス、出雲国を掌中に収めることを企てた。 まずアメノホヒノ命を派遣するも帰らず、次にアメワカヒコをつかわすもオオクニヌシの娘と結婚し帰らず、さらに雉ナナキメを女使者としてつかわすも、アメノサグメに見破られ・アメワカヒコに射落とされてしまった。 ナナキメを射た矢は天まで届き、怒ったタカミムスビノ神が下界の出雲に投げ返すと、胡床にやすんでいたアメワカヒコの胸に突き刺さりアメワカヒコは死んでしまった。 最後..

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神話伝説 (7)

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○オオクニヌシ
 ヨミの国へ逃れたオオクニヌシは、スサノオの娘スセリ姫に出会い夫婦の契りをかわした。 これに怒ったスサノオは、オオクニヌシを蛇や百足ゃ蜂で溢れる室に閉じこめたが、スセリ姫の魔法のヒレで助けられた。 次にスサノオは原野に矢を放ち、オオクニヌシに矢を拾ってくるように命じた。 オオクニヌシが原野に入ったのを見とどけたスサノオは原野に火を放ったが、オオクニヌシは鼠の忠告で洞穴に入り難を逃れ・矢を拾って戻ってきた。 スサノオは今度は自分の頭の虱を捕るように命じたが、オオク..

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神話伝説 (6)

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○イナバの白兎
 スサノオはクシナダ姫をめとったほか、いろいろな神々の娘との間にたくさんの子をもうけた、その末裔がオオクニヌシノ命。 オオクニヌシは、美女ヤガミ姫との結婚を企むたくさんの異母兄とともに、イナバへ向かった。 途中のケタの岬で皮を剥かれ・泣き伏した白兎に出会うと、兄神たちは「海水を浴びて・風に当たると治る」と教え、そのとおりにした白兎はますます痛み苦しんだ。 そこでオオクニヌシは「真水で体を洗い・蒲黄にくるまって寝れば治る」と教えた。

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 やがてヤガミ姫のもとに着く..

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神話伝説 (5)

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○ヤマタの大蛇
 天上から追放されたスサノオは放浪しつづけ、その途中農業神であるオオゲツ姫に出合い食物をもらったが、姫が口や尻から食物を出すのを見て殺してしまった。 そして、姫の頭から蚕が・鼻から小豆が・ホトから麦、が生まれ出た。

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 出雲ヒノ川の川上にやってきたスサノオは、ヤマタの大蛇が毎年人身御供を求めてくるのを聞いた。 そこで、酒を造らせ・これを八つの壺に入れ、ヤマタの大蛇を待った。 そしては、ヤマタの大蛇が酒を飲み・酔って眠ったところを斬り殺した。 この時、大蛇の尾から..

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神話伝説 (4)

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○天の岩戸
 突然荒れ狂いだしたスサノオは、アマテラスが作った田の畔をこわし・溝を埋め・御殿に糞を撒き、乱暴狼藉をつくした。 長い顎髭を胸まで垂らしたスサノオが泣きわめくたびに、山々の草木は枯れ・川や海も干上がり・あらゆる災いが起きた。 さらに、神聖な機織場に、皮を剥いた斑駒を天上から落とし入れたために、驚いた織女がホトを突いて死んだ。 ついに怒ったアマテラスは天の岩戸にこもってしまった。

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 闇となった天上では神々が集まり、長鳴鳥を鳴かせ・鏡を木にかけ・アメノウズメノ命が裸舞..

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神話伝説 (3)

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○アマテラスとスサノオ
 ヨミ国から逃げ戻ったイザナギが川で体を洗うと、左眼からアマテラス大御神・右眼からツクヨミノ命・鼻からスサノオ命が生まれ出た。 そこでイザナギは、アマテラスに高天原を・ツクヨミノに夜の国を・スサノオに海を治めさせることにしたが、スサノオはイザナミを慕い泣き続けたため追放されてしまった。

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 スサノオは天上の姉アマテラスのところへいとまごいに行き、「アマテラスがスサノオの剣をもらい・スサノオはアマテラスの勾玉をもらい、それぞれが口に含み・噛み砕いて霧のように..

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神話伝説 (2)

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○ヨミの国
 イザナミノ命は、最後に火の神カグツチを生み死んだ。 その間際、吐瀉物から金属鉱山の女神と男神・糞から肥料の女神と男神・尿から水の女神・食物生成の神などを生んだ。 イザナギノ命は猛り立ち十拳の剣でカグツチの首を切る落とすと、飛び散った血から岩石の神々・雷火の神々・山岳の神々・雨竜の神々・渓谷の神々・などたくさんの神々が現れ、死体からもさまざまな山の神々が生まれた。

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 イザナミの遺体は出雲国と伯伎国の境に葬られ、イザナギの流す涙から泣沢の女神が生まれた。 イザナギは..

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神話伝説 (1)

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○オノゴロ島
 天地の初め、高天原にアメノミナカヌシノ神・タカミムスビノ神・カミムスビノ神の三神現れるも、独り神のためやがて身を隠した。 その後、ウマシアシカビヒコジノ神・アメノトコタチノ神・クニタチトコノ神・トヨクモノ神などが現れ、やがて男神イザナギノ命と女神イザナミノ命が現れた。

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 二神は神々の命令で「天の浮橋」に立ち・授けられた玉の矛で海をかきまわすと、矛の先から滴が垂れ落ち・それが固まってオノゴロ島となった。

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 島に降りた二神は、御柱を立てた。  

イザナギ:汝が..

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舌切雀

Shitakiridensetsu8 明治の文豪巌谷小波が、「舌切り雀伝説発祥の地」に決めたのが磯部温泉。 雀のお宿は、遊郭のことだったともいわれる。

について
磯部温泉 について

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○里すずめねぐらの宿
 歌川国芳、天保十四年(1843年)~弘化四年(1847年)頃。

 かしまし吉原宿、出前持ちの持つ大きな膳が「大盤振舞い」の語源となった 。

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舌切雀・ちりめん本(1885年)

☆舌切雀
 原典は宇治捨遺物語の「腰折雀」、さらには朝鮮・蒙古の「腰折燕」ともいわれる。
※舌を切られるようになったのは江戸..

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いちねんせいになったら

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ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな
ふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

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ナカマハズレハヨクナイ…


それとも九十九伝説か…

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女郎鰻

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○女郎うなぎ
 割烹旅館福助、小川町小川97、0493-72-0026

うなぎ について

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☆女郎うなぎ名前の由来
 天保安政年間に当家の先代善兵衛の親友某氏が、宿望の「伊勢神宮」へ行った帰りに後日の思い出にと、江戸は吉原の廊に立ち寄った所、相手の花魁があまりにも気品高く美しいのでたちまち虜となってしまいました。 そこで男は大枚を投じて身受けをして小川の町に連れ帰ったまではよかったのですが、我家には妻がおりますので思うにまかせず、思案に余り当家先代..

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興照寺

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○興照寺
 川口市差間2-13-5

弘法大師 について

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鯖大師(弘法大師) 


○興照寺
 明全和尚、越後高田藩主側室の子として生まれるも母親と共に城を追い出され、そしては母を失い僧侶になり・修行の後、興照寺住職となった。 四国霊場を巡るおり鯖大師の伝説を聞き、鯖大師建立となった。 身の丈六尺・目方四十貫といわれる。
 弘法大師が大阪巡礼のおり、金子なく宿に泊まれなかったので川の土手で野宿をすると、行儀菩薩の夢を見た。 朝起きて歩き始めると馬の背に魚をのせ..

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お御前様

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○お御前様・栃谷立石(高篠村)

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☆御前社・将門伝説
 頃は天慶年間平将門は破れ その后妃は御厨(屋)三郎(平定延期)につれられて 下総の古河より秩父の城峰山に移ったが 程なく城峰の砦も落ちてしまった。
 主従合わせて百余人は敵の大軍に追われつつ三峰方面に向って逃げたのである。 然し此分ではとても逃のびる事は不可能であると悟った家来の五人は如何にして我が主だけは刃にかけたくないと思って一策を案じ 敵の大軍が雪崩を打って押し寄せてくるのに乗じ意を含めて味方の大部隊は..

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伝説の秩父

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☆御前様・高篠立石
 天正十八年北条氏邦戦いに破れ鉢形城開城、徳川氏代官の支配下となった。 家臣御前但馬守と家来椿兵左衛門は立石に落ちのぴ、小さな小屋を建て・農耕し・子供達に学問を教えた。 村人達に信頼されるようになったころ、武士達がやってきて・御前らを殺害してしまった。 これを哀れんだ村人達は 小屋跡に祠を建て御前様を奉り・廻りに椿を植えた。
※武士達に桔梗紋だったともいわれる。

☆天狗たん譚・槻川村坂本琴平神社
 近くの山には天狗が住み、この天狗をからかった男の家が飛ん..

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御霊神社

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○御霊様
 元禄年間(1700年頃)、コヤツマ新井家(忠兵衛)の屋敷神として建てられた。 寛保二年(1742年)・文政七年(1824年)・明治二十三年(1890年)に改築。

※コヤツマ新井家は文政年間に破綻消滅
※コヤツマは小谷津間、地形からきている。

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○姫塚・定峰
 源蔵娘(源重郎妹)の碑、疱瘡で亡くなった幼女(幼名ナツ)を葬った。(万延年間・1860年頃) 墓石は姫達磨を表している。 「源蔵娘の墓」と判断したのは下記による。
①300年以上前から新井家の土地なので新井家のだれか..

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秩父定峰山里の道

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秩父市定峰

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○定峰神社
 社伝によれば、天正十一年武田信玄の家臣・島田左近大夫定峰村に土着帰農に際し、加賀総社白山神社の分霊を勧請、伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命を本村字権現堂宮城の地に鎮座し・白山権現と称し・村の総鎮守とす。 境内に愛宕社・天神社・白鳥社・山神社を祀る。 明治四年村社に列せられ、明治四十年七月、高篠村中心地字七曲り無格社八坂神社に合祀し、さらに無格社・妙見社・稲荷社を合祀して定峰神社と改称す。

☆古くは権現様ともよばれ、安産を願う産泰講があった。

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与野伝説

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さいたま市中央区(旧与野市)

○安養山円乗院(円乗院・安養山西念寺)
 さいたま市中央区本町西1-13-10
 古く浦和道場から移転。 賢明法印が中興開山、江戸時代は幕府から寺量十五石の御朱印地をもらっていた。

伝説 について

○円乗院・あみだ様とヘビ
 喉の痛みに悩まされた歴代の住職、ある時夢の中に白衣の老人が現れ・物置の長持を見るように告げた。 物置に放置された長持、その中には阿弥陀様・その首には白蛇が巻きついて死んでいた。 そしては、阿弥陀様を本堂に奉り・白蛇は木箱に納められ..

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竜神社

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○竜神社
 さいたま市緑区宮本2-17-1

竜神 について

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☆見沼の竜
 見沼の竜・見沼のいもり・美女と馬子・竜神祭り・竜灯、など伝説が多数ある。


☆見沼の竜神様
 見沼の夕暮れ、そこには毎夕笛を吹き・辺りをさまよう美女が現れた。 村人達は「見沼の竜神様」と恐れ、ある時武士が切りつけると・暴風が吹き・稲妻が走り・雷が轟き・美女は消え、竹笛だけが残った。 そしては、この竹笛を神社に納めた。
 何年も経ったある日、神社にやってきた年老いた女が、「竹笛を吹か..

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厳島神社

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○弁天様・厳島神社(厳嶋神社・山口弁財天)
 川口市東内野/さいたま市緑区下山口新田

 古くは沼の中程に弁財天を奉っていたが、沼地が無くなり移設。  「この沼には雌の大蛇が住んでおり、印旛沼に住む雄の大蛇に会いに行った」・「大蛇の鱗」などの伝説もある。
※沼の中から見つかった弁天様を奉ったといわれる。

弁天 について ・ 大蛇 について

○山口弁財天(氷川女體神社)
 暑い夏の日、蓮見家馬子が千住からの帰り道、疲れ果てた旅姿の女を木曽呂橋まで馬に乗せた。 その女がお礼に渡..

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身代り地蔵

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○宝泉寺・身代り地蔵(集会所内)
 川口市神戸303付近

 かつて、地蔵尊・不動尊・大師を奉った。 宝泉寺本堂は現存しない。(墓地は残ってる)

☆無住の宝泉寺、その宝泉寺の僧侶(小坊主)と名乗る者が悪病・苦行の身代わりになった、との伝説がある。

身代伝説 について

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横線540

Housenjiiseki1宝泉寺遺跡

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子安観音

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○観音院・子安観音
 川口市柳崎4-11

 仁和元年第五十九代宇多天皇皇后難産のおり、比叡山座主円珍知記大師が彫刻した「正観世音」が由あってこの地にもたらされたともいわれる。

子育伝説 について

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 古くは比叡山東光寺に安置されていたが、織田信長の比叡山山焼き打ちで寺が全焼するも、正観世音贈だけが焼け残った。 僧恵海がこの像を背に東国に霊地を求め巡錫に出たると、夢枕に現れた観世音菩薩のお告げ「難産を除きたもうため東方に奉れ」により安置した。

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鉢形城歴史館・鉢形城跡

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○鉢形城歴史館・鉢形城公園
 大里郡寄居町大字鉢形2496-2、月休、048-586-0315

城跡 について

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Shiro_hachigata1○武州鉢方古城

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☆万年山少林寺
 少林寺に長く飼われた猫一匹、数珠を置いて寺を去った。 数日後、鉢形城主が亡くなり、葬式の最中棺が天高く舞い上がった。 このとき、少林寺僧侶「万年山少林寺住職ここにあり」と唱え・数珠を天に投げ上げると、棺は元の場所に収まった。
※江戸時代、少林寺は幕府から十五石の朱印を受けた..

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上大久保氷川神社

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○上大久保氷川神社本殿
 桜区大字上大久保562

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☆二間社流造・桟瓦葺・桁行2.700m・梁間1.890m・向拝の出1.000m。 伝大宮氷川神社旧本殿。 文禄五年建立と記録にある本殿(大間木氷川神社本殿の一代前か)を式年遷宮の際に譲り受けたものと推定。

○上大久保氷川神社
 埼玉大学建設のため移転、大宮氷川神社旧本殿を譲り受けたともいわれる。

○日枝神社・埼玉大学北西
 大久保の大ケヤキ、八百比丘尼が植えた・ハバキ様とよばれていた、などの伝説 がある..

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豊島清光メモ

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○豊島清光座像
 オリジナルは清光寺(東京都北区豊島7-31-7、03-3914-7794)

 豊島清元(清光)は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。 武蔵国豊島郡を領有した豊島氏。 代々、源氏の家人になり、前九年の役や後三年の役で源義家に保元の乱で源義朝の配下で参陣。 父は豊島康家。


 清光寺は、平安時代末期から鎌倉時代初期、豊島郡を中心に活躍した豪族豊島康家・清光が開基した寺院と伝えられ、ここには、清光の坐像が安置されています。 治承4年4月、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ..

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待乳山聖天宮 メモ

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待乳山聖天宮 メモ

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真土山聖天宮

☆待乳山は、その形状からして昔は古墳(高塚)だったと考えられる。

※待乳山聖天宮は土地柄、花柳界に信仰が厚かったといわれる。
※川沿いには待乳の渡し(竹屋の渡し)があり、対岸は向島。

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○石枕、金龍山の古墳内に納められ・死者の頭を固定した供物ともいわれる。

※古く浅草付近には多くの古墳(高塚)があったが、観音様を中心とした繁栄歓楽地となり、崩壊消滅したともいわれる。

※金龍山、古くは金の龍を掘出していた..

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国昌寺

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○国昌寺
 さいたま市緑区大崎2378、048-878-0413

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 曹洞宗の古刹であり、開山は心厳宗智。中興開山は桃山期に能筆家で知られた大雲文龍。文龍は諸国を遊歴し名僧としての名を高め、後陽成・後水尾の両天皇に歌書を指導した。国昌寺に戻ってから関東地方のいくつかの寺院の開山、または中興開山となった。3代将軍家光から寺領10石を寄進される。   国昌寺の山門は「開かずの門」として有名。江戸中期に建立された。欄間の龍は左甚五郎作と伝えられ、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉とい..

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大門神社

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○大門神社
 さいたま市緑区大門2933

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横線540

Daimonjinjya_ryu☆大門神社境内愛宕社の釘付けの竜
 日光御成道から入った大門神社の北側にある愛宕社には、竜の彫刻が施されています。 この彫刻には左甚五郎にまつわる伝説が残っています。 その昔愛宕社の崖下に池があり、その池に竜が棲んでいました。 その竜が付近の田んぼに現れると決まって大洪水が起こり、村人は難儀しました。 毎年お供えをしても効き目がなく困り果てていたところに、たまたま日光へ向かう左甚..

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鎮守子日宮

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○鎮守子日宮
 川口市新井宿157 

子日神社
 子聖権現として東新井宿村の鎮守であった。(文化三年)  初子の日に収穫祭「子祭り」が行われたことから、「お日待」「子祭り」から子日神社とよばれたらしい。

※草鞋奉納は、小谷三志(庄兵衛)の教え不二道(富士講)によるものらしい。

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☆わらじ伝説

 甲州のある山のお大尽の山に、小さな温泉が涌いていました。 与八は主人に願い、村人や旅人のために無料の浴場を造り、村の子供に手習を教えながら浴場の番をしていました。 あ..

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毛長神社

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毛長神社
 草加市新里町342

○毛長明神社
 舎人諏訪神社を男神・毛長明神社を女神とし、髪毛を管に納め御神体とした。 後に、髪毛は不浄の物とされ毛長沼に沈めたといわれる。

伝説 について

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 全国でも珍しい「女性の長い髪の毛」を御神体とする神社。谷塚駅の南西約2kmの毛長川沿い(新里町)に鎮座する。創建ははっきりしないが、棟札の写しには享保十年九月二十五日修築の記録があることから、300年ほど前と推定される。 髪の主は素戔嗚尊の妹姫、村の長者の娘など諸説ある。 鳥居は白の御..

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蕨城跡

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○蕨城跡
 蕨市中央5-20

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☆蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたのに始まり、戦国時代の永禄十年、上総の国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。 江戸時代の始めには、鷹狩り用の休憩地の「御殿」として蕨城の跡地が利用されました。

城跡 について

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横線540

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○蕨城
 和樂備神社南方に渋川氏居館の跡とも伝えられる。

☆蕨
 古くは「藁火の里」ともいわれたらしい。 ただ城を造るに際して「火」は良くないので「蕨」としたともいわれる。

☆蕨
 古く、薪の代..

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日本語源

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[日本語源]メモ



○アイガモ
 カモ×アヒルでアイガモ、鴨のいない季節の意。

○あこう鯛
 カサゴの一種、赤魚鯛。

○あこぎ・阿漕
 三重阿漕浦のこと、伊勢神宮献上用の神聖な海で、平治(平次)が病気の母親に食べさせようと密漁を繰り返した。

○あべかわ餅
 徳川家康が「安倍川餅」と命名したとも。
※慶長年間徳川家康が笹山金山を訪れたおり出された「安倍川の金な粉もち」が気に入り、安倍川地方の名物となった。

○あみだくじ
 阿弥陀くじ、古くは後光のごとく放射状の線だった。
※平等な..

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あしがくぼの氷柱

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芦ヶ久保・氷兵ノ沢
 芦ヶ久保駅西「道の駅果樹公園あしがくぼ」より徒歩約10分。
2016年1月4日 ~ 2016年2月28日

氷柱 について

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☆芦ヶ久保
 ふるくは「足が窪」とも、ダイダラボッチ伝説もある。

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志木郷土資料館

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志木市役所 郷土資料館

月休・志木市中宗岡3丁目1−2 ・048-471-0573


☆志木
 古くは、新座郡志木郷。 もっと古くは、新羅郡。

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☆志木駅
 新座市東北2-38
 最初は志木市にあったが、2000年志木駅周辺再開発・東武東上線複々線化・東京メトロ有楽町線相互乗り入れ…、気が付いたときは新座市に移動していた。


☆しきの伝説
 浪人坂・三ツ子稲荷・哀れな石屋のはなし・助右衛門と白狐・陣場・悪疫退散のお地蔵さま・休み塚・ほっぺたの黒いお地蔵さん・..

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戸田市立郷土博物館

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戸田市立郷土博物館(戸田市大字新曽1707)

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木曾街道六十九次 木曾街道・蕨之駅・戸田川渡

Toda06伊香保志・戸田橋

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○戸田橋
 明治六年東京の堀・天野両人が埼玉県庁に戸田橋架設を出願、同時に東京の市川代次郎も吊橋を出願。 明治七年堀・天野両人による木橋認可されるも、自己都合により長野士族正木誓・東京小池新兵衛らに権利譲渡。 
 明治八年五月二十日戸田橋完成するも、費用がかさみすぎたため通行賃を徴収することとなった。
 明治十七年上野~高崎間鉄道開通により徴収橋銭..

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岩殿観音

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巖殿観音 正法寺
 (東松山市岩殿1229)

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☆岩殿観音
 養老二年に沙門逸海が山腹岩穴に先手観音を安置、傍らに草庵を建て正法庵とした。(後に正法寺)
※大昔岩殿山中に住む竜の悪事に困った村人が、坂上田村麻呂に竜退治を頼み、お礼に饅頭を供えた、との伝説がある。


☆岩殿山
 岩殿観音をとりまく四十八峰九十九谷には悪竜が住んでいた。 悪竜退治に名乗り出た坂上田村麻呂、岩殿山中へ入ると真夏なのに大雪、その中で一カ所雪のない沢(雪解沢)があり狙いをつ..

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中将湯

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○中将湯
 明治二十六年日本橋に津村重舎が「中将湯本舗津村順天堂」創業。

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○中将湯(津村順天堂)
 明治二十六年津村重舎が日本橋に「中将湯本舗津村順天堂」開業。

☆中将湯
 中将姫により伝えられたとされる。
※中将姫は奈良当麻寺に伝わる伝説上の姫。 霊薬としてのプラセボ効果を狙っている。

☆中将姫
 奈良時代、中将姫が蓮の根の糸で一尺五寸の曼陀羅を作ったとされる。

☆中将姫伝説
 藤原鎌足の孫豊成りの娘中将姫が、七歳の時に迎えた継母に殺されかけるが、耐えては十六歳で尼僧になり、二十九歳で..

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かっぱ橋

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かっぱ河太郎

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合羽橋

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☆合羽橋
 江戸時代の伊予新谷藩下屋敷、財政難のため下級武士や足軽は内職を迫られた。 それが雨合羽づくりであった。
※合羽屋喜八が河童に助けられて掘り割りを掘った、という伝説もある。

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筑波山

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フルーツラインから筑波スカイライン(筑波パープルライン)

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筑波山ロープウェイ
 つつじが丘~女体山

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Tsukuba06女体山駅~筑波山頂駅

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筑波山ケーブルカー
 宮脇~筑波山頂

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○筑波山ケーブルカー

Tsukuba1925筑波山・1925年頃



☆筑波山伝説
 ある昔親神様が諸新訪問のおり、日が暮れたので富士山に一夜の宿を求めたところ断られた。 また筑波山に一夜の宿を求めたところ快く受け入れられた。 そしては冷たい対応だった富士山..

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鯰押え

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○鯰押さえ(大垣)
 箱の紐を引くと、瓢箪を持った道外坊と鯰が回る。 瓢箪で鯰を押さえようとしている。
※地震のお守り「ひょうたん鯰」が源。 大垣祭り山車のからくり人形「道化坊」を玩具化。
※瓢箪鯰は、室町時代に措かれた「瓢鮎図」が源、猿知恵の意。

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○うずまの鯰・栃木市
 農民が助けたナマズがその恩返しに、巴波川でおぼれてい た農民の子供を救ったといわりる。 子育てのお守り。

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○鯰押え・青森
 大津絵の瓢箪絵をもとに白粘土で作られた。

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瓢鮎図


☆蓴菜で鰻繋ぐ・瓢..

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三ツ矢サイダー

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三ツ矢サイダー

サイダー について

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1968年・1952年・1924年・1909年


☆金線サイダー
 明治二十二年頃、秋元巳之助が横浜にて「キンセンサイダー」発売も売れず、三十八年頃にようやく売れるようになった。(サイダー、元々はリンゴ酒の意)
※明治二十年「日の出鶴サイダー」から名称変更。

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Cyder_kinsen金線サイダー

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平野水
 炭酸ガス入りミネラルウォーター、明治十七年「三ツ矢印平野水」発売。

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☆三ツ矢サイダー
 明治十八年明治屋が「一ツ矢」ブラン..

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調神社

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調神社・つきのみや神社

調神社 について

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Tsuki0331c


☆調神社
 延元二年足利尊氏が調神社復興、観応年間兵火で焼失、至徳二年将師佐々木持清神殿造営、天正十八年小田原兵乱で焼失し荒廃。 慶安二年徳川家光が朱印状(月読社)発する。 享保十八年本殿建立(現境内内稲荷社)、安政年間社殿建立。  調神社別名は月山寺、かつては玉蔵院住職が兼帯していた。
※元文四年、修復費に社地の立木を伐採しようとした岸村民と、反対した浦和宿民との間に紛争が起きた。

☆調神社の七不思議
 鳥居がな..

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白幡沼

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さいたま市南区白幡1丁目

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☆白幡
 天慶年間藤原秀郷が八幡神社を勧請し白幡(旗)を立てて勝利を祈願した説、新羅の秦氏かこの地を整備した説、がある。

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醫王寺(いおうじ)

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真福寺の大イチョウ(高さ18.5m・幹まわり5.85m)

○別所遺跡・別所小学校
 真福寺の大いちょう、寺西側に別所真福寺貝塚。

※逆さいちょう、昔船着き場であつた時に船を繋ぐため銀杏の杭を打ったのが根付いた。

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☆白幡古墳群
 白幡沼(拳ヶ池)上台地に六基の古墳を確認。

☆..

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玉取姫伝説

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○玉取姫
 邑楽・秋妻村の長者の娘は、どうしても「竜宮の玉」が欲しくてたまらなかった。 意を決し・命と引き換える覚悟で竜宮に行くと、玉を手にし帰ろうとした時、竜神に追いかけられ・門の敷居につまづき、やっとのことで玉を自分の乳房の中に隠して逃げ帰った。  しかしながら、この傷がもとで死んでしまった。 こうして、秋妻では門を立てないとした。

について

○龍宮玉取姫之図
 歌川国芳、嘉永六年(1853年)頃。

 白鳳時代、藤原鎌足は娘を唐の皇帝に嫁がせ、その返礼に世にも..

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霧積温泉の昔

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○霧積川
 金洞の滝を中心に三十軒ほどの宿があったが、明治末期の台風土砂崩れでほとんどの宿が流された。

※鼻曲山より浅間山
 鼻曲山(天狗山)には天狗が住んでおり、四月十五日には天狗が湯入りにくるといわれ、この日の風呂は天狗様専用となり一般客は締め出された。

グンマの伝説 について

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金湯館

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Kintoukan61

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霧積館(2012年4月閉館) 

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Kirizumikan62

Kirizumi61c☆霧積温泉

Kirizumi62c☆霧積温泉

Kirizumi63c☆霧積温泉


○霧積温泉
 古くは「犬の湯」「入の湯..

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正丸峠

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★正丸峠(虚空蔵峠)には、金が埋蔵されているとの伝説がある。

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日陰に雪少々

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正丸峠から県道53号線へは通行止め

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群馬での暮らし:みなかみ町藤原

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 みなかみ町藤原地区は、関東一の積雪地域。

※ある昔の話
 村を訪れた人が、辺り一面真っ白で何も無いので「村はどこか?」と村人に訪ねたら、「足の下だ!」といわれた。

群馬での暮らし について(記事数多いです)

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積雪170cm以上

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○藤原
 奥州前九年の役の後、阿部貞任の子孫一族がこの地に住みつき、周囲と隔絶した生活をおくっていた。 ところがある時、下流の幸知に「藤とわら」が流れ着いたので、「上流に人が住んでいる」と沼田候が兵を送ったとの伝説がある。 (奥州藤..

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竜宮伝説

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○グンマには竜宮伝説が数多くある。

グンマの伝説 について

○伊勢崎市宮子
 雨乞い・日和乞い、阿感坊三日間滞在するも領主に龍宮の様子を話したため狂死。 椀貸し伝説あり、浦島太郎の石碑あり。

○桐生市梅田町
 鍾乳洞奥が龍宮に通じている。椀貸し伝説あり。

○千代田村
 五軒屋敷の井戸は龍宮に通じ、水が尽きない井戸といわれる。

○上野村
 龍宮洞(不二洞)、罪人が洞窟中に織姫っを見たが役人に話したため狂死。
※白鰍を見たものは死ぬといわれる。

○吹割の滝
 滝壺は龍宮への..

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宝樹院

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○宝樹院(宝珠院)蕨市中央2丁目10-4
 永禄十年渋川公(宝樹院)が上総国三舟山合戦で里見氏に破れて戦死、これを悲しんだ奥方(竜体院)は榛名湖に入水し竜神となった。 
※榛名神社に雨乞いに行くと雨が降るとの伝説が残った。
※渋川公墓石碑は文化三年(250年忌)に渋川氏家来子孫が造立した。

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○雨乞い
 神社でもらった「お水」を地元に運ぶ途中は休んではいけない。 休むとその地に雨が降る。
※鶴ヶ島脚折の雨乞い

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小野小町

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○小野小町像(内山永久寺蔵)
 平安期の食通として、鯉・鱸・鮒・鶉汁・熊の掌・鵞鳥の咽喉・兎の唇など何でも食べたらしい。 その結果晩年がコレともいわれる。

☆徳川将軍家では、嘉例として元旦に「兎の吸物」を食したらしい。
☆鶴料理
 江戸城には、正月祝膳に将軍より重臣に「鶴の吸物」が振る舞われたらしい。(豊臣秀吉が朝廷に献進したといわれる)
長寿を願って、年始の嘉例に鶴を調理した。

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妙齢期

☆グンマを話そう:小野小町
 歳とった小町が故郷へ帰る途中で病気(疱)になり、上野国甘楽郡小幡谷..

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グンマの昔:水塚

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○水塚(板倉町)
 一階は食料保存倉庫、二階は避難場所となる。 一階は、麦俵の上に米俵・大豆を積み、味噌や醤油は樽に詰め縄で柱につないでおいた。

伝説①
 この地に来た弘法大師が水が漲った沼を渡ることができなかった。 通りかかった老婆は杖でやすやすと通ったので、その杖を借りようとしたが懐に隠して貸してくれなかった。 やがて水がひけ、弘法大師は沼を渡り、老婆は杖とともに石となった。 この地を「姥が懐」。

伝説②
 弘法大師がある水塚に一泊したところ蚊が多くて眠れなかった。 そこで加持し..

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館林伝説

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○城沼に住む竜が女に身を変え、七日間上人の説教を聴いた後飛び込んだのが善導寺「竜の井」。 それ以降、井戸使用禁止。

○須賀沼の南沼の主は大蛇・北沼の主は大亀、宝光寺・とみ坊主が魚取りをしたに怒り懲らしめてからは魚取りをする者はいなくなった。

○昔から洪水に見舞われた大沼を埋め立てたさい、沼の主夫婦の二匹のウナギを祀ったのが「須賀弁天祠」。

○赤岩にあった沼の主は大蛇、村の娘が次々と消えた。 そこで、藤原長良の御殿女中「おさよ殿」が弓で退治し、頭を瀬戸井・切り刻んだ胴体を舞木などに祀..

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宮城村伝説(現前橋市の一部)

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○「後閑・朝倉、女のよばい、男ごしよらくしてまちる」

○「重兵衛膏」は、くるまやに伝わる家伝薬。 酒で飲む内服薬もあった。

○「大前田の獅子は火事よりこわい、栗の強飯、むね(胸と棟の意)がやける」といわれた。 

○「盆のぼたもち、芯から米だ」といわれた。

○いたかそば:大根を沢山入れたソバ、「ここにソバがいたか!」。
 (だいこんそば・大根蕎麦は、ダイコンの量が多いので別名「蕎麦大根」)

○イモデンガク:芋をゆで・串にさし・焼いて・味噌をつける。 イモグシともよばれた。 

○うどんはぶつ..

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藤岡伝説

Fujioka99

○弘法大師が杖を地に突き刺したところ水が湧きだしたのが「弘法井戸」。 高山・上の谷戸、根岸に三カ所、庚申山、三本木などにある。

○高山下組の「又平だいら」には酒が湧く泉があった。(樽湧き)

神流川は天正年間前は名もない狭い川であったが、ある年の大洪水で堤防でも防ぎきれず「火の神社・水の神社・木の神社・金の神社・土の神社」を祭った。

○平塚の沼は「大蛇の沼」とよばれた。 

○高山下組は「白塩」とよばれ、塩が湧いたとされる。

○十八町坂の途中の市衛門の洞穴には古狐が住んでい..

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八王子丘陵

Hachiouji22

○八王子丘陵
 太田市・桐生市・みどり市にかけて点在する低い山塊。 中・古生代の陸地に、新生代に大火砕流に覆われ・地殻変動で海底に沈んで疑灰岩・礫岩が厚く堆積し、南西側に傾きながら隆起したとされる。(隆起のさい断層で凸凹になった)

※八王子権現・八王丸道行
 家康の後妻の子八王丸を祀ったのが八王子権現、その地を八王子。(あくまでも伝説)

Hachiouji22c

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厳島神社(白蛇弁天)

Gunma_fujioka6

○厳島神社(白蛇弁天)

Shorohebi

 グンマには白蛇に纏わる話が多く、白蛇を祀った神社や伝説も多い。

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東村(勢多郡)伝説

Kesamaru

○草木八景
 タツノ口(竜が口を開けた形)・タツ石・トウロウ石(姫様が灯明をつけたとも)・四十八か石(穴が48あった)・メガマ石・オガマ石・弘法の割り石・オボシ石

○小中鉱泉

○万太郎淵
 万太郎が魚釣りをしていたらクモに糸をかけられた。

○カリガケの滝
 カッパが出たらしい。

○天狗の森

○袈裟丸山
 弘法大師が寺を建てようとしたら、天狗が一谷隠したので九十九谷しかないのであきらめ、自分の袈裟を丸めてぶちゃった。

○坂東太郎の大石
 割ると血が出るといわれる。

○坂東太郎の大岩
 伊勢参りをしたとさ..

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グンマの昔:老神温泉

Oigami1959a

老神温泉(1959年)

Oigami51

 ある昔「上野国赤城山の神」と「下野国二荒山の神」との間に、日光中禅寺湖をめぐって領有権争いが生じた。  話し合いでは合致に至らず、両神はそれぞれ大蛇と大ムカデに変身し、戦闘が勃発した。(両神がどちらに変身したかは諸説あるが、百足より蛇を自国の神としたいのが本音のようだ)
 この戦闘で流れた血で山が赤く染まり、「赤き山」すなわち「赤城山」となった。

※二荒山神社には大蛇が祭られてるのに対し、老神温泉には大蛇関連の歴史的資料は無い。

※老神温泉では「赤城の..

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白沢村伝説(現沼田市白沢町付近)

Shirosawamura21

ツモノガシ→女の人がゆっくり・楽しく・遊ぶこと
セッチュウラク→自分に都合の良いことをしゃべる
ズッケ→等価交換
コクゾッコ→微量
ヘンゲール→話がわかる
ヤレテ→布などが古くうすくなる
チャンガラチャンガラ→うまく歩けない

○文治年間九郎判官義経が頼朝に追われ奥州に向かう途中、主従三人が谷間に逃れたのが「三騎石」。 道行く人は、石を拾ってその上に積み重ねて之を隠すことが義務づけられている。

○田植えで忙しいときに、手伝いにかり出されたのが「田植地蔵尊」。

○狐の嫁入行列が通ったと..

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長野原伝説

Ishinashi

(石梨の木)

○「おきゃくまんま」とは米の飯。 お客専用だった。

○「三杯汁は馬鹿がする」といわれた。

○「女のもつべき穴一つ ささんとすれば毛がもじゃもじゃ つばきをつけてねじりこめ」、は針のこと。

○お供えを射ったら中から白い鳥が飛びだし・その家は貧乏になったので、「お供えを射てはいけない」。

○お熊野様の洞窟に鶏を放したら、鶏は越後へ出たといわれる。

○カッパが法印さんに教えたのが「骨接薬」、女人だけが作れたらしい。

○ダイダラボッチが高くしたのが浅間山・残った一もっこ分の土が小..

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松井田伝説

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○碓氷貞光
 碓氷の荒太郎・荒童子ともよばれ、怪力だった。 これを土産としたのが、碓氷峠の「力餅」。 貞光梨というのもあった。

○十九夜様・十九夜念仏
 お産の神様、三月十九日が祭日だが、農繁期を避け二月十九日に行うことが多い。

○天狗
 目撃情報多数。 谷急山ケゲンが穴・角内山・オヤン沢、など。

○狐
 狐に化かされた人も多数。

○丸目蔵人
 剣客丸目蔵人が、坂本町城山頂上に道場を建てたとされる。

○山賊
 灘の佐太夫なる山賊がいたといわれる。 怪力で殿様の駕籠を一人で担ぎ峠を越えたといわれる..

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地名伝説(赤城山西麓)

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○北橘(ほっきつ)
 日本武尊命が山頂で、弟橘姫を偲んで「あづまはや」と入ったので、この山を「橘山」。 が、植物の橘が由来との説、急崖が立っているので「立ちバナ」との説もある。 

○岩鼻
 烏川に臨んだ所が岩石になっている。

○板鼻
 碓氷川に平板が臨んだ大地。

○十二様
 十二人の神々・十二人の子供を持つ神・一年を守護する神、など言われるが本当のところは判っていない。 女の山の神様である。
※女房を「山の神」というのは、十二様が源。

○溝呂木
 オオミ堂のミゾロガ池の主大蛇が大きくなり池が小さ..

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藪塚本町伝説

Yabuzukas2

○俵藤太
 橋にいた蛇の上を渡った侍が、蛇から百足退治を頼まれ弓矢で退治したところ、お礼に一俵をもらった。 それは、いくらすくってもすくっても減らない米俵だった。 そこで、どのくらい入っているか逆さにして叩いたら、すべでが終わった。 
※教訓;空俵は叩くな。

○義経とクツワ虫
 義経が東道を逃げる際、クツワ虫が鳴いてうるさいので一言「鳴くな!」。 鳴き止んだ、これ以降東道ではクツワ虫が鳴かなくなった。

○藪塚・大久保には、大入道が出た。

○藪塚・大原には、オトカの嫁入りが見られた。

○重箱..

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グンマ地名伝説

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○地名伝説、あくまで伝説

○明戸坂(あけとさか)
 小倉季氏がこの坂を通ると日輪が輝いたとか、鹿島・香取の神がこの坂を通ると夜が明け始めた、ともいわれる。 ※アクト・アクツが源らしい。

○稲含山
 神が唐から種籾を口の中に隠して持ち込んだとされる。

○入の湯
 猟師が山中深く犬が傷を癒している湯をみつけたので「犬の湯」が源。

○歌川町
 藤原定家と藤原家隆が、烏川を渡れず歌を詠み合ったとされる。

○姥が懐(うばがふところ)
 平井落城で上杉憲政の嫡男竜芳君が姥もろとも自害した。

○海老瀬(えびせ)..

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高崎の地名 (2)

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○高崎市町名由来

○あら町:和田城時代、金井宿・馬上宿に次いでできたので新町。 あら町と本町と田町で三伝馬といわれた。

○引間町:千葉常将が船尾山焼き討ちのさい寺側の僧兵の抵抗にあい、兵を引いたのが引間(引馬)。

○堰代町:熊野神社を挟んで北側は堰方役人屋敷、南側は城代の組屋敷があったので、堰代町。(1973年)

○煙草横町:舘たばこ・光台寺たばこ、を売っていた。

○嘉多町:1774年、本町から片町が独立し嘉多町と改称した。

○歌川町:藤原定家と藤原家隆が「歌の橋」で出会い、互いに歌を詠..

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玉村八幡宮

Tamamura

○玉村伝説(玉村町)
 今から約1100年前のできごと、天災や不吉なことが続いていたので、国の役人は火雷神社にてお祓いをすることにしました。 そのとき、この地を治めていた「那波八郎廣純」という武士も連れて行きました。 祈りを続けて7日目、突然怪物が姿を現し、神鏡を奪おうとしましたが、廣純は刀を振ってその首を切り落としました。 このとき、怪物の折れた角を川に投げ、後に淵になったところが、玉村町の「角渕」、切った手を捨てたところが玉村町の「上之手」(神の手)であるといわれています..

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高崎市歴史民俗資料館

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○高崎市歴史民俗資料館
 高崎市上滝町1058番地、電話:027-352-1261

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○将軍塚伝説・東山道十五の都督 彦狭嶋王
 『日本書紀』によれば、第10代崇神天皇の子の豊城入彦命(豊城命)の孫で八綱田命の子の彦狭嶋王は、景行天皇55年に豊城命の孫として東山道十五国(各国については未詳)の都督(中国の『晋音職官志』に出てくる官名。ここでは東国の支配を委任任された意か)に任命され、赴任の途中に春日(鋳みなど諸説あり不明)で死亡し、その後東国の百姓が悲しんで亡骸を運んでよ野..

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グンマの昔:榛名神社

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○榛名神社
 榛名神社の祭神は火産霊神・埴山姫神で、五穀豊穣を祈願する講による参拝がさかんだった。 特に埼玉南部では榛名講が盛んに行われ、榛名神社に関する伝説(戸田のお水もらいとわらびさま・龍體院伝説渋川氏の夫人・滑川町二宮山八大龍神、など)も多く残っている。  これは、榛名山からの雷雲が埼玉南部に恵みの雨を降らせたことによると考えられている。

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妙義惣門

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四万温泉

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○四万温泉の名称は「四萬の病を治す霊泉」との伝説に由来する。

 メタホウ酸(ホウ素)濃度が高く・五十年前に降った雨が温泉として湧き出てくるとされる。  新湯川上流には四万鉱山があり「葉蝋石」を採掘していた。 四万温泉東の水晶山では水晶・トルマリンなどが産出された。 新世代第三紀中新世の地層が、ひん岩・石英閃緑岩質のマグマにより熱変成・熱水変質され、この地特有の鉱物が形成された。 その一部が溶けだし温泉となっている。

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○四万温泉
 碓氷日向守定光(一説には足利義満の家臣塩谷日向守..

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グンマの昔:霧積温泉

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○霧積温泉金湯館(昭和初期)

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○霧積川
 金洞の滝を中心に三十軒ほどの宿があったが、明治末期の台風土砂崩れでほとんどの宿が流された。


○霧積温泉
 古くは「犬の湯」「入の湯」とよばれ、1880年碓氷温泉金湯社が設立されて大温泉地となったが、1910年水害によりほとんどを流失した。
※「人間の証明」の舞台となったといわれる。 伝説も多い。

○十一歳忌み
 ある昔、母が子供を連れ温泉にきた。 しばらくすると、温泉の湯がバッタリと止まってしまった。 そして天狗が現れ..

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一之宮貫前神社

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○貫前神社(富岡市一ノ宮1535)
 県内に分社が多いのが「赤城神社」、大元は三夜沢にある。 しかし、上州一の宮は「貫前神社」、二の宮が「赤城神社」、三の宮が「伊香保神社」である。  貫前神社は社殿が表門より低い「下り参道」、水的神事・巫射祭・筒粥神事・鹿占神事・オミトウなど古風神事が続けられている。
※伝説では、「赤城神社」の神が織物の神様である「貫前神社」の神に織物を織るの手伝ってもらったので「一の宮」の地位を譲ったともいわれる。(神道集@室町時代)
※貫前神社は、1625..

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グンマの伝説:上州気質(ノンフィクション版)

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上州気質

○京都の街で、グンマの修学旅行生が立ち話をしていたら、110番通報されたor仲裁が飛んで来た。 
※周りの人々は「けんかをしている」と思った。
※グンマ邦内においても、二人で話をしているのを聞いて「ケンカしている」と思う県外者は多々いる。 特に、女性同士の話は要注意!

○伊勢崎の高校が関西旅行に行き、生徒が自由時間の相談をしていた ら、警官がケンカと間違え飛んできた。

○全国大会会場で、「声が大きく・荒い」集団がいたらそれは「グンマ団」。

○大阪商人は石橋を叩いて渡る。
..

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グンマの伝説:上州人

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【われら上州人】
 ことばが荒い、熱しやすく・さめやすい、感情に走りやすい、義理・人情に厚い、短気、感激しやすい、新しいものが好き、根気がない、気がよい、気前がよい、一本気、世話ずき、見栄っばり、情があつい、正義感が強い、保守因襲的、正直、選挙好き、だまきれやすい、きっばり、付和雷同的、荒々しい、かかあ天下、パクチ好き、単純、自己に厳しさが欠ける、話し下手、妥協が早い、独創性に欠ける、親切、権威に弱い、素朴、楽天的、活動的、負けずぎらい、気が強い、信仰心がうすい、自主性・自発性..

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伝説の中島飛行機

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○剣3号
 赤羽飛行機製作所(1917年~1921年)、赤羽飛行機閉鎖後中島飛行機の独占場となる。

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○中島四型6号機
 安定して飛ぶようになった。(1919年)

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○中島五型
 民間国産機として初めて形式化された。

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○DC-2
 1934年購入、後5機組立制作された。

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○鐘馗

○疾風
 1944年~

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○連山
 1943年試作~1945年中止

○橘花
 ジエットエンジン搭載も試験飛行で終了

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○富御獄
 1943年開発開始も中止

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グンマの伝説:氣象編

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【山田郡誌】
 川内村・相生村・廣澤村・境野村の一部は居民主に機織を業とし、概して機敏にして進取の氣象あれども、堅忍持久の力に乏し、且つ一般に華美を喜ぶ傾向あり、蓋し産業上新奇を競い、流行に後れんことを恐るるに因り、自ら此の風を成せるものなるべし、其の他の地方は多く耕作養蠶に徒事し、氣質純朴にして習俗極めて質素なり。





【昭和時代懸民性の長所短所】
  群馬懸聯合教育會第一號議案「懸民性ノ暢揚練成ニ關スル件」調査報告書(1936.6.27)

○長所
 忠節勇武の念に厚し 義気仁侠..

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大泉伝説Ⅱ(現大泉町)

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汁かけ飯を食うと、外へ出てから恥をかく
○赤飯に汁(湯)をかけて食うと、嫁にいくとき雪(雨)が降る
○七草粥をふいて食うと、田植のときに風が吹く
○あったかい飯は、一番さきに仏様へあげろ
○箱膳は向かって左が飯、右に汁
○飯をこぼすと、食えない子になる

○家を出るとき針を使うもんじゃない
○子どもの火あそびは、寝小便のもと
○うそをいうと、鬼にべろをぬかれる
○爪を切って、その爪が火の中へほいると、きちがいになる
○便所の掃除をすると、それだけ長生きをする
○神様の前で小..

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大泉伝説(現大泉町)

Ohizumi21

○天狗を祭ったのが宇原大明神、「喜之松」なる男が天狗になったといわれる。
○きつね塚・たぬき塚
 宿に泊まった身重の女が女の子を産み、恩返しに宿で働くことになった。 母娘とも美人で、ある時若い武士をめぐり三角関係となり・激しい争いとなり、すすきが原へと戦いの場は移った。 翌朝村人が見たものは、傷だらけで死んだ大狐と若狸であった。

○家に入った盗人を斬ったら、どこかで見たことのある顔だったので、万願寺「夜盗の墓」をたてた。 
※子供の夜泣きに効くといわれた。

○龍泉院にあるのが「雨..

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グンマの神々(1)

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 グンマの主な山は、アカギサマ・ハルナサマ・コモッチャマ・ホタカサマ・シラネサマ、などみなタケ山的性格を持っている。  また、井戸などの水資源は共同利用だったので、清浄に保つため数多くの俗信があった。

カッパはグンマ各地でみられた。 嫌われることが多かったが、六合村湯本家にはカッパに教えられた秘伝薬がある。
○グンマの川・池・淵の底には多くの竜宮が存在し、そのほとんどが椀・膳の貸し出しをおこなっていた。
○メカゴ(メッパ)ができたら、井戸の上にふるい(ショウギ・スイノウ)を半..

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山と谷の伝説

Gunma_map23

○袈裟丸山
 弘法大師諸国巡業のおり利根の山に一寺を建立しようとした。 これを嫌った天狗が一谷かくしたので九百九十九谷となり、弘法大師はあきらめざるをえなくなり、落胆のあまり着ていた袈裟を丸めて放り投げた。 これが「袈裟山」。

○[稲含山の神]対[榛名山の神]
 稲含と榛名と貫前の神々は三兄弟、稲含の神は湖の稲含山・榛名の神は榛名山・貫前の神は一の宮に住むことになった。 ある時、稲含山の湖(那須の七池)とサルオガセを交換することにした。 しかし、榛名の神は山麓のサルオガセしか..

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伝説のスバル(3)

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エアロスバル(FA-200)

Nakajima_39富嶽(1943年)

Hayate22疾風(1945年)

Nakajima_32四型6号機

Nakajima_53

軽銀号(B-6型機)

Nakajima_55

神風号

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AT-2 旅客輸送機

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メンター(1955年~)

Subaru_p17

T-1(1957年~)

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伝説のスバル(2)

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○スバル360コンパーチブル(1969年・K111P)

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○K141

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○スバルスポーツ
 スバル450ベース、オールプラスチック製ボディ。

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○K-0

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○P-1 すばる1500

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○A-5
 当初の計画は電気自動車、後に空冷水平対向4気筒エンジン。

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○スバル360(試作)

Subaru_360b

○スバル360(試作)

Subaru_bart

○ブラット(1977年)

YAMADA

伝説のスバル(1)

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富士重工業株式会社・太田製作所(1954年)

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○ラビット(富士産業・1946年) 
 米軍落下傘部隊用のスクーター「パウエル」を参考に作った(1946年)、翌年「ラビット」として市販。 
※ラビットはスクーターの代名詞となった。

Subaru_p1

○P-1(1954年)、すばる1500(SUBAL1500)

Subaru_t10

○T-10(1954年)

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○キャブオーバー
 ジュラルミンボディー(1947年)

Subaru_bus22

○ふじ号(1949年)
 フレームレス・リアエンジンバス。

Rabit11

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渋川伝説(2)

Sourinji11

○千手姫(榛東村柳沢寺)
 千手姫は京の都に憧れ病となった。 京に上った夫田烈太夫信保が見たのは「散りもせず咲きおくれたる花もなし 今日をさかりりの庭桜かな」と詠み消えた千手姫似の女であった。 そのころ桃井の郷では、千手姫が他界していた。

○赤いお椀で鰻料理を出したら不幸が続いたのが地名「赤椀田」。

○雙林寺の七不思議
 ・開山堂の一本の拍子木、悪いことが起こりそうになると鳴る。
 ・月江和尚が持っていた数珠が大木となったのが「開山のつなぎカヤ」。 その実は針で通したような穴..

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渋川伝説(1)

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○小野上名石
 ・夫婦石:七社神社そばにあるのが女石、粗末に扱うと祟りがある。 男石は上流にいる。
 ・牛の屎石:牛の糞に似ている、でも高さ6m幅9m。
 ・むしば神:虫歯に見えないこともない、おがらの箸を供えると虫歯が治る。
 ・弘法の腰掛石:弘法大師が腰掛けた、足跡二つとお尻の跡がある。
 ・白丁石:弘法大師が「白丁」と書いたといわれる。
 ・蟹石:川辺の蟹に見えた。
 ・かえる石と硯石:雨乞い祈願用。

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○有馬五石ほか
 ・子種石:石に手を触れて祈願すると子種が授..

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邑楽伝説(邑楽郡、現板倉町・明和町・千代田町・大泉町・邑楽町)

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○玉取姫
 秋妻村の長者の娘は、どうしても「竜宮の玉」が欲しくてたまらなかった。 意を決し・命と引き換える覚悟で竜宮に行くと、玉を手にし帰ろうとした時、竜神に追いかけられ・門の敷居につまづき、やっとのことで玉を自分の乳房の中に隠して逃げ帰った。  しかしながら、この傷がもとで死んでしまった。 こうして、秋妻では門を立てないとした。

○万寿二年、宝日向なる者が来て、沼の辺に居を構え・釜の鋳造(鋳物)を始めた。 なので地名「日向」、鋳物につかうフイゴ(タタラ)から「多々良沼」とよ..

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グンマの昔:竜源寺(前橋)

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○竜源寺
 竜仙和尚が、悪さをするムジナを戒めた伝説がある。  また赤城小沼の竜が夫婦で座禅に来て、「春竜上座」・「春香大姉」なる法名を与えられたともいわれる。

YAMADA

勢多の伝説(勢多郡、現前橋市・渋川市・桐生市・みどり市の一部)

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○かつて相輪塔は沢入にあったが、天狗が女人が上がるのを嫌がり、奥の塔の沢に一晩で移した。 このとき、石を一個ずつ移したので上下逆になった。 それでも倒れないのは、中に白蛇を封じ込めているからである。  さらには、勝道上人が作ったとされる寝釈迦がある。(ただし、4月8日より前は白蛇がでる)  「白蛇の塔(層輪塔or沢入塔)」というのもある。

○旅人となり伊勢参りをしたのが「坂東太郎の大岩」、宿銭を借りたがちゃんと返した。

○沢入春場見・渡良瀬川にあるのが「夫婦岩(雄岩と雌岩)」..

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桐生・金山城伝説

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○根本山には黒兵衛天狗が住んでいた。 火除け・盗賊除けに霊験あらたかとされ、伝説も多くある。 根本神社は大山祇命を祀る、里宮には1578年開山の大正院。

○桐生地方の足利氏は、藤原秀郷系と八幡太郎義家系の二系統ある。

○桐生落城
 領主・桐生大炊介助綱は人望厚かったが子供が無く佐野家から養子(親綱)もらったが折り合い悪く、ついには由良成重らに攻め入られた。 そして親綱が奥方・姫達と桐生川の大滝を岩から岩へと飛び跳ねて逃げたので「跳滝」とよばれる。 
※このとき「宝の入った瓶」三..

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桐生伝説

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○徳川家康が、厩城主平岩親吉を介して、桐生領に絹旗二千四百十疋を発注した。 これが関ヶ原合戦で使われ、桐生は吉例の地となり、一切の賦役免除となった。

○永正十三年、桐生城主桐生重綱が愛馬浄土黒ともに死んだのが「浄土野」or「浄土谷戸」。

○行者が三宝荒神を背負って桐生新宿まで来ると、尊体は千貫の重さとなったので雷電原坊主山にお堂を建て祀った。 
※後の長福寺

○菱の領主細川内膳の愛馬小雀が、桐生領へ引き取られるのをいやがり自害したをで、小雀観世音としてまつった。

○正平二十五年..

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グンマの昔:竜柱

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○竜柱(境町)
 昔、ある大工が神殿建築を頼まれ、上等式目前にして向拝柱を短く切ってしまい・余分な材木も無く・困り果てて家に帰った。 この話を聞いた妻「おりゅう」が、木を組み合わせ・積み上げ・高さを増す「組み物」を教えたので、立派な柱となり神殿が完成した。 それどころか柱が広く知られ評判となった。 ところが、妻に教えられた事がバレるのを恐れた大工は「おりゅう」を殺してしまった。 後悔遅く、悔やみきれない大工は必ず「竜柱」を建て、亡き「おりゅう」を祀るようになった。 これが「竜..

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大間々伝説(大間々町、現みどり市)

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○高津戸城の戦い
 父里見上総入道勝広の敵討ち(山越出羽と石原石見)を企てた里見勝政・勝安兄弟が居館としたのが、1100年頃に築城された高津戸城(1351年桐生国綱により廃城)。 しかしながら、本望を遂げられなかった。(里見十二騎の墓)

○新田芳重の隠し館
 新田芳重が一族の隠れ場所としたのが上州桐原牧新田金塚隠し館、農具・武具などを作った。 金塚は鉱石貯蔵所、ジャンジャン屋敷は溶解所。

○自然のままに暮らしていた念仏行者「行仙房」、村人達に尊敬され・見守られながら1278年..

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館林・館林城(尾曳き城)伝説

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○赤井但馬守照康が助けた子狐の親白狐が城の地割りをして築いたのが「館林城・尾曳き城」。

○永禄六年の北条勢が攻め行ったとき、白狐が七千の軍馬に化けて援軍した。

(上州館林城図)

○天正十八年石田光成勢の攻撃には、堀に生えた葦が多数の城兵に姿を変え敵を後退させた。 そのときから、葦はみな方葉となった。

○正保年間の城主松平和泉守乗寿の元へ、江戸表から早馬が来た。 書状は「若君家綱公御疱瘡重体」。 城主は取るものも取りあえず・大慌てで江戸へ上ると、何事もなく平穏。 書状を老大臣に..

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新田伝説(新田郡、現太田市)

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○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○呑竜上人が、生まれつき弱い子を預かり七歳になるまでは大光院の弟子として面倒を見た、のが「七つ坊主」。

○呑竜上人となかずの池
 ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が続いた。
 やがて食べ物がなくなり病に倒れたおっかさんのために、女房が弓矢を持ち山へ出..

YAMADA

群馬町伝説(現高崎市)

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○ある夜、天空の北斗七星が一塊となり群馬町冷水の小祝池に落ちた。 翌日、池を探ると金色の亀がでてきたので、妙見社本殿下に神井が掘られ・深く埋められ、本尊となった。 それっきり、本尊を見た人はいない。
※年号が、和銅から霊亀に変わったのはこのせいだといわれる。

○妙見様が火事となったとき、力持ちの力庄右衛門が仁王像を担ぎだし・境内の弁天池に放り投げた。 池では、田螺が降りかかる火の粉から仁王像を守ったので、田螺の尻は黒くなった。 それからは、この村では田螺を食べてはいけないことと..

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松井田伝説

Usuiseki1

○碓氷関所付近の山は、栗拾いが禁止されていた。(関所破りと区別がつかないので)
○塩沢の地では、を山の神として祀った。(宮地の山の神)
○松井田町奥土塩の奥山に行った狩人三人が道に迷い山中で一夜を過ごしていると、どこからともなく美女が現れ静かに居座った。 気味悪く思ったがどうしても帰らず、薪もなくなったのでメンバを燃やしたところ、ドカーンとはじけ・その音で美女は消え去った。
※美女は猿の化物(さとり)とされる
○松井田大久保村の六地蔵・石灯籠が化ける というので、若侍が退治に..

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倉淵村伝説(現高崎市)

Kurabuchi01

○蚕の始め
 子供が欲しい長者が願掛けして授かったのが「玉代の姫」、しかし寿命十六年と定められていた。 長者は一生懸命育てたが、いよいよ十六歳になった日、あばれ馬が姫を蹴飛ばして終わった。  長者は悲しみ・毎日ぼんやりとしていたが、ある日膝に白い虫と黒い虫が八匹ずつとまった。 何をくれても食べなかったむしだが桑の葉だけは食べた。 これが蚕の起源である。 
※この結果、蚕には馬蹄計の模様と黒い点が16ある。(16歳の意)

○「烏川」の起源は、源流が鳥の嘴状の「烏口」という大岩..

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高崎伝説(3/3)

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○「恋しくば尋ね来て見よ上野の わが浜川の須苗子の森」と唄われたのが須苗子の森。

○1646年3月23日夜、倉賀野町城跡の三ノ廊の茂みに、地響きとともに井戸ができ清水があふれた。 そして、泉の中にあったご神体を祭ったのが「井戸八幡」。

○豊岡・金ヶ崎の渕の主は大亀。 豊岡のトは岬・山・土の意、ヨは土地・畑の意、オカは山・麓の意、カは跡の意、というアイヌ語説もある。

○723年、土の中から輝きとともに古鏡がでてきたので、石凝姥命を祭ったのが小八木。「鏡の宮」。 
※石凝姥命は国鏡..

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高崎伝説(2/3)

Takasakishi

○1793年、岩鼻陣屋創設、現日本化薬地。

○1616年、下小鳥にて高崎藩検見あるもその厳しさに村人が役人を殺害。 藩主松平丹波守が激怒・出兵し、部落皆殺しにしたのが「首塚」。

○高崎はたばこの産地、「館たばこ」で有名だった。

○田嶋元七が蛇場見の谷川で水に石油気が含まれているのを見て、乗附山に石炭があるのを確信した。(1874年) 後にこの亜炭がも富岡製糸場・新町紡績所でも使われた。

○京ヶ島にある井戸が「七つ井戸」or「いろは井戸」。 弘法大師が掘ったといわれている。 
※実..

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高崎伝説(1/3)

Gunma_takasakishiro

○倉賀野
 倉賀野は舟運で栄えた町であり、米や穀物も多いのでネズミもおおかった。 しかしネズミを殺すのは忍びないと、安楽寺に「鼠供養塔」を建てた。

○目青竹(鼻高)
 小林爺婆が仲良く香煎を食べているところに来た老翁(一沙門とも)が、森に向かって竹の杖を飛ばして根付いたのが「逆さ竹」、「目青竹(金明竹)」ともいう。 この地に創建したのが上野国一社八幡宮、857年鎮座とされる。

○少将桜(慈眼寺)
 前橋城主酒井阿波守親本が「しだれ桜」を城内に植えたところ、咲くことなく、夜には..

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水上伝説(現みなかみ町)

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○寺間開墾の浪人屋敷には落人が住み着き、大峰山に金を埋めたらしい。

○上杉憲政が越後に落ち延のびるさい、馬をつないだのが「馬つなぎ石(タテ石)」。

○蛇淵の主は大蛇だった。

○ヨエモンがスマキにされて投げ込まれたのがヨエモン淵。

○間男をつくった妻が夫ムトウ坊を殺したので、祟りをおそれた村人が無縫塔を建てたのが無縫塔。

○アクトには八束脛の足跡があった。

○オオユウ(大洞窟)にはヤツカハギが出た。 またオオユウは越後に通じていた。

○昔話のおわりは、「イッチガサヶカッタトサ」。

○仏岩をは..

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藤原伝説(現みなかみ町藤原)

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○七人仲間になって狩をしてはいけない。(七人狩)
○日本の三薬は、山は熊の胆・里は人参・海はオットセイ。
※藤原には熊がいた。 熊は木に牙痕をつけるので目印に熊穴を探した。(穴探し・寝当たり)
○狩の獲物は平等に分ける。
○カモシカの肉(カングラ)は薬になる。 
※クラはカモシカの意

○ヤエン(猿)の頭の黒焼きは脳病の薬。
○冬のムジナは脂分が多いので油の代わりに燃やした。
○二月八日と十二月八日は、籠を外に出しておくと鬼が来ない。 
※事八日。 メカゴの編み目がたくさんの眼にみえるので、鬼が..

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榛名伝説

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○榛名湖女人入水
 榛名湖に入水した木部姫については伝説上、その正体は木部宮内輔弾正室・同室竜田の前・同実一室・貞朝室・木部駿河守範虎・長野業政室などいろいろ、その時期は箕輪落城の1563年・神流川合戦の1582年・山名対木部の1585年などいろいろ。 人身御供との見方もある。

○木部井戸(木部の神井・長年寺)は榛名湖に通じている、ともいわれた。

○右京のむだ堀(右京の馬鹿堀・泣き穴)
 宝永六年左京太夫輝貞が、溜堤から取水・榛名北を通り・スルス岩の下にトンネルを堀り・白川へ..

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竜宮伝説

Isesaki_miyako

○宮子の竜宮(伊勢崎・広瀬川)
 竜宮橋の北・竜宮の森の岩塊につながる水底に竜宮があったと伝えられている。


◇卯の木大明神
 第十七代履中天皇の御代、高野辺左大将家成りが、竜宮淵の岩上に現れた竜宮姫のお告げにより竜宮として敬うようになった。   また、雄略天皇の御子岩城皇子が竜宮姫に願われ「土産神」として祀ったとされる。

◇竜宮の農太鼓
 半夏が近づくと、川瀬の音が淵底から鳴り響き・太鼓の音のように聞こえ、これを合図に田植えに取りかかった。 また村におめでたいことがあると、竜..

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新田伝説(新田郡、現太田市・みどり市・伊勢崎市)

Fumonji

○笠懸桜塚・園田屋敷の地蔵様は、賭事の地蔵様だった。 そのため賭博人が「かけら」を求めたため、頭・手が無くなってしまった。 その後、復元されたらしい。

○岩宿の天王様は、疫病が流行った時に担ぎ出されて、疫病を追い払った。(1962年)

○平安時代、新田荘では鹿に田畑を荒らされたので、領主園田太郎家茂が「鹿専用畑」を作らせ・通常の畑と分離したので、この地を「鹿田」とよんだ。 
※山田郡小倉村の鹿田との説もある。

○葬式が家から出る時坊さんが鐘を「ジャラン・ボーン」と鳴らしたので、葬式を..

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太田伝説(2)

Nittayoshisada

○大男が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、捨てたキセルの灰が丸山になり、足跡は池になった。

○ダイダラホッチ(デエダラボッチ)が赤城山に腰掛けて、利根川で足を洗い、草鞋の土が落ちて丸山になった。

○大男が米山薬師を背負って来て、金山に腰掛けて、渡瀬川で足を洗い、草鞋の泥が大丸山と小丸山になった。

○ダイダラホッチが金山に腰掛けて、利根川で足を洗い、立ち上がった足跡がすりばち(下浜田・鍛冶谷戸)。

○弘法大師が霊場を創ろうとしたが、金山には九十九谷しかないのであきらめた。

○新田義貞..

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太田伝説(1)

Mantokuji

○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○植木野村にみすぼらしい修行僧がきて、芋を洗っていたお婆さんにお布施を求めたが、断られた。 そこで隣家へ行くと、快く泊めできる限りのもてなしを受けた。  お婆さんの芋は石に変わった。 隣家のまな板裏には「阿弥陀如来像が描かれ・南無阿弥陀物と書いてあった」その脇には「空海」と。 これが、宗金寺の弘法大師が爪で掘った「まな板の名号」である。

○八重傘沼には大蛇が住んでいたが、竜舞の修験者・松本院清安が切..

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境町伝説(佐波郡境町、現伊勢崎市)

Itakura

○東新井村と花香塚村の境界争いで死んだ村人二人を葬ったのが二つ塚。

○十日夜には、カエルにあげる餅を供える。(蛙が鳴くのは稲を守っているのだ、ごくろうさま)

○七母女天には子供が七人おりその一人はスサリオノ命、お願いは一言「おばあさんたのむよ」。

○アンナシヅカは「あんな静かな所は無い」から始まった。

○淵名神社には、皮を煎じると乳が出るようになるイチョウの木があった、その地は銀杏と呼ばれた。

○境町木島には、皮を煎じると乳が出るようになる松木があつり「乳松」とよばれた。

○下淵名には..

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新里村伝説(勢多郡新里村、現前橋市)

Ryumon

○弘法大師が杖で掘ったら清水が湧いたのが「弘法の井戸」。
○藤原秀郷が植えたのが、板橋・秀郷の末並木。
○藤原秀郷が橋を渡る途中で足下を見たら大ムカデだった。 そこでムカデを象って鳥居にしたのが「板橋・百足鳥居」。
○藤原秀郷が戦勝祈願に杉を植えたのが「藤太杉」。
○赤堀道元の娘のお供が責任を感じて腹を切ったのが「地蔵坂(腹切り坂)」

○上板橋に小豆洗い(アズキゴシゴシ)がでた。 見た人もいた。
○機織りを眺めていた六部に少し切ってあげたら、その機はいくら切っても次々に織れるようになっ..

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宮城村伝説(勢多郡宮城村、現前橋市)

Hanageishi

○弘法大師が大石にで梵字を書いたのが「爪引き不動」。
○八幡宮・鼻石、鼻の穴をかき回すと雨が降る。 雨乞い用。
○赤城の空滝、昔は滝があった。 亀井新十郎が大天狗から飛び切りの術を修行した場。
○日限地蔵は、期日指定で病気を治してくれる。
○源義家に捕らえられた安部宗任が黒川郷で解放され、この地に留まり築いたのが桃井城。

○乳飲み子の母親が病に倒れ、子を思う執念で成仏できずに石になったのが「夜泣き石」。 夜な夜な赤ん坊の泣き声が聞こえる…
○山鳥が傷を癒していたのが「脚ひきの湯」。
○..

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大胡伝説(勢多郡大胡、現前橋市)

Daigo_keyaki

○河原町の観音様が、赤城の大水で流され行方不明となった。 ある朝、隅田川岸辺で草刈りをしていると金の観音様を見つけた。 朝の草刈り→アサクサ→浅草、これが浅草の観音様になった、とか。
○子供の夜泣きは、夜泣き岩に願掛けする。 願生果たしは二本の竹筒にいれた御神酒。
○蚕種石の苔は蚕のはきたての時期に青くなる。

○応昌寺周辺には、水引女の幽霊が出た。
○聖念塚は、五十山の聖念和尚が生き埋めにされた所、風邪・発熱などのとき願掛けする。
○上人塚は、伝燈大阿亜闍梨翌春上人が入定(入滅)した所..

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グンマの昔:宵の山本・明けの山本

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《グンマを話そう》
 1184年京都粟田口の合戦で敗れた木曽義仲の家臣山本勢が木曽谷へ残党落ちになった。 一行は善光寺平を追われ、渋峠・横手山・草津白根を越え、上野の国へと入った。 途中、渋峠から見下ろすと、山々の中にこぢんまりとした平地が隠れていた。 それが入山の地(六合村入山)であり永住の地として目指した。
  しかしながら入山への道は苦しくそして険しく、一行は途中で鎧兜を沼に沈め(武具脱衣池)、女子供を連れての逃避は二つの集団に別れてしまいました。 先行組は大晦日に入山に着..

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富士見村伝説(勢多郡富士見村、現前橋市)

Akagi

○大沼の主は大きな緋鯉、五十年毎に人身御供が必要。

○覚満法師が、法華経力をもって赤城沼に入水した赤城姫を竜神の座に上げた。(覚満淵)

○唐人が船でやってきたがもう上流に行かれないので引き返したのが、石井の船返し。 一休みしたところが、漆窪の唐人貝戸。

○弘法大師が鉈で薬師如来を彫ったのが穴薬師。

○小沢・金剛寺が火事になったとき、不動様が庭の木に登って避難したが、魂は石井に行ってしまい抜け殻だった。

○漆窪の薬師様を、馬に乗ったまま通ると落馬し・帽子をかぶったまま通ると飛ばされた。

○..

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粕川村伝説(勢多郡粕川村、現前橋市)

Otoginomori

○一休和尚が作った歌の碑があるのが「つつじが峰」。

○源平合戦で源氏本陣に建立されたのが新家・薬師様(源氏薬師)、敗れた平氏の首を埋めたのが首切り薬師。

○1350年頃、女渕城主が軍場訓練場としたのが「桜の馬場」、管理者は家臣桜氏だったので、桜氏の家が桜屋敷。

○享保時代、ダイコウ寺の沼が河原となり・粕川の流れが変わった。 申の年だったので、「申年の大水」。

○稲は瑞穂国からキツネがくわえてきた。

○上野国司高野辺家成りの後妻が、先妻の娘二人を沈めたのが「増田ケ渕」。 その後、夜な夜..

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義経伝説

Isesaki_yoshitune1

○義経伝説(伊勢崎)
 伊勢崎三和町・赤堀町・東村にかけては東道とよばれ、源義経が平泉に逃れるとき通ったとされる。

(堂山)

Ushiishi

Isesaki_yoshitune2

◇牛伏
 源義経が従えていた牛が病気になり休ませたので「牛伏」と呼ぶようになった。 また、この地一面の野原にはシドメが咲きトゲがあって座ることもできなかった。 しかし翌年になると、牛伏のシドメにはトゲが消えたとされる。

◇五目牛
 牛の病気が治り出発した一行は、粕川の洪水で牛が流され、牛の荷鞍だけが浮かび上がったので「鞍が淵」となづけた。 また、川..

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北橘伝説(勢多郡北橘:きたたちばな、現渋川市北橘町:ほっきまち)

Shiroi31

○親鸞一行が「波阿弥陀物」と唱えながら布教の途中、上箱田の硯石で利根川の白波を見て、「この自然の激しい地の人々はその気質も激しく、私の教えも容易には理解されないであろう」。 布教をあきらめ常陸国へ向かった。 このとき、硯石で墨をすり和歌を詠んだ。

○火事の時に助けられたお坊さんに、お茶がなかったので甘酒を出したら喜んで飲んだ。 翌朝、石井・珊瑚寺のお地蔵さんの手が焼けていた。 それ以来、甘酒を供えるようになり「甘酒地蔵」とよばれる。 萩原右近・左近兄弟が祭った地蔵ともいわれる。..

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グンマの昔:水牢

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○水牢(中之条町横尾字桃瀬ほか東毛に多い)
 江戸時代年貢米を滞納した者を寒中水の中に入れた(本人ではなくて家族を入れた)とされ、沼田城主真田伊賀守信利が利用したのが有名だそうだ。 水牢で死ぬ者も多く、数々の伝説・伝承が残っている。

Mizurou

(東村)

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赤城村伝説(勢多郡赤城村、現渋川市赤城町)

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○湧玉には白蛇が住んでいる、汚したり・不浄物を洗うと祟りがある。 雨乞いだけはきいてもらえる。

○勝保沢の清水側に住んでいた「お哲」は超美人だったので、弁天様とよばれた。 その地では、女の子が産まれると「お哲」と名付けるのが流行った。

○おとうか久保には、オトウカが出た。

○上三原田・三島山の大松の木には天狗が住んでいた。 音を聞いた人も多い。

○戦の時、内出城内の松に登り情勢を眺めたので「物見の松」。

○二城主見立権太郎が仲井の田のくろを枕に切腹したので「枕田」となった。 田には..

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グンマの昔:吾妻七つ岩

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○産岩・生岩
 赤子に乳をやっていた母親が、落ちてきた大石の下敷きになって二人とも死んだ。
○囀岩
 いろいろなことをしゃべったが、ある時、旅の剣術修行者が太刀でこの石を二つに切ってからしゃべらなくなった。 切られた一片は、中之条蟻川に落ち割石とよばれ・鹿島明神として祀られている。
○割り岩
○立岩
○亀岩
○箕岩
○七尋岩
※うぶ岩は、昭和村橡久保・中之条町五反田・沼田氏新田上、にもある。(伝説はみな異なる)
※しゃべり岩は、高山村中山・中之条町大道新田・月夜野町石倉、に..

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前橋伝説(2)

Maebashijyou2

○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

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前橋伝説(1)

Maebashijyou2

○法燈寺は堂塔伽藍が建つ度に焼けたので、杉の坊の天狗により再建されたがやはり焼けて護摩堂だけ残った。(法は水が去る・燈は火が登る、と書くので凶)

○青梨子・井戸八幡宮は竜巻によってでき、眼病に効くといわれた。 井戸には白蛇が住むと言われるが、覗くと目がつぶれるらしい。

○朝に前橋を出ると、暗くなるころ到着するので「あさくら(朝倉)」。

○蹄石は、八幡太郎義家が八幡山へと馬で飛んだ時の足跡。

○旦那坂には、追いはぎがでた。 そして言った「旦那・旦那」と。

○おこり仏、大きい方をさわると腹..

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伊勢崎伝説(現伊勢崎市)

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○七夕にはメズラ畑に入ってはいけない。
○子供に新しい着物を買ったらまず七夕様に供える。
○権現山頂上の石に刻まれた文字が読めれば、金の鞍をつけた白馬が飛び出してくる。
○五郎兵衛墓場(石宮)は虫歯の神様。
○半夏の日には笠をかぶるな。
○広瀬川・タネン淵にはカッパが出た。
○広瀬川に流れ着いた矢を祀ったのが太田町・五郎神社。
○八坂堰近くに生える蘆が片葉なのは落人の怨念。
○宮子町にキリギリスがいないのは宮子大明神の髭をかじったから。

○平家一族がヤナギの箸を地に挿したのが「逆さ楊」となっ..

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赤堀伝説(佐波郡赤堀町、現伊勢崎市)

Tenmakushiro

○ダイダラボッチの左足跡がある。(右足跡は約1Km離れた磯沼or波志沼)
※「ダイダラボッチ」は「だいだら法師」の足跡との説もある。
○ウナギは虚空蔵菩薩の使者だから食べてはいけない。(捕らえたときはカサの池に放す)
○毒島城主藤原秀郷の屋敷・墓がある。
○今井村と深津村の境界争いは、山伏寺先徳が人柱となり決まった。
○毒島城主青木入道の若君が落馬骨折したのは乳母が悪いと沈めたのが「姥が淵(おばん淵)」。
○田植地蔵はニラがゆが大好物だった。
○天幕城には天狗が住んでいた。
○千鳥橋ではオト..

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東村伝説(佐波郡東村、現伊勢崎市)

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○豊城入彦命が腰を掛けた石が国定赤城神社の腰掛石。
○弘法大師が独鈷で地面を突いて水を湧き出した地が独鈷田。
○宝蔵院を開いた吉繁法印を忍んで刀と法螺貝を埋めたのが国定・法螺塚。
○夜な夜な現れた馬に乗った武士を切ったら石になったのが頼光塚。
○阿満が池で「あま」と呼ぶと清水が湧き上がる。
○十六歳の娘は赤城山に登ってはいけない。
○小泉稲荷神社は「ヤンダンジ様」とよばれていた。(耶無陀羅寺)

Amagaike2

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玉村伝説(佐波郡玉村町)

Gunbaiyama

連載[グンマの伝説]は、まじめに読み続けると脳崩壊のおそれがあります。
○源頼朝がヤナギの箸を地に刺したのが生えて逆さ柳になった。
○源頼朝がこの地で飯を食べ「うまい米だ、この村を飯塚(めしづか)と名付けよ」。
○百足丸と呼ばれる名刀は刃こぼれが百足のように見えたので、こう呼ばれた。
○昔疫病が流行ったとき煤炭が顔に付いた少女だけが病にかからなかった、のが「すみつけ祭り」の始まり。 【顔に泥を塗る】とはこの事。
○清和天皇がオンベ(御幣)を立てて四万の神々を祀ったのがオンベ山。(軍配山..

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グンマの昔:鹿沢温泉

Kazawaonsen

○鹿沢の湯
 白雉元年頃、貞保親王なる者が眼疾でなかなか治らないでいると「信濃国浅間山裏にある温泉で眼を洗え」と夢の中でお告げをうけた。 そして現地におもむき沸々と湧く湯を見つけた。 これが「鹿沢の湯」である。 病の治った親王は、近傍の弥津村に永住したとされる。
 また、鹿を追って狩人が深山に入ると、手負の鹿が湯に入り疵を治しているのを見て、「鹿沢の湯」と名付けたとの説もある。

Kazawa_s

鹿沢温泉(昭和初期)

○鹿沢温泉
 1918年鹿沢温泉で大火となりほとんどの旅館が焼けた、6km下流に..

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小野小町

Komachi98

○小野小町(小野村相野田・現富岡市)
 甘楽郡小野の地で病にかかり、小野普済寺(後に得成寺)に庵室を建て快癒を祈った。 薬師像を収めて塩俵を供えて祈ったのが塩薬師堂といわれる。 この地には、化粧井戸(小町井戸)・小町塚などもあり小町に関する伝説も多い。

Komachi32

Komachi31

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道祖神:吾妻

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○吾妻町原町須郷


○お釜神社・吾妻町原町
 昔は、吾妻太郎行盛が使った産湯の釜があった。 ある時盗人がこの釜を盗み持って逃げたが、途中で「ウォーン・ウォーン」と唸りだしたので捨てて逃げたといわれる。
※釜があった所が釜谷戸、捨てた所が保成といわれている。
※「吾妻太郎」は吾妻地方を支配した吾妻氏の総領であるが、伝説上は岩櫃城主であり里見氏に攻められ立石河原で自害したとされる。

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道祖神:藤岡

Douso_fujioka

○藤岡市金井大平

○おいわ渕・藤岡町部屋
 かつては、周りを水に囲まれた輪中の村であり、毎年の水害に、人柱をたて水の神様にお祈りする風習があった。   ある年、土手の工事も終わり人柱の話となったが決まるはずもなく、「明日一番早く普請場に来た娘」を人柱にすることにした。 翌朝、それは名主の娘「おいわ」だった。  村人は、おいわの霊を「おいわ稲荷」として祀った。
※人柱伝説は多地域にもある。 「おいわ渕」は河川改修で消え、「おいわ稲荷」は移設された。

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グンマの昔:四万温泉

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○日向見の湯・四万温泉
 碓氷日向守定光(貞光)が日の暮れた四万奥地で童子の夢をみた「四万の病をいやす温泉を与える」。  目を覚ますとそこには熱湯が湧きだしていた。 そこで、日向山薬師瑠璃光如来を祀り「御夢想の湯」と名付けた。  

※四万温泉の名称は「四萬の病を治す霊泉」との伝説に由来する。

Gunma_shimaonsen2

積善館
 昭和初期は、農閑期の湯治客であふれかえったという。

Shimaonsen2

Shimaonsen51

Shimaonsen52

Shimaonsen99

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馬の骨

Umanohone

《グンマを話そう》

 【馬の骨】、それはグンマでは特別な呪力を持っている。

事例1:
 藤原栗沢部落では、温泉に馬の骨を投げ入れたため、温泉が枯れてしまった。 代わって宝川湯の花に温泉が湧き出た。

事例2;
 吾妻名久田村では、忙しすぎた女中が温泉に馬の骨を投げ入れたため、熱い湯であった温泉が「ぬる湯(大塚鉱泉)」となった。

事例3:
 嬬恋村三原湯窪では、里の者が温泉によくないことをしたため、薬師様が怒り温泉を取り上げ、草の葉に包んで北方へ放り投げてしまった。 この草の葉が「くさつつ..

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お菊伝説

Kunimine

《グンマを話そう》
○お菊伝説
 甘楽郡小幡国峯城・城主小幡上総介信貞に仕える侍女「お菊」は美人で働き者だったので、殿様から可愛がられた。 これをねたんだ侍女仲間が、ある日殿様の御膳に針を入れた。 針を見つけた殿様は、お菊が自分を殺そうとしたと思い、お菊を蛇や百足と一緒に桶に入れ宝積寺裏山の池に投げ込んだ。  お菊が息も絶え絶えとなった時、日野の小柏源六なる武士が通りかかりお菊を助けた。 この時助けられた蛇や百足も、恩返しとして「小柏家には害を加えない」と約束した。 こうして蛇除..

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お艶伝説

Otsuyagafychi

○お艶伝説(前橋)
 敷島公園北にあるのが「お艶が岩」、その西の利根川右岸に総社城があった。  総社城主秋元侯が連れてきた「大橋の局お艶殿」は美貌であり、長朝侯をもさげすんだため、牢に入れられ・ついには大瓶に蛇とともに入れられ利根川の淵に沈められてしまった。  その怨念に、なお艶が岩に鬼火とともに現れ・総社城は年々川に欠け落ち・秋元家は男子が絶えた。  そこで、元景寺にお艶の墓を建てて供養したとされる。

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道祖神:中原村

Gunma_dousojin66

○中原村道祖神・中原部落から落合部落へ引っ越したとされる。(1760年作)

 1760年暮れも押し迫った十二月下旬、一人の石工が中原村一里塚にさしかかった。 まわりを見ると、人影もなく貧しそうな部落であり、村には貧乏神と病魔が住み着き、村中病魔に犯されていた。 村には道祖神が無かったのである。
 そこで石工は、正月に間に合うようにと、村はずれに小屋掛けし七日間一心不乱に心魂込めて刻み続けた。
 十二月三十一日、ついに道祖神が完成した。 村人たちは小躍りして喜んだ、そして唖然とし..

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猟師と山男

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《グンマを話そう》
○猟師と山男(霧積)
 猟師が霧積の奥の岩場にトヤバを作って泊まり込んでいると、ある晩「今夜一晩泊めてくれ」と気味の悪い声がした。 そのうち、獣のような足が小屋の中に入ってきたので、アイクチで足を刺すと消えてしまった。  翌朝、川づたいでお湯の湧き出ている所に来ると、白髭の爺さんが足の傷をお湯で洗っていた。「悪いやつじゃなさそうだな。急いで家へかかえれ。子供が火傷しているからこの湯を汲んでいって洗ってやれ」
 猟師が急いで家へ帰ると子供が大火傷をして泣いてい..

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引札:中将湯・ヘルプ・童丸大販売

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○岩崎來次郎・玉村町

Tsumura

津村順天堂(現ツムラ):中将湯(婦人薬)・ヘルプ(胃腸薬)・童丸(用事薬)

○ヘルプ
 津村敬天堂(津村順天堂の親戚)が発売。

○中将湯(津村順天堂)
 明治二十六年津村重舎が日本橋に「中将湯本舗津村順天堂」開業。

☆中将湯
 中将姫により伝えられたとされる。
※中将姫は奈良当麻寺に伝わる伝説上の姫。 霊薬としてのプラセボ効果を狙っている。

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酒の出た清水

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《グンマを話そう》
○酒の出た清水(前橋市荒砥村・村主の清水)
 赤城山へ毎日薪とりに行っている男がいた。 ある夏の晩、のどがかええて道ばたの湧水を飲んだ。 それは水ではなくて酒であった。 男は独り占めしようと木の枝で隠し、毎日飲み続けた。
 薪を取ってこなくなったので困ったおかみさんが後をつけ、酒浸りになっている男を見つけると、怒り狂い道ばたの[馬糞]を清水にぶち込んだ。 すると、瞬く間に酒は水に変わった。

☆群馬にとって文字通り「馬」は大切であり、信仰・伝説・禁句・諺・俗信・..

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グンマの昔:オサキ

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○オサキ
 グンマに伝わる憑き物。 名前の由来は、オサキ狐・御前・ミサキ・オサキ・オオサキ・尾先(狐)・おふさ紀・カンザキ・コウザキ・ゴンゼン、など数々あるがはっきりしない。  どうも、信仰上の動物であり、山で正体不明の小動物を見たときに「オサキ」とよぶようだ。

 オコジョは「山オオサキ」とよばれ、山の神様の召いとされている。
※夏は背側が茶色で腹側が白、冬は全身が白になる。




【マドーモン】
 広い意味での妖怪をマドーモンと言い、グンマでは下記など確認されている。

○ヤマ..



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グンマの昔:みなかみ町藤原

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○藤原
 奥州前九年の役の後、阿部貞任の子孫一族がこの地に住みつき、周囲と隔絶した生活をおくっていた。 ところがある時、下流の幸知に「藤とわら」が流れ着いたので、「上流に人が住んでいる」と沼田候が兵を送ったとの伝説がある。 (奥州藤原泰衝十六代の子孫が移住したとの説もある)

※藤原の産業は、木材・木炭・ワラビ粉であった。 ワラビ粉は、織物にかかせない糊の原料となった、また経師屋・傘はり提灯屋でも使われた。

Minakami_fujiwarac☆みなかみ町藤原


○幸知(コウチ)
 水上町にあった地名、「耕地..

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グンマの昔:藪塚石材軌道

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○藪塚石材軌道
 1909年藪塚石材鉄道設立(東武鉄道太田停車場~両毛線大間々停車場を藪塚石運送計画)、1911年太田~藪塚工事開始、当初は馬車鉄道を計画したが「軽便鉄道法」による敷設に変更し人車鉄道で旅客も運んだ。 同年、太田軽便鉄道に改称、設立当初から東武鉄道資本であったため1912年東武鉄道に線路敷設権を譲渡し太田~藪塚本町で蒸気化・軌間変更、1913年東武鉄道として蒸気鉄道線(太田~相老)となった。

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○藪塚石材鉄道
 1903年藪塚石材株式会社設立、1908年藪塚石材軌道..

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群馬探検隊 vs. 群馬探研倶楽部

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○群馬県企画部企画課による 【群馬探検隊】 ができた。

○やまだくんのせかい 【群馬探研倶楽部】 はマケナイ。

※グンマは 伝説の邦 でもある

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郷土玩具:木の葉猿

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○木の葉猿(熊本)
 723年の元旦、虎の歯の里に住んでいた都の落人が夢枕に立った老翁のお告げによって奈良の春日大明神を祀り、神社に奉納する祭器を木葉山の赤土を用いて作り、残った土を捨てたところ猿に化けたという伝説に基く。 悪病・災難除け・子孫繁栄などのお守りとしても用いられている。

Konohazaru2

(WEB 転載)

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グンマの昔:子持村

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○子持山
《グンマを話そう》
 子持山には千谷あるが、ある昔唐から帰った空海がこの地に寺を営もうとしたので、子持様は一谷隠してしまった。 やって来た空海が数えると九百九十九谷しかないので、寺をあきらめ帰っていった。 このとき空海が爪で岩にかいたのが「爪書不動」といわれている。

※同様な伝説に、袈裟丸山(弘法大師)・赤城山・榛名山・太田金山にもある。 ただし谷を隠すことはしなかった。

Komochi21屏風岩

Komochi22獅子岩

 

Komochi25綾戸渓谷

Komochi26島田家

Komochi27横堀宿本陣 佐藤家

Komochi26c

Komochi27c

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人魚ステーキ

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日本での人魚は美しいことなく(鳥山石燕絵)・食べられる運命にあった。

○八百比丘尼伝説(白比丘尼伝説)
 宴席で出された肉料理が人魚肉であることを知った村人は気味悪がって誰も食べようとしなかったが、ただ一人その肉を持ち帰った男がいた。 そしては、娘がその肉を食べてしまった。 ところが娘は、何年経っても十六・十七歳のままで年をとることなく、身内がいなくなった娘は尼となり福井県小浜の空印寺で八百歳の寿命を全うした。(地域により話筋は異なる)

※地方によっては、交わった男は死に..

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子持山

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○子持神社
 子持山中腹にある子持神社は木花開耶姫を祀り、子授け・安産の上とされる。 また大正天皇が生まれる際に祈願したともいわれている。 日本武尊や弘法大師の伝説も多い。

※火山でもある子持山は、万葉集には「児毛知夜麻」とある。

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○綾戸の穴道(1951年頃撮影)

 子持村から渋川・高崎方面へ抜けれるよう、金剛院住職江舟と村役人後藤門右衛門らにより「綾戸道切開計画」が立てられた。 
 1842年11月工事開始、並行する十八坂が廃れると岩本村新田組の反対あり、 1844年4月..

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グンマの昔:奥利根

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○ねこまくり
 川が増水して、ねこ(藁のムシロ)が転がるようなのでこうよばれた。

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○文珠菩薩の岩
 利根川水源と考えられていた。




☆1945年、「一機の零戦が幻の滝に消えた」との伝説がある。

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妙全の逆さ杉

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○妙全の逆さ杉(龍澤寺)
 六合村・日影竜沢寺門前に「竜沢寺の大杉・妙全の逆さ杉」がある。 樹齢八百年余、尼僧妙全の杉の杖が逆さのまま根付いたといわれている。

☆グンマでは木が逆さに生える。 たとえば、逆さ杉 ・逆さ桜 ・逆さ梅 ・逆さ柳 ・逆さウツギ、などある。






○逆さ杉(嬬恋村門貝熊野神社)
 弘法大師巡錫のとき、過ぎの枝を逆さにして杖としたものが根付いた。

○逆さ桜(新治村赤谷湖畔)
 上杉謙信が出陣しこの地を通ったとき、馬の鞭に使ったサクラを地にさして、軍勢を占った。 ..





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グンマの昔:アズキゴシゴシ

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○ドンドンの滝(嬬恋村)  

①ドンドンの滝には「ドンドンばばあ」が住んでいて、油屋(油桶)を引き込んだ。
②ドンドン沢から「アズキゴシゴシ」という妖怪がでた。
③「小豆とごうか、人とって食おうか」と言う声を聞いた。

※これについては、グンマ各地に出没する「小豆とぎ婆」の仕業だと判明した。 今のところ出没が確認されたのは次の地区、沼田市神沼須の竹やぶ沢・昭和村金棒のガン沢・月夜野町師の送り橋下・桐生川の所々の沢・太田市矢田堀諏訪神社裏の橋下・赤城村村上三原田八幡宮ナゴヤ坂・箕郷生..

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白米城伝説・桐生市城山

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○白米城伝説・桐生市城山
 上杉勢が渋川城を攻め水路を断ったところ、渋川方は計略をもって山頂より白米を滝のごとく流し落とした。 遠目には水に見えたので、これを見た上杉方は、山上には水がたくさん残ってのいるので落城をあきらめたとされる。
 この白米城伝説は、いたるところに見受けられる。 

※写真は岩櫃山・東吾妻




○岩櫃山
 ある昔、武田信玄勢力が岩櫃城(城主・吾妻太郎行盛)を攻め水路を断ったところ、吾妻方は計略をもって山頂より白米を滝のごとく流し落とした。 遠目には水に見..



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グンマの昔:家伝薬

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○六部膏
 ある昔、病気で倒れた六部(巡礼者)を介抱したお礼に教わったとされる。
奇応丸
 利根の小林家が、みすぼらしい旅僧をもてなしたお礼に教わった。 麝香何匁と辰砂何匁を熊の肝でとかしてつくる、疳の虫・熱冷まし・腹痛に効くとされた。
命宝散
 赤岩の湯本家が、カッパに教わった。 打ち身・傷に効くとされた。
○八方散
 前橋・丸橋高義家が工房太子に教わった。 朝鮮人参・ぶくりょう・ちんぴ等を混ぜてつくる。(お湯で飲む) できもの・はれものに効くとされた。  他地域には..

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どんど焼き伝説

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○ドンドン焼きの火にあたると風邪をひかない。
○道祖神焼きの灰をこたつに入れると風邪をひかない。
○道祖神焼きの灰を家の周囲に撒くと、百足・蛇・虫が入らない、盗難除けになる。

○ワキザシを短かく切って鎌の柄にするとマムシ除けになる。
○カタナにつけた火で煙草を吸うと無病、長生きする。
○家の中に蛇が入ったときキッポで追うと入らない。
○ドンドン焼きの火で餅・マユダマを焼いてたべると風邪をひかない、長生きする、できものができない、虫歯にならない。
○女はこの火で頭髪の抜毛を燃す..

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郷土玩具:沼田天狗面

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○沼田天狗面
 沼田市北部の迦葉山龍華院弥勤寺は853年、天台宗比叡山座主の慈覚大師を招き、創建したと伝わる。 その後、室町時代に曹洞宗に改宗された。 さらには1451年、禅問答で天巽禅師を破り曹洞宗を確立した。 寺には日本一の天狗面が安置され、古くから天狗の寺として有名だ。 同寺に入山した僧侶が天狗になって昇天したとの伝説があり、参詣者は最初の年に天狗面を寺から借り受け、願いが叶うと門前の店で新しい天狗面を買い求めて二つを奉納し、さらに別の天狗面を借りるという風習が今も続い..

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郷土玩具:山名八幡獅子頭

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○山名八幡獅子頭
 上信電鉄山名駅近くの山名八幡宮は830年前、山名城主新田義範が宇佐八幡宮を勧請して社殿を造営したと伝わる。 この神社では、古くから子育てと虫封じの縁起物として張り子の獅子頭が授与され人気がある。 全国でも珍しい頭にかぶる様式で、神功皇后が幼い息子(応神天皇)に唐獅子を与えたところ、獅子をかわいがり、思いやりのある元気な子供に成長したとの伝説に由来する。 

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グンマの昔:春駒

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春駒
 新年に、鈴を鳴らし太鼓を叩き各戸を訪れた。 門口から「サーサ 乗り込めはね込め蚕飼いの三吉 のったらはなすなしっかと飼い込め」との口上ではじまる。(かつては母娘だったが、もはや無い)

※養蚕の神を「オシラ様」とよび、そのご神体は「女性神」とされている。 

[春駒唄]
--------------------
春のほじめの春駒なんぞ
夢にみてさえよいとや申す
せめてうつつほ良女の駒よ
年もよし日もよしおかいこもあたる
蚕飼にとりてほ美濃の国の
桑名の郡は小野山里で
とりたる種子はさてよい種..

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香煎

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○香煎
 元々香煎は、炒った大豆を粉にして塩や砂糖を混ぜ、さじですくって食べた。 館林の落雁の源でもある。 また香煎は供え物として使われ、 高山の「うばご堂」ではうば様を祭り香煎を供える習慣がある。 その他にも、高崎富岡八幡宮や藤岡の香煎ばあさん等の香煎伝説も多い。

※「へびもむかでもどーけどけ、おらあ鍛冶屋のむこどんだ、なたかま八丁、胴中切られてびりつくな」(怪力を誇示している)と言って香煎をまくと虫の害にあわないとされている。

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群馬での暮らし:姥の皮

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《グンマを話そう》

○姥の皮(姥皮伝説)
 ある昔、田んぼで蛙が蛇に飲み込まれているのを見たおじいさんが可哀想にに思い「蛙を放したら娘をあげる」と蛇に言うと、蛙を放して山へ帰っていった。 やがて蛇が迎えに来ると、末娘が嫁入り道具に「瓢箪10個と針千本」持って蛇についていった。 住みかの沼まで来ると、蛇に「嫁入り道具の瓢箪を沈めて下さい」と言い、蛇がアタフタしている間に針を刺して蛇を退治した。

 帰り道に迷いたずねた小屋でおばあさんから「ここは鬼が出るから、この姥の皮(かぶると婆さん..


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榛名神社

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○榛名神社
 榛名神社の祭神は火産霊神・埴山姫神で、五穀豊穣を祈願する講による参拝がさかんだった。 特に埼玉南部では榛名講が盛んに行われ、榛名神社に関する伝説(戸田のお水もらいとわらびさま・龍體院伝説渋川氏の夫人・滑川町二宮山八大龍神、など)も多く残っている。  これは、榛名山からの雷雲が埼玉南部に恵みの雨を降らせたことによると考えられている。

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○榛名神社参道・1932年
 当時の交通事情では、日帰り参拝は困難だったため、参道両側にある宿坊に泊まった。 明治初期には50坊以上あった..

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群馬での暮らし:津久田村の人形芝居

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《グンマを話そう》

○津久田村の人形芝居
 津久田村は人形を大切にする伝統の村として平和な日々を過ごしてきました。

こんな伝説があります。
 上杉・竹田の争覇時代、上杉勢が密かに津久田の要塞を陥れ、大胡城を攻めようと企てました。 そして津久田村に近づくと、山頂には沢山の旗が立ち・鐘や太鼓が勇ましく鳴り響いていました。 これを見た上杉勢は、計画が漏れたようだ・不利な戦いは避けようと、兵を引きました。 それは、八幡様の例祭で人形芝居の日だったのです。



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○津久田人形
 上ノ杜・桜..


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群馬での暮らし:デーラボウ

Derabo

《グンマを話そう》
○デーラボウ
 ある昔、日野山奥にデーラボウという大男がおった。 ある時、富士山と榛名山が背比べすることになった。 助っ人を頼まれたデーラボウは、御荷鉾山から山を一つ持ってきて榛名山に乗せようと、山を背負って歩き出した。 印地の朝谷まで来たら疲れたので山をぶちゃった。 これが子王山である。 そして歩き続けた、この時の足跡に水が貯まり緑埜の竹沼・七輿山の池・南八幡の木部の池などができた。
 またある時、大神山に腰をかけて新田川原で足をあらったので大神山は頂上が..

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群馬での暮らし:竜宮の椀

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《グンマを話そう》
○利根村:竜宮の椀
 吹割の滝の底は竜宮に続いていると言われていました。 ある昔、利根村追貝の若者が嫁をもらうことになりましたが、貧しくて客用の膳と椀がありません。 そこで竜宮にお願いしようと、滝の上手から手紙を流しました。 翌日滝へ行くと、お願いした膳と椀が岩の上に置いてありました。 嫁迎えを無事すませた若者は、膳と椀をきれいに洗って返しました。 やがてこの話が広がり、多くの村人が膳や椀を借りることが出来ました。
 ただ、ある村人が返し忘れたことがありました..

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群馬での暮らし:三峰山

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《グンマを話そう》
月夜野町(現みなかみ町月夜野)には伝説がいっぱいあります。

○雨ごい石
 河内神社近くに三つの石があり、火を燃やして竜神に雨乞いすると雨が降ると言われています。

○石神峠の泣き石
 峠の「泣きい」が濡れると雨が降ると言われていました。

○からしな姫の石
 後閑佑房の側室「からしな姫」が奥方毒殺を図ったが見つかり生き埋めにされ、その上に置かれた石が日に日に大きくなり「毒石」と呼ばれるようになり、「加良志奈神」として祭り納めたと言われています。(寛政中頃)

○げえろ石と..

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群馬での暮らし:六合村

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《グンマを話そう》
○六合村にはグンマから独立した方言があります。
 あなた→こんた、 いしけり→けだし、 かくれんぼ→かくねっこ・おにさんこ、 かたぐるま→てんぐるま、 かまきり→とーろー・はえとり・かまぎっちょ・かまよん、 くるぶし→くるみ、 しゃがむ→つくじょむ・しょごむ・しょごじょむ・しょごずむ、 たけうま→たかあし・たかうま、 つむじ→まきめ・まきまーし・まきむし、 とかげ→かまちょろ・かなへび・とかよん・とかちゃん・かまぎっちょ、 なめくじ→なめら・なめらっ..

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藤原地区

山田君の世界

《ぐんまぐんぐん キャンペーン:秘境群馬》

グンマの深雪地帯

 みなかみ町藤原から、群馬県道63号水上片品線(奥利根ゆけむり街道)を行く。

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 藤原地区には、「奥州藤原氏」の落人伝説が言い伝えられている。

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奈良俣ダム(ならまた湖)

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湯の小屋温泉先・奈良俣ダム管理道路入り口から先は、冬季通行止め。

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生ロールケーキ

山田君の世界

《ぐんまぐんぐんぐんまんじゅう キャンペーン》

創業百年 大正元年創業 福嶋屋製菓舗
ロールケーキ
 (株式会社福嶋屋@群馬県佐波郡玉村町上新田1637/イーサイト高崎、0270-65-3765、無休)

○イチゴロール・生ロールケーキ(バニラ味) ・珈琲ロールケーキ、いずれもミニサイズ。

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-※玉村町には、「錦野伝説」が伝えられている。

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群馬での暮らし:鉢の木

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《グンマを話そう》
○常世神社(高崎市佐野町)
 七百年前、雪の中旅の僧が宿を求め、やっとのことで一軒の家に泊まることができました。 その家では貧しいながらも泡粥を出し、鉢に植わった梅・松・桜の枝を囲炉裏にくべて暖をとらせました。 僧は家に馬がいて鎧兜があるのを不思議に思いたずねると、「落ちぶれてはいるが佐野源左衛門常世、いざ鎌倉とうときにははせ参る」 と答えました。
 やがて春になると鎌倉から召集がかかりました。 関東中から集まった武士の中で一番身なりが粗末なのが常世でし..

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群馬での暮らし:川場の湯

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《グンマを話そう》
○川場の湯
 ある昔、川場湯村は遠い沢まで水を汲みにいかなければならない「水の不便なさびしい村」でした。 そこへ旅の坊さんが疲れ歩いてきました。 一軒の百姓家の前まで来ると、おばあさんに「喉が渇いた、水をめぐんでください。」と頼みました。 おばあさんは『気のどくだがもう水がないのじゃ。 この里には水がないので、沢まで水を汲みに行かねばならぬ。 ちょっと待っててくんろ。」 と遠い沢まで水を汲みに行きました。
 その水をおいしく飲んだ坊さんは、持っていた杖をい..

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群馬での暮らし:百合若大臣

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《グンマを話そう》
○百合若大臣
 ある昔、妙義山の麓に百合若大臣という大男がいた。 有り余る力をもてあました男は、妙義連山にひときわ大きい岩を見て、穴を開けてみたくなった。 幾日か過ぎ、大きな弓と矢を持った男は、左足を下横川の小山沢に・右足を五料の名木にふんばり、妙義山に向けて力一杯矢を放った。 そして岩に穴が開き穴からは星が見えたので、その後「星穴」と呼ばれるようになった。 足を踏ん張った所は窪みとなって残った。

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※百合若大臣話は、復讐譚として日本各地に伝わっている。

☆百合若..

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群馬での暮らし:鏜々が淵

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《グンマを話そう》

○鏜々が淵(堂々が淵)
 高山村尻高の龍海寺跡・名久田川近くに鏜々が淵があった。 858年春、与五右衛門が藤の花を採ろうと「どうどうが淵」へやってきたが、ふとした拍子に鉈を淵に落としてしまった。 鉈を拾おうと淵に入った与五右衛門は水底深く吸い込まれてしまった。

 気がつくと機織り娘が、酒・さかなを運びご馳走してくれた。 三日三晩を過ごした与五右衛門が村に帰ると、村人はいなくなった与五右衛門のお弔いをしていた。  このことがあってから、与五右衛門はす..

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群馬での暮らし:赤城山

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《グンマを話そう》
 赤城山は、標高1828m(黒檜山)・裾野面積は富士山に次ぐ広さだ。  この「あかぎやま」、古代は富士山と高さそしてその美しさを競いあっていた。  しかしながら「赤城山の神」と「二荒山の神」が大蛇と大百足に変身して戦った際に上半分を蹴散らかされ、今のギザギザ山になった。 という伝説は………ない

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群馬での暮らし:錦野伝説(玉村伝説)

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《グンマを話そう》
○錦野伝説(玉村伝説)
 千年ほど前上野の土豪たちは、平将門の攻めから逃れようと、沼田の庄(現玉村町芝根)の地頭の娘を差し出すことにしました。 しかしながらこの娘には、許婚がいました。 親子ともども悩んだあげく、娘は錦野(現玉村)にいる許婚のもとへと走りました。 ところが、矢川まで逃げた所で追い詰められ川に身を投げてしまいました。 このことを知った許婚はたいへん嘆き悲しみ、後を追ってこの矢川に身を投げてしまいました。 その後この二人は竜となり、それぞれに玉を抱..

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群馬での暮らし:龍の鱗

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《グンマを話そう》

○龍の鱗
 吾妻町・善導寺の円光上人(道阿上人の説もある)の母(娘の説もある)が榛名湖に身を投げ龍(大蛇の説もある)になった伝説があり、その「龍の鱗」が残されている。

○大蛇になった寺のばあさん
 ある昔、寺の婆さんがあまりにも「榛名湖へ連れて行け」というので、家の者が榛名湖の畔へと連れて行った。 すると榛名湖の中から大蛇が現れ、おばあさんが湖に飛び込むと大蛇と一体になり湖底へと消えてしまった。  それからというもの、毎年5月25日の命日には、赤飯を重箱に入れ..

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榛名湖

山田君の世界

《グンマを話そう》
 ある昔、木部村の豪族だった木部氏の妻・木部姫(長野姫)が、夫君の活路を開かんと榛名湖に身を投げ、侍女達もそれに続き湖底のカニとなり姫を守ることとなった。   しかしながら木部氏は妻を忘れることができず、榛名湖に出向いて妻の名を呼んだ。 湖底から現れた妻は、「私はこの湖の主です。理由あってあなたの妻となりましたが、湖に戻るときがきたのです。」と言うと大蛇となり再び湖底に姿を消した。(龍という説もある)

※榛名湖の主は十尺もある緋鯉だとの伝説もある。
※..


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磯部温泉

山田君の世界

磯部駅前、温泉街入り口。 寂れた感はある…



※磯部館は、この地で産出されるベントナイトを原料にした「ライオン歯磨」が営業していた。
※季節の変わり目(春分の日)ごろ、妙義山方向に「磯部蜃気楼」が観られることがある」、との情報も存在する。

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○舌切り雀のお宿
 磯部温泉磯部館で、巌谷小波が「舌切雀物語」を執筆したといわれている。 舌切雀神社・雀の下を切ったハサミ・宝物のツヅラ、などもあり「舌切雀物語」発祥の地とされている。..

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みがきニシン

山田君の世界

【身欠き鰊】
 そのままむしって、味噌をつけて食べるのが好きだ。  マヨネーズを付けて食べるのも有りだ。  生みそを嫌がる人もいるが、だいいち、そんな人は「身欠きニシン」を生で食べたりしない。

 しかし、そのまま生で食べられる「身欠きニシン」は極めて少ない。 だいいち、売っている店がほとんど無い。 そのままでは不衛生だと思う人は、さっとあぶるべし。 

☆店先で、「このまま食べられる?」と尋ねると、変な顔をされる…
もはや、伝説的な食べ方らしい… 

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Nokia E61 & FreeFlight

山田君の世界

 [Nokia E61]に「FreeFlight」をインストールしてみた。
 チョット遊べる。 

Doom

 今更ではあるが こちらは、 DOOMとゼルダの伝説 (ZELDA)。 DOOMはサクサク動くし、チートコード も使える。 ZELDAは画面が欠けていて、何処までできるか分からない。

 (ゲームでは、スクリーンショットが撮れなかった。)

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山王猿

山田君の世界

萩日吉神社(山王社)@都幾川村

 猿を簡略化した縁起物、1月15日に限り授与される。

☆萩日吉神社・神猿
 烏帽子の雄猿と赤顔の雌猿、神棚に祀り・自分の体の悪い部位と同じ所を縫い針で刺して平癒を祈る。


☆都幾川
 平安中期の書「和名類聚抄」に見られる地名。 都家郷との説もある。


☆都幾川村大野
 明治時代の神仏分離の波にのり、村中の寺院を壊した。 葬式は神式・戒名も無い。


☆都幾川村七重
 慈光寺奥の院巡り行者の休み場が七カ所かったので、..

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参考文献

下記文献などを参考にしています。

100年前の日本、 1億人の昭和史、 20世紀おもちゃ博物館、 365日乗物なぜなぜ事典 自動車・船・飛行機からスペースシャトルまで日本と世界の乗物事始めと記録、 47都道府県・こなもの食文化百科、 47都道府県地名由来百科、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 60年代街角で見たクルマたち アメリカ車編、 60年代街角で見たクルマたち ヨーロッパ車編、 60年代街角で見たクルマたち 日本車・珍車編、 70年のあゆみ 日本車輛製造株式会社..

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