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弁天池

Hatogaya_benten2 ○旧浦寺村の弁天池跡と付元文元年・寛文九年銘の石碑
 川口市桜町6-11

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 大宮台地鳩ヶ谷支台東側の谷戸の奥から湧き出す湧水を溜めた池の跡です。 周囲の水田は台地に阻まれ見沼代用水を利用できなかったため、湧水の水を用いて、種子籾を水田に直接に撒く直播きと呼ばれる方法で耕作されました。 池跡には村人達が豊作を祈って建立した弁天社や石碑が祀られています。 かつての農業慣行をしのばせる貴重な史跡です。

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常福寺

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○常福寺・白岡市柴山1103

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 柴山にある曹洞宗の寺で除堀(現久喜市)の不動寺の末寺、山号は聚光山・由緒は不詳・本尊は不動明王。  常福寺には寺の前を流れる見沼代用水の開削に当たった紀州流土木技術者である井沢弥惣兵衛為永の墓石がある。

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☆常福寺の井沢弥惣兵衛の墓
 元文三年三月一日死去。 墓は千代田区麹町の浄土宗心法寺・法名は崇岳院殿隆譽賢巌英翁居士。 心法寺の墓石には「俗名井澤彌總兵衛爲永行年七十六」とあり、享年が正しいとすると寛文三年生まれになる。 また、見沼..

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見沼新田開発 メモ

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○見沼代用水
 見沼溜井の水を使っていた八領(戸田・浦和・笹目・安行・谷古田・舎人・平柳・淵江)を潤し・新田の灌漑のため、安定した水量が得られる利根川から水を引くこととした。 従来の河川と交差する箇所には掛渡井と伏越を設け、立体交差とした。

※見沼に代わる用水、の意

Minuma_daiyousui○見沼代用水合併・加入図

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○元圦公園・1977年

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Motoire1955c○元圦・1955年

Motoire_toishowac○元圦・昭和初期

Motoire_toi1955c○元圦樋門・1955年

Motoire_deguchi1955c○元圦樋門吐口・1955年

Motoire_chinden1955c○元圦沈殿池・1955年

Kuronuma_showac○黒沼笠原沼用分..

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柴山伏越 メモ

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○柴山伏越・白岡市柴山1094

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○柴山伏越構造
 享保十二年の新設当時は、見沼代用水を二分して伏越(大樋)と掛渡井で通水していた。 工事にさいして、湾曲していた元荒川を移動させ、常福寺が河川敷となったため寺を移動させた。 
 こうして元荒川の上流側に掛渡井・下流側に伏越が併置され、伏越が浮き上がるのを防ぐため重土橋を架した。 掛渡井は耐久性が無く・水行の障害になったため宝暦十年に撤去され、小伏越樋(小樋)を築造した。

Shibayama_1955c○柴山伏越・1955年

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柴山伏越

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○柴山伏越
 常福寺橋・白岡市柴山1094

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 元荒川と見沼代用水の交差地点で、元荒川の川底を見沼代用水が抜け出る構造になっています。 これは、流体を低い所に落とし・元の高さまで押し上げる連通管の理論を応用したものです。 この伏越は、享保十二年に井沢弥惣兵衛為永によって「紀州流」という土木技術でおこなわれました。 当初、伏越地点では伏越と掛渡井(元荒川の上を樋によって通水する)がおこなわれ、舟運にも利用されていました。

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Shibayama_map2川が立体交差している。

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☆井沢弥惣兵衛
 八..

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旧坂東家住宅

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○旧坂東家住宅・見沼くらしっく館
 さいたま市見沼区片柳1266-2、月休、048-688-3330

見沼 の記事を探す・PC版 )

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☆坂東家と加田屋新田
 坂東家は紀州名草郡加田村の出身です。 初代助右衛門尚重は正保元年に江戸北新堀(日本橋)に住んでいた商人で、屋号を「加田屋」といいました。 助右衛門尚重は、延宝三年江戸に住みながら、その頃用水として伊奈半十郎忠治により開発されていた見沼溜池の一角に入江新田..

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正法院

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○正法院
 さいたま市見沼区南中野451、048-683-5135

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円空作木造薬師如来立像・十二神将立像

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○円空作木造十二神将立像
 江戸時代初め頃、檜材一木造・像高48.0~73.0cm。 頭部に十二支を表す動物の形を頂き、背面にその名を墨書。

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○円空作木造薬師如来立像
 江戸時代初め頃。檜材一木造・像高57.5cm。 丸材を二つに割り、頭部・肩・胸部・足元を比較的浅く切り込む。

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○薬王寺・さいたま市見沼区島108
 円空仏三体..

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櫛引氷川神社

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○櫛引氷川神社・さいたま市大宮区櫛引町1-653

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☆何処かに素戔嗚尊腰掛松があったらしい…

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[大宮伝説 メモ]

☆カッパの妙薬、 さいたま市・大宮  片腕を切り落とされた見沼のカッパが伝えたのが「カッパの膏薬」。

☆日本武尊腰掛松、さいたま市・大宮浅間  氷川神社に詣でたおり腰掛けて休んだらしい。 他説もある。

☆小豆婆、    さいたま市・大宮  吉敷町安藤橋と、西光院西の道に、目撃情報。

☆徳川家康腰掛松、さいたま市・大宮飯田新田・西光院

☆首無し地蔵、 ..

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万年寺

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○万年寺・萬年寺
 さいたま市見沼区片柳1-155、048-683-2258

 越生龍穏寺の末寺、永正六年草創・龍穏寺七世開山、旗本初鹿昌吉が中興の開基、本尊木造釈迦如来座像は鎌倉時代の作。
 門は江戸時代中期築(井沢弥惣兵衛時代)、明治十二年再建。

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☆瘤地蔵
 お願生果しは団子山盛り。

※百姓が中休みに地蔵様に足を向けて昼寝をすると、目が覚めたときは足の向きが変わっていた。

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☆龍燈松・竜神燈
 龍神が境内松の頂に燈を高くかかげたらしい。

☆万年寺の竜神灯
 井沢弥惣..

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鳩ヶ谷うなぎ

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○いせ庄・川口市鳩ヶ谷本町

鳩ヶ谷 の画像を検索 )

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○湊家・川口市鳩ヶ谷本町

☆うなぎの蒲焼
 宝暦十年、浦和太田窪・小島庄五郎が家人や親類縁者達に食べさせたのがはじまりといわれる。 その後江戸に広まり、寅吉(明治に入り鈴木)なる者が鳩ヶ谷吹上橋たもとで料理屋を開いた。 明治四十年頃、魚久の屋号で「うなぎ蒲焼屋」となり繁盛したが、1941年閉店した。

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☆鰻・鈴木うなぎ
 文久年間吹上橋たもと下宿で寅吉がうなぎ屋をはじめ、二代目卯之助の店は振るわずも、明治四十..

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旧鳩ヶ谷里郵便局

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☆矢作家住宅・旧鳩ヶ谷里郵便局、川口市里
 主屋:明治初期、郵便局:1940年

 初代矢作喜平が分家後明治十五年紺屋(藍染屋・紺喜)開業、屋敷裏の芝川境橋東詰には里の船着場があった。

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 江戸末期矢作喜平が紺屋(藍染屋)から分家し紺屋を開いた。 明治時代には矢作茂七に次ぐ規模藍染屋となった。 
 屋敷裏の芝川境橋には「里の船着場」があり河川交通の要所でもあった。
 1940年9月、五代目が私財を投じて建設したのが三等郵便局(特定郵便局)。

※江戸時代は藍が栽培され多くの紺屋があったが、..

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埼玉伝説 メモ

Omiya_kurozuka9黒塚・潮田出羽守城跡

埼玉県伝説集成(主に県南版)

○馬蹄寺、上尾市平方・馬蹄寺
 吾妻左衛門是好の叔父三輪荘司が死んで馬に生まれ変わった、といわれる。

○片目の氏神、上尾市平方・
 氏子の目は片方が小さいとか…

○平方のお獅子、上尾市平方・
 伊草村の獅子頭が大水で上尾平方に流れ着いた。

○疱瘡石、朝霞市岡・東円寺
 疱瘡に罹ったら枕元にこの石を置くと治る。

○弘法大師掘抜の滝、朝霞市岡・東丹寺付近
 弘法大師が杖で突くと水か湧き出した。

○片目の魚、朝霞市岡・広沢の池..

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三佛寺

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○三佛寺
 川口市戸塚南4-19-33

 徳川家光が家来彦左ヱ衛門ともども日光から逃れ戸塚権現道であばら屋に宿を求めた。 その家の爺がありあわせの雑炊でもてなしたが、将軍は何の持ち合わせもないので「後日江戸城に来るように」と立ち去った。
 何年待っても爺が来ないので将軍は金の茶碗を手みやげに使者を向けると、爺は「何にもいらない、静かに寝られれば良い」。 困った使者は「周りの土地が欲しいと言った」と告げると、殿様は二百石を与え・三佛寺を建立した。
※金の茶碗は行方不明らしい。

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柳崎氷川神社

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○柳崎氷川神社
 川口市柳崎5-20-1

※柳崎は八木崎ともいわれ、見沼に突き出た台地であった。

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氷川女体神社磐船祭祀遺跡

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○氷川女体神社磐船祭 祭祀遺跡
 さいたま市緑区見沼5381

 近世の祭祀遺跡、見沼御舟祭りは千年以上続けられていたといわれる。

祭祀 について

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 享保十二年見沼の干拓により、古より行われていた氷川女體神社の御手洗瀬である見沼に神輿を渡御させる「御船祭」の神事は、中止せざるを得なくなりました。 そこで、神事の形態を改め、鳥居下の突端に柄鏡形の土壇を設け・その周囲に池を配し・祭祀の場としました。 享保十四年九月八日、名称を「磐船祭」として復活しましたが、江戸時代の終わりとと..

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附島氷川女体神社

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○附島氷川女体神社
 さいたま市緑区大間木1522

※見沼溜井造成による氷川女体神社社領地の代替地一部が附島村内に与えられた。

見沼 について

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☆附島氷川女体社本殿
 江戸時代中頃。 一間社流見世棚造・こけら葺・桁行0.690m・梁間0.610m・向拝の出0.510m・覆屋内。

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氷川女体神社

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氷川女体神社
 さいたま市緑区宮本2-17-1

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☆氷川女體神社社殿
 武藏国一宮。 社殿は、本殿と拝殿を幣殿でつなぐ複合社殿。 本殿は江戸時代寛文7年・三間社流造・こけら葺(現銅板葺き)・桁行3.465m・梁2.260m・向拝の出1.364m。 拝殿は江戸時代中頃、入母屋造・桁行9.450m・梁間4.560m。
※依石、神山を拝する祭祀の場に埋められた神霊を依りつかせる石。

○武蔵一の宮氷川神社
 古くは、男神の氷川神社(須佐之男命)・女神の三室氷川女躰社(稲田姫命)・女神の川簸..

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竜神社

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○竜神社
 さいたま市緑区宮本2-17-1

竜神 について

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☆見沼の竜
 見沼の竜・見沼のいもり・美女と馬子・竜神祭り・竜灯、など伝説が多数ある。


☆見沼の竜神様
 見沼の夕暮れ、そこには毎夕笛を吹き・辺りをさまよう美女が現れた。 村人達は「見沼の竜神様」と恐れ、ある時武士が切りつけると・暴風が吹き・稲妻が走り・雷が轟き・美女は消え、竹笛だけが残った。 そしては、この竹笛を神社に納めた。
 何年も経ったある日、神社にやってきた年老いた女が、「竹笛を吹か..

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水神社

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○水神社
 さいたま市緑区大間木2395

 享保十七年に見沼通船堀で江戸との物資輸送に携わる人たちが、水難防止を祈願して祀ったとされる。
 享保十七年六月創立、関東大震災で全壊・後に再建。

水神 について

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八丁橋
※伊奈忠治が築いた土堤防、堤の長さが八丁だったので八丁堤。

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厳島神社

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○弁天様・厳島神社(厳嶋神社・山口弁財天)
 川口市東内野/さいたま市緑区下山口新田

 古くは沼の中程に弁財天を奉っていたが、沼地が無くなり移設。  「この沼には雌の大蛇が住んでおり、印旛沼に住む雄の大蛇に会いに行った」・「大蛇の鱗」などの伝説もある。
※沼の中から見つかった弁天様を奉ったといわれる。

弁天 について ・ 大蛇 について

○山口弁財天
 暑い夏の日、蓮見家馬子が千住からの帰り道、疲れ果てた旅姿の女を木曽呂橋まで馬に乗せた。 その女がお礼に渡したのが禁断の「..

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熊野三社

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○熊野大権現(熊野神社・熊野三社)
 川口市神戸雀田89

熊野様 について

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 享保八年創設、明治三十九年木曽呂朝日神社に合社、1951月9月復元。  伊邪那岐命・伊邪那美命・菊理姫命を奉る。 二月十六日、五穀豊穣・無病息災を願い「日社講(おびしゃ)」高盛の儀。


○神戸浅間神社
 古くは浅間神社があり、社南側には高さ約10m・胎内めぐり約30mの横穴(あほぐら)を有する富士塚があった。(現グリーンセンター見沼用水側)

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中川 メモ

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○荒川ロックゲート・江戸川区
 小名木川閘門(撤去)、1927年、全長90.9m・幅10.9m
 小松川川閘門、1930年、全長96m・幅14.4m

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○中川起点(羽生市)

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○綾瀬川起点(桶川市)

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○古綾瀬川合流(草加市)

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○見沼代用水東端と西端の分岐点(上尾市)

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鴻沼 メモ

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鴻沼資料館(こうぬま・高沼)
 (さいたま市桜区西堀4-1-4、9:00~12:00、月木休)

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☆鴻沼
 江戸時代に、現在の下落合から鹿手袋にかけてあった南北に細長い沼で、沼の周辺17ヶ村の農業用の溜井として利用されていました。 その後、江戸時代中頃の享保年間に井沢弥惣兵衛為永によって、沼の中央部に排水路が開削され、同時に北袋の見沼代用水西縁から引水し、今までの鴻沼の水の代わりの用水として「鴻沼用水」という名称で、以降270年にわたる長い間近隣の水田を潤すことになりました。   ..

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浅間社

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☆浅間社・浅間山
 川口市鳩ヶ谷本町3-20

 延享五年四月、次兵衛子孫彦六が浅間社を千手院に譲った。 浅間社は古木生い茂り、神楽堂・籠堂・御手洗池などがあった。 祭礼名物は、麦藁でつくった「じゃの口・蛇の口」。
 明治四十二年氷川神社に合祀、一部は千手院に保管。

※現坂下二丁目の東、当時の鳥居は氷川神社に移された。
※御手洗池の主が蛇、「じゃの口」の延長が安行原の蛇造り。

Hatogaya_senjuinc☆千手院・川口市鳩ヶ谷本町3-1 

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☆いぼとり地蔵・沼田堤
 川口市坂下町4、須田病院裏..

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馬場小室山遺跡

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馬場小室山遺跡
 さいたま市緑区馬場1-41-1

○三室山
 古くは大室山と小室山があり祖霊山とされていた。 その後、大室山を三室山とよび・小室山をそのままの漢字とし「おむろやま」、とした説がある。
※遺跡南側に小室明神社がある

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☆馬場小室山遺跡第51号土壙出土縄文土器
縄文時代晩期
 馬場小室山遺跡は、さいたま市緑区大字三室、馬場1丁目、松木2丁目などの広い範囲に広がる遺跡で、東西約300m、南北約200mに及ぶ。 地形的には見沼の低地から..

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国昌寺

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○国昌寺
 さいたま市緑区大崎2378、048-878-0413

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 曹洞宗の古刹であり、開山は心厳宗智。中興開山は桃山期に能筆家で知られた大雲文龍。文龍は諸国を遊歴し名僧としての名を高め、後陽成・後水尾の両天皇に歌書を指導した。国昌寺に戻ってから関東地方のいくつかの寺院の開山、または中興開山となった。3代将軍家光から寺領10石を寄進される。   国昌寺の山門は「開かずの門」として有名。江戸中期に建立された。欄間の龍は左甚五郎作と伝えられ、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉とい..

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見沼通船堀

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見沼通船堀
 さいたま市緑区大間木・山口新田
 川口市東内野

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Urawa_minuma8鈴木家住宅

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Urawa_suzuki81○鈴木家住宅、土蔵・納屋

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○見沼通船堀
 東西両縁水路を結び・途中に堰枠二ヶ所、使用できたのは九月から翌年二月まで。 享保十六年運用開始、高田家と鈴木家に通船権が認可された。 堰枠が木造のため耐用年数約二十年なので、高田家と鈴木家は通船料を徴収し改造費用にあてた。 両家は年貢輸送などで多額の冨を得、通船屋敷とよばれるようになった。..

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氷川女体神社

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氷川女体神社
 さいたま市緑区宮本2-17-1

 見沼を囲み、大宮氷川神社を男体社・中山神社を王子社・氷川女体神社を女体社、ともいわれる。

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氷川神社 について

さいたま市緑区 について

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○案山子の碑・唱歌「案山子」発祥の地
 唱歌「案山子」を作詞した武笠三、氷川女体神社神主家系といわれる。


Urawa_mimuro三室村・元簸河神社

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☆氷川女体神社
 奈良時代以前の創建ともいわれる。 寛文七年、徳川家康が忍城主阿部忠秋を奉行として再興。 見沼方向に向き..

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黒浜貝塚

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蓮田市文化財展示館@蓮田市黒浜2801-1、048-764-0991

黒浜貝塚・住居跡

貝塚 について

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☆寅御石・寅子石(蓮田市馬込)
 長者の一人娘「お寅」はとびきりの美人で・多くの若者達から縁談があり、悩んだお寅は自害した。 その後縁談を望んだ若者達を招いて酒宴を張りご馳走した。 そしては食べたのは「お寅」の肉であったことを告げると、若者達は身勝手を嘆き・お寅の供養のため供養塔を建てた。
※曾我..

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見沼みちくさ道路

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芝川第一調節池・見沼みちくさ道路
 武蔵野線、東浦和~東川口・北沿

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川口神社

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川口神社(川口市金山町6-15)

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☆神鏡
 井沢弥惣兵衛為永の配下にあって見沼溜井造成工事を担当した杉島貞七郎保英が奉納したものです。 保英は川口宿の宇田川定盛の子として生まれ、小普請組杉島不一の養子となり小普請組に属し、鎮守である氷川神社に工事の完成を祈願し、祈願が成就したことにより奉納されました。 直径30㎝・厚さ0.5㎝、裏面には「奉納・御寶前・武州川口町鎮守・杉島貞七郎花押」、中央には「氷川大明神」三つ巴文とともに、「享保十八年癸年九月吉祥日 中村因..

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鳩ヶ谷の藍染

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○紺屋呉服店(坂の紺屋)
 明治時代は、見沼代用水を利用し藍染をしていた。 古くは、上町に藍玉を売る商いがあり・近隣では藍染が盛んであったらしい。

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川村染工場跡

※古くは、まる初・紺喜・紺鉄・紺善(旧川村染工場)・坂の紺屋(紺屋呉服店)・紺孝・稲荷の紺屋・紺吉、の八軒あった。

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川村染工場(藍染)
 安政五年~

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藍瓶


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○とんぼ橋の橋石
 見沼代用水の主要分水路の一つ平柳用水に架けられていた橋石。 延宝5年(1677)の年号が橋名とともに刻まれている。 橋を渡る..

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日光御成街道

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[鳩ヶ谷散歩・まちあるき]・川口市鳩ヶ谷

○昭和橋
 かつては、岩槻街道に沿った平柳領用水を渡る幅一間ほどの橋があった。 1929年県道浦和草加線が開通し、岩槻街道との交差点・菅岩桶屋跡に昭和橋交差点ができた。 昭和橋角・鳥初商店前には「せうわばし」の石標があったが、今は無い。

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○星野食品
 豆腐屋、おでんも美味しい。 おからドーナツもある。

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○川村水産
 お寿司が美味しい、一軒隣の総菜屋も安くて美味しい。

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○藤屋木暮
 手焼き煎餅、海苔煎餅が美味しい。  鳩ヶ谷せんべい、古..

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見沼通船堀

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見沼通船堀

 さいたま市緑区大間木・山口新田
 川口市東内野

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○木曽呂の富士塚
川口市大字東内野594-6ほか
 この富士塚は、寛政12年(1800)に富士講の一派、丸参講の信者の発願により築造されたものである。高さは5.4m、直径約20mで、塚全体が盛土で築かれている。頂上には火口が掘ってあり、かつては胎内くぐりの穴も設けられていた。また、富士塚ならびに周囲には、丸参講により造立された石造物が多く..

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歴史と民俗の博物館

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埼玉県立歴史と民俗の博物館
 (さいたま市大宮区高鼻町4-219)

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☆埼玉県立歴史と民俗の博物館  1971年開館。

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○大宮公園内遺跡
 1955年に行われた発掘調査で、弥生時代後期の竪穴住居跡一軒と弥生時代後期から古墳時代初頭と見られる方形周溝墓一基が確認されています。


☆埼玉県選定重要遺跡
大久保古墳群(さいたま市桜区)、側ヶ谷戸貝塚(さいたま市大宮区)、側ヶ谷戸古墳群(さいたま市大宮区)、五味貝戸貝塚(さいたま市西区)、大和田陣屋跡(さいたま市見沼区)、永田陣..

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見沼くらしっく館

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旧坂東家住宅 見沼くらしっく館
 (さいたま市見沼区片柳1266-2、048-688-3330)

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さぎ山記念館

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さぎ山記念館・さぎ山記念公園(緑区大字南部領辻359-1)

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見沼自然公園(緑区大字上野田362-1)

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昔の野田のサギ山 

☆鷺
 江戸時代は鷺を食べたらしい。 青鷺の肉が、白鷺の肉より旨かったらしい。

☆野田のサギ山
 享保年間上野田宝永地区に鷺が巣を作るようになり、この地は鷺薮とよばれていた。 やがて竹木が枯れ1800年半ばには、南の上野田村にサギが巣を作るようになった。 1938年天然記念物「野田村鷺繁殖地」となるも、周辺環境変化により197..

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大宮氷川神社

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氷川神社(大宮)

(伊香保志上巻、大槻文彦、みやま文庫109、1988年)

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大宮公園(1900年頃)


Saitama_hikawa○氷川公園

Hikawajinjya81

☆大宮氷川神社
 古く見沼周辺に居住していた人々に祀られた地主神が、八~十世紀に武蔵氏により祖神として祀られ、やがて武蔵国氷川神社となったともいわれる。

Omiykoen1900c

Hikawajinjya81c

Saitama_hikawac

Omiyakouenc☆大宮公園

Omiyakouen2c☆大宮公園

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御嶽神社

Hatogaya_mitake

○御嶽神社、川口市鳩ヶ谷本町3-32
 明治二十年頃稲垣家が建立、初代寛山霊神。 古く神社前の道は本通り(街道)で賑わっていたが、1927年鳩ヶ谷流山線が開通し人通りは絶えた。  

Hatogaya_mitake1c

Hatogaya_mitake2c

Hatogaya_gineic

☆鳩ケ谷銀映
 戦前は小劇場・戦後(1960年頃)は鳩ヶ谷銀映、後にマーケット、今はない。  前の通り古くは、「出戸の通り(出戸道・草加道・成田道)」とよび、成田山への道標があった。

Hatogaya_hon3c☆中央マーケット

Hatagayaginza1967c

横線540

☆御嶽経
 江戸中期に秩父大滝村普寛行者が開基、明治..

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日暮里・舎人ライナー

山田君の世界

【日暮里・舎人ライナー】


「見物がてらの子供が多いだろう」
と思っていたら、

子供いない…
年寄り多い…

 まるで、「老人ライナー」だ。

Toneri0428b

 駅は下記の12駅、[日暮里・西日暮里・赤土小学校前・熊野前・足立小台・扇大橋 ・高野・江北・西新井大師西・谷在家・舎人公園・舎人・見沼代親水公園]。 沿線に有名所があるわけではなく、赤字不可避の路線だ。

Toneri0428c

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参考文献

下記文献などを参考にしています。

100年前の日本、 1億人の昭和史、 20世紀おもちゃ博物館、 365日乗物なぜなぜ事典 自動車・船・飛行機からスペースシャトルまで日本と世界の乗物事始めと記録、 47都道府県・こなもの食文化百科、 47都道府県地名由来百科、 50年のあゆみ:榛名町50周年記念誌、 60年代街角で見たクルマたち アメリカ車編、 60年代街角で見たクルマたち ヨーロッパ車編、 60年代街角で見たクルマたち 日本車・珍車編、 70年のあゆみ 日本車輛製造株式会社..

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