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櫛引氷川神社

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○櫛引氷川神社・さいたま市大宮区櫛引町1-653

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☆何処かに素戔嗚尊腰掛松があったらしい…

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[大宮伝説 メモ]

☆カッパの妙薬、 さいたま市・大宮  片腕を切り落とされた見沼のカッパが伝えたのが「カッパの膏薬」。

☆日本武尊腰掛松、さいたま市・大宮浅間  氷川神社に詣でたおり腰掛けて休んだらしい。 他説もある。

☆小豆婆、    さいたま市・大宮  吉敷町安藤橋と、西光院西の道に、目撃情報。

☆徳川家康腰掛松、さいたま市・大宮飯田新田・西光院

☆首無し地蔵、 ..

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櫛引観音堂

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○櫛引観音堂
 さいたま市大宮区櫛引町1丁目

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☆櫛引観音堂・八百姫の碑 

☆八百比丘尼の植えた槻が二本あったといわれる。
※農業機械化研究所内にも八百比丘尼塚(二墓)があったらしい。

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人魚 メモ

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日本での人魚は美しいことなく(鳥山石燕絵)・食べられる運命にあった。

☆八百比丘伝説、食べたのは「フケツの貝(フクツ・不老の貝)」ともいわれる。

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☆八百比丘尼伝説(白比丘尼伝説)
 宴席で出された肉料理が人魚肉であることを知った村人は気味悪がって誰も食べようとしなかったが、ただ一人その肉を持ち帰った男がいた。 そしては、娘がその肉を食べてしまった。 ところが娘は、何年経っても十六・十七歳のままで年をとることなく、身内がいなくなった娘は尼となり福井県小浜の空印寺で八百歳の寿命を全..

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八百姫大明神

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○八百姫大明神
 さいたま市北区植竹町1

※付近に「ビャクニン松」や「八百比丘尼の住居跡」があったらしい。

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[大宮での八百比丘尼 ]
☆八百姫大明神・植竹、古くは大きなビャクニン松があった。
☆慈眼寺・水判土菅野、八百比丘尼の碑がある。
☆観音堂・櫛引、「八百姫の植し二本も限りあれば、名ごり朽さぬ石ぶみぞこれ」と碑がある。
☆二ツ塚・櫛引、旧農業機械化研究所構内。
☆安養寺跡・染谷 、八百比丘尼の安養の処だったともいわれた。
☆他にも、八百..

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慈光山 メモ

Jikoji61c○一乗法華院慈光寺・ときがわ町西平、都幾山慈光寺本坊を中心に126を超える僧坊があった。

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Jikoji_zao3蔵王

Jikoji_shakado1c釈迦堂

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Jikouji_syaka8_3釈迦堂

Jikouji_nio8c仁王像

Jikouji_shoro7c_2寛元の銅鐘

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 仁王像は健康祈願の後利益があるとされ、紙を千切り・口の中で噛み・それを礫として仁王像に投げ付け(吹き付け)、自分の疾患部位と同..

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観音寺

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○観音寺
 戸田市新曽1791、048-441-4127

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○新曽村大悲山福寿院・比丘尼田
 むかし新曽村に、福寿院という真言宗のお寺がありました。 いなからしい草ぶき屋根の本堂がよく似合う、小さなお寺でしたが、いつからか自芳尼さんという心のやさしい比丘尼(女のお坊さん)が住んでおりました。 自芳尼さんは、いつも熱心に観音経やお念仏をとなえてほとけさまにつかえ、村の家々をよくまわっていましたので、村の人たちからたいへんしたわれてお..

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東光寺

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○堂山・花木山東光寺
 蕨市錦町6-5

 堂山(どやま)は、明治四年に廃寺となった花木山東光寺(三学院の門徒)の墓地です。 地蔵堂が残されており、中には本尊であった不動明王が祀られています。

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○庚申塔〈寛文十年銘〉・市指定文化財
 堂山にあるこの庚申塔は、寛文十年に東光寺住職ら16人により、全員の逆修供養のため造立されたもので、舟形光背に薬師如来像が浮き彫りにされています。  
 薬師如来像が浮き彫りにされた庚申塔は、類例が非常に少なく・保存状態も良好で、大変珍しく貴重なもので..

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埼玉伝説 メモ

Omiya_kurozuka9黒塚・潮田出羽守城跡

埼玉県伝説集成(主に県南版)

○馬蹄寺、上尾市平方・馬蹄寺
 吾妻左衛門是好の叔父三輪荘司が死んで馬に生まれ変わった、といわれる。

○片目の氏神、上尾市平方・
 氏子の目は片方が小さいとか…

○平方のお獅子、上尾市平方・
 伊草村の獅子頭が大水で上尾平方に流れ着いた。

○疱瘡石、朝霞市岡・東円寺
 疱瘡に罹ったら枕元にこの石を置くと治る。

○弘法大師掘抜の滝、朝霞市岡・東丹寺付近
 弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。

○片目の魚、朝霞市岡・広沢の池..

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さきたま伝説

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☆調神社の七不思議・さいたま市中央区
 神社に鳥居がない・境内に松の木がない(門松もたてない)・兎が神の使いである・日蓮上人が駒を繋いだ欅がある・池に片目の魚がいる・蝿がいない・蛟(みずち)がいない。
※神が降臨や出陣のさい、誤って転び・松葉や胡麻などで目を突いたので、神は片目だったという信仰がある。 このため、片目の生物は神の眷属として祀られた。 神に供える魚を池に放つさい目印とした、との説もある。
※蠅は、五月蠅い人・邪魔な人 あるいは侍。
※蛟は、水神あるい..

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豊島七不思議

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東京都北区

○王子装束狐
 大晦日の夜、全国から集まった狐たちが榎木の元(装束榎)で衣冠束帯に着替え、狐火を灯し王子稲荷へに詣でた。

※晦日の王子稲荷では、狐の年越し宴会が開かれたらしい…
※狐火が多いと翌年は豊作といわれた。
※明治末に榎木を伐ろうとした人に祟りがあったため、供養のため榎町と町名変更したが・1939年その名前も消えた。

王子の狐 の画像を検索 )

○狐の嫁入り
 闇夜に火玉がゆらゆらと見えた… 狐の嫁入り…
※狐の婿入りはないらしい…


○人形流し
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峯ヶ岡八幡神社

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○峯ヶ岡八幡神社
 川口市峯1304

※中世、川口市東部~草加市西部は矢古宇郷とよばれ鎌倉鶴岡八幡宮社領だった。(寄進された)

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○峯ヶ岡八幡神社の社叢
 峯ヶ岡八幡神社の約7,700㎡の境内には、樹齢600年・高さ27m・目通り8mの大イチョウをはじめ、ヒノキ・シラカシ・スダジイ・タラヨウなど400本余の樹木をはじめ、ヤブミョウガ・クサソテツ・ベニシダ・アズマネザサ・ヤブコウジなどの草本類がよく繁茂しており、独特の植生をなしています。

○八百比丘尼の植えた銀杏、川口市峯・峰八幡宮..

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上大久保氷川神社

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○上大久保氷川神社本殿
 桜区大字上大久保562

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☆二間社流造・桟瓦葺・桁行2.700m・梁間1.890m・向拝の出1.000m。 伝大宮氷川神社旧本殿。 文禄五年建立と記録にある本殿(大間木氷川神社本殿の一代前か)を式年遷宮の際に譲り受けたものと推定。

○上大久保氷川神社
 埼玉大学建設のため移転、大宮氷川神社旧本殿を譲り受けたともいわれる。

○日枝神社・埼玉大学北西
 大久保の大ケヤキ、八百比丘尼が植えた・ハバキ様とよばれていた、などの伝説 がある..

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浅間社

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☆浅間社・浅間山
 川口市鳩ヶ谷本町3-20

 延享五年四月、次兵衛子孫彦六が浅間社を千手院に譲った。 浅間社は古木生い茂り、神楽堂・籠堂・御手洗池などがあった。 祭礼名物は、麦藁でつくった「じゃの口・蛇の口」。
 明治四十二年氷川神社に合祀、一部は千手院に保管。

※現坂下二丁目の東、当時の鳥居は氷川神社に移された。
※御手洗池の主が蛇、「じゃの口」の延長が安行原の蛇造り。

Hatogaya_senjuinc☆千手院・川口市鳩ヶ谷本町3-1 

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☆いぼとり地蔵・沼田堤
 川口市坂下町4、須田病院裏..

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蕨城跡

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○蕨城跡
 蕨市中央5-20

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☆蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたのに始まり、戦国時代の永禄十年、上総の国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。 江戸時代の始めには、鷹狩り用の休憩地の「御殿」として蕨城の跡地が利用されました。

城跡 について

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○蕨城
 和樂備神社南方に渋川氏居館の跡とも伝えられる。

☆蕨
 古くは「藁火の里」ともいわれたらしい。 ただ城を造るに際して「火」は良くないので「蕨」としたともいわれる。

☆蕨
 古く、薪の代..

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八潮市立資料館 (1)

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八潮市立資料館
 (八潮市南後谷763-50、月休、048-997-6666)

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八潮市 について

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☆八潮市垳
 他には無い地名。 八潮は、八幡村・潮止村・八條村が合併してできた。



八潮のむかしばなし

○月夜に光る丸木舟(西袋・柳之宮)
 西袋の蓮華寺のわきの田んぼは、まん月の晩にかぎって、ピカッ、ピカッと光ったそうな。 何でも、そのように光るところには、丸木舟がうまっているそうな。 


○たから船のちんぼつ(大原・浮塚・南川崎)
 むかし、八潮は海だった。 この海をば、峰..

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戸田市立郷土博物館

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戸田市立郷土博物館(戸田市大字新曽1707)

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木曾街道六十九次 木曾街道・蕨之駅・戸田川渡

Toda06伊香保志・戸田橋

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○戸田橋
 明治六年東京の堀・天野両人が埼玉県庁に戸田橋架設を出願、同時に東京の市川代次郎も吊橋を出願。 明治七年堀・天野両人による木橋認可されるも、自己都合により長野士族正木誓・東京小池新兵衛らに権利譲渡。 
 明治八年五月二十日戸田橋完成するも、費用がかさみすぎたため通行賃を徴収することとなった。
 明治十七年上野~高崎間鉄道開通により徴収橋銭..

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お千代舟

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○お千代舟(阿千代舟)
 船饅頭を見立てた街芸、お千代は船饅頭一番の美女だったらしい。

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☆お千代船
 寛政年間に現れたのが苫舟お千代の大道芸人、「こう、ぽちゃぽちゃのお千代だよ。ぽちゃぽちゃのお千代だよ。」との呼び声で投げ銭を得ていたらしい。
※お千代舟、全盛は明和年間。

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☆お千代船
 船饅頭は、享保~寛政ごろ。
※お千代舟は乞食芸人とよばれた。

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Sagamiyac☆土蔵相模屋・品川宿

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○船比丘尼・品川
★帆柱を立てて若僧品の夢
★品川の客偏のあるとなし(侍..

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歴史と民俗の博物館

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埼玉県立歴史と民俗の博物館
 (さいたま市大宮区高鼻町4-219)

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☆埼玉県立歴史と民俗の博物館  1971年開館。

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○大宮公園内遺跡
 1955年に行われた発掘調査で、弥生時代後期の竪穴住居跡一軒と弥生時代後期から古墳時代初頭と見られる方形周溝墓一基が確認されています。


☆埼玉県選定重要遺跡
大久保古墳群(さいたま市桜区)、側ヶ谷戸貝塚(さいたま市大宮区)、側ヶ谷戸古墳群(さいたま市大宮区)、五味貝戸貝塚(さいたま市西区)、大和田陣屋跡(さいたま市見沼区)、永田陣..

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塩の長司

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○塩の長司(長次郎)
 加賀小塩に住む塩の長司は家裕福にして馬三百疋持つも、常に悪食を好み死んだ馬の肉を味噌や塩に漬けて食らうも、肉が尽きたため老馬を殺して食べた。 それからは毎夜、馬が夢に現れ長司の喉に食いつき・口から入り・腹中を傷め悩ませて出ていくようになり、ついに長司は死んでしまった。

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☆やまくじら
 江戸時代、ももんじ屋なる肉料理屋が、いのしし・しか・きつね・うさぎ・かわうそ・おおかみ・くま・かもしか・さる、などの肉を食べさせたらしい。 ただし、表向きは薬食と称し、「イノ..

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竜宮伝説

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○グンマには竜宮伝説が数多くある。

グンマの伝説 について

○伊勢崎市宮子
 雨乞い・日和乞い、阿感坊三日間滞在するも領主に龍宮の様子を話したため狂死。 椀貸し伝説あり、浦島太郎の石碑あり。

○桐生市梅田町
 鍾乳洞奥が龍宮に通じている。椀貸し伝説あり。

○千代田村
 五軒屋敷の井戸は龍宮に通じ、水が尽きない井戸といわれる。

○上野村
 龍宮洞(不二洞)、罪人が洞窟中に織姫っを見たが役人に話したため狂死。
※白鰍を見たものは死ぬといわれる。

○吹割の滝
 滝壺は龍宮への..

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グンマの昔:古語父

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○古語父(ここぶ)の一本松
 塩原太助が愛馬青と別れた所とも、八尾比丘尼が植えたとも、いわれる。

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○十二杉
 分かれ分かれて十三本といわれる。

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藤岡伝説

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○弘法大師が杖を地に突き刺したところ水が湧きだしたのが「弘法井戸」。 高山・上の谷戸、根岸に三カ所、庚申山、三本木などにある。

○高山下組の「又平だいら」には酒が湧く泉があった。(樽湧き)

神流川は天正年間前は名もない狭い川であったが、ある年の大洪水で堤防でも防ぎきれず「火の神社・水の神社・木の神社・金の神社・土の神社」を祭った。

○平塚の沼は「大蛇の沼」とよばれた。 

○高山下組は「白塩」とよばれ、塩が湧いたとされる。

○十八町坂の途中の市衛門の洞穴には古狐が住んでい..

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東村(勢多郡)伝説

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○草木八景
 タツノ口(竜が口を開けた形)・タツ石・トウロウ石(姫様が灯明をつけたとも)・四十八か石(穴が48あった)・メガマ石・オガマ石・弘法の割り石・オボシ石

○小中鉱泉

○万太郎淵
 万太郎が魚釣りをしていたらクモに糸をかけられた。

○カリガケの滝
 カッパが出たらしい。

○天狗の森

○袈裟丸山
 弘法大師が寺を建てようとしたら、天狗が一谷隠したので九十九谷しかないのであきらめ、自分の袈裟を丸めてぶちゃった。

○坂東太郎の大石
 割ると血が出るといわれる。

○坂東太郎の大岩
 伊勢参りをしたとさ..

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白沢村伝説(現沼田市白沢町付近)

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ツモノガシ→女の人がゆっくり・楽しく・遊ぶこと
セッチュウラク→自分に都合の良いことをしゃべる
ズッケ→等価交換
コクゾッコ→微量
ヘンゲール→話がわかる
ヤレテ→布などが古くうすくなる
チャンガラチャンガラ→うまく歩けない

○文治年間九郎判官義経が頼朝に追われ奥州に向かう途中、主従三人が谷間に逃れたのが「三騎石」。 道行く人は、石を拾ってその上に積み重ねて之を隠すことが義務づけられている。

○田植えで忙しいときに、手伝いにかり出されたのが「田植地蔵尊」。

○狐の嫁入行列が通ったと..

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長野原伝説

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(石梨の木)

○「おきゃくまんま」とは米の飯。 お客専用だった。

○「三杯汁は馬鹿がする」といわれた。

○「女のもつべき穴一つ ささんとすれば毛がもじゃもじゃ つばきをつけてねじりこめ」、は針のこと。

○お供えを射ったら中から白い鳥が飛びだし・その家は貧乏になったので、「お供えを射てはいけない」。

○お熊野様の洞窟に鶏を放したら、鶏は越後へ出たといわれる。

○カッパが法印さんに教えたのが「骨接薬」、女人だけが作れたらしい。

○ダイダラボッチが高くしたのが浅間山・残った一もっこ分の土が小..

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新田伝説(新田郡、現太田市)

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○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○呑竜上人が、生まれつき弱い子を預かり七歳になるまでは大光院の弟子として面倒を見た、のが「七つ坊主」。

○呑竜上人となかずの池
 ある昔、太田金山に与一という猟師がおっかさんと女房の三人で暮らしていた。 ある年、日照りで作物が枯れてしまい鳥も獣も山から姿を消し、食べる物が無くなった。 与一は遠くへ猟に行き帰らない日が続いた。
 やがて食べ物がなくなり病に倒れたおっかさんのために、女房が弓矢を持ち山へ出..

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グンマの昔:勾当内侍と花見塚

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○勾当内侍と花見塚(つつじ岡公園)
 延元年代、新田義貞が中納言藤原行房卿の妹・勾当内侍に一目惚れし妻に賜った。  藤島の戦いで、義貞が足利高経に討たれたと聞いた内侍は嘆き悲しみ、都にさらされた義貞の首級を盗み上野国へ逃げ剃髪し儀源比丘尼と称し余生を送った。 上野国では、台之郷・武蔵島・江田・高林・別所、など移り住んだとされる。
 武蔵島に住んでいた時は、ツツジの花を好み・柊を植え楽しんだので「花見塚・柊塚」とよばれた。 館林城主榊原中次が、この内侍遺愛のツツジを館林城沼の畔..

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太田伝説(1)

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○義重山新田寺大光院の山門は「吉祥門」、徳川家康が大阪城落城を喜んで名付けた。

○植木野村にみすぼらしい修行僧がきて、芋を洗っていたお婆さんにお布施を求めたが、断られた。 そこで隣家へ行くと、快く泊めできる限りのもてなしを受けた。  お婆さんの芋は石に変わった。 隣家のまな板裏には「阿弥陀如来像が描かれ・南無阿弥陀物と書いてあった」その脇には「空海」と。 これが、宗金寺の弘法大師が爪で掘った「まな板の名号」である。

○八重傘沼には大蛇が住んでいたが、竜舞の修験者・松本院清安が切..

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前橋伝説(2)

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○茶店で売っていたはぜ棒が六文だったので、「六文棒」と言う地名になった。

○一揆の首謀者として処刑された駒形茂衛は、広瀬川畔の隠し墓に葬られた。(駒形茂衛地蔵)

○悪疫が流行ったとき、弘法大師が屶で石を刻んだのが屶切薬師。

○利根川を渡るのに着物を腰までまくったので「小島田」。(コシマデ→コジマタ)

○上杉方と武田方が戦ったときに埋められた小判があるらしい。(朝日夕日)

○湯之気曲輪には温泉があったが、屍馬を投げ入れたので水になった。

○源頼朝が鞍を掛けたのが「鞍掛け松」。

○端気川・利根..

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前橋伝説(1)

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○法燈寺は堂塔伽藍が建つ度に焼けたので、杉の坊の天狗により再建されたがやはり焼けて護摩堂だけ残った。(法は水が去る・燈は火が登る、と書くので凶)

○青梨子・井戸八幡宮は竜巻によってでき、眼病に効くといわれた。 井戸には白蛇が住むと言われるが、覗くと目がつぶれるらしい。

○朝に前橋を出ると、暗くなるころ到着するので「あさくら(朝倉)」。

○蹄石は、八幡太郎義家が八幡山へと馬で飛んだ時の足跡。

○旦那坂には、追いはぎがでた。 そして言った「旦那・旦那」と。

○おこり仏、大きい方をさわると腹..

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人魚ステーキ

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日本での人魚は美しいことなく(鳥山石燕絵)・食べられる運命にあった。

○八百比丘尼伝説(白比丘尼伝説)
 宴席で出された肉料理が人魚肉であることを知った村人は気味悪がって誰も食べようとしなかったが、ただ一人その肉を持ち帰った男がいた。 そしては、娘がその肉を食べてしまった。 ところが娘は、何年経っても十六・十七歳のままで年をとることなく、身内がいなくなった娘は尼となり福井県小浜の空印寺で八百歳の寿命を全うした。(地域により話筋は異なる)

※地方によっては、交わった男は死に..

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御嶽神社

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○御嶽神社、川口市鳩ヶ谷本町3-32
 明治二十年頃稲垣家が建立、初代寛山霊神。 古く神社前の道は本通り(街道)で賑わっていたが、1927年鳩ヶ谷流山線が開通し人通りは絶えた。  

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☆鳩ケ谷銀映
 戦前は小劇場・戦後(1960年頃)は鳩ヶ谷銀映、後にマーケット、今はない。  前の通り古くは、「出戸の通り(出戸道・草加道・成田道)」とよび、成田山への道標があった。

Hatogaya_hon3c☆中央マーケット

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☆御嶽経
 江戸中期に秩父大滝村普寛行者が開基、明治..

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群馬での暮らし:竜宮城

Tsukiyono

《グンマを話そう》

○竜宮と人魚
 ある昔、桃野村小川に清冶という男がいました。 五人の仲間が集まって「庚申待」をすることになり、さらに仲間を探していたところ、見知らぬ若者が加わりました。 やがてその若者が世話役になり、その若者の家に招かれました。

みんなが利根川の深い淵に着くと、若者が言いました。「これから竜宮城へ招待します」  そして、まばゆい竜宮城でご馳走をいっぱい食べましたが、一皿だけ見たことが無い肉塊があり誰も箸をつけませんでした。 清冶はそっとたもとにしまいました。
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