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櫛引氷川神社

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○櫛引氷川神社・さいたま市大宮区櫛引町1-653

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☆何処かに素戔嗚尊腰掛松があったらしい…

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[大宮伝説 メモ]

☆カッパの妙薬、 さいたま市・大宮  片腕を切り落とされた見沼のカッパが伝えたのが「カッパの膏薬」。

☆日本武尊腰掛松、さいたま市・大宮浅間  氷川神社に詣でたおり腰掛けて休んだらしい。 他説もある。

☆小豆婆、    さいたま市・大宮  吉敷町安藤橋と、西光院西の道に、目撃情報。

☆徳川家康腰掛松、さいたま市・大宮飯田新田・西光院

☆首無し地蔵、 ..

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法性寺

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○法性寺(建替え中)・鳩ヶ谷藩陣屋跡
 川口市桜町1-11-51、048-283-1281

 文明八年太田道灌の開基、その後戦乱に巻き込まれ無住寺となるも明応七年雲竜により再建・明応八年開山された。 明治時代に焼失二回。
 隣接して、「法性寺ふるさとの森」と「桜町湧水ふるさとの森」がある。

太田道灌 の記事を探す・PC版 )

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○鳩ヶ谷藩陣屋跡

☆鳩ヶ谷本陣(船戸本陣)
 鳩ヶ谷本陣舟戸家倒産により、1931年本陣建物(一部)が..

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八幡木八幡神社

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○八幡木八幡神社
 川口市八幡木1-25-2   

☆八幡社裏の竹藪の中、太田道灌が石櫃に武器を隠したともいわれる。

川口市の神社 の記事を探す・PC版 )

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埼玉伝説 メモ

Omiya_kurozuka9黒塚・潮田出羽守城跡

埼玉県伝説集成(主に県南版)

○馬蹄寺、上尾市平方・馬蹄寺
 吾妻左衛門是好の叔父三輪荘司が死んで馬に生まれ変わった、といわれる。

○片目の氏神、上尾市平方・
 氏子の目は片方が小さいとか…

○平方のお獅子、上尾市平方・
 伊草村の獅子頭が大水で上尾平方に流れ着いた。

○疱瘡石、朝霞市岡・東円寺
 疱瘡に罹ったら枕元にこの石を置くと治る。

○弘法大師掘抜の滝、朝霞市岡・東丹寺付近
 弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。

○片目の魚、朝霞市岡・広沢の池..

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とうきょう伝説

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東京伝説

☆スッテクリョウ、秋川市菅生・
 兄弟の太郎と二郎、太郎の白馬を二郎が代掻きに使い喧嘩となり・太郎は殺されてしまった。 太郎は埋葬のさい頭を剃ってなかったので今尚「剃ってくれ」…

☆足立姫と六阿弥陀、足立区扇2・性翁寺
 豊島氏に嫁いだ宮城宰相の娘足立姫、不縁となり川に身を投げた。 父は姫の霊を弔うため紀州熊野にて霊木を得、行基が六体の阿弥陀仏と木余如来を彫った。

☆猿仏塚、足立区栗原1・島根小学校前
 むかしむくれて農家には利口な猿、ある日家人の留守に赤ん坊を風呂に入れ..

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赤塚城趾

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○赤塚城趾・千葉家城址
 板橋区赤塚5-35

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 板橋区赤塚5-35
 戦国時代、この辺りを支配していた千葉氏の居城跡です。中世の典型的な平山城で、周辺には空壕など遺構がわずかに残っています。
 ここを居とした千葉自胤は、太田道灌と結んで勢力を伸ばしていました。 その後、小田原の北条氏に従いましたが、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏は滅亡。 徳川家康の江戸入府に伴い、赤塚城も廃城となりました。

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Akatsuka_kofun赤塚城跡遺跡

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面影橋・おもかげ橋

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○俤の橋・姿見の橋
 新宿区西早稲田3

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 神田川のさまざまな名橋の中でも特に有名な橋で、曲名にもよく使われる江戸時代からの名所。 かつては「姿見の橋」と呼ばれていたという説もある。 橋の近くには、室町時代の武将・太田道灌の伝説に基づき、「山吹の里」の碑が立つ。

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☆高田姿見のはし俤の橋砂利場
 面影橋と姿見橋があり、面影橋北側は砂利が採れたので砂利場村とよばれた。

☆面影橋
 明応年間武蔵国高田の里に都を追われた武士とおぼしき一家が住みついた。 その娘は於..

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平塚神社

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平塚神社・平塚城跡(豊島城跡)
 東京都北区上中里1-14-1、03-3910-2860

城跡 について

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☆平塚神社付近は、平安時代に豊島郡を治める郡衙のあった場所だと推定されていますが平塚明神并別当城官寺縁起絵巻の伝承によれば、この時代の末期には、秩父平氏庶流の豊島太郎近義という人物が平塚城(豊島城)という城館をつくります。
 平塚城は源義家が後三年の役で奥州に遠征した帰路の逗留地で、義家は近義の心からの饗応に深く感謝し、使っていた鎧と守り..

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稲付城跡

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○静勝寺
 東京都北区赤羽西1-21-17、03-3900-4455

城跡 について

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☆稲付城跡
 稲付城跡は現在の静勝寺境内一帯にあたり、太田道灌が築城したといわれる戦国時代の砦跡です。 1987年、静勝寺南方面でおこなわれた発掘調査によって、永禄年間末頃から天正十年頃に普請されたとみられる城の空堀が確認されました。 また、静勝寺に伝存する貞享4年の「静勝寺除地検地絵図」には境内や付近の地形のほか、城の空堀の遺構が道として描かれており、稲付..

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静勝寺

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○静勝寺
 東京都北区赤羽西1-21-17、03-3900-4455

太田道灌坐像

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☆静勝寺
 曹洞宗静勝寺は山号を自得山といい太田道産開基と伝えられ、本尊は釈迦如来、ほかに道港の守り本尊の聖観音と寺の背後の亀ケ池から出土した弁財天をまつる。 寺伝によればこの地は道灌の築いた稲付城の跡で、道港の死後に禅の師匠であった雲綱がその菩提を弔うためこの地に草庵をむすび、道港寺と名付けたのが始まりとしている。
 江戸時代に入って、道港六世の孫備中守資宗が明暦元年山号と寺号を道産の父道真と道..

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道灌山

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○道灌山史跡
 荒川区西日暮里4-24

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○西日暮里公園
 荒川区西日暮里3-5

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☆旧前田侯墓地・西日暮里公園
 古くは青雲寺所有地、明治時代青雲寺再建のため前田家に売却された。 1973年公園となった。 

☆太田道灌舟繋ぎ松
 古くは東京湾がこの付近まで湾入していた。 道灌山・諏訪台では音無川に向かって土器投げが行われ、諏訪台神社境内には「岸の茶屋(田村屋・富士見屋・馬淵の三軒)」があった。


☆音無川(下郷用水)・荒川区西日暮里4他
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廣徳寺 (1)

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○廣徳寺
 比企郡川島町表76

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☆広徳寺大御堂
室町後期/1467-1572
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、茅葺

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☆廣徳寺
 平成天皇御代大同年間創立、鎌倉時代に衰退するも北条政子が大御堂・本堂 ・坊舎など再建し廣徳寺と改称。

※平家物語巻第十一「弓流」に、三尾屋十郎が平家の家人上総悪七兵衛是清の 引き立て役として登場する。


☆養竹院(西約400m)
 太田道灌の陣屋跡と伝えられる。

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傑伝寺

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○傑伝寺
 川口市川口市東本郷1506

 この地は、本郷城・太田道灌築きし塁跡と伝えられる。

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毛長神社

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毛長神社
 草加市新里町342

○毛長明神社
 舎人諏訪神社を男神・毛長明神社を女神とし、髪毛を管に納め御神体とした。 後に、髪毛は不浄の物とされ毛長沼に沈めたといわれる。

伝説 について

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 全国でも珍しい「女性の長い髪の毛」を御神体とする神社。谷塚駅の南西約2kmの毛長川沿い(新里町)に鎮座する。創建ははっきりしないが、棟札の写しには享保十年九月二十五日修築の記録があることから、300年ほど前と推定される。 髪の主は素戔嗚尊の妹姫、村の長者の娘など諸説ある。 鳥居は白の御..

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東方村中村家住宅

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東方村中村家住宅
 越谷市レイクタウン9-51

 安永元年築、武蔵国埼玉郡八条領東方村(後の大成町)にあった。 中村家は、文明年間太田道灌に仕えた大相模郷の郷士、長く東方村の名主を務めた。
※元禄十一年、東方村・三田方・南百・四条・別府・千疋・麦塚・柿の木などの村が忍藩に組み入れられた。

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 旧東方村中村家住宅はもと武蔵国埼玉郡八条領東方村(ひがしかたむら・現越谷市大成町)にあったもので、東方村下組の名主を勤めた中村家の居宅です。 東方村は元禄十一年に幕府領から忍領に組み入れられ、..

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越生梅林・梅まつり

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越生梅林・梅まつり  2月21日~3月22日

越生 について

について

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☆龍穏寺・歌合せ
 江戸から太田道灌が歌の會に来ると、その歌詠の行列が七町も続いたといわれる。

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初雁のつばさ

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初雁のつばさ
 (株式会社亀屋@川越市仲町4-3)

○焼菓子


☆初雁城
 川越城、晩秋に雁が来て鳴くので太田道灌が初雁城と詠んだ。

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☆雁
 上代は「カリ」、室町時代頃から「ガン」と呼ばれるようになった。

☆函館の雁風呂(函館の松・函館の一つ松)
「常磐なる國へ帰らん雁の暫し休らん函館の松」
 日本に秋に飛来する雁は、木片を口にくわえ・または足でつかんで運んでくると信じられていた。 渡りの途中、海上にて水面に木片を浮かべ・その上で休息するためであるという。 日本の海岸..

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グンマの昔:尾曳稲荷・館林城

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○尾曳稲荷・館林城
 戦国時代、大袋城主赤井照光が子狐を助けたところ、その晩稲荷様の使いの親狐が夢枕に現れ、そしては狐が尾で築城図を地面に描いたのが「館林城・別名尾曳城」。 狐が尾を曳き始めたのが谷越町「宵稲荷神社(初曳神社)」、城の守り神が城内の「尾曳神社」、尾を曳き終えたのが加法師「夜明稲荷神社」。
※太田道灌が前橋城を築くさい、赤亀が現れ尾を曳いて築城図を描いたのが「赤亀稲荷(尾曳稲荷)」。

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グンマの昔:厩橋

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○厩橋(前橋)
 太田道灌は赤亀が尾を引きながら歩くのを見て、城の守護神として祀 り・赤亀稲荷を建てた。(後に尾稲荷として移社) 赤亀が端気川から上がってきた所が赤亀橋。
 1567年、北条三万余+武田二万余の軍勢が厩橋を攻め立てた時、手に手に松明をを持った大軍勢が現れ上杉方は城を守った。 その軍勢こそ、城に住むタヌキ達であった。

(尾引稲荷)

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厩橋1988年

Shiro_umayabashi1○上州厩橋城

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☆松明かし(まつあかし)
 古くは、松の木や根を細く割って燃やしあかしとした。 ..

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